谷本歩実
獲得メダル | ||
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日本 | ||
柔道 | ||
オリンピック | ||
金 | 2004 アテネ | 63kg級 |
金 | 2008 北京 | 63kg級 |
世界柔道選手権 | ||
銅 | 2001 ミュンヘン | 63kg級 |
銀 | 2005 カイロ | 63kg級 |
銅 | 2007 リオデジャネイロ | 63kg級 |
アジア大会 | ||
金 | 2002 釜山 | 63kg級 |
銅 | 2006 ドーハ | 63kg級 |
アジア柔道選手権 | ||
金 | 2001 ウランバートル | 63kg級 |
金 | 2004 アルマトイ | 63kg級 |
谷本 歩実(たにもと あゆみ、1981年8月4日 - )は、愛知県安城市出身の柔道家、柔道指導者。身長158cm。コマツ所属。
2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピック柔道女子63kg級 金メダル獲得者。血液型はA型。
実妹の谷本育実もコマツに所属する柔道家である。夫はスノーボーダーの鶴岡剣太郎。
経歴
9歳の時から安城柔道教室(または安城柔道クラブ)にて柔道を始める[1]。中学生時には、大石道場に移籍し、週2回稽古を積んでいた。通っていた中学校には柔道部が無かったため陸上部に所属していた。ちなみに、中学の時に50mを6秒5で走ったと述べているが[1]、女子50mの日本記録が6秒47(室内記録)であることを考えると俄かには信じがたい数字と言える[2]。高校は柔道部に所属。筑波大学を卒業後、コマツ柔道部に所属しコマツ社員として週に2回、溜池の本社に出勤していた[3]。現在谷本は服部栄養専門学校で栄養士資格を得るべく学んでいる。
2000年の世界ジュニア選手権では、決勝で後に終生のライバルとなるリュシ・ドコス( フランス)に敗れ銀メダルに終わった。
2004年のアテネオリンピック、女子柔道63kg級に出場。5試合全て一本勝ちで金メダルを獲得。優勝時にコーチの古賀稔彦に抱きつく姿は、観戦者に深い印象を与えた。なお、この大会ではドコスとの対戦はなかった。
2005年のエジプトで行われた世界柔道選手権大会では女子63kg級の決勝でまたしてもドコスに敗れ銀メダルに終わった。2007年のリオデジャネイロで行われた世界柔道選手権大会の女子63kg級では銅メダルを獲得した。
2008年の北京オリンピック女子柔道63kg級に出場。準決勝まで全て寝技による一本勝ちで勝ち上がり、決勝戦では2001年の福岡国際で優勢勝ちして以降7年近く勝っていなかった因縁のドコスと対戦。だが、ドコスが不用意に仕掛けた大内刈りをすかして豪快な内股で投げ飛ばして一本勝ちで優勝、柔道史上初の五輪二大会連続オール一本勝ちによる金メダルを獲得した[4]。コマツ女子柔道部では、2008年から2010年まで主将、プレーイングコーチ(選手兼任コーチ)を兼務。
2009年4月、右膝前十字靭帯を断裂して手術。リハビリ期間中に弘前大学大学院に入学し栄養士資格取得を目指し勉強を始める。術後の状態は良く、2010年11月に千葉で行われる講道館杯で復帰予定であったが、同年8月に現役生活からの引退を決意したことが明らかとなり[5]、9月に開催された2010年世界柔道選手権大会終了後、正式に全日本柔道連盟側に引退の意思を伝え、9月21日に記者会見を開いて正式に引退を表明した[6]。現役引退後はコマツ女子柔道部専任コーチに就任し後進の指導に当たる。
人物
安城市立二本木小学校、安城市立篠目中学校、豊橋市の桜丘高校、筑波大学体育専門学群卒業。
常に一本を取りに行く姿勢と、豪快な投げ技が身上で、とりわけ一本背負投や袖釣込腰を得意技としているため、女三四郎の異名を持つ。一方でアテネオリンピック以後は寝技に活路を見出すなど、試合戦法にも変遷が見られた[7]。
一本柔道を追求していることもあって、柔道人生において9割は一本勝ちをしており、それは生まれ付いての運動神経のよさに加えて柔道特有の努力が重なった結果だと豪語している[8]。しかしその反面、選抜体重別決勝で5度も上野順恵に敗れていることを見ても分かるように、ドコスにさえ通用した一本柔道は上野にだけは最後まで通用しなかった(2007年の体重別決勝では、延長戦に入ってからの小外刈で技ありを取って勝利したものの、一本には至らなかった)。
2008年ベストスマイル・オブ・ザ・イヤーを受賞[9]。
戦績
- 1999年 - 全国高等学校柔道選手権大会 3位
- 1999年 - 全日本ジュニア柔道体重別選手権大会 3位
- 1999年 - 全国女子柔道体重別選手権大会 3位
- 2000年 - ハンガリー国際 2位
- 2000年 - 全日本ジュニア体重別選手権 優勝
- 2000年 - 世界ジュニア柔道選手権大会 2位
- 2000年 - 全国女子柔道体重別選手権大会 2位
- 2001年 - ドイツ国際 3位
- 2001年 - 選抜体重別 優勝
- 2001年 - アジア柔道選手権大会 優勝
- 2001年 - 世界柔道選手権 3位
- 2001年 - グランプリ セビリア 2位
- 2001年 - 福岡国際 優勝
- 2002年 - 選抜体重別 2位
- 2002年 - ワールドカップ国別団体戦 優勝
- 2002年 - アジア大会 優勝
- 2002年 - 福岡国際 優勝
- 2003年 - ドイツ国際 2位
- 2003年 - 選抜体重別 2位
- 2003年 - 講道館杯 優勝
- 2003年 - 福岡国際 2位
- 2004年 - 選抜体重別 優勝
- 2004年 - アジア選手権 優勝
- 2004年 - アテネオリンピック 優勝
- 2005年 - ドイツ国際 2位
- 2005年 - 選抜体重別 2位
- 2005年 - 世界柔道選手権 2位
- 2005年 - 講道館杯 2位
- 2006年 - 選抜体重別 優勝
- 2006年 - ワールドカップ国別団体戦 3位
- 2006年 - アジア大会 3位
- 2007年 - フランス国際 3位
- 2007年 - 選抜体重別 優勝
- 2007年 - 世界柔道選手権 3位
- 2007年 - 嘉納杯 2位
- 2008年 - 選抜体重別 2位
- 2008年 - 北京オリンピック 優勝
- 2008年 - 世界団体選手権 優勝
- 2009年 - ワールドカップ プラハ 優勝
- 2009年 - 選抜体重別 2位
脚注
- ^ a b 「解体新書 谷本歩実」近代柔道 ベースボールマガジン社、2001年6月号、99-102頁
- ^ 日本記録|日本陸上競技連盟
- ^ 『空から日本を見てみよう』 (テレビ東京) 2009年11月26日放送にて、本人のVTR出演より
- ^ 五輪を連覇した日本人柔道家には斉藤仁、野村忠宏、谷亮子、内柴正人、上野雅恵がいるものの、二大会連続で全ての試合で一本勝ちを収めているのは谷本ただ一人である。ちなみに、世界選手権では優勝こそないが、そこで勝った試合は全て一本勝ちによる勝利である。
- ^ 心の準備整わない…五輪連覇の谷本が引退 スポーツニッポン 2010年8月26日付紙面
- ^ 谷本が引退会見「達成感があふれた」 サンケイスポーツ 2010年9月21日閲覧
- ^ 高校3年生の時、オートロックのため寮から締め出された先輩が中に入りたいと言ったため、外から天井に近い上下に開閉する窓を開けたところ、窓の上の桟が体重を支えきれずに破損。尻にガラスが刺さった上に窓から抜け出せなくなり、助けを求めたところ周りはパニックに陥って救急車を呼ぶだけで彼女を窓から出さなかった。やむを得ず窓を拳で割ったところ右腕を怪我。そのため、柔道の練習では左腕での一本背負いの練習しかできなくなり、結果、一本背負いが彼女の得意技となった(ジャンクスポーツより)
- ^ 「特別インタビュー 谷本歩実」近代柔道 ベースボールマガジン社、2010年12月号、48-51頁
- ^ DAIGOと女子柔道・金メダリストの谷本歩実選手がベストスマイル賞を受賞「マイコミジャーナル」2008年11月9日
- ^ KOMATSAU コーポレートコミュニケーション部
- ^ 谷本歩美さん スノボの鶴岡さんと結婚、朝日新聞、2011年8月10日