十日市町停留場
十日市町停留場 | |
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本線紙屋町方面ホーム | |
とうかいちまち Tokaichi-machi | |
所在地 | 広島市中区十日市町一丁目 |
所属事業者 | 広島電鉄 |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 3面3線 |
乗降人員 -統計年度- |
4,726[1]人/日 -2022年- |
開業年月日 | 1917年(大正6年)11月1日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■本線 |
駅番号 | ●M12 |
キロ程 | 3.1 km(広島駅起点) |
◄M11 本川町 (0.3 km) (0.3 km) 土橋 M13► | |
所属路線 | ■横川線 |
駅番号 | ●Y1 |
キロ程 | 0.0 km(十日市町起点) |
(0.4 km) 寺町 Y2► |
十日市町停留場(とうかいちまちていりゅうじょう、十日市町電停)は、広島市中区十日市町一丁目にある広島電鉄の路面電車停留場。本線と横川線の2路線が接続する。駅番号は本線がM12、横川線がY1。
一般的に「十日」は「とおか」と表記するが、当停留場名および周辺の町名は「とうかいちまち」と表記される。
歴史
[編集]十日市町停留場は1917年(大正6年)、横川線の開通と同日に開設された[2]。当時本線と横川線が分岐していたのは隣の左官町で、本線は十日市町を経由せずに南回りで土橋へと向かう経路をとっていた[3]。十日市町は横川線内の一停留場にすぎなかったが、1943年(昭和18年)に土橋を起点にして江波線が開通すると、土橋と十日市町を短絡し横川線と江波線を直結させるような線路が計画されるようになる[3]。従来本線の軌道が通じていた南回りの経路は狭隘な道路上にあり、半径の小さいカーブが連続していて運行上のボトルネックとなっていたため、これを解消して電車の円滑な運行を図ったのである[4]。結局この線路は翌年の1944年(昭和19年)に完成、左官町から当停留場を経由して土橋に至る経路が新しく通じ、こちらが本線に組み込まれた[3]。十日市町を経由せずに左官町と土橋を結んでいた経路はこのとき廃止され、横川線と本線が分岐する駅の座は左官町から十日市町に移っている[3][4]。
1945年(昭和20年)8月6日、原爆投下により路線は休止されるが、己斐方面から順次路線が復旧し、同年中には本線・横川線ともに運行再開を果たした[2]。
年表
[編集]- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 1971年(昭和46年)5月6日:横川駅と広島駅を結んでいた7号線が廃止。のちに横川線と本線上り方面を結ぶ短絡線が撤去される[3]。
- 2002年(平成14年)8月10日:短絡線が復活。この年の太田川花火大会開催時に横川駅 - 日赤病院前間で臨時便が運行される(7号線の試験運行)[7]。
- 2003年(平成15年)4月20日:7号線が横川駅 - 広電本社前にルートを変えて復活[3]。
- 2013年(平成25年)2月15日:9号線の運行が八丁堀から江波まで延長され、当停留場にも乗り入れる。
資料によっては1917年(大正6年)に開業した際の停留場名を「十日市」とし、1944年(昭和19年)に営業を再開した十日市町停留場とは別の停留場として扱うものがある[8]。
停留場構造
[編集]広島電鉄の市内線はほぼすべての区間で道路上に軌道が敷かれている併用軌道であり、当停留場も相生通りと寺町通りが交わる十日市交差点の上に軌道が敷かれている。交差点から東と南方向へ本線が、北方向へ横川線が通じ、2つの路線はこの3方向を相互に結びデルタ線を形成する。
ホームは低床式で各方向に1面ずつの計3面があり、交差点の東に広島駅方面へ向かう本線上りホーム、南に広電西広島駅方面へ向かう本線下りホーム、北に横川駅方面へ向かう横川線ホームが置かれている[9][10]。互いのホームは100メートルほど離れていて、いずれのホームとも片側のみが線路に面している[9]。このようなホームの配置のため、車両は3方向(広島駅方面・横川駅方面・西広島方面)とも交差点を通過してからホームへ入線する[10]。ホームの配置がこのように変更されたのは2003年の改良・移設工事からで、この改良工事までは現・横川駅方面ホーム及び広島駅方面ホーム向かいに下り線ホームがもう一つずつ存在したが、2002年に現在の下り線ホームが新設されて横川方のホームが廃止され、広島駅方のホームは1年ほど旧ホーム・新ホームの2つに停車していた期間があった。工事にあたって、残るホームの全長にわたって屋根が取り付けられた。いずれのホームも連接車に対応した長さを持つ[10]。
南側(土橋停留場寄り)には渡り線があり[9]、8月6日の広島平和記念式典開催時に臨時便が運転される場合の折り返しや、貸切電車の折り返しに使用される[10]。
運行系統
[編集]十日市町停留場には広島電鉄が運行する9つの系統のうち、1号線、5号線を除く7つの系統が乗り入れる。当停留場を経由して横川線と本線を相互に結ぶ系統はこのうち7号線と8号線で、それ以外は本線のみを使用する。「乗換え指定電停」に指定されている[11]。
7号線はかつて横川駅 - 八丁堀 - 広島駅というルートで設定された系統であったが、1971年に一度廃止された。廃止によりデルタ線の一辺、横川線と本線の紙屋町方面を結ぶ短絡線も、交差点中央付近の一部を残して撤去されたが、2002年までに復活し、翌年4月からは、横川駅 - 本通 - 広電前というルートに変更した上、運行を再開した[3]。
本線上りホーム (紙屋町西方面) |
(八丁堀経由)広島駅ゆき | ||
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(広電本社前経由)広島港ゆき | |||
日赤病院前ゆき | |||
広電本社前ゆき | |||
白島ゆき | |||
本線下りホーム (土橋方面) |
(広電西広島経由)広電宮島口ゆき | ||
広電西広島ゆき | |||
江波ゆき | |||
横川線ホーム | 横川駅ゆき |
停留場周辺
[編集]十日市交差点の南西角には電車のポイントを切り替えるための信号所があり、その形状から「鳥の巣」と称される[12]。かつてはこの信号所内で手動によりポイント切り替えが行われていたが、1955年(昭和30年)5月より切り替えは自動化されている[3][12]。自動化されたあとも信号所は残され、自動進路制御装置(ARC)が備え付けられていたが[3]、老朽化や機器更新に伴い2021年9月に解体された[12]。
バス路線
[編集]十日市町停留場の周辺には「十日市」バス停があり、広電バス[13]・広島バス[14]・広島交通[15]・ボンバス[16]が停車する。
- 4 十日市 バス停(交番前 寺町通り南行き 紙屋町方面)
-
- 22 横川線(広島バス) 紙屋町方面
- 70H (広電バス) 紙屋町方面
- 71H,72H,73H(広島交通) 紙屋町方面
- 5 十日市 バス停(寺町通り北行き 横川駅・広島バスセンター方面)
隣の停留場
[編集]- 広島電鉄
- ■本線
- ■横川線
- (本川町停留場 / 土橋停留場 -) 十日市町停留場 (Y1) - 寺町停留場 (Y2)
脚注
[編集]- ^ “2022年度 移動等円滑化取組報告書(軌道停留場)” (PDF). 広島電鉄. 2023年12月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『広電が走る街 今昔』150-157頁
- ^ a b c d e f g h i 『広電が走る街 今昔』54-56頁
- ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』99-100頁
- ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』431頁
- ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』124頁
- ^ 『【電車】 8/10 太田川花火大会臨時電車情報』(プレスリリース)広島電鉄、2002年8月5日。オリジナルの2015年5月2日時点におけるアーカイブ 。2016年7月24日閲覧。
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、37-38頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ a b c 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、13,77頁。ISBN 978-4-06-295157-9。
- ^ a b c d 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103-104頁。ISBN 978-4-7942-1711-0。
- ^ 電車のご利用方法:乗換え制度|電車情報|広島電鉄
- ^ a b c “広電、かつての交差点「司令塔」9月撤去へ 愛称「鳥の巣」設置から約70年”. 中国新聞. (2021年8月29日). オリジナルの2021年8月29日時点におけるアーカイブ。 2021年8月29日閲覧。
- ^ バス情報 路線バス 広電バス
- ^ 路線名から調べる 広島バス
- ^ 広島市内路線バスのご案内 広島交通
- ^ Bon-Bus ボン・バス エイチ・ディー西広島
参考文献
[編集]- 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05986-4。
- 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄、2012年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 十日市町 | 電車情報:電停ガイド - 広島電鉄