桑島孝春
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桑島 孝春(くわじま たかはる、 1955年1月31日 - )は、南関東公営競馬・船橋競馬場に所属していた元騎手。現職は地方競馬全国協会参与。北海道浦河出身。息子の和宏は競艇選手[1]。兄の孝明は日本中央競馬会 (JRA) から地方競馬全国協会(NAR)に移籍した経歴のある元騎手。
来歴・人物
初出走は1971年10月17日船橋競馬第7競走(ミスエメラルド)、初勝利は同月19日船橋競馬第6競走(ヤマアラシ)で記録した[2]。1970年代末から1980年代前半にかけて、佐々木竹見に代わって南関東公営競馬のリーディングジョッキーに君臨。南関東クラシック全競走(新設のジャパンダートダービーを除く)で優勝している。南関東を代表する騎手の一人であり、千葉県騎手会会長も務めた[3]。
勝負服の服色は「青、白星散らし、白袖」。自厩舎の馬を常に優先して騎乗した[1]。高松弘之調教師の勇退後に所属した石井勝男厩舎の馬についても、そのほとんどに騎乗していた。
2010年5月7日に5月末限りでの引退を表明[4]、同年5月28日の浦和競馬場での騎乗を最後に引退。6月9日に船橋競馬場にて引退式が行なわれた。騎乗回数40,201回[5]は地方競馬騎手として歴代最高。地方競馬における通算勝利数「4713」[5]は歴代4位(2010年現在)。重賞は86勝[1]。多くのビッグレースでの優勝実績がありながら、南関東公営最大のレースである東京大賞典は未勝利に終わった。
2010年8月1日付けで地方競馬全国協会参与を委嘱され[5]、地方競馬教養センターにて騎手候補生に技術指導を行っている。
2014年9月3日に船橋競馬場で「桑島孝春記念」(A2以下の特別競走)が行われ、自身が表彰式のプレゼンターをつとめた[6]。
受賞歴
- NARグランプリ'92特別賞
- NARグランプリ'99ベストフェアプレイ賞
- 日本プロスポーツ大賞功労賞[7]
おもな騎乗馬
- ロツキータイガー(帝王賞、東京王冠賞、ダイオライト記念、金盃、東京記念、ジャパンカップ2着ほか)
- チヤンピオンスター(帝王賞、大井記念)
- ダーリンググラス(中央競馬招待、金盃)
- プレザント(東京ダービー、東京湾カップ)
- ホワイトアリーナ(桜花賞、関東オークス)
- ヘイワンリーフ(関東オークス、東京プリンセス賞)
- ミスジュディ(東京プリンセス賞)
- ヒノデラスタ(東京ダービー)
- ダイハードコトブキ(羽田盃)
- ニシキノボーイ(東京王冠賞)
- エフチリン(川崎・開設記念)
- スーパーヤマト(全日本三才優駿)
- ヒノデスター(全日本三才優駿、平和賞)
- イチコウタマユキ(スーパーチャンピオンシップ)
- イエローパワー(スーパーチャンピオンシップ)
- ダイニカツハル(ダイオライト記念)
- アクアライデン(ダイオライト記念)
- タイセンルビー(トゥインクルレディー賞、クイーン賞)
- アスキットマジック(ニューイヤーカップ、平和賞)
- シスターエレキング(ロジータ記念)
- ツクバニルコス(平和賞)
- ナショナルスパイ(埼玉新聞杯、川崎記念2着)
- ホクトライデン(全日本アラブ大賞典、アラブ王冠、楠賞全日本アラブ優駿、鎌倉記念)
- ローゼンガバナー(全日本アラブ大賞典、銀盃)
- ホクトエンペラー(全日本アラブ争覇)
- ホクトイツセイ(船橋記念、ワード賞、シルバーカップ)
- ヨシノスカレー(銀盃、船橋記念、報知グランプリカップ、シルバーカップ)
- サリユウムサシ(ワード賞、ブルーバードカップ)
脚注
- ^ a b c 吉川彰彦 (2010年6月18日). “桑島孝春騎手(船橋)の引退に寄せて”. web Furlong 2010. 地方競馬全国協会. 2015年6月18日閲覧。
- ^ “船橋競馬開催4月12日~16日開催のイベント情報”. funa1ブログ (2010年4月9日). 2014年5月31日閲覧。
- ^ 小林光紀. “競走馬として最高の能力を発揮するために~騎乗4万 回達成の桑島氏の講習会 (BTC)~” (PDF). 公益財団法人軽種馬育成調教センター. 2015年6月18日閲覧。
- ^ 南関東最年長・桑島孝春騎手が今月で引退 sanspo.com 2010年5月8日閲覧
- ^ a b c 桑島孝春元騎手に地方競馬全国協会参与を委嘱 - 地方競馬情報サイト
- ^ “レジェンド・桑島孝春元騎手が来場 3日船橋”. サンスポ. (2014年9月3日) 2014年9月5日閲覧。
- ^ “桑島孝春騎手(船橋)が地方競馬通算4,500勝達成(12/29)”. 地方競馬全国協会 (2005年12月29日). 2015年6月18日閲覧。
外部リンク
- 騎手登録情報 - 地方競馬情報サイト