海洋考古学

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海洋考古学(かいようこうこがく、英語:marine archaeology)は、考古学の一分野であり、人類の海洋環境の利用や、海上活動の歴史を、遺跡遺物を研究して解明する学問である。

概要と位置づけ[編集]

海洋考古学[1]とは、人類の海洋環境への適応の歴史、あるいは人類による海の利用や水上・水辺での活動の痕跡を考古学の方法を用いて研究する学問の総称である。研究のテーマとなるのは、沿岸・島嶼地域を含む海洋環境での、人類の拡散や生活様式、人類史の水産資源の利用や生業、船の利用や、モノの海上輸送、海戦に関わる遺跡などである。

関連分野として、水中遺跡を研究する水中考古学(すいちゅうこうこがく、英語:underwater archaeology)や、さらに沈没船遺跡や水没した都市や港、湖沼、湾、河川沿岸の住居址、農業・産業遺跡を研究する海事考古学(かいじこうこがく、英語:maritime archaeology)があるが、人類の歴史と海洋環境に関わる全ての事象や歴史を対象としている点に大きな特徴がある。

水中遺跡[2][編集]

海洋考古学には、水中遺跡の研究がふくまれる。水中遺跡とは、遺跡全体あるいは一部が、常時または一時的に海面下に水没あるいは湿地、河川、湖沼の水底に形成された遺跡である。ダイビングの進展とともに、海洋考古学は発達した。天文学者エドモンド・ハリー卿は1690年に有名な「ダイビング・ベル(潜水鐘)」をつくった。水上でベルの中に空気を閉じ込めて、ダイバーは海底でその空気を吸ったのである。これによってダイバーたちは海底で作業することができるようになった。今日では、自給空気供給器(スクーバダイビング、英語:scuba diving)での遺跡調査をおこなうことが一般である。

水中遺跡と同様の概念に、国際連合教育科学文化機関が唱える水中文化遺産[3]がある。

海洋考古学の調査[編集]

海洋考古学発掘調査の基本は、陸上の遺跡と同じである。遺跡の位置が沿岸であれば、GPSやトータルステーションで位置記録をおこなう。海洋環境であれば、探査や調査によって、水中遺跡の位置や範囲を確定する。水底地形や底質を把握し、遺跡の立地環境を記録する。必要と判断されれば、発掘調査をおこなう。

保存処理[編集]

海洋環境の遺跡では、木や皮革、そのほかの物質が、腐食や劣化を免れ、良好な状態で出土する場合がある。しかし外気へ曝す時には、乾燥してぼろぼろになってしまわないように科学処理をする必要がある。保存のために色々な方法がとられているが、木材を保存するには、ポリエチレングリコールなどの化学薬品に浸したり、科学薬品を吹き付けたりもする。金属などの物質の処理にも、特殊な方法が必要とされる。処理が完了するまでに、何年も要する場合もある。

海洋考古学と沈没船遺跡[編集]

海洋考古学の遺跡には、難破船(沈没船)が含まれる。さらには、海面の変化や津波などの自然災害のために海底に沈んでしまった都市や港の発掘調査もある。

バタビア号[編集]

バタビア号は1629年西オーストラリア州の西海岸沖で沈没した。船の残骸を発見したのは1961年だったが、発見したのは1972年~1976年である。船内にはこのほか、アジア向けの交易品、青銅製の大砲、銀器などが出土した。

ロスキレ・ヴァイキング船[編集]

デンマークのロスキレ・フィヨルドの海域で1959年、ダイバーが5隻のヴァイキング船を発見した。これは西暦1000年頃、フィヨルドを閉鎖する為に船に石を積み沈没させたものだった。この船の残骸を発掘するときは、周囲にダムをつくり現場から水を除去する方法がとられた。

メアリー・ローズ号[編集]

メアリー・ローズ号は、イギリス、ヘンリー8世キャラック船で、1545年にポーツマスで沈没した。船の残骸は1967年に発見され、1982年に引揚げられた。船内からは数万点の遺物が発見された。

ヴァーサ号[編集]

ヴァーサ号は、1628年に処女航海の時、ストックホルム港で転覆沈没したスウェーデン戦列艦。1956年に海洋考古学者アンデシュ・フランツェーン英語版が発見した。大規模な引揚げ作業が展開されて、1961年に船は元の形のまま引揚げられた。沈没船を徐々に海底から引揚げ、乾ドックに入れ、乾ドックの中で防腐剤を吹き付けた。

ポートロイヤル[編集]

ポートロイヤルジャマイカキングストン近くにあった海賊都市で、17世紀に最もにぎわったが1692年の地震で津波のため2,000人の住人もろとも海中に水没した。都市の大部分は海面下わずか10mのところにあったので、ただちに財宝は引揚げられた。しかし、都市が完全に引揚げられたのは1965年から1968年にかけてであった。その時に3つの建物が完全な形で発見された。

鷹島神崎遺跡[編集]

鷹島神崎遺跡(たかしまこうざきいせき)は、日本の長崎県松浦市鷹島東岸(神崎免)沖にある水中遺跡。1281年、沖合に展開していモンゴル(元王朝)艦隊が暴風雨により甚大な被害を被ったことで知られる戦場地。2012年3月27日に、水中遺跡として初めて国の史跡に指定された

水中考古学者[編集]

脚注[編集]

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脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 木村 淳,小野林太郎,丸山真史編著 (2018). 海洋考古学入門:方法と実践. [S.l.]: 東海大学出版部. ISBN 9784486021711. OCLC 1035567327. https://www.worldcat.org/oclc/1035567327. 
  2. ^ 佐藤 信編 (2017年). “水中遺跡の歴史学 | 山川出版社” (日本語). 歴史と教科書の山川出版社. 2017. https://www.yamakawa.co.jp/product/52366 2018年5月26日閲覧。 
  3. ^ others, The Zen Cart™ Team and. “水中文化遺産 : 勉誠出版” (日本語). bensei.jp. 2018年5月26日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]