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[[丹波国|丹波]][[綾部藩]]主[[九鬼隆寛]]の三男。第7代藩主[[九鬼隆由]]の弟。母は[[黒田直邦]]の娘正室は[[日向|日向]][[飫肥藩]]主[[伊東祐永]]の十一女・狩野(於秀)。子は[[九鬼隆張]](長男)。官従五位下[[長門国|長門]]号は'''松翁'''。幼名は仙次郎
'''九鬼 邑'''(くき たかむら)は、[[江戸時代]]中期の[[大名]]。[[摂津国]][[三田藩]]8代藩[[官位]]は[[従五|従五位下]][[長門国|長門]]。九鬼家宗家9代


== 略歴 ==
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== 隆邑の柔術 ==
== 隆邑の柔術 ==
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九鬼松翁により「富貴是長命」と揮毫された長寿を寿ぐ書軸が今日に伝わっている。
九鬼松翁により「富貴是長命」と揮毫された長寿を寿ぐ書軸が今日に伝わっている。

== 系譜 ==
*父:[[九鬼隆寛]](1700-1786)
*母:[[黒田直邦]]の娘
*養父:[[九鬼隆由]](1718-1744)
*正室:狩野 - 於秀、[[伊東祐永]]の十一女
*生母不明の子女
**長男:[[九鬼隆張]](1747-1821)


== 脚注 ==
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2020年9月12日 (土) 00:58時点における版

 
九鬼隆邑
九鬼隆由の墓(兵庫県三田市心月院)
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 享保12年(1727年
死没 文政3年8月5日1820年9月11日
改名 仙次郎、隆邑
別名 松翁(号)
戒名 鶴林院
墓所 東京都豊島区駒込の泰宗寺
官位 従五位下長門守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
摂津三田藩
氏族 九鬼氏
父母 九鬼隆寛黒田直邦
九鬼隆由
兄弟 隆恭隆由隆邑隆貞隆許
永井直行正室、諏訪頼寿室、花房職雍継室
伊東祐永十一女狩野
隆張
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九鬼 隆邑(くき たかむら)は、江戸時代中期の大名摂津国三田藩8代藩主。官位従五位下長門守。九鬼家宗家9代。

略歴

丹波国綾部藩九鬼隆寛の三男として誕生。幼名は仙次郎。号は松翁

寛保3年(1743年)、兄・隆由の死去に際し、その養嗣子として跡を継いだ。天明5年(1785年)11月14日、長男の隆張に家督を譲って隠居し、文政3年(1820年)8月5日に三田で死去した。享年94。法号は鶴林院。墓所は下谷泰宗寺(現在は東京都豊島区駒込に移転)、明治時代に三田の心月院に改葬された。

隆邑の柔術

隆邑は、九鬼隆直滝野遊軒から学んで以来、九鬼家に伝えられていた起倒流柔術を兄・隆由から学び、隆由の死後は鈴木邦教(滝野遊軒の弟子)から同流の柔術を学んだ。

その後、長男の隆張に起倒流を伝え、以降は隆輝まで伝承が続いた。この、九鬼家の家伝となった起倒流の系統は起倒流九鬼派と呼ばれた。

隆邑の90歳の祝賀

隆邑(松翁)は、歴代藩主の中でも最も長命な人物であり、文政2年(1819年)正月19日には90歳の祝賀が行われた。代々三田藩の家老を務めた澤野氏により明治初期に編纂された「九鬼史」(個人蔵)には、

松翁様九十歳御年賀御祝ニ付隆国公ヨリ白銀拾枚鯣壱折御祝被進之 松翁様ヨリ御寿物トシテ御大小一腰被進其外夫々御寿物被進之 右ニ付家中一統ヘ御祝下賜夫々組合ヲ以御祝物献之 御領下餅被下置 廿五廿六日御能拝見被仰付家中男女出頭ス老公ヨリ御染筆ノ石摺一枚ツゝ下賜

とあり、領民には餅が配られ、2日間にわたりが演じられ、家中一同の観能が許された。なお、三田藩にかかる記録類において、能・狂言に関する記載は当該条文のみである。また、当該祝賀の実施場所については、藩主である九鬼隆国が文政元年(1818年)5月19日に三田に帰国し、同3年(1820年)3月24日に参府のため三田を出立しているので、三田城陣屋の藩庁、もしくは三田城陣屋郭内の隆邑の隠居所であった御下屋敷の広間か書院で行われたと考えられる。

九鬼松翁により「富貴是長命」と揮毫された長寿を寿ぐ書軸が今日に伝わっている。

系譜

脚注