中島彰吾 (野球)
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県小郡市 |
生年月日 | 1992年6月15日(32歳) |
身長 体重 |
178 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2014年 育成選手ドラフト1位 |
初出場 | 2016年7月9日 |
最終出場 | 2017年6月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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中島 彰吾(なかしま しょうご、1992年6月15日 - )は、福岡県小郡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学生時代に、実兄と共に味坂クラブで野球をスタート。小郡市立宝城中学校で軟式野球部へ所属すると、1年時から三塁手兼投手、1年秋からエースとして活躍した。
大牟田高校への進学後は、右翼手としての起用を経て、2年秋からエースの座を確保。しかし、在学中は春夏ともに、全国大会への出場経験がなかった。
福岡大学への進学後は、主に救援投手として、九州六大学野球のリーグ戦で登板。2年時と3年時には明治神宮野球大会での救援登板も果たしたが、リーグ戦では通算18試合の登板で1勝2敗にとどまった。梅野隆太郎・信楽晃史は、いずれも1年先輩に当たる。
2014年の育成選手ドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから1巡目で指名。支度金300万円、年俸300万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した。背番号は111。
ヤクルト時代
[編集]2015年には、イースタン・リーグ公式戦12試合に登板。通算13イニング、防御率1.38、奪三振15の成績を残した。その一方で、二軍の内・外野手に故障者が続出したことから、7月8日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では「8番・左翼手」としてスタメンに起用。公式戦ではプロ入り初めての打席に立ったほか、4打数無安打という打撃成績ながら、最後まで左翼手として出場した[1][2]。
2016年5月2日、10試合連続無失点、防御率2.40の成績が評価されて、支配下選手契約へ移行するとともに、背番号を71へ変更した[3]。5月4日に一軍昇格したが、登板機会がないまま5月13日に登録抹消。7月9日の中日ドラゴンズ14回戦で8回からの救援登板で一軍初登板を果たし、1回1/3を無失点に抑えた。
2017年は一軍公式戦は2試合しか登板機会はなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[4]。
海外リーグ時代
[編集]台湾のウィンタートライアウトに「アジアンアイランダース」の一員として参加した[5]。ここでの活躍がオランダの野球リーグ・ホーフトクラッセ関係者の目に留まり、2018年2月22日、デ・フラスコニング・ツインズへの入団が決定した[6][7]。4月27日の開幕戦に先発登板し、4回を無失点に抑えた[8]。その後8月にはオーストラリアのシドニー・ブルーソックスに移籍した[9]。
2019年に新規契約先を探すためのトラベルチーム「アジアン・ブリーズ」に参加[10]。しかし、希望していたリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルやメジャーリーグ球団からのオファーはなく、他国の球団やアマチュア球団からのオファーはあったものの、肩の状態などから自分の限界を感じて現役引退を決断した[11]。
現役引退後
[編集]帰国後の2019年8月、父親の勧めで福岡県久留米市の印刷会社・丸信に入社し、営業マンとなった[12]。
選手としての特徴
[編集]制球で崩れることがない。スライダーが一番自信がある球種[13]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2016 | ヤクルト | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 14 | 3.0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 2.00 |
2017 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 26 | 4.2 | 11 | 3 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 7 | 7 | 13.50 | 2.57 | |
NPB:2年 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 40 | 7.2 | 15 | 3 | 3 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 9 | 9 | 10.57 | 2.37 |
記録
[編集]- 初登板:2016年7月9日、対中日ドラゴンズ14回戦(明治神宮野球場)、8回表二死に5番手で救援登板、1回1/3を無失点
- 初奪三振:同上、9回表にアンダーソン・エルナンデスから見逃し三振
背番号
[編集]- 111(2015年 - 2016年5月1日)
- 71(2016年5月2日 - 2017年)
- 62(2018年)
脚注
[編集]- ^ 打撃投手・阿部と育成契約 故障者続出で異例の現役復帰 スポーツ報知 2015年7月9日閲覧
- ^ 2015年7月8日(水)イースタン・リーグ公式戦 東京ヤクルト vs 楽天打撃成績
- ^ 支配下選手登録のお知らせ 東京ヤクルトスワローズ公式サイト 2016年5月2日閲覧
- ^ 「戦力外通告について」『東京ヤクルトスワローズ公式サイト』2017年10月3日。2017年10月3日閲覧。
- ^ 「24名棒球浪人周遊世界各國 自費5萬來台尋夢」『ETtoday運動雲』(中国語)、2018年2月6日。2018年5月13日閲覧。
- ^ 「中島彰吾選⼿所属先決定のお知らせ (PDF)」『アジアンアイランダース』⼀般社団法⼈ TOMA Global Education・Footrans、2018年2月22日。2018年5月13日閲覧。
- ^ 「元ヤクルト・中島がオランダリーグ挑戦へ 所属先球団には3年連続で日本人選手が在籍」『ベースボールチャンネル』2018年2月23日。2018年5月13日閲覧。
- ^ 「Simpele overwinning voor De Glaskoning Twins」『Twins Baseball 2018』(オランダ語)、2018年4月27日。2018年5月13日閲覧。
- ^ 「元燕・中島彰吾が豪州チーム入団 育成から世界へ「MLBも目指します」」『Full-Count』2018年8月5日。2019年5月6日閲覧。
- ^ 「2019 ROSTER」『アジアンブリーズ』。2020年3月22日閲覧。
- ^ 東海林諒平「野球を心から楽しめた。元東京ヤクルト中島彰吾が解く海外のプロ野球事情」『パ・リーグ インサイト』2019年7月22日。2020年3月22日閲覧。
- ^ 「28歳の元ヤクルト選手、スーツ姿で「第二の人生」…顧客回りや新規開拓に汗」『読売新聞オンライン』2021年6月7日。2021年6月7日閲覧。
- ^ ヤクルト・中島が1軍登録 高津C「ひたむきに頑張ってきた」 サンケイスポーツ 2016年5月4日閲覧
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 中島彰吾 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE