島善高
人物情報 | |
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生誕 |
1952年(昭和27年)7月30日 日本・佐賀県佐賀市 |
死没 |
2020年9月4日(68歳没) 日本・埼玉県 |
居住 | 日本 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 國學院大學 |
学問 | |
活動地域 | 日本 |
研究分野 |
法制史 基礎法学 日本近代史 皇室史(旧・皇室典範) 早稲田大学の歴史と創立者大隈重信 |
研究機関 |
日本学術振興会 國學院大學 名城大学 早稲田大学 |
学位 | 博士(2011年) |
島 善高(しま よしたか、1952年(昭和27年)7月30日[1] - 2020年(令和2年)9月4日)は、日本の法制史学者。
専門は、法制史、基礎法学、日本近代史、皇室史(旧・皇室典範)。また、早稲田大学の歴史および、創立者大隈重信に詳しい。
来歴
[編集]佐賀県佐賀市出身[1]。1971年(昭和46年)、佐賀県立佐賀北高等学校卒業、1976年(昭和51年)、早稲田大学法学部卒業、1978年(昭和53年)、國學院大學大学院法学研究科修士課程修了、1982年(昭和57年)、國學院大學大学院法学研究科単位取得退学。同1982年(昭和57年)、日本学術振興会奨励研究員、1983年(昭和58年)から1986年(昭和61年)まで國學院大學非常勤講師。
國學院大學大学院では、すでに瀧川政次郎が退職した後であり、小林宏に師事。小林の勧めもあって瀧川の自宅に通うようになり、1986年(昭和61年)名城大学教職課程部講師として赴任するまでその教えを受けた。
1989年(昭和64年/平成元年)に名城大学助教授、1991年(平成3年)に早稲田大学社会科学部助教授に転任し、1995年(平成7年)から早稲田大学社会科学部教授・大学院社会科学研究科教授、2004年(平成16年)9月から早稲田大学社会科学総合学術院教授。2011年(平成23年)、博士 (京都大学、学位論文「律令制から立憲制へ」)。
2012年(平成24年)、総理官邸で行われた「皇室制度に関する有識者ヒアリング」に招かれ、皇室史・明治皇室典範(旧・皇室典範)制定過程の研究者として、意見陳述を行った[2]。
2020年(令和2年)9月4日、肺癌のため埼玉県の自宅で死去、68歳[3]。
大隈重信研究
[編集]早稲田大学の成り立ちに詳しく、早稲田大学の歴史を、非西洋における近代国家・日本の形成という大きな流れの中に位置づけ、「東西文明の調和」を理念に掲げた早稲田大学の歴史を、近代日本の政治・外交の歩みと重ね、その今日的意義を探る。
創立者大隈重信とは同郷で、大隈が、マスクメロンの味をこよなく愛し、趣味の園芸を生かし、自宅の温室でメロンを育て、品種改良によりメロンの大衆普及化を試みていたといったエピソードにも詳しい。
2011年(平成23年)、大隈候の90回忌にあわせ、慶應義塾創立者の福澤諭吉との親交や、大隈についての新しい研究成果を反映させた「佐賀偉人伝02『大隈重信』」を上梓した。 書籍版のほか、電子書籍版(PC版 iPad版 iPhone版 Android版)も発売され、PC版 iPad版 には、演説の一部が収められており、大隈の「肉声」を聴くことも出来る。
著書
[編集]単著
[編集]- 『近代皇室制度の形成 明治皇室典範のできるまで』 成文堂、1994年
- 『早稲田大学小史』 早稲田大学出版部、2003年、第2版2005年、 第3版2008年。新書判
- 『律令制から立憲制へ』 成文堂、2009年
- 『大隈重信 佐賀偉人伝02』 佐賀県立佐賀城本丸歴史館、2011年
編著・史料編纂
[編集]- 『日本立法資料全集 16 明治皇室典範 上・下』(共編) 信山社出版、1996-1997年
- 『松村謙三 資料編』[4](木村時夫・高橋勇市共編)財団法人櫻田会、1999年
- 『元老院国憲按編纂史料』 国書刊行会、2000年
- 『渡邊廉吉日記』(小林宏・原田一明共編) 行人社、2004年
- 『副島種臣全集 著述篇 1』 慧文社、2004年
- 『副島種臣全集 著述篇 2』 慧文社、2004年
- 『副島種臣全集 著述篇 3』 慧文社、2007年
分担執筆
[編集]その他
[編集]日本近代史、比較法制史の専門家としてテレビ等でコメントすることがある(日本テレビ「ズームイン!!SUPER」(韓国の恩赦制度の背景について)、NHK教育テレビ『知るを楽しむ・歴史に好奇心』「明治改暦大事件」(明治の改暦について) )。
皇室史の研究者でもあり、女系天皇についての議論が盛んになる以前から、この問題について発言を行っていた[5]。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 早稲田大学 日本歴史学 – 島ゼミ
- 早稲田大学社会科学部島ゼミホームページ(閉鎖中) - ウェイバックマシン(2002年12月3日アーカイブ分)