コンテンツにスキップ

藤原洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふじわら ひろし

藤原 洋
生誕 (1954-09-26) 1954年9月26日(70歳)
日本の旗 日本福岡県北九州市
国籍 日本の旗 日本
出身校 京都大学 理学部
職業 起業家
科学者
活動期間 1977年 - 現在
団体 ブロードバンドタワー代表取締役CEO
インターネット総合研究所代表取締役
株式会社ナノオプトニクス・エナジー取締役会長ファウンダー
株式会社ナノオプト・メディア代表取締役社長
肩書き 宇宙物理学学士
工学博士
公式サイト 藤原洋 (hiroshi.fujiwara.7186) - Facebook
テンプレートを表示

藤原 洋 (ふじわら ひろし、1954年9月26日 - )は、日本の起業家科学者ブロードバンドタワー代表取締役CEOインターネット総合研究所代表取締役、株式会社ナノオプトニクス・エナジー取締役会長ファウンダー、株式会社ナノオプト・メディア代表取締役社長京都大学にて宇宙物理学の学士、東京大学にて工学博士を取得。MPEG技術の標準化に大きな貢献を果たした。

日本IBM日立エンジニアリング株式会社アスキー等を経て、1996年にインターネット総合研究所を設立。同社は1999年に東証マザーズの第1号上場を果たした。2000年にはブロードバンドタワーを設立、2005年に上場した。ブロードバンドタワーは、データセンター(主なクライアントとしてYahoo! JAPAN)、イーコマース事業等を手がける。同氏は合計3社の上場を果たしている。

科学技術をベースとしたベンチャー起業家としての第一人者である[要出典]

経歴

[編集]

福岡県北九州市生まれ。

1977年昭和52年)3月、京都大学 理学部(宇宙物理学科専攻)を卒業。

1977年(昭和52年)4月、日本アイ・ビー・エム株式会社に入社。同年12月、日立エンジニアリング株式会社に入社。

1985年(昭和60年)2月、株式会社アスキーに入社。

1987年(昭和62年)2月、株式会社グラフィックス・コミュニケーション・テクノロジーズに出向、取締役 研究開発本部長に就任。

1988年(昭和63年)9月、米国ベル通信研究所(Bellcore)訪問研究員

1993年平成5年)3月、株式会社グラフィックス・コミュニケーション・ラボラトリーズ出向 常務取締役 研究開発本部長に就任。同年6月、株式会社アスキー取締役に就任。

1996年(平成8年)1月、東京大学より工学博士号を取得。同年12月、株式会社インターネット総合研究所を設立、代表取締役に就任(現任)。

2005年(平成17年)11月、株式会社ナノオプトニクス・エナジーを設立、取締役会長に就任(現任)。

2012年(平成24年)4月、株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEOに就任(現任)。

公職活動

[編集]
  • 内閣府 国民生活審議会 総合企画部会 臨時委員
  • 総務省 ユビキタスネットワーク技術の将来展望に関する調査研究会 構成員
  • 総務省 インターネット基盤委員会 主査代理
  • 総務省 ICT政策タスクフォース メンバー、新たな電波の活用ビジョンに関する検討チーム メンバー、日印ICT成長戦略委員会 委員、周波数オークションに関する懇談会 構成員、新事業創出戦略委員会及び研究開発戦略委員会 合同ワーキンググループ 基本戦略ボード、Beyond 5G推進戦略懇談会 構成員
  • 鳥取県経済成長戦略会議委員 文部科学省 大学共同利用機関法人自然科学研究機構 経営協議会委員
  • 仙台市最高デジタル責任者補佐官
  • 独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学評議会 評議員

学会活動

[編集]

その他の活動

[編集]

慶應義塾大学客員教授、会津大学客員教授、多摩美術大学非常勤講師、名古屋大学非常勤講師、東京大学大学院数理科学研究科客員教授、青山学院大学国際マネジメント研究科特任教授歴任。

現在、SBI大学院大学学長教授、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授(環境エネルギー情報論)、慶應義塾大学大学院SDM研究科研究プロジェクト教授、一般財団法人インターネット協会 理事長、一般社団法人デジタル田園都市国家構想応援団代表理事。中国共産党機関紙「人民日報」の名を冠した月刊誌「人民日報海外版日本月刊」の理事長。

著書

[編集]

監訳

[編集]

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]