長谷川清二郎

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長谷川 清二郎(はせがわ せいじろう、1918年[1] - ?)は、将棋棋士[1]。七段[1]石井秀吉門下[1]千葉県[1]の寒川宿[2][3](現在の千葉県千葉市中央区寒川町)出身。

人物[編集]

幼少時から将棋に興味を持ち、アマチュアとして石井秀吉の指導を受けていた[1][3]1935年10月、大阪毎日新聞社が主催した第1回の「全日本アマチュア将棋選手権大会」[3][4][注釈 1]に関東代表[2]として出場し、最年少出場者[2][3]ながら優勝を飾った[1][2][3]。この優勝でプロの棋士となることを決意し[1]1936年に初段[1]1937年に二段[1]1938年に四段[1]となった。その後、1939年には五段[1]1941年には六段[1]に昇段している。

1946年-47年の第1期順位戦の六・七段戦(B級)に出場し、1947年には七段[1]へと昇段した。1947年-48年の第2期順位戦B級にも参加したものの、第3期以降の順位戦には参加していない。

病弱だったようである。1948年3月に将棋大成会(後の日本将棋連盟)が出版した名鑑『現代棋士名鑑:次の名人は誰?』[1]では、「戰爭中から强度の神經衰弱を病み、一時再起を憂慮されたが、終戰後漸次快復に向いつゝあり、徃年の元氣を取戾す日も近く、その活躍を期待されてゐる[1]と紹介されている。日本将棋連盟の月刊誌『将棋世界1956年6月号付録の「現代棋士名鑑」[5]では、「休場、引退棋士」の項に長谷川が記載されている[5]山本武雄1966年に出版した書籍『将棋百年』[6]には、1946年の第1期順位戦に出場した棋士達のその後に関する補足説明があり、そこでは長谷川が後に「再起不能の病気休場[6]となったことが述べられている。

広津久雄は、静岡新聞日曜版に連載していた回想録『静岡将棋誌』で長谷川について言及している[7][8]。長谷川はある時期から対局中の奇妙な行動(新聞紙でしきりに顔を拭ったり、風変わりな作法で煙草を吸ったりするなど)が目立つようになり、他の棋士を困惑させていたという[7][8]。本人と家族の意向で休場せず対局を続けていたが、他の棋士から日本将棋連盟にたびたび苦情が寄せられたため、最終的には連盟の理事会の判断で休場させたという[7][8]

日本将棋連盟公式ウェブサイトの「引退棋士」[9]や「物故棋士」[10]のページに長谷川は記載されていない。日本将棋連盟が1981年以降の将棋年鑑や2018年以降の公式ウェブサイトに掲載している「棋士系統図」[11][12]では、長谷川は退会扱いとなっている[注釈 2]

棋風[編集]

1948年の『現代棋士名鑑』[1]によれば、長考派の受け将棋で「受けの長谷川[1]と呼ばれたという。また同書には「最近病氣快復後は長考から早指しに轉向した觀がある[1]とも述べられている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この1935年10月のアマチュア将棋全国大会は、文献によって名称が異なる。大阪毎日新聞社の『ホーム・ライフ』誌の当時の記事[3]では「全日本アマチュア将棋選手権」、同社の後身である毎日新聞社が2002年に出版した130年史[4]では「全日本アマチュア将棋選手権大会」、『将棋月報』誌の当時の記事[2]では「素人将棋選手権大会」、将棋大成会の1948年の『現代棋士名鑑』[1]では「全日本アマチュア名人戦」となっている。
  2. ^ 「棋士系統図」[11][12]末尾の凡例に「△:引退/▲:退会/●:故人」とあり、図中で長谷川の名前には▲印がついている[11][12]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 将棋大成会出版部(編)「七段 長谷川淸二郎」『現代棋士名鑑:次の名人は誰?』将棋新聞社、1948年3月22日、26頁。国立国会図書館デジタルコレクション、図書館向けデジタル化資料送信サービス参加館限定公開)
  2. ^ a b c d e 「素人将棋選手権大会状況」『将棋月報』第152号、将棋月報社、長野県松本市、1935年11月、 80頁、82頁。国立国会図書館デジタルコレクション、図書館向けデジタル化資料送信サービス参加館限定公開)
  3. ^ a b c d e f 「アマチユア名人長谷川少年の横顏」『ホーム・ライフ』第1巻第5号、大阪毎日新聞社、1935年12月、 74頁。国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館内限定公開)
  4. ^ a b 毎日新聞130年史刊行委員会(編)『「毎日」の3世紀 ― 新聞が見つめた激流130年』毎日新聞社、2002年、別巻126頁。ISBN 4-620-90594-1
  5. ^ a b 「特別附録 現代棋士名鑑」『将棋世界』第20巻第6号、日本将棋連盟、1956年6月、 156頁。国立国会図書館デジタルコレクション、図書館向けデジタル化資料送信サービス参加館限定公開)
  6. ^ a b 山本武雄『将棋百年』時事通信社、1966年、101頁。国立国会図書館デジタルコレクション、図書館向けデジタル化資料送信サービス参加館限定公開)
  7. ^ a b c 広津久雄 (2004年10月31日). “静岡将棋誌(348) 無類の受け将棋 長谷川さんが引退”. 静岡新聞日曜版: p. 7 
  8. ^ a b c 広津久雄 (2006年4月2日). “静岡将棋誌(384) 初代アマ名人・長谷川さん 棋風変え成績向上”. 静岡新聞日曜版: p. 7 
  9. ^ 引退棋士”. 日本将棋連盟. 2019年7月31日閲覧。
  10. ^ 物故棋士”. 日本将棋連盟. 2019年7月31日閲覧。
  11. ^ a b c 「棋士系統図」『将棋年鑑 昭和56年版』日本将棋連盟、1981年8月10日、366-367頁。
  12. ^ a b c 棋士系統図”. 日本将棋連盟. 2019年7月31日閲覧。

関連項目[編集]