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宮崎県立富島高等学校

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宮崎県立富島高等学校
地図北緯32度25分36.9秒 東経131度37分58.1秒 / 北緯32.426917度 東経131.632806度 / 32.426917; 131.632806座標: 北緯32度25分36.9秒 東経131度37分58.1秒 / 北緯32.426917度 東経131.632806度 / 32.426917; 131.632806
過去の名称 東臼杵郡立富高農業学校
宮崎県立富島農学校
宮崎県立富高実業学校
国公私立の別 公立学校
設置者 宮崎県の旗宮崎県
校訓 自立・友愛・創造
設立年月日 1916年(大正5年)
3月31日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 商業マネジメント科
情報ソリューション科
生活文化科
学期 3学期制
学校コード D145220660316 ウィキデータを編集
高校コード 45108J
所在地 883-0052
宮崎県日向市鶴町3丁目1番43号
外部リンク Official website
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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宮崎県立富島高等学校(みやざきけんりつ とみしまこうとうがっこう)は、宮崎県日向市鶴町三丁目に所在する公立高等学校。商業と家庭に関する学科を有する実業高等学校である。

概要

歴史
1916年大正5年)創立の農業学校(実業学校)を前身とする。1948年昭和23年)の学制改革により新制高等学校となった。当初、農業科と家庭科のみであったが、1950年(昭和25年)の再編により、普通科・商業科・林業科が加えられた。その後1964年(昭和39年)に農業科と林業科が、1975年(昭和50年)に普通科が分離し、現在では商業と家庭に関する学科のみを有している。2016年平成28年)に創立100周年を迎える。
令和4年度より3学科(商業マネジメント科・情報ソリューション科・生活文化科)に変更する。
設置課程・学科
  • 全日制課程 (令和4年度より3学科体制へ)旧来の商業科・会計科・経営情報科・国際経済科は改変へ)
    • 商業マネジメント科
    • 情報ソリューション科
    • 生活文化科(家庭に関する学科)           
    • 商業科
校訓
「自立・友愛・創造」- 1994年(平成6年)に制定。
校章
「ト」の文字を3つ組み合わせて校名の「富」(=ト3(とみ))を表し、中央に「高」の文字を置いている。トの文字を表すのに、が使用されている。
校歌
作詞は高森文夫、作曲は石黒脩三による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「富島」が登場する。また「若人の歌」という準校歌[1]がある。作詞は松田松雄、作曲は永友端子による。歌詞は2番まであり、両番に校名の「富島高校」が登場する。
同窓会
「富友会」(とみゆうかい)と称している。

沿革

旧制・農学校時代
  • 1916年(大正5年)3月31日 - 「東臼杵郡立富高農業学校」(実業学校)として設立を認可される。
  • 1922年(大正11年) 4月1日 - 宮崎県に移管され「宮崎県立富島農学校」に改称。
  • 1929年(昭和4年)4月1日 - 女子部を併設し、「宮崎県立富高実業学校」に改称。
  • 1937年 - 富高町・細島町が合併して富島町が発足。
  • 1945年(昭和20年)4月1日 - 「宮崎県立富高農学校」に改称。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 農学校としての生徒募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、農学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 農学校3・4年修了者はそのまま農学校4・5年生として在籍した(4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革により、農学校が廃止され、新制高等学校宮崎県立富島高等学校」(現校名)が発足。
      • 通常制(後の全日制)農業課程・家庭課程、定時制農業課程を設置。旧農学校から併設中学校を継承。
      • 初代校長に前・宮崎県立飫肥高等女学校[2]校長の伊東祐重が就任。
      • 農学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、農学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 新制高等学校として高校1年生の募集を行う(併設中学校の募集は行わない)。
      • 併設中学校は1946年(昭和21年)に農学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
    • 12月10日 - 定時制門川分校を設置。
  • 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 公立高等学校再編により、普通課程・商業課程・農業課程・林業課程・家庭課程を有する総合制の高等学校となる[3]
  • 1951年 - 富島町・岩脇村が合併して日向市が発足。
  • 1961年(昭和36年)4月12日 - 宮崎県立日向工業高等学校が校舎完成までの間併設される(4教室を貸与)。
  • 1962年(昭和37年)- 校舎の完成により、宮崎県立日向工業高等学校が移転を完了。併設を解消。
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 家庭科が家政科に改称。
  • 1964年(昭和39年)4月1日 - 農業科と林業科(門川分校)が分離し、宮崎県立門川農業高等学校として独立。
  • 1975年(昭和50年)4月1日 - 普通科が分離し、宮崎県立日向高等学校として独立。普通科の募集を停止。
  • 1977年(昭和52年)
    • 3月31日 - 管理棟、電算機室、商業科・家政科の特別教室が完成。
    • 4月1日 - 普通科を廃止。
  • 1978年(昭和53年)3月31日 - 鉄筋コンクリート2階建の第2体育館が完成。
  • 1982年(昭和57年)3月31日 - 図書館棟が完成。
  • 1985年(昭和60年)1月16日 - プール浄化槽設備が完成。
  • 1989年(平成元年)4月1日 - 国際経済科を新設。
  • 1996年(平成8年)
    • 4月1日 - 家政科を生活情報科に改組。
    • 5月31日 - 弓道場が完成。
  • 1997年(平成9年)
    • 3月26日 - 生活情報総合実習室が完成する。
    • 4月1日 - 学科編成により会計科と情報処理科を1学級ずつ新設。
  • 2006年(平成18年)11月18日 - 創立90周年記念式典を挙行。
  • 2007年(平成19年) - 情報処理科を経営情報科に改称。
  • 2018年(平成30年) - 商業科教諭の濱田登が率いる硬式野球部が第90回記念選抜高等学校野球大会で春夏通じて甲子園初出場。(結果は初戦敗退)
  • 2019年令和元年) - 濱田率いる硬式野球部が第101回全国高等学校野球選手権大会で夏の甲子園初出場。(結果は初戦敗退)
  • 2022年(令和4年)学科編成に伴い、商業科・会計科・経営情報科・国際経済科は改変へ
  • 2022年(令和4年) - 第104回全国高等学校野球選手権大会に3年ぶり2回目の出場。

著名な出身者

アクセス

脚注

  1. ^ 制定は1950年(昭和25年)、準校歌としての制定は1957年(昭和32年)。
  2. ^ 宮崎県立日南高等学校の前身の1つ。
  3. ^ 高校三原則を参照。

関連項目

外部リンク