「白雉」の版間の差分

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== 改元 ==
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大化6年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]([[ユリウス暦]]650年[[3月22日]])改元された。白雉5年[[10月10日 (旧暦)|10月10日]](ユリウス暦[[654年]][[11月24日]])に孝徳天皇が崩御したときより使用されなくなり、以降[[686年]]に[[朱鳥]]と定められるまで元号はなかった。
*大化6年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]([[ユリウス暦]]650年[[3月22日]])改元
*白雉5年[[10月10日 (旧暦)|10月10日]](ユリウス暦[[654年]][[11月24日]])に孝徳天皇が崩御したときより使用されなくなり、以降[[686年]]に[[朱鳥]]と定められるまで元号はなかった。


== 由来 ==
== 由来 ==

2009年6月13日 (土) 16:56時点における版

白雉はくち)は日本元号のひとつで大化の後。650年から654年までの期間を指す。この時代の天皇は孝徳天皇

改元

由来

同年2月9日(ユリウス暦3月16日)、穴門国(あなとのくに、後の長門国)の国司・草壁醜経が白い雉を献上したことによる。

白雉期におきた事件

  • 白雉元年(650年) 穴戸(長門)国より献上された白雉により改元。
  • 白雉2年(651年) 難波長柄豊碕宮へ移る。
  • 白雉4年(653年) 中大兄皇子等飛鳥河辺行宮に移る。第二次遣唐使派遣。
  • 白雉5年(654年) 孝徳天皇、難波宮で没する。高向玄理ら第三次遣唐使派遣

西暦との対照表

白雉 元年 2年 3年 4年 5年
西暦 650年 651年 652年 653年 654年
干支 庚戌 辛亥 壬子 癸丑 甲寅