広済堂ホールディングス
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(廣済堂から転送)
種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査役会設置会社[1] |
市場情報 |
大証1部(廃止) 7868
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本社所在地 |
日本 〒105-8318 東京都港区芝浦1丁目2番3号シーバンスS館13階 |
設立 | 1962年4月20日 |
業種 | その他製品 |
法人番号 | 7010401009665 |
事業内容 | グループ会社の経営管理 |
代表者 | 代表取締役社長 黒澤洋史 |
資本金 |
1億円 (2022年8月2日現在) |
発行済株式総数 |
2853万7769株 (2022年6月30日現在) |
売上高 |
単体94億35百万円 連結353億61百万円 (2022年3月期) |
純資産 |
単体78億71百万円 連結375億20百万円 (2022年3月31日現在) |
総資産 |
単体370億89百万円 連結737億36百万円 (2022年3月31日現在) |
従業員数 |
単体107人、連結1063人 (2022年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
グローバルワーカー派遣株式会社 14.61% (2023年6月23日現在)[2] |
主要子会社 | #グループ企業参照 |
外部リンク | https://www.kosaido.co.jp/ |
株式会社広済堂ホールディングス(英: KOSAIDO Holdings Co.,Ltd.[3])は、東京都港区に本社を置く印刷事業をグループの中核事業とする日本の企業。印刷、フリーペーパー(Workin仙台版など)を展開している。
2021年10月1日、持株会社体制に移行し、株式会社廣済堂から商号変更した。
沿革
[編集]旧廣済堂印刷(東京事業部)
[編集]- 1949年 - 桜井義晃が、廣済堂印刷株式会社の母体となる「桜井謄写堂」を創業。
- 1954年 - 法人化し、有限会社桜井廣済堂を設立。
- 1962年 - 株式会社桜井廣済堂に改組。
- 1970年 - 書籍事業を分社化し、株式会社廣済堂出版を設立。
- 1972年 - 廣済堂印刷株式会社と社名を改める。
- 1978年 - 関東クラウン工業株式会社と対等合併し、廣済堂クラウン株式会社と社名を改める。
- 1981年 - 株式会社廣済堂と社名を改める。
- 1985年 ‐ 東京都内の葬祭場を運営する東京博善株式会社への経営支援を開始。
- 1991年 - 新聞印刷事業を分社化し、廣済堂新聞印刷株式会社を設立。
- 1992年 - 廣済堂印刷株式会社に社名を戻す。
- 1994年 ‐ 東京博善の株式を取得し、子会社とする。
旧関西廣済堂(大阪事業部)
[編集]- 1957年 - 桜井廣済堂の大阪支店として創業。
- 1962年 - 法人として株式会社関西桜井廣済堂を設立。
- 1972年 - 関西廣済堂印刷株式会社と社名を改める。
- 1975年 - 株式会社関西廣済堂と社名を改める。
- 1977年 - 子会社として株式会社製版センター(後の廣済堂製版センター)設立。岡山廣済堂設立。
- 1990年 - 岡山廣済堂を吸収合併(存続は関西廣済堂)。
東西合併・株式会社廣済堂
[編集]- 1999年 - 廣済堂印刷株式会社と株式会社関西廣済堂が合併し、株式会社廣済堂に社名を改める(存続会社は廣済堂印刷株式会社)。
- 2002年 - 廣済堂新聞印刷を吸収合併。
- 2008年
- 2010年 - 北海道アルバイト情報社、アルバイトタイムス、雇用促進事業会と共同で求人検索サイト「47都道府県求人サイト」をオープン。
- 2011年
- 2017年
- 2019年 - 廣済堂出版の全株式および債権を国内の個人に譲渡。
- 2020年3月 – 東京博善の株式併合により、同社を完全子会社化する。
- 2020年6月8日 - 株式会社トムソンナショナルカントリー倶楽部の全株式を国内の法人に対して譲渡した[5]。
- 2021年5月 - 廣済堂あかつきの全保有株式を譲渡[6]。
株式会社広済堂ホールディングス
[編集]- 2021年10月1日 ‐ 会社分割による持株会社体制へ移行。新たに株式会社広済堂ホールディングスとして情報ソリューション事業を100%子会社の株式会社広済堂ネクストに、人材サービス事業は同じく100%子会社の株式会社広済堂HRソリューションズにそれぞれ継承[7]。
創業者
[編集]創業者・櫻井義晃 (1921-2004[8]、本名・文雄[9])は、京都府生まれ。京都市立四条商業学校卒業後さまざまな職を経て1949年に櫻井謄写堂(のちの廣済堂)を創業した[10][9]。岸信介、栗原祐幸などの政治家の著作や伝記を刊行。児玉誉士夫や小佐野賢治らと人脈を築き、暴力団など幅広い人脈を持ち、さまざまな経済事件に関わりフィクサーと言われた。[9]。
1970年代には企業買収を繰り返して業態を拡げ、クラウンライターライオンズのスポンサーも務めるなどし、80年代には国内外でゴルフ場を展開、1983年には東京博善の筆頭株主となり、代表取締役会長に就任、1994年に同社を廣済堂の子会社とした[9]。シュバリエ勲章受勲(1962年)[10]、全日本謄写印刷業連盟7代会長(1963年-1964年)[11]。
グループ企業
[編集]エンディング関連事業
[編集]情報ソリューション事業
[編集]- 株式会社広済堂ネクスト(100%出資)
- 威海廣済堂京友包装有限公司(本社:中国山東省栄成市)
人材サービス事業
[編集]- 株式会社広済堂HRソリューションズ (100%出資)
- 株式会社広済堂ビジネスサポート(100%出資)
- KOSAIDO HR VIETNAM CO.,LTD.
過去のグループ企業
[編集]関連項目
[編集]- ナイトクラブニューラテンクォーター 1989年閉店。
- 埼玉西武ライオンズ
- 1977年と1978年、「クラウンガスライター」が冠スポンサーとなり「クラウンライター・ライオンズ」として出場。クラウンガスライターは1978年に関連会社だった関東クラウン工業と共に廣済堂と合弁し「廣済堂クラウン」となり、更に1981年廣済堂本体に吸収されている。
なお、球団経営は中村長芳の個人出資による会社「福岡野球株式会社」が行っていたが、資金力強化を図るため太平洋クラブ共々球団の冠スポンサーという形をとっていた。また正式社名のクラウンガスライターを全て冠化(クラウンガスライターライオンズ)にしてしまうと名称が長くなるため、チーム名からガスの名前を外した。(通称は「クラウン」)
- ビック(BIC)
- フランスに本社をおく世界有数の筆記具・ライターなどのメーカー。関連会社の「廣済堂商事」が1980年から2004年まで同社の日本における代理店となっていたが、ビック本社が100%出資の「ビック廣済堂」(現「BICジャパン」)に販売権を移譲。
- 1982年から2009年まで主催していた。当初は廣済堂アサヒゴルフカップの名称であった。
- 2003年、オリジナルデザインと共同開発した文字情報を内包した二次元コードの一種。専用の読取装置をあてると音声で文字情報を読み上げる。印刷物に印刷することにより視覚障害者にも情報の提供ができるようになる。
過去の出版物
[編集]- パソコン雑誌(当時はマイコンと言った)。現在は休刊。
- 投資専門誌。月刊。2010年12月号から発行・発売元をフジサンケイグループ各社へ移行後、2017年11月号をもって休刊。
- SHIZENCLUB
- 東北地方を対象に発行していた釣り専門の月刊誌。2007年3月号より休刊しており、同年12月よりウェブ媒体にてウェブマガジンとして展開。また、1990年代中頃には、ルアー釣り専門誌のLURE FREAKも発行していた。自然倶楽部休刊以降も自然倶楽部編集部の出版するトラウト専門の釣り雑誌である Troutist を発売していたが、2008年8月発売の23号をもって休刊となった。自然倶楽部編集部も解散となったが、現在はつり人社より鱒の森というTroutistの後継雑誌を執筆している。
- 西日本エリアで発行していた釣りの専門月刊誌。2008年4月号から休刊し、ウェブ媒体にてウェブマガジンとして展開していた。
- ぱど仙台版、くるマッチ
出典
[編集]- ^ 役員紹介 - 株式会社広済堂ホールディングス
- ^ 主要株主及び主要株主である筆頭株主の異動に関するお知らせ並びに株主であるPA Ace IV (HK) Limitedの当社株式保有方針に関するお知らせ | 広済堂ホールディングス
- ^ 株式会社広済堂ホールディングス 定款 第1章第1条2項
- ^ 株式会社医療情報基盤の株式の取得(子会社化)に関するお知らせフリービット株式会社 平成29年6月30日
- ^ 株式会社トムソンナショナルカントリー倶楽部の譲渡に関するお知らせ株式会社廣済堂 2020年6月9日
- ^ 連結子会社の異動(株式の譲渡)及び債権放棄、並びに特別損失の計上に関するお知らせ株式会社廣済堂 2021年5月14日
- ^ “会社分割による持株会社体制への移行完了に関するお知らせ” (PDF). 広済堂ホールディングス (2021年10月1日). 2021年10月13日閲覧。
- ^ 桜井 義晃Webcat Plus
- ^ a b c d 多死社会到来を前に麻生太郎の家業が「葬儀場利権」に触手を伸ばすワケ:前編坂田拓也、エコノミスト、2020年5月20日
- ^ a b 『人事興信録』41版、2001年、櫻井義晃の項
- ^ 歴代会長一般社団法人日本グラフィックサービス工業会