菊地雅章

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菊地雅章
別名 プーさん
生誕 1939年10月19日
日本の旗 日本 東京都
死没 (2015-07-07) 2015年7月7日(満75歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル ジャズ
担当楽器 ピアノキーボード
共同作業者 日野皓正
ギル・エヴァンス
ゲイリー・ピーコック
SLASH TRIO
公式サイト POOMANIAC

菊地 雅章(きくち まさぶみ、1939年10月19日 - 2015年7月7日)は、日本のジャズピアニストキーボード奏者。「プーさん」の愛称で親しまれている。実兄の菊地雅春東京藝術大学音楽学部作曲科出身の作曲家。実弟の菊地雅洋も東京藝術大学音楽学部作曲科出身のジャズピアニスト。ベーシスト菊地雅晃の叔父。


来歴[編集]

東京都出身。太平洋戦争中に福島県会津若松市疎開。6歳でピアノを始め、18歳でプロとして活動開始。1960年代には美空ひばり渡辺貞夫日野皓正などと共演。

1968年にはソニー・ロリンズの日本ツアーに帯同し、同年バークリー音楽大学に留学。1969年に帰国。1970年発表のアルバム『Poo-Sun』では、マイルス・デイヴィスが推し進めていたエレクトリック・ジャズの手法を、日本ではいち早く体現。

1970年代にはマル・ウォルドロン(1971)、ジョー・ヘンダーソン(1971)、エルビン・ジョーンズ(1972、1973)、ギル・エヴァンス(1972年7月、1977〜1979年、1980年)、ジョニー・ハートマン(1972)、ソニー・ロリンズ(1974年ボストンでのコンサート)等と共演。また、1972年公開の映画『ヘアピン・サーカス』(監督:西村潔)の音楽も担当。1976年、日野皓正アル・フォスタースティーヴ・グロスマンデイブ・リーブマンとアルバム『WISHES/KOCHI』を録音した。1978年にはマイルス・デイヴィスともセッションを行ったが、その時の音源は今も公式には未発表となっている。この際にアル・フォスター、ジャック・ディジョネットと共演した。

1990年以降、ゲイリー・ピーコック(b)ポール・モチアン(ds)とのピアノトリオ「テザードムーン」を結成し、多くのアルバムを残している。1995年、アルバム『ACOUSTIC BOOGIE』、1996年のツアーでグレッグ・オズビーと共演した。 また、1996年にヘレン・メリルのアルバム『あなたと夜と音楽と』の録音にチャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンと共に参加した。

2015年7月7日、ニューヨークの病院で死去[1]

音楽性[編集]

ビバップに影響を受けたスタイルのもの、1970年代のマイルス・デイヴィスに影響を受けたファンク的な音楽、ピアノ・ソロ作品など多岐に渡る。ジャズ界のみならず、1990年代以降のクラブ・ミュージック・シーンでも高く評価され、DJ KRUSHは「僕がやりたいと思っていた音楽を、マイルス・デイヴィスやプーさんは20年以上も前からやっている」とインタビューで語っている[2]。1990年代後半には、Toshiyuki GotoなどのDJとも共作を行った。

主なユニット[編集]

  • 日野=菊地クインテット - 1967年結成、日野皓正との双頭ユニット。度々再結成している。
  • オールナイト・オールライト・オフホワイト・ブギバンド - 1987年結成、略称AAOBB。
  • テザード・ムーン - 1989年結成。ゲイリー・ピーコックポール・モチアンとのトリオ。
  • SLASH TRIO - 2001年結成。菊地雅晃吉田達也とのトリオ。

注釈[編集]

  1. ^ ジャズピアニストの菊地雅章さん死去 75歳, 朝日新聞社, (2015-07-08), http://www.asahi.com/articles/ASH777CYCH77UTFL00X.html 2015年7月8日閲覧。 
  2. ^ 菊地雅章のソロ・アルバム『ススト』1998年再発時のCDライナーノートより

外部リンク[編集]