山路芳久
山路 芳久 | |
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生誕 | 1950年6月27日 |
出身地 | 日本 三重県津市 |
死没 |
1988年12月19日(38歳没) 日本 |
学歴 |
東京芸術大学 サンタ・チェチーリア国立アカデミア |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
声楽家(テノール) オペラ歌手 音楽教育者 |
山路 芳久(やまじ よしひさ、1950年(昭和25年)6月17日 - 1988年(昭和63年)12月19日)は、1970年代から1980年代にかけてヨーロッパの歌劇場で活躍した日本のテノール歌手、音楽教育者。
生涯
三重県津市に、警察官の四男(末子)として生まれる。中学生の頃より声楽を学び始め、三重県立津高等学校を経て1969年(昭和49年)東京芸術大学音楽学部に入学した。伊藤亘行、疋田生次郎に師事[1]。
1976年(昭和51年)同大学院を修了した後は二期会に所属した。翌1977年(昭和52年)にイタリア政府給費留学生[1]としてローマ サンタ・チェチーリア国立アカデミアに進学。1978年(昭和53年)ミラノ・スカラ座研究所に入る[1]。マニヨーニ、ファヴァレット、ブラスキに師事[2]。イタリア各地の声楽コンクールでも優秀な成績を収めた。さらにスカラ座のオーディションに日本人男性として初めて合格し[1]、1979年(昭和54年)にロッシーニ『モーゼ』での端役ながらスカラ座にデビュー[1]している。
同年にはウィーン国立歌劇場の専属歌手[3][4]となり、ヴェルディ『椿姫』アルフレードやドニゼッティ『愛の妙薬』ネモリーノを歌った。世界の著名歌劇場で日本人テノール歌手が専属として主役を歌うのはこの山路が最初であり、日本声楽界にとっての快挙であった。
その後も山路は、上記レパートリーの他、ロッシーニ『セビリアの理髪師』アルマヴィーヴァ伯爵などリリコ・レッジェーロの諸役を中心にウィーンで活躍。1982年(昭和57年)からはミュンヘン国立歌劇場と専属契約[3]し、ヴォルフガング・ザヴァリッシュやカルロス・クライバーらの指揮のもと[5]に世界的な歌手として活躍し、将来を嘱望されていた。
日本にもたびたび帰国し、所属の二期会の公演やリサイタルなどでその美声を聞かせた。1986年(昭和61年)からは二期会を退団、フリーとして藤原歌劇団の公演にも参加した。特に例年、年末12月から1月にかけては日本に戻り、12月はベートーヴェンの『第九』を各都市で歌い、1月に『NHKニューイヤーオペラコンサート』に出演の後ヨーロッパに戻るのを恒例としていた。
元東京芸術大学音楽部声楽科講師[5]。門下生に吉田浩之[6]、榛葉昌寛などがいる。
1988年(昭和63年)は11月12日に津高校同窓会主催で鈴鹿市文化会館の「山路芳久テナーコンサート」に出演。12月 - 1989年1月は例年通りのシーズンとなるはずであった。胸に若干の痛みを訴えていたともいう山路は、12月に組まれた全17回の『第九』の過密スケジュールをこなしていたが、10回目の公演を終えた12月19日、午前中のリハーサルから自宅に戻ったのち、医者に行って診察を受け、薬をもらい、「ちょっと晩御飯ができるまで横になってくる」と二階に上がったのが、その最後の言葉だったという[7]。死因は心筋梗塞であった。38歳没。その唐突な死は日本声楽界にとって衝撃となった。
2004年(平成16年)2月29日午後9時NHK教育テレビの『思い出の名演奏』で山路の歌うドニゼッティ『愛の妙薬』のハイライトが放映されている[8]。
2013年(平成17年)5月にも津リージョンプラザお城ホールにて「山路芳久メモリアルコンサート」が開催された[9]。
受賞歴
- 1976年 第7回イタリア声楽コンコルソ・テノール特賞[2]
- 1976年 第12回日伊声楽コンコルソ第1位[10]
- 1976年 第45回日本音楽コンクール声楽の部第3位[11]
- 1976年度 海外派遣コンクール特賞[2]
- 1978年 レッジョ・エミリア国際音楽コンクール第1位[3]
- 1978年 ベミアミーノ・ジーリ国際コンクール第2位[1]
- 1978年 エンナ国際音楽コンクール第1位[3]
- 1978年 マリオ・デル・モナコ国際音楽コンクール第1位[3]
- 1978年 ヴィオッティ国際音楽コンクール第1位[3]
- 1979年 ヴェルディ国際声楽コンクール第2位[1]
- 1984年 ヴェルディ国際声楽コンクール第2位[2]
- 1985年度 第13回ジロー・オペラ賞大賞[12]
日本でのオペラ演奏歴
- 1982年1 - 2月 二期会・モーツアルト『ドン・ジョヴァンニ』ドン・オッターヴィオ
- 1985年8月 欧州音楽年日本実行委員会・マスカーニ『イリス』(日本初演)オオサカ
- 1986年6月 二期会・ドニゼッティ『愛の妙薬』ネモリーノ
- 1986年11月 藤原歌劇団・プッチーニ『妖精ヴィッリ』(日本初演)ロベルト
- 1987年6月 民主音楽協会・ロッシーニ『シンデレラ』ドン・ラミロ
- 1987年10月 二期会・ロッシーニ『セビリアの理髪師』アルマヴィーヴァ伯爵
- 1988年2月 藤原歌劇団・ヴェルディ『椿姫』アルフレード
放送
※注記のないものはNHKクロニクルによる[14]。
- 1976年11月3日 NHK-TV 第45回日本音楽コンクール演奏部門受賞者演奏会
- 1980年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート ドニゼッティ『愛の妙薬』から「人知れぬ涙」
- 1981年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート チレア『アルルの女』第2幕から「ありふれた話(フェデリコの嘆き)」
- 1982年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート ドニゼッティ『愛の妙薬』から「人知れぬ涙」
- 1982年8月15日 NHK-TV 芸術劇場 ハイドン『天地創造』指揮:ヴォルフガング・サヴァリッシュ NHK交響楽団
- 1983年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート リヒャルト・シュトラウス『ばらの騎士』から歌手のアリア「きびしさに胸をよそおい」
- 1984年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート ドニゼッティ『愛の妙薬』から「人知れぬ涙」[15]
- 1984年1月3日 NHK-TV ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』1981ウィーン国立歌劇場で録画(オーストリア放送協会制作)指揮:ネルロ・サンティ 演出:オットー・シェンク ウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団 タイトル・ロール:プラシド・ドミンゴ 修道院長(修道僧):山路芳久
- 1985年12月15日 NHK-TV 芸術劇場 マスカーニ『イリス』1985年8月 欧州音楽年日本実行委員会 日生劇場 指揮:井上道義 演出:粟國安彦 新日本フィルハーモニー交響楽団 タイトル・ロール:松本美和子 オオサカ:山路芳久
- 1986年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート(曲目不明)
- 1986年8月31日 NHK-TV 芸術劇場 ドニゼッティ『愛の妙薬』1986年6月 二期会 新宿文化センター 指揮:佐藤功太郎 演出:ヤコボ・カウフマン[13] 東京フィルハーモニー交響楽団 アディーナ:番場ちひろ ネモリーノ:山路芳久
- 1986年12月21日 NHK-TV 芸術劇場 プッチーニ『妖精ヴィッリ』1986年11月 藤原歌劇団 新宿文化センター 指揮:星出豊 演出:粟國安彦[13] 新星日本交響楽団 アンナ:東敦子 ロベルト:山路芳久
- 1987年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート ヴェルディ『リゴレット』より「風の中の羽根のように」[15]
- 1988年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート(曲目不明)
- 1988年3月6日 NHK-TV 芸術劇場 リスト『ファウスト交響曲』NHKホール 指揮:ベリスラフ・クロブチャール NHK交響楽団 独唱:山路芳久 早稲田大学グリークラブ
- 1988年5月15日 NHK-TV メラニー・ホリディ・イン・トウキョウ 指揮:湯浅卓雄 東京フィルハーモニー交響楽団 メラニー・ホリディ 山路芳久
- 1988年9月15日 NHK-TV N響演奏会 リスト『ファウスト交響曲』(再放送)
- 1997年4月21日 NHK-FM クラシックサロン(曲目不明)
- 1997年4月22日 NHK-FM クラシックサロン(再放送)
- 2000年8月13日 NHK-TV 20世紀の名演奏 第八夜・ニッポンの巨匠たち-拓かれた世界への道(曲目不明)
- 2001年1月1日 NHK-TV 20世紀の名演奏 第八夜・ニッポンの巨匠たち-拓かれた世界への道(再放送)
- 2001年7月6日 NHK-FM おしゃべりクラシック(曲目不明)
- 2001年9月23日 NHK-TV N響アワー(収録日不明)新宿文化センター 指揮:ヴォルフガング・サヴァリッシュ NHK交響楽団 ドニゼッティ『愛の妙薬』から「人知れぬ涙」
- 2004年2月29日 NHK-TV 思い出の名演奏 -テノール歌手山路芳久の「人知れぬ涙」
- 2011年5月22日 NHK-TV N響アワー -生誕200年 フランツ・リストの魔術- リスト『ファウスト交響曲』(1988年の再放送)
- 2013年6月7日 NHK-FM DJクラシック 錦織健 の『しゃべくりオペラハウス』ー『愛の妙薬』
ディスコグラフィー
- CD『君を求めて-1977年デビューリサイタル・ライヴ』(1977年3月30日録音、音楽之友社)[3]
- CD『アヴェ・マリア/人知れぬ涙』(1985年1月録音、音楽之友社)[3]
- DVD・ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』(ウィーン国立歌劇場、修道僧役、1981年4月30日収録、2017年9月6日発売、ドイツ・グラモフォン)[16]
伝記
- 日本人歌手ここに在り! -海外に雄飛した歌い手の先人たち 江本弘志著 2005/3/1 文芸社 ISBN 978-4835589220[17]
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- みえ:県政だより.2003年(4月)(225)(三重県、2003-04-01)山路芳久メモリアル・コンサート三重が生んだ世界的名テノール歌手・山路芳久氏(津市出身)の没後15年記念演奏会。氏とゆかりの方々の歌声・演奏を、氏の懐かしい映像とともに贈る。
- 三重県立図書館 (三重県、2016-08)「山路芳久特集 - 第2弾 - 」県生涯学習センター27 平成27年9月27日みえミュージアムセミナー「時空街道を行く」県生涯学習センター 28 平成27年10月8日
脚注
- ^ a b c d e f g “山路 芳久”. コトバンク 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年5月31日閲覧。
- ^ a b c d “山路芳久”. 日本人オペラ名鑑. 2020年5月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “没後20年を記念して、名テノール山路芳久の残した音源を再発売!!”. 音楽之友社. 2020年5月31日閲覧。
- ^ コトバンクではミュンヘン国立歌劇場ののち日本人で二人目のウィーン国立歌劇場の専属歌手となったと記載されているが、山路氏と親しかったと思しきピアニスト今井顕氏のサイトでウィーン→ミュンヘンと記載されているため、後者を採った。
- ^ a b “声楽家 山路芳久「人知れぬ涙」と「初恋」が絶品”. 美術研究室アトリエ・キノチッタのブログ. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “吉田浩之(テノール)”. AMATI. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “山路氏のことなど”. 今井顕. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “山路芳久の歌うドニゼッティ『愛の妙薬』”. 音楽随想. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “星出 豊 演奏歴 その2”. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “歴代入賞者”. 日伊声楽コンコルソ. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “入賞者一覧”. 日本音楽コンクール. 2020年5月31日閲覧。
- ^ Wikipedia「ジロー・オペラ賞」の項目を参照
- ^ a b c “山路芳久”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “番組表検索結果”. NHKクロニクル. 2020年12月1日閲覧。
- ^ a b “NYOC”. users.catv-mic.ne.jp. 2020年12月6日閲覧。
- ^ “ジョルダーノ:歌劇≪アンドレア・シェニエ≫”. TOWER RECORDS. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “日本人歌手ここに在り!”. Amazon. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “山路芳久”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2020年6月1日閲覧。