「形原松平家」の版間の差分

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2011年9月13日 (火) 20:15時点における版

形原松平家(かたはらまつだいらけ)は、松平信光の4男松平興嗣(与副[要出典])を祖とする松平氏の庶流。三河国宝飯郡形原(愛知県蒲郡市形原町)を領したことから形原松平家と称した。

松平宗家の徳川家康へ従うようになったのは、4代家広のときからで、家広とその子・5代家忠長篠の戦い、6代家信小牧・長久手の戦い小田原の役での功績が著しく、家信の頃に摂津国高槻藩2万石大名となる。その後、下総国佐倉藩4万石への移封、高槻藩に3万6千石での再封、丹波国篠山藩5万石への移封を経た。しかし、11代信岑享保の大飢饉のさなかに重税を課し、領民から反発を受けて丹波亀山藩5万1千石に移封され、そのまま幕末まで存続した。

系図

興嗣貞副[要出典]親忠家広家忠家信康信典信
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信孝  信利  信庸
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        信岑  庸倫  信嵩
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            信直  庸孝
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            信道  信志      庸熙
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            信彰  信豪  信賢  信義
                 ┃
                信正