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八島健三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八島 健三 Portal:陸上競技
アントワープ五輪の日本のマラソン選手。
八島は右端。
選手情報
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走マラソン
大学 明治大学
生年月日 (1902-04-06) 1902年4月6日
生誕地 日本の旗 日本 北海道
没年月日 (1979-10-17) 1979年10月17日(77歳没)
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八島 健三(やしま けんぞう、1902年明治35年)4月6日 - 1979年昭和54年)10月17日[1])は、日本の長距離走選手。

経歴

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北海道出身。稲穂小学校に学ぶ[2][注釈 1]。小樽中学校(現在の北海道小樽潮陵高等学校)在学中に[3]1920年アントワープオリンピックにマラソンで出場[4]。2時間57分20秒0で21位だった[5]。北海道出身者としては初のオリンピック選手である[6]。1921年には第5回極東選手権競技大会のマラソンに出場[7]

のち明治大学に進み、箱根駅伝に出場[5]。1923年から1928年まで6年連続出場、5年連続(1928年を除く)で各区間賞を獲得した。1924年の第5回大会では、往路優勝の東京高師に明大が追い上げをかける展開となったが、10区を任された八島は鈴ヶ森で東京高師の選手を抜き、明大の3年ぶり2回目の優勝に貢献した[8][注釈 2]

1979年の訃報によれば、安田生命で企画部長を務めた[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 当時の校長稲垣益穂は膨大な記録(稲垣益穂日誌)を残しており、八島も登場する。
  2. ^ 第5回大会において明大チームの7区を走り、区間新の記録を残した永谷寿一は、のちに1928年アムステルダムオリンピックで日本代表選手に選ばれ、10000メートル走とマラソンで出場した[8]

出典

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  1. ^ a b 「八島 健三氏(やしま・けんぞう=元オリンピック・マラソン選手、安田生命元企画部長)」『読売新聞』1979年10月18日、23面。
  2. ^ 小樽市総合博物館のfacbookへのポスト(2019年1月22日)[1]
  3. ^ 中澤 2010, 41頁.
  4. ^ Kenzo Yashima Olympic Results”. sports-reference.com. 9 October 2012閲覧。
  5. ^ a b 箱根駅伝出身五輪出場一覧 <開催年順>”. 箱根駅伝公式Webサイト. 2009年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月28日閲覧。
  6. ^ “永遠ライバル北海&札商ホッケー五輪代表11人輩出”. 日刊スポーツ. (2020年1月29日). https://www.nikkansports.com/sports/news/202001290000146.html?Page=3 2020年2月6日閲覧。 
  7. ^ その輝かしい黎明期 明治40年(1907年)~大正15年(1926年)”. 競走部の歴史. 明治大学体育会競走部. 2020年2月6日閲覧。
  8. ^ a b 【Playback箱根駅伝】第5回/最終区で明大・八島健三が五輪マラソン代表の意地! 東京高師をかわして逆転V”. 月陸Online. 陸上競技社 (2023年12月2日). 2020年2月6日閲覧。

関連項目

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参考文献

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