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'''殺陣'''(たて)は、[[舞台]]、[[映画]]、[[テレビドラマ]]などで披露される、[[俳優]]の肉体または武器を用いた格闘場面ならびに一連の動作のことである。広義に解釈すると現代劇、[[時代劇]]の区別や使用される[[道具]]に指定はないが一般的には時代劇における、[[日本刀]]を用いた剣戟場面を表すときに用いられる用語である。これに関連して、その振り付けや指導を行う人を'''殺陣師'''(たてし)という。“さつじん”ではないので要注意。[[擬斗]](ぎと)とも呼ぶ。
'''殺陣'''(たて)は、[[舞台]]、[[映画]]、[[テレビドラマ]]などで披露される、[[俳優]]の肉体または武器を用いた格闘場面ならびに一連の動作のことである。広義に解釈すると現代劇、[[時代劇]]の区別や使用される[[道具]]に指定はないが一般的には時代劇における、[[日本刀]]を用いた剣戟場面を表すときに用いられる用語である。これに関連して、その振り付けや指導を行う人を'''殺陣師'''(たてし)という。“さつじん”ではないので要注意。擬斗(ぎと)とも呼ぶ。


==語源==
==語源==

2008年5月13日 (火) 02:26時点における版

殺陣(たて)は、舞台映画テレビドラマなどで披露される、俳優の肉体または武器を用いた格闘場面ならびに一連の動作のことである。広義に解釈すると現代劇、時代劇の区別や使用される道具に指定はないが一般的には時代劇における、日本刀を用いた剣戟場面を表すときに用いられる用語である。これに関連して、その振り付けや指導を行う人を殺陣師(たてし)という。“さつじん”ではないので要注意。擬斗(ぎと)とも呼ぶ。

語源

新国劇の座長・沢田正二郎が公演の演目を決める際に冗談で「殺人」として座付きの作家・行友李風に相談したところ、穏やかでない言葉なので「陣」という字を当てることを提案したことが「殺陣」の語源と言われている。この演目は1921年に初めて演じられたが、このときの読みは「さつじん」であった。その後、1936年、沢田の七回忌記念公演にて「殺陣田村」として演じられた時から「たて」と読まれるようになった。

概要

  • 十分な鍛錬が行われていない俳優による殺陣を観ると「機械的に武器を振り回している」ように見えることさえあるが、優れた殺陣には、演者自身の肉体を含めた武器の動かし方はもちろんのこと姿勢(構え)・足運びなどの立ち居振る舞い・演技としての流れの美しさが要求されている。
  • 殺陣はあくまでも演技であり、用いる武器(特に、本物の素材を用いた)によっては本当に当たっている(当てられている)「ように見せる」配慮や、怪我をしない、させない配慮が不可欠である。これを怠ると殺陣の場面を軸とした作品全体の評価の低下を招いたり、傷害及び死亡事故に発展する場合もある(実在したケースについては下部に記述)。
  • 演じるに際し、俳優は居合道なぎなた空手といった武道および武術を習得していることが望ましいが、殺陣においては劇的な「見栄え」などの効果を考慮する(武道や武術と対照的に作為的に予備動作をおおきくするなど)必要があり、一概に習得した技術がそのまま殺陣の実力と比例するとは言い切れない。そのため、劇団付属の研究所をはじめとして、殺陣を正式科目として採用している俳優養成機関は数多く存在する。

使用される小道具など

  • 厳しくリアリティを追求する場合や、俳優が殺陣の技術に優れている場合には本物の素材で作られている武器を用いることも少なくはないが、現在は安全や経費の削減のために以下の代用品が用いられることが多い。
    • 日本刀・・・模擬刀、卵白で銀紙を貼った竹光ジュラルミン製の刀(殊に真剣が鉄棒であるのに対し、竹光は安全性が高く耐久性に優れる一方で、経験が浅い俳優が扱うと「軽い振り」になりがちであるというデメリットもある)
    • 金属製の棒・・・ゴムなど、弾力性に優れた素材を内部に詰め込んでいる。警察で訓練に用いる「ソフト警棒」もこの一種。

殺陣に関連したエピソード

  • 1989年公開の勝新太郎監督・主演の映画『座頭市』の撮影中、俳優が振り回した真剣が殺陣師の首に刺さり死亡する事故が起きた。これにより、日本俳優連合に「殺陣対策委員会」(後のアクション部会)が設立され、撮影現場での安全対策や傷害保険加入などの問題解決に向かって動き出した。そして2005年、懸案だった「アクションライセンス制度」が設立され、俳優の殺陣技能の段位制による啓蒙が始まった。
  • 2003年公開の北野武監督・主演の映画『座頭市』で剣術の達人(服部源之助)を演じた準主役の浅野忠信は、撮影中の僅かな余暇を見つけては、竹光に塗布された銀が剥がれ落ちるまで鍛錬に励んだ。その甲斐あって同作品の殺陣は、近年の時代劇映画では稀に見る高い評価を得た。

殺陣の評価が高い作品および俳優

時代劇に関してのみ記述している

映像作品

俳優

東映映画一心太助』シリーズ、『宮本武蔵』シリーズ、テレビドラマ子連れ狼』や『破れ傘刀舟 悪人狩り』、『長崎犯科帳』などで一世を風靡。150本近い映画に出演し戦後日本映画界最大のスターとなる。中村嘉葎雄の兄にして、中村獅童の叔父。

映画『人形佐七捕物帖』『子連れ狼』シリーズで人気を確立。歴代最高の殺陣技術をもった俳優であるとも言われる。特に、1981年公開の『魔界転生』での殺陣はファンの間では伝説である。『仁義なき戦い』『衝動殺人 息子よ』などの現代劇でも活躍。勝新太郎の兄。

映画、およびテレビにおける座頭市シリーズがあまりにも有名。監督、プロデューサーとしても高い評価を得ている。中村玉緒は妻、息子は雁龍太郎。

没後なお海外において最も著名な日本人俳優であり、「世界のミフネ」と呼ばれた。世界的に評価の高い『七人の侍』の他、『用心棒』、『椿三十郎』で優れた殺陣の技術を披露した。三船史郎、三船美佳の父。

歌舞伎界ならびに大映映画のトップスター。端正な顔立ちに気品と風格も備わった不世出の時代劇俳優で、海外の映画賞も獲得。『眠狂四郎』シリーズが代表作。37歳という若さで肝臓癌に倒れる。

300本以上の映画に出演した『旗本退屈男』。豪快にして自由な雰囲気で多数のファンを獲得。次男は北大路欣也

日活出身の青春スターにして時代劇スター。『桃太郎侍』をはじめとして時代劇での当たり役は数多い。「止まっている物を斬らせたら日本一」と言わしめるほど剣の腕は高く、本人曰く「5万人は斬った」と言う。現在では現代劇からバラエティー番組までマルチな活躍ぶりを見せる。

斬られ役として名を馳せた異色の時代劇スター。先述の高橋とは逆に「5万回斬られた」日本一の斬られ役。大部屋俳優から『ラストサムライ』への出演で「世界一の斬られ役」となる。定年後の今日もまた斬られ続けている。

空手柔道居合道から手裏剣まで使いこなす現代の侍。『仮面ライダー』で全国区の人気を獲得し、さらに異国の地に迷い込んだ侍を熱演した『SFソードキル』での演技が認められ、日本人として初めて米国映画俳優協会の会員となる。現在は「隊長」として親しまれ俳優以外にナレーター作家としても活躍。世界規模のボランティア活動にも尽力している。

いわずと知れた日本の名優。古畑任三郎の古畑役などで特に有名だが、デビュー初期は時代劇に多く出演していた。名作、『眠狂四郎』をはじめとした作品中で繰り広げられる彼の殺陣は、独特の美しさまで感じさせる程に華麗で、人気が高い(『眠狂四郎』は元々市川雷蔵氏の当たり役であったが、雷蔵亡き後を継いでドラマで狂四郎を演じたところ、それを見た原作者の柴田錬三郎が「田村正和は最高の狂四郎役者」と絶賛した。詳しくは田村正和の項を参照のこと)。

先述の藤岡とともに1970年代1980年代に全盛期を迎えた日本アクション映画を牽引した一人。後進の育成にも力を注ぎ、自らが設立したジャパンアクションクラブ真田広之志穂美悦子らを輩出。クエンティン・タランティーノら海外の映画関係者からの評価も高い。

演劇集団 円に在籍中に出演したNHK大河ドラマ独眼竜政宗』で歴代最高の視聴率を獲得し一躍国民的人気俳優に。『御家人斬九郎』『仕掛人 藤枝梅安』などの人気シリーズで立て続けに主演。映画『ラストサムライ』の演技でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、世界進出を果たす。現存する日本人で、世界的に最も知名度の高い俳優の一人。

子役時代から高倉健千葉真一といった国民的人気俳優と共演。千葉主催のジャパンアクションクラブのトップスターとして数多くのアクション映画でスタントマンなしのアクションを披露。映画『たそがれ清兵衛』『ラストサムライ』への出演で国内での地位を確立。重厚なアクションと繊細な演技で世界的に注目されている俳優。

殺陣師

殺陣・アクション集団