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津崎公平

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つざき こうへい
津崎 公平
本名 木下 伸一 (きのした しんいち)
別名義 秋山 駿 (あきやま しゅん)
木之下 晃明 (きのした こうめい)
生年月日 (1928-10-01) 1928年10月1日
没年月日 1995年
出生地 日本の旗 日本 広島県呉市西愛宕町
職業 俳優映画監督脚本家
ジャンル 映画ピンク映画
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津崎 公平(つざき こうへい、1928年10月1日 - 1995年)は、日本の俳優映画監督脚本家である[1][2][3][4][5][6][7]。映画監督・脚本家としては、安芸 敬三[8]秋山 駿(あきやま しゅん)[1][9]木之下 晃明(きのした こうめい)と名乗った[1][2][3][4]。本名は木下 伸一(きのした しんいち)[1][4]ピンク映画史に於いて、監督に挑んだ男優の魁といわれる[8]

人物・来歴

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1928年(昭和3年)10月1日、広島県呉市西愛宕町に生まれる[1][4]。10歳のころ、貿易を営む父とともに上海に移る[1]第二次世界大戦終了後、満21歳を迎える1949年(昭和24年)に帰国し、早稲田大学文学部に編入するが、翌1950年(昭和25年)には中途退学した[1]読売新聞編集局に勤務したのちに、映画監督のマキノ雅弘に弟子入りし、助監督も務めている[1]

記録の上でもっとも古いものは、1960年(昭和35年)11月21日に放映を開始( - 同年12月26日)した、KRテレビ(TBSテレビ)の連続テレビ映画蒼い描点』や、1961年(昭和36年)1月16日に放映された日本テレビ放送網の単発テレビ映画『関白亭主』への出演であった[6]。1965年(昭和40年)8月29日に公開された、安藤昇が主演によって映画デビューを飾った湯浅浪男監督の『血と掟』で、津崎もまた満36歳にして映画デビューした[2][3][4]。本作出演を機に松竹と契約するが、この直前に湯浅監督のピンク映画『牝蜂』に出演していたことが判明し、会社からクレームが付き、同年の『やさぐれの掟』、『逃亡と掟』、および翌1966年(昭和41年)1月15日に公開された『望郷と掟』に出たあと契約を破棄された[8]。ピンク映画を蔑視するような会社の言い分に我慢できず、あえて条件低劣な日陰の道を選び、同年3月に大蔵映画が配給して公開された渡辺護監督の『うまず女』に出演、以降、成人映画、とりわけいわゆるピンク映画の世界に踏み出す[2][3][4][8]。同年11月、湯浅監督に誘われ台湾に渡り、台湾との合作『母ありて命ある日に』と台湾資本で撮られた『東京流浪者』『懐念的人』に出演した[10]

芸名は1950年代に富田常雄原作の「姿三四郎」のテレビ映画で、この登場人物である"津崎公平"役をやったからとされる[8]。一介の俳優の身ながら、台本もまともに読めない女優や演出もろくにできない監督に苦言を呈し、拙速によるピンク映画の濫作状況を憂いていた反骨漢であった[8]。1967年(昭和42年)の大和屋竺監督『荒野のダッチワイフ』では、背広にサングラス姿で登場し脇役ながら存在感を示した[8]。1968年(昭和43年)8月公開された『崩れた官能』で監督デビュー[8]、広島出身らしく監督名は「安芸敬三」とした[8]。同年の『絶唱』、1970年2月公開の『色欲の報酬』、6月公開の『情欲の交換』の4本を「安芸敬三」名で監督[8]。その後「秋山駿」と改名し1970年8月公開の『娼婦激情の宿』から役者兼業で15本を監督したといわれる[8]。『芸能人物事 明治大正昭和』では、1970年(昭和45年)に「秋山駿」の名で『絶品』という映画で監督としてデビューした[1]、という旨の記述があるが、日本映画データベースおよび文化庁の「日本映画情報システム」では同作が特定できない[2][3]。「秋山駿」名ではっきりと公開記録がある最も古いものは、1971年(昭和46年)1月に葵映画が製作・配給して公開した辰巳典子主演の『新手 女ぜめ裏表』である[2][3]。以降、「秋山駿」の名で、1974年(昭和49年)10月に公開された『性のうずき』まで、15作のピンク映画を監督した[2][3]。ピンク映画に一家言持ち、俳優業を続けながら独学でシナリオ作法を勉強した情熱と熱心さがあり、津崎同様に業界の現状打破を唱えていた木俣堯喬の製作姿勢に一脈通じて1973年(昭和48年)一時的にプロダクション鷹に参加した[8]文芸評論家秋山駿とは関係はない。

1978年(昭和53年)5月11日には、「木之下晃明」の名で監督した一般映画『人間の骨』が公開された[1][2][3][4]。公開時には「マキノ雅弘門下の木之下晃明」と紹介された[11][12]

1993年(平成5年)には、佐野和宏監督の2作『変態テレフォンONANIE』『性感極秘マッサージ 全身愛撫』に出演したが[3]、1995年(平成7年)、正確な日付は不明であるが死去した[1]。享年68(満66-67歳没)。

2012年(平成24年)7月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、津崎の出演・監督した作品のうち、『情欲の黒水仙』、『いろの道づれ』、『腹貸し女』、『残忍(秘)女責め』、『お妾女高生』、『肉体の餌』、『痴女の戯れ』、『夜になったら殺して』、『肉体ハイジャック 殺しの前の快楽』、『色ぼけ四十八態』、『好色数え唄 私を泣かせて』、『現代姦通伝』、『脱がせて脱がせて 大勝負』、『濡れる柔肌』、『絶倫夫人』、『姐さんブルース 恍惚の花弁』、『変態性犯罪』、『女高性 不純異性交遊』、『森尾歩衣 聖水折檻』、『性感極秘マッサージ 全身愛撫』の20作の上映用プリント等を所蔵している[5]

フィルモグラフィ

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文化庁「日本映画情報システム」、および日本映画データベースキネマ旬報映画データベーステレビドラマデータベースインターネット・ムービー・データベースに掲載されている同社製作・配給作品の一覧である[2][3][4][5][6][7]。特筆以外はすべて「出演」であり「出演」はすべて「津崎公平」名義である。脚本・監督については、特筆以外はすべて「秋山駿」名義である。

1960年 - 1961年
1965年
1966年
1967年
1968年
  • 腹貸し女』 : 監督若松孝二、主演門麻実、製作・配給若松プロダクション、1968年3月公開(映倫番号15278, フィルムセンター所蔵[5]) - 「小野寺」役で出演
  • 崩れた官能』 : 出演瀬川道代、製作東京芸術映画協会、1968年8月公開 - 監督(「安芸敬三名義」)[8]  
  • 金瓶梅』 : 監督若松孝二、主演真山知子、製作ユニコンフィルム、配給松竹、1968年9月27日公開 - 「応伯爵」役で出演
  • セックスドライブ』 : 監督品川照二(本木荘二郎)、出演清水世津、製作シネユニモンド、配給、1968年10月公開 - 「佐藤」役で出演
  • 残忍(秘)女責め』 : 監督梅沢薫、主演林美樹、製作・配給日本シネマ、1968年12月公開(フィルムセンター所蔵)[5]
  • お妾女高生』 : 監督嵯峨泰彦(佐々木元)、主演桂奈美、製作・配給日本シネマ 1968年公開(フィルムセンター所蔵)[5]
  • 肉体の餌』 : 監督梅沢薫、主演林美樹、製作・配給日本シネマ、1968年公開(フィルムセンター所蔵)[5]
  • 絶唱』 : 出演如月のり子、製作東京芸術映画協会、1968年公開月不明 - 監督(「安芸敬三名義」)[8]
1969年
1970年
1971年
  • 新手 女ぜめ裏表』 : 出演辰巳典子、製作・配給葵映画、1971年1月公開 - 監督・脚本
  • 脱がせて脱がせて 大勝負』 : 監督山本晋也、主演、製作・配給東京興映、1971年3月公開(フィルムセンター所蔵)[5]
  • 偽産婦人科医』 : 製作・配給ワールド映画、1971年6月公開 - 監督
  • 処女開花』 : 出演杉村久美、製作・配給ワールド映画、1971年9月公開 - 監督
  • 性の求道者』 : 出演真湖道代、製作・配給ワールド映画、1971年10月公開 - 監督
  • エロだらけの一生』 : 出演谷身知子、製作・配給ワールド映画、1971年11月公開 - 監督
  • 未亡人の祭典』 : 製作・配給ワールド映画、1971年12月公開 - 監督
  • 濡れる柔肌』 : 主演杉村久美、製作槙プロダクション、1971年公開(フィルムセンター所蔵)[5] - 監督・脚本(「秋山駿」)・出演(「津崎公平」)
1973年
1974年
  • 性のうずき』 : 製作プリマ企画、配給不明、1974年10月公開 - 監督
1977年
1978年
  • 人間の骨』 : 主演佐藤仁哉、製作「人間の骨」映画プロダクション、1978年5月11日公開(映倫番号19317) - 監督・脚本(「木之下晃明」名義)
1979年
1980年
1981年
1993年

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 津崎公平jlogos.com, エア、2010年7月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 津崎公平、秋山駿、木之下晃明、日本映画情報システム、文化庁、2012年7月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j 津崎公平、秋山駿、木之下晃明日本映画データベース、2012年7月10日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 津崎公平、木之下晃明キネマ旬報映画データベース、2012年7月10日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 津崎公平、木之下晃明東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月10日閲覧。
  6. ^ a b c 津崎公平テレビドラマデータベース、2012年7月10日閲覧。
  7. ^ a b Kohei Tsuzakiインターネット・ムービー・データベース (英語)、2012年7月10日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #二階堂、232-234頁
  9. ^ 幻のピンク映画発掘! 偶然から見つかった貴重なドキュメント・ポルノ・シリーズがDVD化!アップリンク、2010年7月10日閲覧。
  10. ^ a b c d #二階堂、176-177頁
  11. ^ 人間の骨、日本映画情報システム、文化庁、2012年7月10日閲覧。
  12. ^ 人間の骨、キネマ旬報映画データベース、2012年7月10日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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