盤龍鏡
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盤龍鏡(ばんりゅうきょう)は、古墳時代の鏡の一種[1]。銅鏡の鏡式のひとつである。
概要
[編集]盤龍鏡は、中央の鈕の下から龍と虎の胴体が表れるように半肉彫りで表現された、いわゆる盤龍紋を主要な紋様とする古代の鏡である[2]。この意匠の特徴から「龍虎鏡」とも呼ばれている。また、龍が一頭だけのものや、三頭のものもあり、龍の数に因んで一頭式、二頭式、三頭式と表現される。龍の模様のほかに周囲には銘文がめぐっており、陳是がこの鏡を製作した。陳是という名前で記されているが、師匠への敬意や価値をつけてもらうための模倣品としての記述であるものもある[3]。この鏡を保有する者は高位に就き、富に恵まれるといった内容が記されている。他の例では、「龍は魂を天界に運び、龍は悪鬼を食らう」という意味を持つともいわれている[2]。海獣葡萄鏡や伯牙弾琴鏡などと並び、唐時代の鏡の典型の一種である。
製作
[編集]盤龍鏡は日本列島で作られたか、中国大陸で作られたのか定かではない。日本列島で作られた側の意見は、下記のことが挙げられる。
- 京都府福知山市広峯15号墳で出土した景初四年盤龍鏡の銘文は、陳・公・寿・公は左右逆字、孫は偏と旁が逆になって記載されている[6]。また銘文にある吏人と母人で男女それぞれの人生目標を述べたものは中国大陸ではない[7]。男に関する部分を記載しなかったのは京都府福知山市広峯15号墳の埋葬者が女性だからである[8]。
中国大陸で作られた側の意見は下記のことが挙げられる。
- 魏は卑弥呼へ景初三年に銅鏡100枚おくることを約束したが、急に100枚も作るのは到底無理な話であり、また中国大陸では1つの型で5枚までしか作らない。そのため時間がかかることを考慮し景初四年と記述した[4]。
- 魏の皇帝の制詔には「汝の好物を賜うものなり」とあるから、鏡は特注品である[10]。そのため中国大陸では出土しない。また邪馬台国は魏晋時代に4、5回使いを派遣しておりその度に100枚の鏡を賜れば総計で4、500枚になる[11]。
出土地
[編集]日本列島では、主に古墳時代前半の古墳、とくに前方後円墳で出土している。主な出土地に以下の古墳がある[12]。
- 長法寺南原古墳(京都府長岡京市)
- 広峯15号墳(京都府福知山市)
- 垣内古墳(京都府園部町)
- 西車塚墳(京都府八幡市)
- 椿井大塚山古墳(京都府木津川市山城町)
- 久里双水古墳(佐賀県唐津市)
- 雪野山古墳(滋賀県近江八幡市)
- 諏訪台48号墳(千葉県市原市)
また、中国では、華北地方から東北地方にかけて集中的に分布している[12]。
脚注
[編集]- ^ 盤龍鏡 山梨県
- ^ a b “盤龍鏡”. www.hyogo-koukohaku.jp. 兵庫県立考古博物館加西分館. 2023年11月27日閲覧。
- ^ 『日本出土「魏紀年」四鏡の銘文と字体』福宿孝夫、1991年、24頁。
- ^ a b c d 『堂々日本史23』KTC中央出版、1999年、41-42頁。
- ^ 『謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡』同朋舎出版、1989年、83頁。
- ^ 『福井考古学会会誌』福井考古学会、1987年、30-31頁。
- ^ 『戦後50年後 古代史発掘総まくり アサヒグラフ別冊』朝日新聞社、1996年、44頁。
- ^ 『謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡』同朋舎出版、1989年、196-197頁。
- ^ 『謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡』同朋舎出版、1989年、88頁。
- ^ 『謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡』同朋舎出版、1989年、177頁。
- ^ 『謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡』同朋舎出版、1989年、88-89頁。
- ^ a b “盤龍鏡”. 文化遺産オンライン. 2023年12月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 盤龍鏡 兵庫県立考古博物館 加西分館 古代鏡展示館
- 『堂々日本史23』KTC中央出版、1999年。
- 『戦後50年後 古代史発掘総まくり アサヒグラフ別冊』朝日新聞社、1996年。
- 『謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡』同朋舎出版、1989年。
- 『日本出土「魏紀年」四鏡の銘文と字体』福宿孝夫、1991年。
- 『福井考古学会会誌』福井考古学会、1987年。
- 『鏡と古墳』京都府立山城郷土資料館、1987年。