日本シネマ

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日本シネマ株式会社
Nihon Cinema K.K.
種類 株式会社
市場情報 消滅
略称 日本シネマ
本社所在地 日本の旗 日本
東京都中央区京橋2-7-18 [1]
設立 1966年7月 [1]
業種 商社
事業内容 映画の製作・輸入 [1]
代表者 鷲尾飛天丸 [1]
資本金 100万円 (1978年)[1]
関係する人物 千葉実
池田一夫
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日本シネマ株式会社(にほんシネマ)は、かつて存在した日本の映画会社である[1]。旧社名日本シネマフィルム株式会社(にほんシネマフィルム)[2][3]

沿革[編集]

[4]

  • 1987年(昭和62年)12月 活動停止

略歴・概要[編集]

記録の上で最初にみられる作品は、1963年(昭和38年)6月18日に「日本シネマフィルム」が配給して公開した本木荘二郎監督の『女のはらわた』(製作巾プロダクション)である[2][3][5]。同作の「企画」として鷲尾飛天丸がクレジットされている[6]。本木は前年1962年(昭和37年)11月に公開された初監督作『肉体自由貿易』(製作国新映画)をヒットさせており、同作は4作目にあたるが[7]、邦画五社の1/10の予算で製作した『肉体自由貿易』を配給してヒットさせたのが、「日本シネマ」であるとする資料もある[8]

初年度においては、富士映画出身の小林悟[9]、同年に監督デビューしたばかりの若松孝二を監督に起用している[10]。1965年(昭和40年)には、同年に監督デビューしたばかりの山本晋也、翌年には前年に監督デビューしたばかりの向井寛をそれぞれ監督に起用している[11][12]。『映画年鑑 1978』によれば、1966年(昭和41年)7月に「日本シネマ株式会社」が設立されている[1]。同年には、松竹京都撮影所で40作を監督した福田晴一[13]、同じく18作を監督した倉橋良介[14]、1968年(昭和43年)には、ワールド映画出身の奥脇敏夫を監督に起用している[15]

1975年(昭和50年)から1979年(昭和54年)にかけては、製作本数が激減している[2][3]。初期に「製作」の鷲尾とならんで「企画」にクレジットされていた千葉実は、1978年(昭和53年)の時点では、ニューセレクトの常務取締役になっていた[16]

1980年(昭和55年)以降は、稲尾実梅沢薫らの監督作を多く製作し、1982年(昭和57年)には、向井寛や山本晋也の助監督を務めていた獅子プロダクション出身の新人滝田洋二郎を監督に起用している[3][17]

1985年(昭和60年)以降は、渡辺元嗣深町章らの新人を起用、1960年代から俳優として活動し東活で監督デビューした新田栄の監督作を多く製作し、1987年(昭和62年)12月に新東宝映画が配給して公開された、新田栄監督の『ザ・ペッティング4 舌戯』以降、映画作品は発表されておらず、活動は停止したものとされる[3][18]

東京国立近代美術館フィルムセンターは、2012年(平成24年)6月現在、同社の製作・配給された200本近くの作品のうち、若松孝二監督の『逆情』(1964年)をはじめ、約60作の上映用プリントを所蔵している[19]

フィルモグラフィ[編集]

文化庁「日本映画情報システム」、および日本映画データベースに掲載されている同社製作・配給作品の一覧である[2][3]

1963年
1964年
1965年
1966年
1967年
1968年
1969年
1970年
1971年
1972年

年5月公開

1973年
1974年
1975年 - 1977年
1979年

以降、すべて製作のみ、配給はすべて新東宝映画である[3]

  • 女教師(秘)教えてあげる』 : 監督梅沢薫、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1979年12月公開 - 改題『課外教室 教えてあげる』
1980年
  • ある女教師 鎖と柔肌』 : 監督梅沢薫、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年11月公開
  • 痴漢通学電車』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年1月公開 - 改題『痴漢電車満員通学』
  • 痴漢おさわり電車』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年8月公開 - 改題『痴漢電車 おさわり集団』
  • 痴漢集団検診』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年7月公開
  • 女子学生(秘)床運動』 : 監督浜恵子[要曖昧さ回避]、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年10月公開
  • 痴漢電車 相互乗り入れ』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年12月公開
  • 指と舌ぜめ』 : 監督中山潔、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年4月公開
  • 痴漢豆さがし』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年3月公開
  • 痴漢民宿ざこ寝』 : 監督浜恵子、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年5月公開
  • 鞭で泣かす』 : 監督梅沢薫、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年9月公開
1981年
1982年
1983年
1984年
  • 痴漢電車 あの手この手』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1984年5月公開 - 改題『痴漢電車 内までびっしょり』
1985年
1986年
1987年

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『映画年鑑 1978』、p.214.
  2. ^ a b c d e 日本シネマ、日本映画情報システム、文化庁、2012年6月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 日本シネマ日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  4. ^ ピンクリボン|番外編~ピンク映画とは~”. webcache.googleusercontent.com. 2021年6月12日閲覧。
  5. ^ 女のはらわた、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  6. ^ 女のはらわた、日本映画情報システム、文化庁、2012年6月17日閲覧。
  7. ^ 本木荘二郎、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  8. ^ 『キネマ旬報年鑑 1977』、p.58.
  9. ^ 小林悟、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  10. ^ 若松孝二、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  11. ^ 山本晋也、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  12. ^ 向井寛、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  13. ^ 福田晴一、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  14. ^ 倉橋良介、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  15. ^ 奥脇敏夫、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  16. ^ 『映画年鑑 1978』、p.212., p.283
  17. ^ 滝田洋二郎、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  18. ^ 『映画年鑑 1997』、p.260.
  19. ^ 日本シネマ東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年6月17日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『キネマ旬報年鑑 1977』、黒甕社、1977年
  • 『映画年鑑 1978』、時事映画通信社、1977年12月1日
  • 『映画年鑑 1997』、時事映画通信社、1996年12月1日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]