郡上おどり

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郡上おどり
Gujō Odori
屋形の周りで踊る郡上踊り
屋形の周りで踊る郡上踊り
イベントの種類 祭り
会場 岐阜県郡上市八幡町(郡上八幡

郡上おどり(ぐじょうおどり)は、岐阜県郡上市八幡町(旧・郡上郡八幡町、通称「郡上八幡」)で開催される伝統的な盆踊りである。日本三大盆踊り日本三大民謡郡上節)に数えられる。

歴史[編集]

発祥[編集]

中世の「念仏踊り」や「風流踊り」の流れを汲むと考えられている。

盆踊りとしての体裁が整えられたのは、郡上藩主の奨励によるとされる。江戸時代、初代藩主・遠藤慶隆が領民親睦のため奨励したのが発祥とも、江戸時代中期の藩主・青山氏の時代(1758~)に百姓一揆(宝暦騒動)後の四民融和をはかるため奨励したのが発祥とも伝えられるが定かではない。

江戸時代中期[編集]

1728年享保13年)から17年間飛騨国の代官であった長谷川忠崇が徳川吉宗の命を受けて著した「濃州志」の巻第七踏歌の中で、「転木麿歌(するまうた)」と題して「本土ノ民家於イテ籾オヒク礱也其時ウタフ歌也、郡上ノ八幡出テ来ルトキハ雨ハ降ラネトミノ恋シ(按スルニ濃州郡上ニ八幡町アリ飛州ノ隣国タリ)」と記している。 これは飛騨の地で八幡のことを歌ったもので、郡上の八幡出て行く時は雨も降らぬに袖しぼる~の替え歌と思われ、これが書かれた以前より郡上でこの歌が歌われていたことを物語っている。なお、この歌が踊り歌として歌われていたかは不明である。 1840年天保11年)に書かれた郷中盛衰記によると「延享時代(1744~1747年)までは神社の拝殿が九頭宮(くずのみや)と祖師野[1](そしの)だけにあって盆中は氏子がその拝殿で夜明かしして踊った」と書かれており、この時代より以前から郡上の盆踊りが徹夜で行われていたようである。

1820年[編集]

郡上藩庁より触書「城番年中行事」で「盆中は踊り場所へ御家中末々まで妻子並びに召使いなど出かけていくことはならないと前々より禁じているから、固く心得て決して出かけていってはならない。今後年々この触れを出すことはやめておくが、違反のないように心得ておくこと。」という意味の禁令(条令と御法度の覚書)が発せられた記録がある。これにより当時の武士やその家族の者たちが禁止されているにも関わらず、藩主や役人にこっそり隠れて踊りの輪に加わろうとしていたことが推察できる。

江戸時代後期[編集]

江戸時代後期において城下の盆踊りは、七大縁日が定められて行われていた。七大縁日とは7月16日の天王祭り(八坂神社)・8月1日の三十番神祭(大乗寺)・8月7日の弁天七夕祭り(洞泉寺)・8月14日~16日の盂蘭盆会・8月24日の枡形地蔵祭り(枡形町)である。

1874年[編集]

明治政府により、禁止令が出される。神仏分離政策か近代化政策かの影響と思われる(顛末不明)。

1923年[編集]

大正12年郡上踊り保存会が発足する。初代会長は坪井房次郎。

1929年[編集]

昭和4年8月に保存会16名で松坂屋において東京初公演を行う。

1931年[編集]

昭和6年5月21日に東久邇宮稔彦王が来町し、愛宕公園において郡上踊りの実演を観覧した。この時保存会員十数名は「三百」「かわさき」を踊り、特に三百踊りは所望により二度踊った。

1934年[編集]

昭和9年愛知県名古屋市の新聞社であった新愛知(中日新聞の前身)により読者の投票による「郷土芸術十傑」の懸賞募集があった。 当時、保存会の人々は踊りを発展させるため、出場資格を得る票数を獲得しようと努力し郡上郡内で約四万票、更に郡外で約十万票を集め出場資格を得た。翌昭和10年の名古屋公演は非常に好評であったという。この時2日間の公演の演目は「川崎」「さば」「やっちく」「三百」であった。その様子は名古屋放送局で放送された(11月20日)。 この様にして郡上踊りは地元の人々以外にも次第に知られるようになっていった。

第二次世界大戦中[編集]

毎年8月15日のみ開催を許されていた。1945年8月15日の終戦日にも開催された。終戦日には官憲からの中止勧告があったとの証言があるが、「英霊を慰める」などの理由の下に中止は免れたという。(保存会の事業経過報告書によれば15日は「終戦ノ玉音放送ノ為盆踊休止」となっているので、この日は住民が自然発生的に踊ったものと思われる。)

1952年[編集]

踊り種目「さば」が「春駒」と改称する。

1990年[編集]

平成2年アメリカ合衆国ロサンゼルスフェスティバルで海外初公演。

1991年[編集]

郡上おどり400年祭が開催され7月より11月にわたり、郡上おどり400年祭記念式典、構成劇「郡上節ものがたり」、全国盆踊りフェステバル(全国盆踊りシンポジウム、阿波踊り・花笠踊りとの競演)など、さまざまなイベントが行われた。

2008年[編集]

平成20年6月にカナダトロントで日加修好80周年を記念して「郡上踊りinトロント」が開催された。

開催期間・会場・特徴など[編集]

郡上八幡(岐阜県郡上市八幡町)[編集]

  • 毎年7月中旬から9月上旬まで延べ32夜開催される。
  • 8月1316日は、午後8時から明方まで夜通し踊り続ける「盂蘭盆会(徹夜踊り)」。
  • 寺社の境内・道路・駐車場・公園・広場など、開催日毎に会場を移す。
  • 各開催日は基本的に町内各所での縁日や記念日に由来している。
  • 優秀な踊り手には免許状が発行される。開催日毎に審査対象の1曲を明示し、郡上おどり保存会が選抜する。
  • 4日間の徹夜踊りに来訪する踊り客はおよそ25万人に達する。
  • 毎年年末には翌年の日程が発表される。

名古屋(郡上おどり in 円頓寺)[編集]

毎年9月に、愛知県名古屋市西区那古野円頓寺本町商店街にて開催される。主催者は円楽会2010年から開催されている。

京都(郡上おどり in 京都)[編集]

毎年6月に京都府京都市中京区京都市役所前広場にて開催される。主催者は京都岐阜県人会ほか[2]

東京(郡上おどり in 青山)[編集]

毎年6月に、東京都港区南青山の寺院「梅窓院」の境内で開催される。同寺院が郡上藩主・青山氏の菩提寺であったことに由来する。郡上市から郡上おどり保存会が来訪し、郡上節の生演奏により本場さながらの踊りが繰り広げられる。同時に郡上市の物産展も催される。主催者は青山外苑前商店街振興組合。1994年から開催されている。

踊りの概要[編集]

郡上節を演奏する囃子の一団が乗る屋形を中心に、自由に輪を作り時計回りに周回しながら踊る。会場が街路の場合もあるので、輪は円形とは限らない。踊りには曲ごとに定型がある。振り付けの基本は簡素なので、初心者や観光客でも見様見真似で踊ることができるようになる。装束は男女とも浴衣に下駄履きが標準的だが強制ではない。踊りへの参加は完全に自由で、飛び入りや離脱に規制はない。通常、見物人よりも踊り手の方が圧倒的に多数である。

郡上節[編集]

郡上おどりの際に演奏される囃子を総称して郡上節と言う。

  • 「かわさき」「春駒」「三百」「ヤッチク」「古調かわさき」「げんげんばらばら」「猫の子」「さわぎ」「甚句」「まつさか」の10曲。対応する踊りは、それぞれ異なる。
  • 踊る曲の順番は日によって違う。ただし、「まつさか」は必ず最後に踊る曲になっている。これは、「まつさか」は拍子木と歌のみを伴奏にして踊る曲で終わった後は拍子木を懐に入れて帰って行くことができ、片付けの手間がないために「まつさか」が最後に踊る曲となっている。なお、三味線等は「まつさか」の前の曲が終了した時点で片付けの準備に入る。
  • 囃子の構成は三味線・太鼓・笛の伴奏に唄囃子・返し言葉・掛け声。伴奏がない曲もある。
  • 郡上節が演奏される屋形は可動式の木造2層寺社風構造であり、永年使用される。開催日毎に会場に移動し、適所に設置される。開催期間以外は八幡町内の専用倉庫に保管されている。

文化財指定[編集]

関連施設[編集]

  • 郡上八幡博覧館
郡上おどり開催時期以外にも、通年踊りの実演を見学することができる。郡上おどりの歴史などの展示も常設されている。
  • 郡上八幡旧庁舎記念館
郡上踊り保存会による踊り体験講習が通年開催されている。完全予約制である。通常は団体しか受け付けないが、郡上おどり開催期間中に限って個人参加も可能な講習も設定される。

参考文献[編集]

  • 『歴史でみる郡上おどり』(郡上おどり史編纂委員会・八幡町)1993年(平成5年)12月10日発行
  • 『郡上おどり』(郡上おどり保存会・八幡地域振興事務所産業振興課)2005年(平成17年)4月1日発行

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 祖師野八幡宮のこと(現・下呂市金山町祖師野)
  2. ^ 郡上おどり、笑顔の輪 京都市役所前でイベント 京都新聞 2014年6月7日。

外部リンク[編集]