田子の浦

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田子の浦田子ノ浦(たごのうら)は、駿河湾西沿岸を指す名称である。万葉仮名では田兒之浦(田兒浦)とある。

概要[編集]

田子の浦橋、1886年にアドルフォ・ファルサーリにより撮影された写真
和歌宮神社
清水区蒲原に所在し、山部赤人を祭神とする

「田子の浦」の名は、古例では万葉集に収められた和歌で広く知られる。万葉集には 「田子の浦」を含む歌が数首確認されているが、その中でも万葉集三のものが良く知られる。

田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける -山部赤人(巻3-318)
昼見れど 飽かぬ田子の浦 大君の 命恐み 夜見つるかも -田口益人(巻3-297)

田口益人の歌の詞書には「駿河の浄見崎に至りて作る歌」とあり、当歌は庵原郡の浄見崎(現在の静岡市清水区)で詠まれた歌である[1]。万葉集では「田兒之浦」(田兒浦)と表記され、また『続日本紀』には多胡浦とある[2][3]。これらの事実から、田子の浦は以下の2つの意味がある。


  1. 万葉集を代表とする古史料に見られる「田子の浦」
  2. 現在の静岡県富士市の「田子の浦港付近」


万葉集が詠まれたような古来の田子の浦は、静岡県静岡市清水区薩埵峠の麓から倉澤由比蒲原あたりまでの海岸を指す[4][5]。例えば前述のとおり『万葉集』に収められた「田子の浦」を含む歌は庵原郡で詠まれている他、『続日本紀』天平勝宝2年(750年)3月10日条には「廬原郡多胡浦浜」とあり、古来の田子の浦が庵原郡に存在していたことが史料的にも示されている[6]

富士市の田子の浦港付近と混同されやすいことから、「山部赤人の歌の田子の浦は蒲原付近である」とあえて明記する例も多い[7]。富士市の現在の田子の浦港付近と必ずしも一致しないという実情は、地元の郷土会などでも認識されている[8]。現在は富士市の田子の浦を指して用いられることが多く、その湾港である田子の浦港は富士市の製紙業を支え、1960年代から1970年代にかけては田子の浦港ヘドロ公害で全国的に有名になった。

脚注[編集]

  1. ^ 『中世日記紀行文学全評釈集成』第七巻52頁、勉誠出版、2004
  2. ^ 『静岡県史資料編4 古代』231号
  3. ^ 新日本古典文学大系1万葉集1』216頁、岩波書店、 1999年
  4. ^ 久保田淳,『富士山の文学』P21-23、文藝春秋、2004
  5. ^ 國學院大學研究開発推進機構日本文化研究所編、『万葉集神事語辞典』-田子の浦、2008
  6. ^ 新日本古典文学大系14 続日本紀 三』、岩波書店、1992年
  7. ^ 『静岡県史跡名勝誌』(大正11年刊の復刻版)、羽衣出版、1992年
  8. ^ 吉原ロータリークラブ会報 (PDF)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]