野宮神社

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野宮神社
野宮神社の黒木の鳥居
黒木鳥居
所在地 京都府京都市右京区嵯峨野々宮町1
位置 北緯35度01分04秒
東経135度40分27秒
座標: 北緯35度01分04秒 東経135度40分27秒
主祭神 野宮大神(天照皇大神)
社格 村社
創建 (根拠不明)大同4(809)年
例祭 春5月第3・4日曜 秋10月第3日曜
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野宮じゅうたん苔

野宮神社(ののみやじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨野にある神社である。

旧社格は村社で、現在は神社本教の被包括法人となっている。(宗教年鑑参照)

信仰[編集]

学問・恋愛成就・子宝安産等の祭神を祀り地域住民からの崇敬はもとより、観光ルートの便から、他府県または海外からも、多くの参拝者が訪れる。

なお、近年はアジア系観光客が多数を占め、旧来の落ち着きは失われた。

祭神[編集]

攝末社[編集]

(近年までは、松尾大神を祀っていたが、江戸期の都名所図会を元に再興された。)

(上記は、石製基壇上に西向きで本殿両脇に並び建つ)

  • 野宮大黒天(ののみやだいこくてん:白峰弁財天祠前方に建つ)
  • 龍神(りゅうじん:手水鉢脇の井戸)


*境内北部

  • 不明社2棟

(共に小祠で、内1社前には狐像が複数並ぶ。)

(上記は、本殿等が建つ場所から、じゅうたん苔を横目に進んだ所に西向きに並び建つ。)

*境外攝社

(明治期建立の野宮神社旧本殿を社殿とする。)

歴史[編集]

豊鍬入姫命を端とした伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社であると伝えられる。

天皇が代替わりすると、未婚の皇女女王(平均12~13才、最年少2才、最年長で28才)の中より新たな斎王が卜定され、宮中の初斎院で一年間、そして嵯峨野の清らかな場所を選び造営された野宮に入り約一年間潔斎した後に斎宮寮(現在の三重県多気郡明和町)に向かい伊勢神宮での神事に臨んだ。

その時の行列を「斎王群行」といい、平成10(1998)年より毎年10月の例祭において氏子を中心に「斎宮行列」としてその様子を再現している。

野宮の場所は毎回異なっていたが、嵯峨天皇の代の仁子内親王のときから現在の野宮神社の鎮座地に野宮が作られるようになった。

斎王の制度は南北朝時代後醍醐天皇の代の祥子内親王を最後に廃絶し、その後は天照大神を祀る神社として存続していたが、度重なる戦乱の中で衰退した。 (狩野永徳筆、洛外名所遊楽図屏風にも当社が描かれている。)

後に後奈良天皇中御門天皇らの綸旨により再興され、現在まで皇室からの厚い崇敬を受ける。

近年では、昭和55(1980)年3月18日に浩宮徳仁親王殿下、平成6(1994)年2月12日には秋篠宮文仁親王殿下並びに同妃殿下が御参拝された。

境内[編集]

  • 源氏物語賢木」の巻の舞台とされ、謡曲「野宮」の題材ともなっており境内各所に案内板が設けられ授与される御守にも、それらをモチーフにしたものが見られる。
  • 鳥居は樹脂加工がされており、樹皮がついたままのクヌギの原木(徳島県剣山産)を使用し作られた貴重な「黒木の鳥居」で、形としてのみは日本最古の鳥居形式を伝えている。

近年、かなり腐朽がすすんでいる。

また脇に備えられた垣根は、クロモジで作られた小柴垣であり鳥居と共に源氏物語作中での風景描写として描かれた往古の潔斎空間の風情を醸し出している。

  • 苔を用い嵐山を表した美しい庭園として有名な「野宮じゅうたん苔」を始め、モミジ椿石楠花馬酔木等が境内を彩り季節毎に、その表情を変え参拝者を楽しませる。
  • 境内社の野宮大黒天は縁結びの神として有名で、大黒天に参詣し、その横の「お亀石」をさすれば願いが叶うと言われ多くの参拝者の祈願によって美しく黒光りしている。
  • 境内付近に群生する真竹は「野宮竹」と称され、古くは大嘗祭等に使用されたものである。
  • 浩宮徳仁親王殿下の御参拝を記念し植樹されたモミジの脇に建つ社号標は、明治時代の京都の書家、山田永年の揮毫によるもの。
  • 大山弁財天前の庭には、村山古郷作「野宮の竹美しや春しぐれ」の句碑が建つ。
  • 本殿前の賽銭箱は台湾台北一楽園大飯店からの奉納品。

御旅所[編集]

5月の嵯峨祭はここを起点に執行される。

祭礼[編集]

茅の輪
  • 斎宮行列(10月第3日曜)
  • 新嘗祭(11月23日)
  • 除夜祭(12月31日)

交通[編集]

京福電鉄嵐山本線「嵐山駅」下車、徒歩約10分 JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」下車、徒歩約10分

外部リンク[編集]