サンドロ・コルテセ
サンドロ・コルテセ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2012年 オーストラリアGP | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ドイツ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 |
1990年1月6日(34歳) オクセンハウゼン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在のチーム | インタクト・レーシング・チーム・ジャーマニー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゼッケン | 11 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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サンドロ・コルテセ(Sandro Cortese、1990年1月6日 - )は、ドイツ・オクセンハウゼン出身の元オートバイレーサー。現在ベルクハイムに在住。
経歴
[編集]キャリア初期
[編集]イタリア系ドイツ人であるコルテセは、4歳のときにモトクロスレースを始める。1999年、9歳のときにはポケットバイクのヨーロッパタイトルを獲得し、2002年にはドイツ国内のミニバイクチャンピオンとなった。2003年には元世界チャンピオンのダーク・ラウディス率いるチームからIDMドイツロードレース選手権125ccクラスにデビューすると、4度ポールポジションを獲得しシリーズランキング4位に入る活躍を見せたが、翌2004年にはシリーズ10位に沈んでしまった[1]。
ロードレース世界選手権
[編集]2005年には、キーファー・ボス・カストロール・ホンダチームからロードレース世界選手権125ccクラスにデビューを果たした。初年度は3戦で14位に入ったのが最高位で、シリーズランキングは26位に留まった。
2006年、コルテセはエリー・カフェラテチームに移籍し、前年度のチャンピオントーマス・ルティのチームメイトを務めることとなった。マシンは前年と同じくホンダ・RS125Rを駆り、第16戦ポルトガルGPで最高位となる10位を記録、シリーズ17位と成績を着実に伸ばした。
2007年シーズン、チームメイトのルティは250ccクラスに移り、チームは「エミ・カフェラテ」に改名。125ccクラスでは1台体制となったコルテセはマシンをアプリリアに変更した。開幕前のスペインでのテストでは、ホンダとはマシン特性が全く違うことに気付いたが、コルテセは進歩を続けて、7位を最高位にトップ10圏内でのフィニッシュを何度も重ね、66ポイントの獲得でシリーズ14位を記録した。
前年の活躍が評価され、2008年にはファクトリーマシンのアプリリア・RSA125が与えられた。シーズン序盤は若干苦戦したものの、第6戦イタリアGPで8位に入って以降は、全てのレースで1ケタ順位でのフィニッシュを成し遂げた。第16戦オーストラリアGPではレースをリード中に転倒したものの、復帰して6位でフィニッシュ、第17戦マレーシアGPでは予選18番手からのスタートになったものの、ファステストラップを叩き出してこのシーズン最高位となる4位に入賞した。結局このシーズン、コルテセは125ccクラスライダー中唯一となる全戦完走を達成し、第4戦中国GP以外ではポイントを獲得、シリーズランキング8位に入る活躍を見せた。
2009年シーズンは、前年にチャンピオンのマイク・ディ・メッリオを輩出したフィンランドのアジョ・モータースポーツチームに移籍し、ドミニク・エガーターをチームメイトにデルビ・RSA125(同じピアジオ傘下のアプリリアと同じマシン)を駆ることになった。開幕戦カタールGPで自身初の表彰台(3位)に立ち、第7戦ダッチTTでは初のポールポジションを獲得、第14戦ポルトガルGPではブラッドリー・スミスと優勝争いを展開して2位表彰台を獲得するなどの活躍を見せ、シリーズ6位を記録した。
2010年、コルテセはアジョに残留し、前年一杯でGPから撤退したKTMワークスに所属していたマルク・マルケスをチームメイトに迎えた。マルケスがシーズン10勝を挙げてチャンプに輝いた一方、コルテセはトップから離れた第二集団でのレースが多く、表彰台獲得は第8戦地元ドイツGPでの3位と第11戦インディアナポリスGPでの2位の2度に留まり、年間ランキングは前年から1つ落として7位に終わった。
2011年シーズンはレーシング・チーム・ジャーマニーに移籍、グランプリ7年目のシーズンを迎える[2]。2005年のデビュー以来、コルテセは1戦も欠場することなく参戦を続けており、2011年の開幕戦で100戦目となる。
スーパーバイク世界選手権
[編集]2020年はカワサキ・レーシングチーム ワールドSBKから出場したが、第3戦ポルティマオでの衝突事故で対麻痺を引き起こし、回復の兆しが無いためこの年限りでライダーを引退することをインスタグラムで伝えている[3]。
引退後
[編集]スポンサー企業であるGutmann Gruppe に勤務予定。
ロードレース世界選手権 戦績
[編集]シーズン | クラス | チーム | メーカー | マシン | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | FL | ポイント | シリーズ順位 |
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2005年 | 125cc | キーファー・ボス・カストロール・ホンダ | ホンダ | RS125R | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 26位 |
2006年 | 125cc | エリー・カフェラテ | ホンダ | RS125R | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 23 | 17位 |
2007年 | 125cc | エミ・カフェラテ | アプリリア | RS125 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 66 | 14位 |
2008年 | 125cc | エミ・カフェラテ | アプリリア | RSA125 | 17 | 0 | 0 | 0 | 1 | 141 | 8位 |
2009年 | 125cc | アジョ・インターウェッテン | デルビ | RSA125 | 16 | 0 | 3 | 1 | 2 | 130 | 6位 |
2010年 | 125cc | アジョ・モータースポーツ | デルビ | RSA125 | 17 | 0 | 2 | 1 | 2 | 143 | 7位 |
2011年 | 125cc | インパクト・レーシング・チーム・ジャーマニー | アプリリア | RSA125 | |||||||
合計 | 99 | 0 | 5 | 2 | 5 | 511 |
脚注
[編集]- ^ http://www.motograndprix.de/index.php?page=4&fahrerID=147&navid=3
- ^ http://www.racing-team-germany.de/News-Detailansicht.24+M57d46b3008d.0.html
- ^ https://www.instagram.com/p/B76rwQMoTHA
外部リンク
[編集]- Sandro Cortese | Motorradrennfahrer | Official Website
- Sandro Cortese (328870264586) - Facebook
- Sandro Cortese (@sandrocortese) - Instagram
- Sandro Cortese (@sandrissimo11) - X(旧Twitter)
- motogp.com サンドロ・コルテセ経歴