2008年韓国蝋燭デモ

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2008年5月3日、清渓広場にて行われた蝋燭デモ
蝋燭デモを呼びかけるイラスト

2008年韓国蝋燭デモ(韓国語:2008년 대한민국 촛불 시위)は、2008年大韓民国で発生したデモ(抗議運動)。BSE問題に関連して当時の李明博(イ・ミョンバク)政府の米国産牛肉の輸入再開交渉の内容に抗議するために集会が行われ、数ヶ月に渡ってデモが続く中で争点が教育問題や民営化問題及び李政権退陣などに飛び火し、デモも韓国全土に拡大していった。 5月2日に最初の集会が行われて以降2ヵ月間、連日数百から数十万人が参加し、6月10日をピークとして、7月以降は週末に集会が続けられた。

概要[編集]

このデモの発端は、2008年に米韓自由貿易協定(FTA)が推進される中、協議中であった米国産牛肉の輸入条件が報じられると、韓国国内で「狂牛病(=BSE、牛海綿状脳症)」の危険性に対する懸念が高まったことによる。

市民の大半は狂牛病(BSE=牛海綿状脳症)ろうそくデモに自発的に参加した。子ども連れの家族連れの参加も多く、芸能人や音楽家が多く参加し「文化祭」的な様相を呈した。デモ参加者の自発的で開放的な特性を置いて、ウェブ2.0に喩えて「民主主義2.0」または「デモ2.0」の登場と呼ばれた。一方では集会が終わった後、街頭行進をしながら大統領府に向かう途中で警察との衝突が発生した。また、右派メディアは、一部の中高生は「一部の教師が評価加算点を与えるとして参加を促した」と批判した[1]。同時に、デモ鎮圧に当たって政権や警察による過剰鎮圧問題が浮上した。

しかし、一部のマスコミ・団体の誇張と歪曲の混じった扇動や根拠のない主張が問題となった。この事態を触発したMBCPD手帳」の狂牛病関連報道について、2011年9月2日、韓国大法院は「(MBCの報道は)韓国国民が狂牛病にかかる可能性が高いという明らかな虚偽報道である」として訂正報道をするよう命じ、判決を受けMBCは謝罪放送をした[2]。これに対しPD手帳のスタッフらは反発しMBCを提訴した。2016年7月14日に大法院は「争点部分は虚偽だと判断した1・2審の判決が確定した以上、謝罪放送の要点は事実と合致する」としてMBC側が謝罪に関する訂正報道をする必要はないとする判決を下し、PD手帳の狂牛病関連報道に虚偽性があったことを明らかにした。一方で、李明博政権が以前から政権に批判的だった「PD手帳」を抑圧するための手段として執拗に攻撃されたという指摘もある[3]

韓国国内の一部の政治家・マスコミはデモ隊の暴力性を指摘して批判した[4]。国際NGOのアムネスティもデモの初期には平和的な運動だったが、その後、デモ隊と警察の両方で暴力が発生したと指摘した。

また、インターネット上の感情的な世論形成と現実世論の距離感も問題点として指摘された。このデモは、右派寄りのネットユーザーを中心に、虚偽扇動と暴力デモの代名詞とされている。当時、科学的根拠のない主張やデマなどを掲げて世論を煽るデモ支持者に対する反発が、後に社会的に大きな波紋を呼んだDCインサイド政治社会ギャラリーやイルベのような電子掲示板をはじめとする組織的な保守性向のインターネットコミュニティの胎動の原因になったという分析もある。

経過[編集]

市庁前広場での蝋燭集会(2008年6月6日)
特殊任務遂行者戦友会行事
コンテナのバリケード、いわゆる「明博山城」
ファーストフード店の看板。アメリカ産牛肉ではなく、オーストラリア産を使用していると書かれている。
アメリカ産牛肉の輸入に抗議する韓国の若者

5月・6月[編集]

  • 5月2日 - 「李明博弾劾のための汎国民運動本部」の主催の下、ソウル特別市鍾路区に位置する清渓広場一帯で初めて集会が開かれた。主催者側は警察に対して参加者は300人くらいと届け出たが、実際にはこれを大きく上回り1万人が集まった。
  • 5月3日 - ソウルや各地方都市でも集会が開かれた。このころの集会は、既存の政治組織があまり介入しておらず、市民の生の意見が反映されている集会との評価を受けている。
  • 5月4日 - 警察当局は、日没後のデモを禁止する法律[5] の適用を示唆し、大きな反発を買った。日没後は「文化祭」形式の蝋燭集会のみを認め、そこでシュプレヒコールを叫んだり、ピケを張ったりした場合は、違法行為として処罰するという警告を発した。
  • 5月6日 - 前回の会場である清渓広場に3千名、永登浦区汝矣島にある国会前に8千人が集まり蝋燭集会が開かれた。
  • 5月7日 - 清渓広場で集会が開かれた。
  • 5月9日 - 前回同様の集会が開かれた。
  • 5月17日 - 清渓広場で参加者1万人以上の集会が開かれた。キム・ジャンフン、ユン・ドヒョン、李承桓などの歌手やキム・ブソンなどの芸能人も参加した。
  • 5月24日 - 清渓広場での集会の後、デモ隊は遂に世宗路を占拠した。そして青瓦台に向かってデモ行進を強行し、光化門前で警察と衝突した。
  • 5月25日 - 前日同様、清渓広場での集会の後、デモ行進を行い警察と衝突した。その後27日まで連日、集会とデモが行われた。この頃から批判の矛先が李明博政権自体に向けられるようになった。
  • 5月29日 - ベビーカー部隊(ベビーカーに赤ちゃんを乗せたデモ隊)初登場。以後8月9日までの間に14回出動[6]
  • 5月31日 - ソウル特別市庁前広場で集会が開かれ、5万人以上が集まった。その後デモ行進に移った。ソウル地方警察庁戦闘警察機動隊に相当)を動員して翌日未明に強制解散させた。
  • 6月5日 - ソウル特別市庁前広場で6月8日までの72時間連続集会が開催された。一部の参加者はテントを張って徹夜デモを行った。6月6日は韓国の休日「顕忠日」であり、多くの人が集まった。主催者発表で20万人、警察発表5万6千人が集まった。また「大韓民国特殊任務遂行者戦友会」が同じ市庁前広場で「特殊任務戦死者合同慰霊祭」を開催したため、集会参加者との間でトラブルが起きた。
  • 6月7日 - 深夜、一部のデモ隊は遂に暴徒化し、鉄パイプなどでバスを破壊したり、爆竹可燃性スプレーに火をつけて警官隊に投げつけたりした。この過程でデモ隊・警察双方で負傷者がでた。
  • 6月10日 - この日は韓国が民主化するきっかけとなった「6・10民主抗争」の日であった。そのため、21周年を祝う意味も兼ねて多くの人々が参集した。主催者側発表で50万人、警察発表でも10万人が集まった。警察では不測の事態に備えてコンテナバリケードを築いた。参加者は「慶祝! 08年ソウルのランドマーク・明博山城」)と揶揄した。
  • 6月30日 - この日より天主教正義具現全国司祭団は時局ミサを執り行った。そして最終日の7月6日に勝利宣言を行い、事実上終了した。

7月以後[編集]

7月以後のデモは、大規模な集会は行われなくなった。一部のデモ隊は「李明博政権の言論統制」に反対するために各放送局前で蝋燭デモを行った。

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ ‘쇠고기 시위’ 참석 고교생에 가산점”. 東亜日本 (2008年11月21日). 2021年5月29日閲覧。
  2. ^ 韓国の放送局、過去の狂牛病報道で謝罪「責任を痛感」”. 中央日報 (2011年9月6日). 2021年5月29日閲覧。
  3. ^ “言論弾圧”の傷痕…<PD手帳>の苦々しい第1000回”. ハンギョレ (2014年7月8日). 2021年5月21日閲覧。
  4. ^ [社説]狂牛病煽動勢力、社会マヒと政府転覆を狙った”. 東亜日報 (2008年7月12日). 2021年5月29日閲覧。
  5. ^ 当時(2010年6月30日まで)、「集会及び示威(デモ)に関する法律(集示法)」の規定により、日没後の集会は原則禁止とされていた。
  6. ^ 米国産牛肉:ベビーカー部隊めぐり与野党攻防 朝鮮日報 2008/10/10
  7. ^ 韓国大統領退陣要求デモ「ろうそく集会11.26」”. コネスト. 2021年5月29日閲覧。