安野駅
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安野駅 | |
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駅舎(2003年8月) | |
やすの Yasuno | |
◄小河内 (2.5 km) (4.1 km) 水内► | |
所在地 | 広島県山県郡加計町穴 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | 可部線 |
キロ程 | 32.1 km(横川起点) |
電報略号 | スノ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線→1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
39人/日(降車客含まず) -2002年- |
開業年月日 | 1954年(昭和29年)3月30日 |
廃止年月日 | 2003年(平成15年)12月1日 |
備考 | 路線廃止にともなう廃駅 |
安野駅(やすのえき)は、広島県山県郡加計町穴(現在は安芸太田町大字穴)にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅(廃駅)である。
可部線非電化区間(可部 - 三段峡間)の廃線に伴い2003年(平成15年)12月1日に廃止された。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1954年(昭和29年)3月30日:国鉄可部線 布 - 加計間の開通時に開業[1]。一般駅[1]。
- 1960年(昭和35年)4月1日:貨物の取扱を廃止(旅客駅となる)[1]。
- 1965年(昭和40年)10月1日:荷物の取扱を廃止[2]。無人駅化[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR西日本が継承[1]。
- 2003年(平成15年)12月1日:廃止。
駅名の由来
[編集]開業当時の所在地である安野村から。安野村はその2年後の1956年(昭和31年)に加計町と合併している。ちなみに安野村は1889年(明治22年)に穴村と坪野村が合併したものであり、坪野駅の所在地も開業当時は安野村であった。このような経緯のため、安野の名は住所としては残っていない。
駅構造
[編集]島式ホーム1面2線を持つ地上駅であったが、晩年は片側の線路は撤去され、単式ホームとなっていた。無人駅であった。
駅周辺
[編集]バス路線
[編集]船場(安野花の駅公園)バス停がある。
現在の様子
[編集]「安野花の駅公園」として、ほぼ現役時代の状態で駅舎は保存されている。また、広島色のキハ58系が静態保存されている。このキハ58では1時間1,000円(要予約)で車内を貸し切りにすることもできるが、2022年に車両の劣化による雨漏り被害が発生した[6]。
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安野花の駅公園(2009年5月)
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静態保存されているキハ58 554
その他
[編集]- 駅には、8匹の野良猫が住み着いていた。元は有人駅時代に駅長が猫を飼っていたことがきっかけで、無人駅となってからも多くの猫が住み着き、「猫の駅長」と呼ばれていた。バスカードの絵柄にも使われたことがある。
- 「猫の駅長」が知られるようになったことでこの駅への捨て猫が相次ぎ、さらに廃線に際して一度は駅舎が取り壊されることとなり、猫たちも居場所を失う危険性が生じたことで動物愛護団体が里親を募集した[7]。その後猫たちには里親が見つかり、安野駅は「安野花の駅公園」として元の駅舎を生かした形で整備された。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、282頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「日本国有鉄道公示第571号」『官報』1965年9月29日。
- ^ 「通報 ●可部線布駅及び安野駅の駅員無配置について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1965年9月29日、8面。
- ^ バス情報 路線バス 広電バス
- ^ 公共交通(時刻表) - 安芸太田町公式サイト
- ^ “安野花の駅公園 シンボルの黄色い車両 深刻な問題 安芸太田町”. 広島ホームテレビ (2022年5月17日). 2022年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月2日閲覧。
- ^ ■動物たちを守る会ケルビム 「猫の駅長さん」SOS!―広島の廃駅に住む猫たちを助けてください!■
参考文献
[編集]- 廣子盛亮「猫の駅員」新風舎、2005年 ISBN 9784797473049
関連項目
[編集]- 日本の鉄道駅一覧
- 可部線#可部駅 - 三段峡駅間の廃止
- 貴志駅 - 売店の飼い猫が和歌山電鐵から正式に駅長に任じられた。
外部リンク
[編集]- 安野花の駅公園 - 中国地方おでかけしようねっと