1991年自由民主党総裁選挙

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1991年自由民主党総裁選挙(1991ねんじゆうみんしゅとうそうさいせんきょ)は、1991年10月27日に行われた自由民主党総裁選挙である。

概要[編集]

海部俊樹の総裁退陣を受けて行われた。宮澤喜一渡辺美智雄三塚博の三者が立候補し、金丸信小沢一郎の擁立に固執したが、小沢は固辞した。宮沢、三塚、渡辺三派は竹下派に激しく働きかけ、小沢が三候補と面接し[1]、候補を決めたのは金丸、竹下登、小沢3人だけの協議だった。いったんは渡辺に傾いたが、世論の支持もあった宮沢の支持に落ち着いた。10月11日、竹下派緊急総会で金丸は「宮沢氏をわが経世会が一致して推したい。総裁選で絶大な支援をしていきたい」と表明したが、拍手はまばらだった。宮沢は「勝利が決まった瞬間だった」と振り返り、竹下派の支持が、総理・総裁に直結した時代だった[2]。投票では第4派閥の渡辺が予想を覆して120票を獲得して2位となった。「竹下派の票が流れた」とささやかれた。竹下派は翌年に分裂、翌々年には自民党の分裂と野党転落まで引き起こした。渡辺は宮澤内閣副総理外務大臣になった。なお、この総裁選で三塚派加藤六月は安倍晋太郎死去に伴う後継人事の遺恨から三塚を支持せず(三六戦争)、後に加藤グループを旗揚げしている。

立候補者[編集]

選挙結果[編集]

候補者 得票数
宮澤喜一 285票
渡辺美智雄 120票
三塚博 87票

当選者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 文藝春秋2018年二月号、平成4年 竹下派分裂で小沢総理は幻になった、渡部恒三、元衆議院議員、247-248頁
  2. ^ 最大派閥、最後の決定権 91年(平成3)自民党総裁選 平成Politics30 日本経済新聞2018/8/31