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2007年5月2日 (水) 05:47時点における版
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エルコンドルパサー | |
---|---|
1999年11月28日 東京競馬場 | |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1995年3月17日 |
死没 | 2002年7月16日 |
父 | キングマンボ |
母 | サドラーズギャル |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | タカシ ワタナベ |
馬主 | 渡邊隆 |
調教師 | 二ノ宮敬宇(美浦) |
競走成績 | |
生涯成績 | 11戦8勝(海外4戦2勝) |
獲得賞金 |
3億7607万8000円 380万フラン |
エルコンドルパサー(El Condor Pasa)はアメリカ合衆国で生産され、日本で調教された競走馬である。馬名の由来は馬主の渡邊隆が好きだったというサイモン&ガーファンクルの名作『コンドルは飛んでいく』より。4歳(旧5歳)時に海外遠征を行い、フランスのGI競走サンクルー大賞を勝ち、世界最高峰レース凱旋門賞で2着になるなど、日本競馬界に大きな足跡を残した。
同じ渡邊の所有馬でエルコンドルパサーという同名の競走馬が1990年代の前半に存在したことがある。こちらはまったく活躍すること無く競走馬生活を終えた。
現役時代
(注:現在の馬齢表記で表示しています)
2-3歳時(1997年・1998年)
デビューは1997年11月8日の東京競馬場、ダート1600mの新馬戦であった。スタートは悪く、出遅れるものの、直線に入ると1頭だけ次元の違う脚を見せ、最後は7馬身差の圧勝だった。 ちなみに、この日のメイン競走京成杯3歳ステークスでは、同期の外国産馬で後に3強と呼ばれたグラスワンダーが圧勝している。
年が明けて3歳になった1998年1月11日、2戦目の中山競馬場500万条件レースも9馬身差で圧勝。この頃からグラスワンダーに対抗できる大物として認識されるようになる。これまでダートコースしか走っていなかったため、陣営は芝コースを経験させるべく共同通信杯4歳ステークスに出走させるが、雪のため東京競馬場芝コースが使えず、皮肉にもダートに変更となってしまった。
レースではハイパーナカヤマが食い下がったが、初めて鞭を入れられるときっちり伸び、力の違いを見せ付け勝利。2ヶ月後にはNHKマイルカップトライアルのニュージーランドトロフィー4歳ステークスに出走、初めての芝のレースとなったが、出遅れながら圧勝した。グラスワンダー(骨折で戦線離脱)のいないNHKマイルカップでは、もはや敵はなく、外を回って抜け出して余裕の勝利。初のGIタイトルを手中にした。
秋は10月11日第49回毎日王冠から始動。このレースには稀有の逃げ馬、宝塚記念優勝のサイレンススズカ、故障から復帰したグラスワンダーが出走し、当日の東京競馬場にはGIIとしては異例の13万人が詰めかけ、異様な盛り上がりを見せていた。奇しくもグラスワンダー、エルコンドルパサー共に的場均(現調教師)がデビュー以来騎乗しており、同騎手がどちらかを選択するかが注目された。結局グラスワンダーを選んだが、同馬に優先権があったとも言われている。
このためエルコンドルパサー陣営は蛯名正義に騎乗を依頼、このコンビは引退まで続くことになる。レースは大方の予想通り、サイレンススズカがハイペースで逃げ、エルコンドルパサーはその後ろでサイレンススズカをマークする形でレースは進んでいった。その後、直線でサイレンススズカに迫るものの、直線で再び加速し始めたサイレンススズカを捉えられず、最後は着差を2馬身半差の2着と完敗。しかし3着に5馬身差をつけており、負けてなお強しという印象を与えた。なお、3強の一頭、グラスワンダーは強引なレース運びから直線は完全に失速し5着に敗れている。
毎日王冠後、マイルチャンピオンシップとジャパンカップのどちらに出走するかということで注目された。この際、馬主が調教師に「ジャパンカップに出走したい。マイルチャンピオンシップなら勝てるかもしれないのに、負けに行くようで悪いね」と言ったところ、調教師の二ノ宮からは「いや、勝てますよ」と帰ってきたとDVDでは語られている。こうしてジャパンカップに出走。2400mという距離に対する不安から3番人気にとどまったものの、力強い競馬で2着エアグルーヴに2馬身半差の快勝。同期の日本ダービー優勝馬スペシャルウィークが3着だったため、前走でグラスワンダーを破ったこともあり、世代最強馬との評価を得た。年度代表馬は逃すものの、この年の二冠馬セイウンスカイを抑えこの年の最優秀4歳牡馬に選ばれた。
なお、この最優秀4歳牡馬選出について、皐月賞、菊花賞という伝統と権威あるクラシック二冠を制したセイウンスカイを差し置いて、エルコンドルパサーが選出されるとは如何なものかという声もあった。そのエピソードとして杉本清は「これではクラシックとは一体何なのかと言われてしまう」と嘆いたと言われる。 一方で、そのセイウンスカイと互角の戦いを繰り広げたスペシャルウィーク、有馬記念で同馬を破ったグラスワンダーの2頭に完勝しており、更にジャパンカップを3歳で制するという史上初の偉業を成し遂げているため、実力面でこの選出は妥当だとする見方もある。
4歳時(1999年)
ジャパンカップを優勝したこと、またサイレンススズカ(天皇賞(秋)で予後不良)、タイキシャトル(引退)という1世代上の名馬がいなくなったことで、国内での勝負付けは済んだと判断した陣営は海外遠征を決断。馬が環境の変化に戸惑うことが無いように飲料水、食べ物まで共にコンテナで運んだという。なお、エルコンドルパサーは4歳になりフランスに向け輸送された後、凱旋門賞を戦い終えるまで、一度として日本に戻されること無く現地で調教が施されている。
初戦のイスパーン賞ではクロコルージュに直線交わされ4分の3馬身差で敗れるが陣営には納得の競馬であった。次走はブリガディアジェラードステークスかサンクルー大賞のどちらかに出走という予定であったが、サンクルー大賞に出走した。
サンクルー大賞には前年の凱旋門賞馬サガミックスなど欧州の一線級の古馬が揃って出走してきたものの直線でそれらを全く寄せ付けずに圧勝。ヨーロッパのチャンピオンディスタンスのGIでの初の日本調教馬による優勝となった。ヨーロッパの競馬界でも凱旋門賞の有力候補と認識されるようになる。
2ヶ月休んだ後の次走フォワ賞でも出走馬が3頭で、他の2頭(ボルジアと、一度敗れているクロコルージュ)にマークされるという苦しい状況の中勝利し、いよいよ凱旋門賞に向かう。
凱旋門賞ではその年のフランスのジョッケクルブ賞(フランスダービー)・アイルランドのアイリッシュダービーを制し、欧州3歳最強馬と評価されていたモンジュー、当年のキングジョージ及び愛チャンピオンSをそれぞれ圧勝していた欧州古馬チャンピオンであるデイラミが出走した。
当日レースの舞台となるロンシャン競馬場は史上最悪と言われる程、大量に水分を含んだ状態の不良馬場だったため、道悪を苦としないエルコンドルパサーとモンジューの一騎打ちというのが戦前の評判であった。
レースはエルコンドルパサーが押し出されれるような格好で(近年の欧州競馬はスローペース症候群と言われるようにスローペースで展開することが多い。)逃げる形の淡々としたペースで進み、エルコンドルパサーをモンジューが後方から見る格好となった。これが功を奏し、単騎逃げで折り合った同馬は、最後の直線まで脚をためながら抜群の手ごたえでレースを進め、直線半ばではさらに後続を突き放した。モンジューはまだ馬群の中にあり、日本競馬の悲願がついに達成かと思われた。しかし残り200mでやっと馬群をさばいて抜けてきたモンジューが一気に追い込み、ゴール前でついにエルコンドルパサーを捉えた。一度は差し返すそぶりをみせるも、結局半馬身差でモンジューが優勝、エルコンドルパサーは2着となった。
2着に敗れはしたものの凱旋門賞の旧4歳と旧5歳の極端な斤量差(ディープインパクトの凱旋門賞挑戦の際も話題になった。)や海外遠征というハンディキャップ、さらに3着馬との間につけた6馬身差により、現地メディアから「2頭チャンピオンが存在した」と、勝ったモンジューに劣らぬ評価を受けた。日本国内でもシンボリルドルフ、サクラローレルなど歴代の最強馬が海外遠征でことごとく敗れてきただけに、歴史的快挙と評された。また、日本調教馬による凱旋門賞の最高着順記録は今もエルコンドルパサーが保持している。さらに欧州以外での調教馬による最上位着順でもある。なお、翌年モンジューは斤量差に屈したのか前走までの好走がうそのように4着と惨敗したことから、いかにエルコンドルパサーの旧5歳で出走し2着になったことが優秀な成績かわかるだろう。
このレースを最後に引退。1999年のジャパンカップ当日に引退式が開かれた。海外遠征での成績が評価され、1999年の年度代表馬にも選ばれたが、この年の国内GIをスペシャルウィークが3勝、またグラスワンダーがこのスペシャルウィークを2度下す形で2勝していたために、両馬を差し置いて国内のレースに一度も出走していないエルコンドルパサーが選ばれるのは不適当ではないかという意見も相次いだ。また、記者投票の結果、一旦はスペシャルウィークが首位に立ったにも関わらず、審議委員による決定でこれを覆し、エルコンドルパサーを年度代表馬に決定したために、1993年にビワハヤヒデが選ばれた時以上の大論争となった。
顕彰馬の選出においても、当馬とスペシャルウィークは票を二分し、双方が顕彰馬に選出されない状態になっている。
なおエルコンドルパサーの欧州長期キャンペーンはフランスにおいても極めて高い評価を受け、渡邊はその年最も活躍した競馬関係者に贈られるランセル・ゴールド賞を現在に至るまで外国人としてただ1人受賞している。
競走成績
年月日 | 競走名 | 格 | 着順 | 距離 | タイム(上り) | 着差 | 騎手 | 勝馬/(2着馬) | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | 11. | 8 | 東京 | 3歳新馬 | 1着 | ダ1600(良) | 1:39.3(37.2) | 7馬身 | 的場均 | (マンダリンスター) | |
1998 | 1. | 11 | 中山 | 4歳500万下 | 1着 | ダ1800(不) | 1:52.3(37.5) | 9馬身 | 的場均 | (タイホウウンリュウ) | |
2. | 15 | 東京 | 共同通信杯4歳S | OP | 1着 | ダ1600(不) | 1:36.9(35.6) | 2馬身 | 的場均 | (ハイパーナカヤマ) | |
4. | 26 | 東京 | ニュージーランドT4歳S | GII | 1着 | 芝1400(重) | 1:22.2(35.8) | 2馬身 | 的場均 | (スギノキューティー) | |
5. | 17 | 東京 | NHKマイルカップ | GI | 1着 | 芝1600(稍) | 1:33.7(34.9) | 1 3/4 | 的場均 | (シンコウエドワード) | |
10. | 11 | 東京 | 毎日王冠 | GII | 2着 | 芝1800(良) | 1:45.3(35.0) | 2 1/2 | 蛯名正義 | サイレンススズカ | |
11. | 29 | 東京 | ジャパンカップ | GI | 1着 | 芝2400(良) | 2:25.9(35.0) | 2 1/2 | 蛯名正義 | (エアグルーヴ) | |
1999 | 5. | 23 | ロンシャン | イスパーン賞 | G1 | 2着 | 芝1850(重) | 1:53.8 | 3/4 | 蛯名正義 | クロコルージュ |
7. | 4 | サンクルー | サンクルー大賞 | G1 | 1着 | 芝2400(稍) | 2:28.8 | 2 1/2 | 蛯名正義 | (タイガーヒル) | |
9. | 12 | ロンシャン | フォワ賞 | G2 | 1着 | 芝2400(稍) | 2:31.4 | アタマ | 蛯名正義 | (ボルジア) | |
10. | 3 | ロンシャン | 凱旋門賞 | G1 | 2着 | 芝2400(不) | 2:38.6 | 1/2 | 蛯名正義 | モンジュー |
国際クラシフィケイション
126-T/L (1998年), 134-T/L (1999年)
1999年の134ポンドというレートは日本調教馬としては最高レート。1998年の126ポンドも日本国内で記録されたレートとしては最高値である(2位はいずれもクロフネの125ポンド)。
種牡馬
引退後に総額18億円のシンジケートが組まれ期待を集めた。ところが種牡馬生活に入った3年目の2002年7月13日、腸捻転を発症し死亡。彼が残した血は3世代の産駒だけとなってしまった。グラスワンダー、スペシャルウィークとの種牡馬対決が期待されていただけに惜しまれる。
当初、産駒があまり走らず、種牡馬としては失敗の烙印を押されかけた。だが、最後の世代となった2003年生まれのソングオブウインドが菊花賞を優勝、引退後種牡馬入りしたことで父系を残すことができた。また、これに続いてアロンダイト、ヴァーミリアンがGI競走を勝っている。本馬はデビューから3戦をダートで圧勝し、欧州の芝でも活躍しただけあって、産駒はスピードよりも力を要求されるダートで走る馬も多く、芝・ダート双方で好成績を残している。一方で、本馬のスピードは伝えきれていないようで、上級産駒は短距離よりは中距離以上で活躍する傾向が高いものの、オーシャンステークスを勝ったアイルラヴァゲインのようなスプリンターから、ダイヤモンドステークスを勝ったトウカイトリックのようなステイヤーまで輩出し、その産駒の多様性は特筆すべきものがある。また、牡馬に比べると牝馬の成績が極めて劣るという傾向が顕著である。
代表産駒
- 2001年産
- ビッググラス(根岸ステークス)
- 2002年産
- ヴァーミリアン(川崎記念、名古屋グランプリ、ダイオライト記念、浦和記念、ラジオたんぱ杯2歳ステークス)
- トウカイトリック(ダイヤモンドステークス)
- アイルラヴァゲイン(オーシャンステークス)
- 2003年産
血統表
エルコンドルパサーの血統(ミスタープロスペクター系 /Special(Lisadell) 4×3・4=25% Northern Dancer4×3=18.75% Native Dancer4×5=9.38%) |
(血統表の出典) | |||
父 Kingmambo 1990 鹿毛 |
父の父 Mr.Prospector1970 栗毛 |
Raise a Native | Native Dancer | |
Raise You | ||||
Gold Digger | Nashua | |||
Sequence | ||||
父の母 Miesque1984 鹿毛 |
Nureyev | Northern Dancer | ||
Special | ||||
Pasadoble | Prove Out | |||
Santa Quilla | ||||
母 *サドラーズギャル Saddlers Gal 1989 鹿毛 |
Sadler's Wells 1981 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Fairy Bridge | Bold Reason | |||
Special | ||||
母の母 Glenveagh1986 鹿毛 |
Seattle Slew | Bold Reasoning | ||
My Charmer | ||||
Lisadell | Forli | |||
Thong F-No.5-h |
エルコンドルパサーの血統で特徴的なのがSpecialとLisadellの全姉妹による近親牝馬クロスであり、これはオーナーである渡邊の意図による交配である。Kingmamboの配合を考えていた渡邊は常に繁殖牝馬のセリをチェックしており、その末に父の母方と母の母方にSpecialとLisadellの全姉妹クロスを持つSaddler's Galを発見した。この配合では更に全姉妹クロスが重なるのみならず、NureyevとSadler's Wellsの3/4同血クロス[1]が発生し、極めて近親度の高い配合となる。この配合意図に関しては当馬の現役初期に激論が戦わされたが、結果的には目標を達成したと言える。
父Kingmambo×母父Sadler's WellsというNorthern Dancer3×4とSpecial4×4が発生する配合自体、近親度が高めの配合であるが、本馬の活躍は欧州の生産界にも影響を与えたようで、近年になって同様の配合でDivine Proportions、Whipper(父のMiesque's Son=Kingmambo)、Virginia Watersといった活躍馬が出ている。
脚注
- ^ NureyevとSadler's Wellsはともに父がNorthern Dancerであり、またNureyevの母SpecialはSadler's Wellsの祖母でもある。