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竹下真吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹下 真吾
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県北九州市
生年月日 (1990-10-20) 1990年10月20日(35歳)
身長
体重
180 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2014年 ドラフト1位
初出場 2016年6月16日
最終出場 同上
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

竹下 真吾(たけした しんご、1990年10月20日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

経歴

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プロ入り前

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九州共立大学時代は主将も務めたが同期に川満寛弥、1年下に大瀬良大地がいて同期・福地元春とともに登板機会は限られて4年秋の1勝に終わる[1]社会人野球ヤマハでは1年目の第84回都市対抗野球準々決勝で初先発すると5回無失点に抑えるが敗退。翌年はHonda鈴鹿の補強選手として出場した[1]2014年10月23日、ドラフト会議安樂智大の抽選を外した東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け、11月19日に契約金1億円+出来高払い、年俸1500万円で仮契約を結んだ[2]。背番号は22

プロ入り後

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2015年は、二軍で19試合に登板。18.2回を投げ被安打24、与四球21、防御率9.16[3]。一軍出場は無し。

2016年はプロ初登板するも、1試合にしか登板しなかった。二軍では43試合に出場。53回を投げ、被安打47、与死四球52とこの年も制球難に苦しむも防御率3.74と、まずまずの成績だった[4]

2017年は一軍公式戦への登板機会はなく、二軍で20試合に登板、22.1回を投げ被安打25、与死四球38、防御率10.88と苦しみ一軍出場も無かった[5]。10月3日に球団から戦力外通告を受けた[6]

現役引退後

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戦力外通告後、12球団合同トライアウトの受験はしなかった。12月27日に「九州共立大学出身プロ野球選手後援会『選手との集い』」に出席し[7]、現役を引退して一般企業に就職したことを語った。

選手としての特徴

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真っスラとスライダーが武器[8]。直球の最速は150km/h[9]。一方で制球力を最大の課題とし、克服するべくフォームを見直しを徹底的に行っていた[9]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2016 ヤクルト 100000000----152.2226001004413.503.00
NPB:1年 100000000----152.2226001004413.503.00

記録

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背番号

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  • 22 (2015年 - 2017年)

脚注

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  1. 1 2 2015スポニチプロ野球選手名鑑 毎日新聞社
  2. “ドラフト1位竹下、ヤクルト入り 背番号22、「後々は守護神」”. BASEBALLKING. (2014年11月19日) 2015年1月15日閲覧。
  3. 一般社団法人日本野球機構. 2015年度 東京ヤクルトスワローズ 個人投手成績(イースタン・リーグ)”. npb.jp. 2026年2月1日閲覧。
  4. 一般社団法人日本野球機構. 2016年度 東京ヤクルトスワローズ 個人投手成績(イースタン・リーグ)”. npb.jp. 2026年2月1日閲覧。
  5. 一般社団法人日本野球機構. 2017年度 東京ヤクルトスワローズ 個人投手成績(イースタン・リーグ)”. npb.jp. 2026年2月1日閲覧。
  6. 戦力外通告について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2017年10月3日). 2017年10月3日閲覧。
  7. 平成29年度「九州共立大学出身プロ野球選手後援会」パーティのご案内”. 九州共立大学 (2017年12月4日). 2018年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月4日閲覧。
  8. 八重樫幸雄も期待した「真っスラ」のドラ1。1軍1試合で終わった理由|プロ野球|集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva”. 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva. 2021年4月29日閲覧。
  9. 1 2 HISATO. ヤクルト元ドラ1左腕・竹下真吾に見る“制球難”のゆくえ”. 文春オンライン. 2023年3月20日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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