黒沢幸一

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黒沢 幸一(黒澤、くろさわ こういち、1902年明治35年)10月11日[1] - 1977年昭和52年)7月2日[1][2])は、日本の社会運動家、政治家衆議院議員

経歴[編集]

栃木県河内郡上三川町の農家に生まれる[1]1924年日本大学専門部法律科を卒業した[2][注 1]

卒業後は家業に従事し、労農運動に加わる[1]労農党栃木県連合会の結成や、日本大衆党栃木県連合会の結成に加わり、小作争議の指導を行う[1]宇都宮市会議員も務めた[2]1932年、阿久津村事件の首謀者として検挙され懲役3年、また1936年の争議でも検挙され懲役6ヵ月に処せられ服役した[1]

戦後、日本社会党に入党し、同党栃木県連書記長、同会長、栃木県地方労働委員会会長、栃木機械製作所総務部長などを務めた[1][2]1953年4月、第26回衆議院議員総選挙栃木県第一区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[2]。その後、日本社会党栃木県本部顧問となった[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『市民・社会運動人名事典』159頁では大正15年(1926年)卒業。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『市民・社会運動人名事典』159頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』234頁。

参考文献[編集]

  • 『市民・社会運動人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。