コンテンツにスキップ

原忠一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。イエスタディ・ワンスモア (会話 | 投稿記録) による 2022年5月7日 (土) 11:18個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

はら 忠一ちゅういち
渾名 キングコング
生誕 1889年3月15日
日本の旗 日本島根県松江市
死没 (1964-02-17) 1964年2月17日(74歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1911年 - 1945年
最終階級 海軍中将
テンプレートを表示

原 忠一(はら ちゅういち、1889年明治22年)3月15日 - 1964年昭和39年)2月17日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

略歴

島根県松江市出身。旧制島根県松江尋常中学校より海軍兵学校第39期入校。入校時成績順位は150名中第53位、卒業時成績順位は149名中第85位。北部仏印進駐の際は第二遣支艦隊参謀長として陸軍強硬派との対応に追われる。第五航空戦隊司令官として、航空母艦を主力とする世界初の海戦となった珊瑚海海戦を指揮した人物である。

人物像

海軍大学校甲種学生時代は学生長であり[1]草鹿龍之介山口多聞福留繁らと同期である。あだ名に「原忠」、あるいは単に「忠」[2]。海軍大学校同期で、兵学校では一つ上の先輩である五十嵐恵とは親友であった。

身長体重共に日本人離れした大柄な体格から、「キングコング」のあだ名があった。[3]

年譜

脚注

  1. ^ 草鹿 1979, p. 41.
  2. ^ 草鹿 1979, p. 42.
  3. ^ 森史郎『ソロモン海の戦闘旗』p.393

参考文献

関連項目