「無産者新聞」の版間の差分

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'''無産者新聞'''(むさんしゃしんぶん)は、[[1920年代]]から[[1930年代]]前半にかけて発行されていた[[日本の政治]]新聞。『[[しんぶん赤旗|赤旗]]』(せっき)が発行されるまでの、[[労働者階級]]の立場に立った唯一の[[日本の新聞|新聞]]だった。
'''無産者新聞'''(むさんしゃしんぶん)は、[[1920年代]]から[[1930年代]]前半にかけて発行されていた[[日本の政治]]新聞。『[[しんぶん赤旗|赤旗]]』(せっき)が発行されるまでの、[[労働者階級]]の立場に立った唯一の[[日本の新聞|新聞]]だったとされる<ref name="showashijiten1980">{{Cite book|和書| date = 1980-05 | title = 昭和史事典 | publisher = [[毎日新聞社]] | series = 別冊1億人の昭和史 | page = 370 }}</ref>


== 概要 ==
== 概要 ==
[[1925年]](大正14年)[[9月26日]]創刊。表向きは「無産者新聞社」を発行元とする合法機関紙であったが、実際の発行元は[[日本共産党]]の[[ビューロー (日本共産党)|再建ビューロー]]だった。[[主筆]]には[[ソビエト連邦]]から帰国した直後の[[佐野学]]が就任した。
[[1925年]](大正14年)[[9月26日]]創刊。表向きは「無産者新聞社」を発行元とする合法機関紙であったが、実際の発行元は[[日本共産党]]の[[ビューロー (日本共産党)|再建ビューロー]]だった<ref name="showashijiten1980"/>。[[主筆]]には[[ソビエト連邦]]から帰国した直後の[[佐野学]]が就任した。

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== 脚注 ==
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当初は[[半月刊]]で、[[旬刊]]、[[週刊]]、週5日の発行に変化した。[[労働者農民党 (1928年)|労働者農民党]]の門戸開放や[[中華共和国|中国]]への不干渉を主張したが、[[1929年]](昭和4年)8月に発禁処分を受け、238号で廃刊。『第二無産者新聞』として続刊され、[[1932年]](昭和7年)、96号をもって『赤旗』に吸収された。


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2019年12月5日 (木) 11:39時点における版

無産者新聞(むさんしゃしんぶん)は、1920年代から1930年代前半にかけて発行されていた日本の政治新聞。『赤旗』(せっき)が発行されるまでの、労働者階級の立場に立った唯一の新聞だったとされる[1]

概要

1925年(大正14年)9月26日創刊。表向きは「無産者新聞社」を発行元とする合法機関紙であったが、実際の発行元は日本共産党再建ビューローだった[1]主筆にはソビエト連邦から帰国した直後の佐野学が就任した。

当初は半月刊で、旬刊週刊、週5日の発行に変化した[1]労働者農民党の門戸開放や中国への不干渉を主張したが、1929年(昭和4年)8月に発禁処分を受け、238号で廃刊。『第二無産者新聞』として続刊され、1932年(昭和7年)、96号をもって『赤旗』に吸収された[1]

脚注

  1. ^ a b c d 『昭和史事典』毎日新聞社〈別冊1億人の昭和史〉、1980年5月、370頁。