麻生和子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
あそう かずこ
麻生 和子
生誕 1915年5月13日
中華人民共和国の旗 中国安東市
死没 (1996-03-15) 1996年3月15日(80歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 ローマ聖心女学院(Trinità dei Monti)
配偶者 麻生太賀吉
吉田茂(父)

麻生 和子(あそう かずこ、1915年大正4年〉5月13日 - 1996年(平成8年)3月15日)は、随筆家。元総理大臣吉田茂の娘で、元総理大臣麻生太郎の母。

生涯[編集]

1915年(大正4年)5月13日、中国の安東に生まれた。父は吉田茂、母は吉田雪子である。

聖心女子学院を卒業、ローマ聖心女学院(Trinità dei Monti)を経て、ロンドン大学に留学する。母の雪子の影響もあり、熱心なカトリックの信者となる。洗礼名は「マリア・ドロテア」である。1936年(昭和11年)の二・二六事件では、反乱軍兵士に襲撃を受けていた祖父の牧野伸顕を銃口に身をもってかばったとされている[1]

1938年(昭和13年)に麻生商店社長の実業家の麻生太賀吉と結婚する。子には、第92代内閣総理大臣麻生太郎と、寛仁親王妃信子がいる。1941年(昭和16年)に、母の雪子が亡くなる。総理大臣に就任した吉田茂に、ファーストレディ代わりとして随行する。後に、映画「小説吉田学校」やドラマ「吉田茂」があるが、吉田茂の子として重要な役柄として登場するのは麻生和子である。1951年(昭和26年)9月8日サンフランシスコ講和条約締結の会議に、首相の吉田茂に私設秘書として随行した。1967年(昭和42年)10月20日、吉田茂の死を看取る。前日に「富士山が見たい」という吉田茂の最後の言葉により、麻生和子は抱き起こしたとされている。吉田茂の葬儀は麻生和子ら親族により東京カテドラルで行われ、後に改めて国葬が行われた。1980年(昭和55年)12月2日、夫の麻生太賀吉が亡くなった。

1986年(昭和61年)11月、勲二等宝冠章を受章する。

1993年(平成5年)12月に、著書「父 吉田茂」が、光文社より出版される。

1996年(平成8年)、死去する。

親族[編集]

演じた女優[編集]

映画

テレビドラマ

舞台

著作[編集]

  • 父 吉田茂(光文社、1993年12月、ISBN-13: 978-4334970840)
    • 文庫版:光文社 知恵の森文庫、2007年9月、ISBN-13: 978-4334784881

脚注[編集]

  1. ^ 1996年03月19日 東京新聞朝刊 社会面【葬送】吉田元首相の三女 麻生和子さん
    昭和十一年の二・二六事件では、牧野伯をかばって襲撃した将兵の銃口に身をさらした
  2. ^ 前者は本公演、後者は新人公演のそれぞれの配役