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吉井信康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉井 信康(よしい のぶやす、1911年明治44年)4月15日[1] - 没年不明)は、旧華族吉井家(旧吉井藩鷹司松平家)14代当主。1924年大正12年)から1946年昭和21年)まで子爵(1947年の日本国憲法施行により華族制度廃止)。父は子爵吉井信宝。妻は宮地栄治郎の次女[2]

1936年京都大学経済学部卒業[2]。1939年、宮地鉄工所(現・宮地エンジニアリンググループ)に入社し、1953年に経理課長代理、1959年に監査役となった[2]

脚注

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  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』
  2. ^ a b c 『人事興信録 第25版 下』(人事興信所、1969年)よ30頁
日本の爵位
先代
吉井信宝
子爵
吉井(松平)家第2代
1924年 - 1947年
次代
華族制度廃止