田中織之進

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田中 織之進(たなか おりのしん、1911年2月27日 - 1978年3月2日)は和歌山県被差別部落出身[1]政治家新聞記者、部落解放運動家。

九州帝国大学法学部[2]読売新聞社政経部次長の時に日本の敗戦を迎え、1947年日本社会党から衆議院議員に当選[2]。この選挙で当選した部落出身議員には、ほかに田中松月松井豊吉吉川兼光加藤静雄宮村又八松本治一郎島田千寿がいた[1]。以後、社会党左派の議員として8選を重ね、日米安保反対派として論陣を張る[2]

1966年、貿易商社の不正輸出事件に絡み東京地検恐喝容疑で起訴され、7年後に無罪が確定[2]。この事件を機に社会党を離れ、無所属となる[2]

かたわら、部落解放全国委員会常任中央委員、部落解放同盟和歌山県連委員長、部落解放同盟常任中央委員、同書記長を歴任[2]参議院松本治一郎、衆議院の八木一男楢崎弥之助田原春次らとともに「解放の議席」の一角を占めた[2]日中友好協会国交回復委員会委員長[2]

出典[編集]

  1. ^ a b 『佐久地域の部落解放運動史』73頁
  2. ^ a b c d e f g h 部落解放同盟中央本部『上杉佐一郎伝』170頁