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ラショーン・メリット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラショーン・メリット Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム ラショーン・メリット
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
種目 短距離走
大学 東カロライナ大学
生年月日 (1986-06-27) 1986年6月27日(38歳)
生誕地 バージニア州ポーツマス
身長 188cm
体重 84kg
プロ転向 2005年2月
コーチ担当者 ドゥエイン・ミラー
自己ベスト
100m 10秒56(2007年)
200m 19秒74(2016年)
400m 43秒65(2015年)
獲得メダル
陸上競技
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
2008 北京 400m
2008 北京 4x400mリレー
2016 リオデジャネイロ 400m
2016 リオデジャネイロ 4x400mリレー
世界陸上選手権
2007 大阪 400m
2007 大阪 4x400mリレー
2009 ベルリン 400m
2009 ベルリン 4x400mリレー
2011 大邱 400m
2011 大邱 4x400mリレー
2013 モスクワ 400m
2013 モスクワ 4x400mリレー
2015 北京 400m
2015 北京 4x400mリレー
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2011年世界陸上のメリット(一番右)

ラショーン・メリット(LaShawn Merritt, 1986年6月27日 - )は、アメリカ合衆国の陸上競技選手。主に400mを得意としている。メリットは2007年に行われた世界陸上4×400mリレー金メダリストであり、同大会の400mでは、ジェレミー・ウォリナーアメリカ)に次いで銀メダルを獲得した。北京オリンピックの400mではウォリナーを下し、金メダルを獲得した。

来歴

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幼い頃から兄の影響を受けて育つ。5歳から野球を始め、アメリカンフットボールでも自慢の俊足を生かしていたほか、トランペットが抜群に上手かった兄の影響で中学時代は吹奏楽部に所属。トランペットやホルンを演奏し、自身で作曲した曲を吹奏楽部に提供していた。

メリットが13歳の1999年11月、兄が事故に巻き込まれ19歳で死去(大学の寮の窓から何者かに突き落とされたという)。ショックから兄の影響で始めたスポーツはやめてしまうが、陸上をしていた妹の勧めで陸上を始めることとなった。

15歳の時に陸上を本格的に始め、翌年の州大会では400m優勝、100mと200mで2位という成績を残した。同年、ウッドロウ・ウィルソン高校陸上部のアシスタントコーチを務めていたドゥエイン・ミラーと出会って本格的に練習を開始。初めて会った際にドゥエイン・ミラーは「一緒にオリンピックに行こう!」と言い、当時10代だったメリットは大笑いしたという。東カロライナ大学在籍時の2005年2月にプロへ転向したときは、契約するナイキから指定されたプロコーチの下でトレーニングをしていたが、そのコーチはまだ体が出来上がってないメリットに他のプロ選手と同じトレーニングを強制させたためにうまくいかず、2005年のオフに故郷に戻ったメリットはドゥエイン・ミラーにコーチを依頼した。

2004年にインターハイの400m、全米ジュニア選手権の200mと400mを制し、世界ジュニアの代表に選出された。7月の世界ジュニアでは400m、4×100mリレー、4×400mリレーで優勝し、3つの金メダルを獲得。その名を知らしめる。しかも、400mは当年ジュニア世界ランク1位、リレーはともにジュニア世界新であった。本来はロングスプリンターの彼だが、この年は200mでも20秒72の記録(当年の全米ジュニアランク4位)を出していて、4×100mリレーのアンカーにも起用された。

2005年は室内で史上2人目の44秒台を出した。しかし、屋外の全米選手権では400m4位だったため、個人では世界陸上の代表になれなかったが、本戦のリレーでは予選の3走を務めた。2006年はワールドカップ優勝。ジェレミー・ウォリナーが無敵を誇っている状態のため、2番手を追う形だった。

上述の通り、メリットは400mを得意としているが、それだけではなく、200mでも19秒98という好記録を持っている。200mの19秒台、400mの43秒台という記録は、短距離走の「大台」と言われているが、これら2種目でこの記録を達成したのは、マイケル・ジョンソン(200m:19秒32、400m:43秒18)以来で、史上2人目の快挙となった。

2008年の北京オリンピックと2009年のベルリン世界陸上で400mと4×400mリレーで金メダルを獲得したが、2010年ドーピング検査で禁止薬物のテストステロンに陽性反応を示し、暫定的な出場停止処分を受け入れた[1]。出場停止となれば通常2年間であるが、後に21ヶ月に減らされ、2011年の世界選手権に出場する事が可能となった。2011年7月29日ダイアモンドリーグ第11戦で復帰。2011年のテグ世界陸上で400mで銀、4×400mリレーで金メダルを獲得した。しかし、ロンドンオリンピック400mでは途中で脹脛の痛みを訴え、途中棄権した。2015年北京世界陸上では銀メダルに終わった。

自己記録

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  • 100m 10秒56 (2007年3月31日)
  • 200m 19秒74 (2016年7月8日)
  • 300m 31秒23 (2016年6月11日、世界歴代4位)
  • 400m 43秒65 (2015年8月26日、世界歴代9位

主な実績

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大会 場所 種目 結果 記録 備考
2004 世界ジュニア陸上選手権 グロッセートイタリア 400m 1位 45秒25
4×100mリレー 1位 38秒66 4走、ジュニア世界記録
4×400mリレー 1位 3分01秒09 2走、ジュニア世界記録
2005 世界陸上選手権 ヘルシンキフィンランド 4×400mリレー 予選 3分00秒48 3走、2組1着(決勝進出)[2]
2006 世界室内陸上選手権 モスクワロシア 400m 予選 記録なし 失格
4×400mリレー 1位 3分03秒24 2走
IAAFワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ 400m 3位 44秒14 自己記録
IAAF陸上ワールドカップ アテネギリシャ 400m 1位 44秒54
4×400mリレー 1位 3分00秒11 3走
2007 世界陸上選手権 大阪日本 400m 2位 43秒96 自己記録
4×400mリレー 1位 2分55秒56 1走
IAAFワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ 400m 1位 44秒58
2008 オリンピック 北京中国 400m 1位 43秒75 自己記録
4×400mリレー 1位 2分55秒39 1走、大会記録
IAAFワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ 400m 1位 44秒50
2009 世界陸上選手権 ベルリンドイツ 400m 1位 44秒06
4×400mリレー 1位 2分57秒86 4走
IAAFワールドアスレチックファイナル テッサロニキギリシャ 400m 1位 44秒93
2011 世界陸上選手権 大邱韓国 400m 2位 44秒63
4×400mリレー 1位 2分59秒31 4走
2012 オリンピック ロンドンイギリス 400m DNF 記録なし
2013 世界陸上選手権 モスクワロシア 400m 1位 43秒74
4×400mリレー 1位 2分58秒71 4走
2014 世界リレー ナッソーバハマ 4×400mリレー 1位 2分57秒25 4走、大会記録
IAAFコンチネンタルカップ マラケシュモロッコ 400m 1位 44秒60
4×400mリレー 3位 3分02秒78 4走、アメリカ大陸代表
2015 世界リレー ナッソーバハマ 4×400mリレー 1位 2分58秒43 4走
世界陸上選手権 北京中国 400m 2位 43秒65
4×400mリレー 1位 2分57秒82 4走
2016 オリンピック リオデジャネイロブラジル 200m 6位 20秒19
400m 3位 43秒85
4×400mリレー 1位 2分57秒30 4走
2017 世界リレー ナッソーバハマ 4×400mリレー 1位 3分2秒13 4走
世界陸上選手権 ロンドンイギリス 400m 7sf 45秒52

参考

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  • スポットライト ラショーン・メリット、『月刊陸上競技』第43巻第5号、講談社、2009年4月号、102-107頁。

脚注

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  1. ^ 陸上メリットが薬物違反 北京五輪男子400で金
  2. ^ 決勝は未出場。決勝のアメリカは2分56秒91で1位

外部リンク

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