銭谷真美
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銭谷 眞美(ぜにや まさみ、1949年6月2日[1] - 、男性)は、日本の文部官僚。第4代文部科学事務次官[2]。 2009年から2022年まで、東京国立博物館館長を務めた。
来歴
秋田県秋田市土崎港相染町出身[1]。秋田大学附属中学校、秋田県立秋田高等学校、東北大学教育学部卒業[1]。
1973年に文部省に入省し[3]、国際学術課に配属される[1]。その後、施設助成課、総務課、小学校課を経て、1981年から約2年半、三重県教育委員会に出向する[1]。文部省復帰後は中学校課や高等学校課に配属され、高等学校課ではJETプログラムの立ち上げに携わった[1][注 1]。1991年、生涯学習局学習情報課長。その後小学校課長、学校健康教育課長、体育課長を歴任。1997年大臣官房総務課長。 2001年から2003年まで、文化庁の次長を務める[1]。その後、生涯学習政策局長、初等中等教育局長を歴任。
2007年7月6日付で、文部科学事務次官に昇格し[5]、2009年7月14日をもって退任した[3]。 退任後、同年8月1日付で東京国立博物館館長に就任する[6][注 2]。
2017年3月、文部科学省天下り問題に関して文書厳重注意相当とされた[7]。
略歴
- 1968年3月 秋田県立秋田高等学校卒業
- 東北大学教育学部教育学科卒業
- 1973年4月 文部省入省(大学学術局国際学術課)
- 1975年4月 管理局助成課
- 1976年7月 大臣官房総務課審議班
- 1977年4月 大臣官房総務課専門職員
- 1977年4月 大臣官房総務課審議第三係長
- 1978年4月 審議第二係長
- 1979年4月 初等中等教育局小学校教育課学校管理係長
- 1981年8月 三重県教育委員会指導課長
- 1983年12月 大臣官房人事課課長補佐
- 1983年12月 初等中等教育局中学校教育課課長補佐
- 1984年7月 初等中等教育局中学校課課長補佐
- 1985年11月 初等中等教育局高等学校課課長補佐
- 1988年6月 大臣官房総務課副長(兼)能率専門官
- 1989年7月 教育助成局地方課教育行政企画官
- 1991年6月 生涯学習局学習情報課長
- 1992年7月 初等中等教育局小学校課長
- 体育局学校健康教育課長
- 体育局体育課長
- 1997年 大臣官房総務課長
- 1998年 大臣官房審議官(初等中等教育局担当)
- 2000年 内閣審議官(内閣官房内閣内政審議室教育改革国民会議担当室長)
- 2001年 文化庁次長
- 2003年 文部科学省生涯学習政策局長
- 2004年 初等中等教育局長
- 2007年 文部科学事務次官
- 2009年 退官
- 2009年8月 東京国立博物館長
- 2022年6月23日より 公益財団法人新国立劇場運営財団理事長[9]
社会的活動
著書
- 『教育法令辞典』銭谷眞美 編集代表. ぎょうせい, 1997.6
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g “【インタビュー】東京国立博物館長・銭谷眞美さん”. あきたのかお. 2015年8月15日閲覧。
- ^ “歴代文部科学事務次官”. 文部科学省. 2015年8月15日閲覧。
- ^ a b “銭谷眞美文部科学事務次官 事務次官退任会見概要(7月14日)”. 文部科学省 (2009年7月14日). 2015年8月15日閲覧。
- ^ “銭谷眞美”. 国際教育交換協議会日本代表部. 2015年8月15日閲覧。
- ^ “文科事務次官に銭谷局長が昇格”. 四国新聞 (2007年7月7日). 2015年8月15日閲覧。
- ^ a b “独法天下りラッシュ…民主政権にらみ駆け込み?”. YOMIURI ONLINE (2009年8月3日). 2015年9月22日閲覧。
- ^ 「追加処分者一覧」毎日新聞2017年3月30日 21時28分(最終更新 3月30日 22時27分)
- ^ 『官報』号外第99号、令和3年4月30日
- ^ [1]
- ^ “目的・沿革”. 日本博物館協会. 2015年8月15日閲覧。
- ^ “ベルマーク財団新理事長に銭谷氏を選出”. ベルマーク教育助成財団 (2012年6月26日). 2015年9月22日閲覧。
- ^ “第31期宗教法人審議会 委員名簿(五十音順)”. 文化庁. 2015年8月15日閲覧。
関連項目
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