吉井信康
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吉井 信康(よしい のぶやす、1911年(明治44年)4月15日[1] - 没年不明)は、旧華族吉井家(旧吉井藩主鷹司松平家)14代当主。1924年(大正12年)から1946年(昭和21年)まで子爵(1947年の日本国憲法施行により華族制度廃止)。父は子爵吉井信宝。妻は宮地栄治郎の次女[2]。
1936年京都大学経済学部卒業[2]。1939年、宮地鉄工所(現・宮地エンジニアリンググループ)に入社し、1953年に経理課長代理、1959年に監査役となった[2]。
日本の爵位 | ||
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先代 吉井信宝 |
子爵 吉井(松平)家第2代 1924年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |
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