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飯田町駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飯田町駅
跡地の石碑(2008年6月)
いいだまち
IIDAMACHI
水道橋 (0.5 km)
(0.4 km) 飯田橋
地図
所在地 東京都千代田区飯田橋三丁目10
北緯35度42分8.4秒 東経139度44分55秒 / 北緯35.702333度 東経139.74861度 / 35.702333; 139.74861座標: 北緯35度42分8.4秒 東経139度44分55秒 / 北緯35.702333度 東経139.74861度 / 35.702333; 139.74861
所属事業者 日本貨物鉄道(JR貨物)
所属路線 中央本線
キロ程 3.9 km(東京起点)
電報略号 イヒ
駅構造 高架駅
開業年月日 1895年明治28年)4月3日[1]
廃止年月日 1999年平成11年)3月9日
備考 1933年昭和8)7月15日まで旅客扱いあり
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飯田町駅(いいだまちえき)は、東京都千代田区飯田橋三丁目にあった日本貨物鉄道(JR貨物)中央本線貨物駅廃駅)。

数少ない高架駅の貨物駅だった。

歴史

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開業

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1895年明治28年)に、中央本線を敷設した甲武鉄道の東京側のターミナル駅として開設された。

当時は小石川橋通に面し、現在大和ハウス東京ビルとなっている場所に駅舎があった。その北側、現在中央本線が通っている場所には頭端式ホーム2面2線があり、構内南側には貨物ホームや機関区・客車区などがおかれていた。

1904年(明治37年)8月になると、中野駅まで電化され、国電の元祖と言われる電車運転の始発駅にもなった。

旅客営業廃止

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関東大震災からの復興に際し、1928年(昭和3年)に貨客分離を目的とした複々線化工事が新宿駅 - 飯田町駅間で完成。これに伴い隣の牛込駅と電車線の当駅を統合し飯田橋駅が開業、当駅の電車線の列車発着は無くなった。

その後しばらく長距離列車発着用のターミナルとして営業を続けていたが、1933年(昭和8年)、機能を新宿駅に譲って旅客営業を廃止し、荷物貨物の専用駅となり、旅客ホームなどは同年中の御茶ノ水駅 - 飯田町駅間の複々線化のために取り壊された。なお、旅客営業の廃止後も飯田町客貨車区(イイ、1969年〈昭和44年〉3月1日以降は西イイ)が置かれていた。

飯田町紙流通センター開設

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印刷業新聞社が多く立地する東京の倉庫不足や到着駅の荷役設備の不備を解消するため、到着基地を備えた流通倉庫の整備が計画された。このため、1971年(昭和46年)4月に日本国有鉄道と製紙会社、通運会社の共同出資で株式会社飯田町紙流通センターが設立され、1972年(昭和47年)11月に当駅構内に流通倉庫が完成した[2]。以降、都心のの物流基地として機能するようになり、日本各地からの紙輸送貨物列車が当駅に到着するようになった。なお、流通倉庫は旧貨物ホームに建設されたため、1972年3月に当駅の貨物営業は縮小された。

流通倉庫は5階建てで、1階がトラック用荷捌き場、2階が有蓋車用紙積卸ホーム、3・4・5階が紙保管倉庫となっていた。2階に繋がる紙荷役線は2本あり、小型有蓋車(ワム80000形など)20両編成に対応していた。1日当り10列車200両の取り扱いが可能で、その規模は世界最大と言われていた。

今の飯田橋駅ホームから南側にホームが見えていて飯田橋駅手前から九段下方向に引込線がカーブしておりDE10が貨物の出し入れをしていた。駅は無くなるまで電化されなかった。駅ホームも飯田橋駅と同じ高さの高架になっていた。

廃止

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流通センターは1985年(昭和60年)前後が最盛期で、1986年度の取り扱い実績は貨車4万6,853両となった。

しかし、印刷業や新聞社の印刷工場の郊外移転が進み、JR貨物も車扱貨物コンテナ化を推進したため取扱量は減少に転じた。当駅は軌道負担力の関係でコンテナ車や大型有蓋車が乗り入れられないため、コンテナは周囲の駅で降ろし、流通センターまでトラックで輸送する方式が採られることもあった。

1985年頃の最盛期には1日11本の到着列車があったが、晩年の1996年(平成8年)には2本に減少していた。そして1997年(平成9年)3月に列車の設定が完全に無くなり、1999年(平成11年)3月に駅自体も廃止になった。その後、流通センターも1999年6月に新座貨物ターミナル駅隅田川駅へ移転し、短い27年間の業務を終えた。当駅は、山手線内側に存在する最後の貨物駅だった。

跡地

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本線に隣接する線路の一部は保線基地に転用されたほか、駅の跡地はJR貨物本社ビル(現・大和ハウス東京ビル)および複合施設「アイガーデンエア」として再開発され、オフィスビルや飲食店街、ホテル、高層マンションが建設された。

利用状況

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貨物列車廃止までの近年の貨物取扱量は下記の通り。

年度 総数 車扱貨物 コンテナ貨物 出典
発送トン数 到着トン数 発送トン数 到着トン数 発送トン数 到着トン数
1990年 27,604 753,802 27,604 753,802 [3]
1991年 25,157 734,752 25,157 734,752 [4]
1992年 26,244 607,308 26,244 607,308 [5]
1993年 24,418 592,633 24,418 592,633 [6]
1994年 12,415 460,493 12,415 460,493 [7]
1995年 8,855 306,939 8,855 306,939 [8]
1996年 3,630 140,261 3,630 140,261 [9]
1997年 [10]

年表

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その他

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  • 鉄道博物館内に設けられたミニ運転列車の駅のひとつに、この駅にちなんで飯田町の名が付けられている。

隣の駅

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東日本旅客鉄道(JR東日本)
中央本線
水道橋駅 - 飯田町駅 - 飯田橋駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、173-174頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b “飯田町紙基地きょう開業”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1972年11月1日) 
  3. ^ 第42回東京都統計年鑑 222ページ
  4. ^ 第43回東京都統計年鑑 228ページ
  5. ^ 第44回東京都統計年鑑 222ページ
  6. ^ 第45回東京都統計年鑑 232ページ
  7. ^ 第46回東京都統計年鑑 218ページ
  8. ^ 第47回東京都統計年鑑 236ページ
  9. ^ 第48回東京都統計年鑑 252ページ
  10. ^ 第49回東京都統計年鑑 252ページ
  11. ^ 「機関車宙ぶらりん」『朝日新聞』昭和22年9月29日.2面

関連項目

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外部リンク

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