的場町停留場

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的場町停留場
本線乗り場
まとばちょう
Matoba-cho
地図
所在地 広島市南区的場町一丁目
北緯34度23分35.6秒 東経132度28分28.53秒 / 北緯34.393222度 東経132.4745917度 / 34.393222; 132.4745917 (的場町停留場)座標: 北緯34度23分35.6秒 東経132度28分28.53秒 / 北緯34.393222度 東経132.4745917度 / 34.393222; 132.4745917 (的場町停留場)
所属事業者 広島電鉄
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線(本線)
2面2線(皆実線)
乗降人員
-統計年度-
(本線)1,708[1]人/日
(皆実線)631[1]人/日
-2022年-
開業年月日 1912年大正元年)11月23日
乗入路線 2 路線
所属路線 本線
駅番号 M3
キロ程 0.5 km(広島駅起点)
M2 猿猴橋町 (0.3 km)
(0.3 km) 稲荷町 M4
所属路線 皆実線
駅番号 H3
キロ程 0.0 km(的場町起点)
(0.5 km) 段原一丁目 H4
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皆実線乗り場

的場町停留場(まとばちょうていりゅうじょう、的場町電停)は、広島県広島市南区的場町一丁目にある広島電鉄本線皆実線路面電車停留場。両線の乗り換え停留場でもある。駅番号は本線がM3、皆実線がH3

歴史[編集]

的場町停留場には本線と皆実線の2路線が乗り入れているが、このうち先に開業したのは本線である。本線は1912年大正元年)に広島駅前から紙屋町までの区間が開通[4]し、同日に当停留場も開設されている[5]。皆実線が開通したのは太平洋戦争下の1944年(昭和19年)のことで、当時軍事上の拠点であった広島港への輸送力増強のために敷設された[6]。しかし翌年、原爆投下により広島電鉄の市内路線は全線が不通となる[5]。それでも同年10月には当停留場を含む本線の広島駅前 - 山口町が運行を再開、3年後の1948年(昭和23年)には皆実線も全線が通じ復旧を果たした[5][7]

年表[編集]

開業時の停留場名を「的場」とし、1960年(昭和35年)3月30日に「的場町」に改称されたとする資料も存在するが[8]、それ以前に停留場名を「的場町」としている資料もあり[9]、表記には揺れが見られる。

構造[編集]

広島電鉄の市内線はほぼすべての区間で道路上に軌道が敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上に設けられている。本線と皆実線の乗り場は離れて存在し[10]相生通りと比治山通りが交わる的場交差点の紙屋町寄りに本線、比治山下寄りに皆実線の乗り場がある。両線ともホームは低床式で上下2面あり、2本の線路を挟み込むように配置された相対式ホームである[10][11]広島駅に向かう電車の乗り場は本線と皆実線のそれぞれにあるが、広島駅まで近い(約500メートル)こともあり、どちらのホームが先発電車となるかなどの案内表示は特に設けられていない。

軌道は交差点の猿猴橋町寄りにポイントがあり、両乗り場の手前で本線から皆実線が分岐する構造となっている[10]。1955年(昭和30年)11月にはポイント操作を無人で行うためのトロリーコンタクターが設置された[12]。皆実線の乗り場の広島港(宇品)側には、1982年(昭和57年)1月30日に設置された[13]上り線(広島駅方面)から下り線(宇品方面)への渡り線がある[10]

運行系統[編集]

当停留場には広島電鉄で運行される系統のうち1号線、2号線、5号線、6号線、それに0号線が乗り入れる。当停留場を経由し本線と皆実線を結ぶのは5号線で、それ以外の系統は本線のみを使用する。

本線下りホーム 0号線 (紙屋町経由)広電本社前ゆき
1号線 (紙屋町経由)広島港(宇品)ゆき
2号線 広電宮島口ゆき
6号線 江波ゆき
本線上りホーム 1号線2号線6号線 広島駅ゆき
皆実線下りホーム 5号線 比治山下経由広島港(宇品)ゆき・宇品二丁目ゆき・皆実町六丁目ゆき
皆実線上りホーム 5号線 広島駅ゆき

周辺[編集]

猿猴川の右岸に位置し[11]、当停留場から西側の一帯には高層ビルが立ち並ぶ[10]。南へ徒歩5分の距離には大衆演芸場の清水劇場があり[10]、下町風情を味わえる街でもある[6]

隣の停留場[編集]

広島電鉄
本線
猿猴橋町停留場 (M2) - 的場町停留場 (M3) - 稲荷町停留場 (M4)
皆実線
(猿猴橋町停留場 -) 的場町停留場 (H3) - 段原一丁目停留場 (H4)

脚注[編集]

  1. ^ a b 2022年度 移動等円滑化取組報告書(軌道停留場)” (PDF). 広島電鉄. 2023年12月21日閲覧。
  2. ^ 『広電が走る街 今昔』45頁
  3. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』43頁
  4. ^ 路線自体は紙屋町より先の櫓下まで竣工していたが、トラブルのため実際に紙屋町より先の区間が開業したのは2週間後のことである[2][3]
  5. ^ a b c d e f g 『広電が走る街 今昔』150-157頁
  6. ^ a b 『広電が走る街 今昔』24-25頁
  7. ^ a b c d 『広島のチンチン電車 市内線と宮島線 波乱に富んだ86年のドラマ』郷土出版社、1998年、227-236頁。ISBN 4-87670-110-5 
  8. ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、37頁。ISBN 978-4-10-790029-6 
  9. ^ 広島県統計書 昭和7年 第1編 其ノ2』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ a b c d e f 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、9・75頁頁。ISBN 978-4-06-295157-9 
  11. ^ a b 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103・107頁頁。ISBN 978-4-7942-1711-0 
  12. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』158頁
  13. ^ 『広島電鉄開業80年創立50年史』広島電鉄、1992年、124頁。 

参考文献[編集]

  • 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05986-4 
  • 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄、2012年。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]