歩兵第53連隊
表示
歩兵第53連隊 | |
---|---|
創設 | 1905年 |
廃止 | 1925年5月 |
再編成 | 1938年7月 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 大阪 - 奈良 / 鳥取 |
通称号/略称 | 月7384 |
上級単位 | 第14師団 - 第16師団 / 第17師団 |
最終位置 | ビスマルク諸島 ニューブリテン島 |
戦歴 | 日露 - 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第53連隊(ほへいだい53れんたい、歩兵第五十三聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
第一次編成
[編集](大阪歩兵連隊編成→天下茶屋仮兵営→姫路歩兵営→奈良新兵営衛戍)
- 1904年(明治37年)2月10日:明治三十七八年戰役(日露戦争)が勃発、
- 1905年(明治38年)
- 4月17日:戦局の進展に伴い戦力増強の必要性から、第13・第14師団の編成下令。
- 4月21日:歩兵第53連隊が動員完結(岩田正吉中佐)。
- 連隊は歩兵第54連隊(善通寺).歩兵第55連隊(広島).歩兵第56連隊(熊本)とともに第14師団(鮫島重雄中将・小倉)隷下に編入。
- 6月13日:宮中において軍旗拝受
- 6月15日:大阪城東練兵場において軍旗奉戴式が挙行。天下茶屋の仮兵営に入る。
- 7月24日:天下茶屋の仮兵営を出発。
- 7月30日:大阪港を出航。
- 8月13日:師団は第3軍(乃木希典大将)戦闘序列に編入され、大興屯付近に宿営。
- 9月5日 :休戦協定が成立。
- 11月1日:連隊は関東總軍の指揮下に編入され、鳳凰城の警備。
- 1906年(明治39年)
- 1908年(明治41年)10月23日:第14師団から第16師団(山中信儀中将・京都)隷下の歩兵第19旅団(馬場命英少将)に隷属転移。
- 1909年(明治42年)
- 1910年(明治43年)6月11日:第12中隊を北京に派遣(明治43年6月29日帰還)。
- 1911年(明治44年)4月1日 :第9中隊を朝鮮に派遣(明治45年4月29日帰還)。
- 1919年(大正8年)
- 1921年(大正10年)
- 4月5日 :歩兵第17旅団に守備を移譲。
- 4月16日:奈良に凱旋。
- 1925年(大正14年)
第二次編成
[編集](大阪留守師団編成→鳥取補充担任)
- 1937年(昭和12年)7月7日:支那事変が勃発。
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)
- 1943年(昭和18年)
- 8月4日 :連隊は上海に集結。
- 9月11日 :大本営は第17師団の南太平洋方面への派遣を発令。
- 9月24日 :上海出航。
- 10月2日 :トラック島を経由。
- 10月5日 :連隊主力はニューブリテン島ラバウル港到着。同島西部のツルブに前進し第65旅団(松田巌少将)指揮下に編入。
- 10月5日 :第3大隊は分派され、ブーゲンビル島タリナに上陸。
- 12月26日:敵主力がナタモ、タワレに上陸を開始。シリマチ岬守備隊・第1中隊・蔵森小隊が玉砕。
- 12月26日:連合軍グロスター岬へ正式に上陸開始。グロスター岬の戦い(日本側呼称:ツルブの戦い)
- 12月28日:エボシ岬守備の第1中隊野々村小隊と歩兵砲中隊主力が玉砕。
- :ナタモ附近の敵攻撃の第1大隊第1機関銃中隊主力・第1歩兵砲小隊の主力が玉砕。
- 12月29日:第3・第4中隊がタワレの敵に切込み玉砕。
- 12月30日:第1大隊生存者はエボシ山付近で激戦。連隊長・角谷弘毅大佐は戦線を整理。残存兵力をもって玉砕を決心。
- 12月31日:松田少将の命令を受けツルブ飛行場での持久戦態勢を決定。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20 年)
- 8月15日:『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝。
- 8月31日: 軍旗奉焼。
ブーゲンビル島に分派した第3大隊
[編集]- 1943年(昭和18年)
- 10月5日 :第3大隊は分派され、ブーゲンビル島タリナに上陸。
- 10月20日:ブーゲンビル島の第3大隊は、テンブツの守備に就く。
- 11月1日 :ブーゲンビル島タロキナに米軍が上陸を開始。
- 11月5日 :第6中隊は、在島の第17軍隷下の歩兵第23連隊(浜之上俊秋大佐)の攻撃に策応すべく、歩兵第54連隊第2大隊を主力とする第二機動決戦隊(第二剣部隊・三輪光広少佐.877名)に編入され、ブーゲンビル島タロキナ岬に逆上陸を実施(第一次タロキナ攻撃)。
- 11月8日 :戦闘は優位に進展するが、米軍が戦車を投入してきた事で次第に損害が増加。
- 11月11日:遂に攻撃は頓挫し同日連絡のついた歩兵第23連隊と合流。爾後持久。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20 年)
- 8月15日:『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝。
- 8月22日:停戦奉勅命令を受領。戦闘行動を停止。
- 8月31日:富士見台の連隊本部において軍旗奉焼。
- 9月3日 :ブーゲンビル島の日本軍が武装解除の後降伏。
- 1946年(昭和21 年)2月~:氷川丸と葛城が生き残った日本兵を復員させた。
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
第一次 | |||||
1 | 岩田正吉 | 1904.4.17 - | 中佐 | ||
2 | 生井順造 | 1906.3.1 - | |||
3 | 遠藤伸二郎 | 1908.12.21 - 1910.11.30 | |||
4 | 福田雅太郎 | 1910.11.30 - 1911.9.6 | |||
5 | 斎藤季治郎 | 1911.9.6 - 1912.12.10 | |||
6 | 岡沢慶三郎 | 1912.12.10 - 1914.9.11 | |||
7 | 隈部又雄 | 1914.9.11 - 1918.7.24[3] | |||
8 | 小出三郎 | 1918.7.24 - | |||
9 | 等々力森蔵 | 1919.3.8 - | |||
10 | 上村正斌 | 1921.7.20[4] - | |||
11 | 江藤源九郎 | 1924.2.4 - 1925.5.1 | |||
第二次 | |||||
1 | 坂本末雄 | 1938.6.26 - | |||
2 | 片倉衷 | 1939.8.1 - | |||
3 | 緑川純治 | 1940.8.30 - | |||
4 | 角谷弘毅 | 1943.5.8 - | |||
末 | 大島廉治 | 1944.3.16 - |
注釈
[編集]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』