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'''政党制'''(せいとうせい)とは、ある[[政体]]における[[政党]]間の勢力分布や交渉対立の様相を、一つのシステムとみて把握したものである。 |
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== 政党制の類型 == |
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このような三分法にもとづく政党制理解では、一党制は独裁を、多党制は混乱をもたらすとみなされた。二党制の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]と[[イギリス]]がもっとも優れているとされた。 |
このような三分法にもとづく政党制理解では、一党制は独裁を、多党制は混乱をもたらすとみなされた。二党制の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]と[[イギリス]]がもっとも優れているとされた。 |
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1970年代以後の研究は、 |
1970年代以後の研究は、多党制は必ずしも混乱をもたらさないことが示された。しかしそうした研究成果は広まらず、二党制の賞賛と小選挙区が二党制を生むという説は一般に広く信じられ、現実政治で影響力を持ち続けた。 |
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=== サルトーリの政党制類型 === |
=== サルトーリの政党制類型 === |
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サルトーリの分割法は、うまく機能する民主主義として'''二大政党制'''と'''穏健な多党制'''を取り出した。二大政党制に入れられたのは、イギリス系の[[アングロ・サクソン人|アングロサクソン]]諸国である。穏健な多党制に入れられたのは、[[ドイツ]]のほかに、[[ベネルクス]]三国や[[スカンディナヴィア]]三国などがある。これらの政党制は、イデオロギーの差異が小さいことが共通の特徴である。 |
サルトーリの分割法は、うまく機能する民主主義として'''二大政党制'''と'''穏健な多党制'''を取り出した。二大政党制に入れられたのは、イギリス系の[[アングロ・サクソン人|アングロサクソン]]諸国である。穏健な多党制に入れられたのは、[[ドイツ]]のほかに、[[ベネルクス]]三国や[[スカンディナヴィア]]三国などがある。これらの政党制は、イデオロギーの差異が小さいことが共通の特徴である。 |
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またサルトーリは、[[民主主義]]ではある |
またサルトーリは、[[民主主義]]ではあるものの、政治的には非効率なものとして'''一党優位政党制'''('''一党優位制''')と'''分極的多党制'''を指摘した。典型的な一党優位制としては、[[55年体制]]の[[日本]]、([[ジャワハルラール・ネルー]]、[[インディラ・ガンディー]]下の)[[インド]]がある。分極的多党制に入れられたのは、サルトーリの母国[[イタリア]]のほかには、[[ヴァイマル共和政]]、[[フランス第三共和政]]、[[フランス第四共和政]]などである。これらの政党制は、イデオロギーの差異が大きいことが共通の特徴である。 |
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サルトーリの念頭にあったのは、デュベルジェに対する批判ではなく、その拡張である。デュベルジェは二党制 |
サルトーリの念頭にあったのは、デュベルジェに対する批判ではなく、その拡張である。デュベルジェは二党制が効率的な民主主義であるという結論を出したものの、サルトーリは穏健な多党制も効率的な民主主義であると結論づけた。 |
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様々な批判を受けながらも、この分類法は、[[21世紀]]初めの現在に至るまで、 |
様々な批判を受けながらも、この分類法は、[[21世紀]]初めの現在に至るまで、最も大きな影響力を持つものとして政治学者の間で広く受け入れられている。 |
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* 無党制 |
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*** 一大政党制 |
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まずレイプハルトは、政党制を有効議会政党数を手がかりに、2党制、2.5党制、優位政党のある多党制、優位政党のない多党制の4つに分類した。その上で2党制と2.5党制とを'''多数決型民主主義'''('''ウェストミンスター・システム・モデル''')とし、優位政党のある多党制と優位政党のない多党制とを'''合意形成型民主主義'''('''コンセンサス・システム・モデル''')とした。サルトーリの政党制との関連性は以下の通りである。 |
まずレイプハルトは、政党制を有効議会政党数を手がかりに、2党制、2.5党制、優位政党のある多党制、優位政党のない多党制の4つに分類した。その上で2党制と2.5党制とを'''多数決型民主主義'''('''ウェストミンスター・システム・モデル''')とし、優位政党のある多党制と優位政党のない多党制とを'''合意形成型民主主義'''('''コンセンサス・システム・モデル''')とした。サルトーリの政党制との関連性は以下の通りである。 |
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* 多数決型民主主義 |
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** 二大ブロック制 |
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* 合意形成型民主主義 |
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** 一党優位政党制 |
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** 穏健な多党制 |
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** 原子化政党制 |
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そしてレイプハルトは、多くの面において合意形成型民主主義が優れているという結論を、36か国に及ぶ実証研究の中から「証明」した。レイプハルトによれば、合意形成型民主主義はイギリスに代表される多数決型民主主義 |
そしてレイプハルトは、多くの面において合意形成型民主主義が優れているという結論を、36か国に及ぶ実証研究の中から「証明」した。レイプハルトによれば、合意形成型民主主義はイギリスに代表される多数決型民主主義と比較して、マイノリティ(女性や人種的マイノリティ)の代表性における度合いでは高いことから、「優しい」民主主義がある一方、経済的業績では両者に有意な差がないと主張している。 |
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サルトーリは、このレイプハルトの合意形成型民主主義を「全くついていけない」と再反論している。 |
サルトーリは、このレイプハルトの合意形成型民主主義を「全くついていけない」と再反論している。 |
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デュベルジェは、その後の彼の論文の中で、[[フランス第五共和政]]の事例を取り上げることで、絶対多数制の選挙制度における多党制を推薦するかのような論調を採っている。またサルトーリもフランス第五共和政の[[二回投票制]]をもっとも優れた選挙制度であるという結論を留保つきながら著述している。 |
デュベルジェは、その後の彼の論文の中で、[[フランス第五共和政]]の事例を取り上げることで、絶対多数制の選挙制度における多党制を推薦するかのような論調を採っている。またサルトーリもフランス第五共和政の[[二回投票制]]をもっとも優れた選挙制度であるという結論を留保つきながら著述している。 |
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フランス第五共和政は、 |
フランス第五共和政は、二大政党制と穏健な多党制の中間的な政党制となる'''二大ブロック制'''('''二ブロック的多党制''')である。二つの政党群が政権を競い合い、選挙によって明確に勝者となる政党群が決まる。その政党群の中のリーダー格である政党の党首が首班指名を受けるということをデュベルジェとサルトーリは想定しているようである。 |
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しかし、近年の[[フランス]]では第三勢力の[[国民連合 (フランス)|国民連合]]が台頭してきているほか、イギリスや[[カナダ]]でも伝統的なトーリー・ホイッグ・レイバーが併存している状況となっているため、デュベルジェとサルトーリの想定外の事態になっているとも言えなくもない。[[1993年]]以降のイタリアにおける状況の方が想定に近いものの、サルトーリ自身は小選挙区制と比例代表制の混在している選挙制度は批判している。なお、サルトーリが母国のイタリアで分極的多党制を批判し、二大政党制への変革を求めて選挙制度の改革を推進したことは有名である。 |
しかし、近年の[[フランス]]では第三勢力の[[国民連合 (フランス)|国民連合]]が台頭してきているほか、イギリスや[[カナダ]]でも伝統的なトーリー・ホイッグ・レイバーが併存している状況となっているため、デュベルジェとサルトーリの想定外の事態になっているとも言えなくもない。[[1993年]]以降のイタリアにおける状況の方が想定に近いものの、サルトーリ自身は小選挙区制と比例代表制の混在している選挙制度は批判している。なお、サルトーリが母国のイタリアで分極的多党制を批判し、二大政党制への変革を求めて選挙制度の改革を推進したことは有名である。 |
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[[日本]]の各政党や[[政治家]]も、政党制のあり方に対する支持・不支持を表明している。 |
[[日本]]の各政党や[[政治家]]も、政党制のあり方に対する支持・不支持を表明している。[[国民民主党 (日本 2018-)|国民民主党]]は二大政党制を推奨しており、[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]は穏健な多党制を推奨している。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]は一党優位制を暗に望む政治家([[55年体制]]を知るベテランに多い)と、二大政党制を主張する政治家(若手に多い)が混在しているようである。しかし、当然のことながら、これらは、各党・政治家の利害に大きく影響された主張であると言える。 |
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== 日本の政党制 == |
== 日本の政党制 == |
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戦前は[[立憲政友会]]や[[立憲民政党]]などによる二大ブロック制を経て[[社会大衆党]]などが参加した穏健な多党制であった。 |
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55年体制下における[[日本の政党]]は長らく自由民主党が[[与党]]であり続けた特徴がある。サルトーリらの分析では、55年体制は典型的な一党優位制の状況であった。自由民主党の一党支配が終焉した[[1993年]]以降は日本共産党を除けば、全政党が[[政権]]に参加したことがあるという経緯からみて、戦前以来の穏健な多党制とも言える。また、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]と[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]が[[民由合併|合併]]した[[2003年]]以降は二極対決が実現し、[[2009年]]から二大政党制に移行したとも言える([[2007年]]には[[衆議院]]では自由民主党が第一党、[[参議院]]では民主党が第一党という[[ねじれ国会]]が2009年まで続いたものの、[[2012年]]から再びねじれ国会になり、[[2013年]]まで続いた)。 |
[[55年体制]]下における[[日本の政党]]は長らく[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が[[与党]]であり続けた特徴がある。サルトーリらの分析では、55年体制は典型的な一党優位制の状況であった。自由民主党の一党支配が終焉した[[1993年]]以降は[[日本共産党]]を除けば、全政党が[[政権]]に参加したことがあるという経緯からみて、戦前以来の穏健な多党制とも言える。また、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]と[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]が[[民由合併|合併]]した[[2003年]]以降は二極対決が実現し、[[2009年]]から二大政党制に移行したとも言える([[2007年]]には[[衆議院]]では自由民主党が第一党、[[参議院]]では民主党が第一党という[[ねじれ国会]]が2009年まで続いたものの、[[2012年]]から再びねじれ国会になり、[[2013年]]まで続いた)。 |
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しかし、日本共産党におけるイデオロギーの差異から見て、ずっと分極的多党制であり続けたという議論も成り立ち、特に[[2005年]]から2009年までは顕著な傾向を示した。日本共産党を有為な政党と見るかどうかで、全体をどのように見るかが異なってしまう([[カリフォルニア大学バークレー校]]のロバート・A・スキャラピーノも同意見)。発言者の政治的思惑も絡んで、意見の一致は不可能であろう。定説はないというのが正しいとする見方も根強い。 |
しかし、日本共産党におけるイデオロギーの差異から見て、ずっと分極的多党制であり続けたという議論も成り立ち、特に[[2005年]]から2009年までは顕著な傾向を示した。日本共産党を有為な政党と見るかどうかで、全体をどのように見るかが異なってしまう([[カリフォルニア大学バークレー校]]のロバート・A・スキャラピーノも同意見)。発言者の政治的思惑も絡んで、意見の一致は不可能であろう。定説はないというのが正しいとする見方も根強い。 |
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ただし、全体としては1993年の選挙制度改革を契機に、紆余曲折を経ながらも徐々に二大政党制へ移行しつつあるという見解が最も妥当なところであろう。とはいうものの、日本の場合 |
ただし、全体としては1993年の選挙制度改革を契機に、紆余曲折を経ながらも徐々に二大政党制へ移行しつつあるという見解が最も妥当なところであろう。とはいうものの、日本の場合におけるいわゆる二大政党制は選挙制度改革の所産という性格が強く、さらに選挙制度改革後も日本共産党に加えて、設立母体たる[[創価学会]]の価値観を色濃く反映し独自の政治姿勢を保持し続ける[[公明党]]勢力が厳然と存在していることから、米国や英国流の二大政党制と同列に論じることには批判がある。仮に日本で再び選挙制度が改正されると、極めて人為的に作られた民主党や結党当初より党内対立を抱える自由民主党の分裂も十分に予想され、その時は、再び理念・政策をもとに政党が結集する穏健な多党制へ戻る可能性も指摘されている。また[[自由民主党の派閥]]における[[派閥]]を重んじる日本独特の歴史的背景をもとに、[[キリスト教社会同盟]]という[[地域政党]]も参加した[[ドイツの政党]]における[[キリスト教民主同盟]]・[[ドイツ社会民主党|社会民主党]]・[[自由民主党 (ドイツ)|自由民主党]]の三極対決により続いた'''三大政党制'''の状況に移行する可能性もある<ref>[http://webronza.asahi.com/science/articles/2012120200001.html これからは3大政党+緑――環境政治の時代]</ref>。 |
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2012年の[[第46回衆議院議員総選挙|第46回総選挙]]では、自由民主党・公明党が勝利し政権復帰したが、与党第一党の民主党は比例区では[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]]に及ばず、選挙区を含め辛くも比較第二党を確保した。また、[[2013年東京都議会議員選挙]]では民主党は公明党・共産党をも下回り第四党に転落した。さらに[[第23回参議院議員通常選挙|第23回参院選]]では民主党は比例区で公明党を下回る第三党となり、選挙区議席で比較第二党を確保した。これは55年体制期にも見られなかった'''一大政党制'''の現象であり、自由民主党の一党優位制に回帰したとも言えるだけでなく、分極的多党制に至ったとも言える。 |
2012年の[[第46回衆議院議員総選挙|第46回総選挙]]では、自由民主党・公明党が勝利し政権復帰したが、与党第一党の民主党は比例区では[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]]に及ばず、選挙区を含め辛くも比較第二党を確保した。また、[[2013年東京都議会議員選挙]]では民主党は公明党・共産党をも下回り第四党に転落した。さらに[[第23回参議院議員通常選挙|第23回参院選]]では民主党は比例区で公明党を下回る第三党となり、選挙区議席で比較第二党を確保した。これは55年体制期にも見られなかった'''一大政党制'''の現象であり、自由民主党の一党優位制に回帰したとも言えるだけでなく、分極的多党制に至ったとも言える。 |
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そして[[2017年]]の[[第48回衆議院議員総選挙|第48回総選挙]]では、自由民主党・立憲民主党・[[希望の党]]と[[自公連立政権]]の一翼を担う公明党による三つ巴の三極対決が実現した。 |
そして[[2017年]]の[[第48回衆議院議員総選挙|第48回総選挙]]では、自由民主党・[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]・[[希望の党]]と[[自公連立政権]]の一翼を担う公明党による三つ巴の三極対決が実現した。 |
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== 冷戦後のグローバリゼーション・情報化と政党 == |
== 冷戦後のグローバリゼーション・情報化と政党 == |
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* [[ジョヴァンニ・サルトーリ]]『現代政党学』(普及版)、[[岡沢憲芙]]・川野秀之訳、[[早稲田大学出版部]]、[[2000年]](原著:[[1976年]])。 |
* [[ジョヴァンニ・サルトーリ]]『現代政党学』(普及版)、[[岡沢憲芙]]・川野秀之訳、[[早稲田大学出版部]]、[[2000年]](原著:[[1976年]])。 |
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==関連項目== |
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* [[ウェストミンスター・システム]] |
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* [[合意形成]] |
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* [[包括政党]] |
* [[包括政党]] |
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* [[政党内閣]] |
* [[政党内閣]] |
2018年10月19日 (金) 20:44時点における版
政党政治 |
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Portal:政治学 |
政党制(せいとうせい)とは、ある政体における政党間の勢力分布や交渉対立の様相を、一つのシステムとみて把握したものである。
政党制の類型
デュヴェルジェの政党制類型
1970年代まで、政党制の類型と分析においてもっとも影響力があったのはモーリス・デュヴェルジェの研究であった。彼は政党制を一党制、二党制、多党制に三分し、その中で二党制を称揚した。デュヴェルジェは、政治対立は必ず二者の対立になるものであって、中間的な立場は不自然であるから、二党が対立することが良いと考えた。またデュヴェルジェは、小選挙区制が二党制を生み、比例代表制が多党制を生むという「デュヴェルジェの法則」を提唱した。
このような三分法にもとづく政党制理解では、一党制は独裁を、多党制は混乱をもたらすとみなされた。二党制のアメリカとイギリスがもっとも優れているとされた。
1970年代以後の研究は、多党制は必ずしも混乱をもたらさないことが示された。しかしそうした研究成果は広まらず、二党制の賞賛と小選挙区が二党制を生むという説は一般に広く信じられ、現実政治で影響力を持ち続けた。
サルトーリの政党制類型
1970年代にジョヴァンニ・サルトーリが数とイデオロギー的距離の2つを基準にした政党制類型を提唱し、政治学者に広く受け入れられた。サルトーリはまず政党制を非競合的なものと競合的なものに分け、数とイデオロギー的距離によって分割した。
サルトーリの分割法は、うまく機能する民主主義として二大政党制と穏健な多党制を取り出した。二大政党制に入れられたのは、イギリス系のアングロサクソン諸国である。穏健な多党制に入れられたのは、ドイツのほかに、ベネルクス三国やスカンディナヴィア三国などがある。これらの政党制は、イデオロギーの差異が小さいことが共通の特徴である。
またサルトーリは、民主主義ではあるものの、政治的には非効率なものとして一党優位政党制(一党優位制)と分極的多党制を指摘した。典型的な一党優位制としては、55年体制の日本、(ジャワハルラール・ネルー、インディラ・ガンディー下の)インドがある。分極的多党制に入れられたのは、サルトーリの母国イタリアのほかには、ヴァイマル共和政、フランス第三共和政、フランス第四共和政などである。これらの政党制は、イデオロギーの差異が大きいことが共通の特徴である。
サルトーリの念頭にあったのは、デュベルジェに対する批判ではなく、その拡張である。デュベルジェは二党制が効率的な民主主義であるという結論を出したものの、サルトーリは穏健な多党制も効率的な民主主義であると結論づけた。
様々な批判を受けながらも、この分類法は、21世紀初めの現在に至るまで、最も大きな影響力を持つものとして政治学者の間で広く受け入れられている。
レイプハルトの政党制類型
デュベルジェ、サルトーリらにより、二大政党制が称揚されていた状況に対して、ある側面から批判したのが、アーレンド・レイプハルトである。彼の理論は、政党制を越えて広汎な政治システム全般を取り扱ったものだが、政党制が理論の核とも言える重要性を持ち、またそれが二大政党制の神話を批判する側面があるので、ここに簡単に記す。
まずレイプハルトは、政党制を有効議会政党数を手がかりに、2党制、2.5党制、優位政党のある多党制、優位政党のない多党制の4つに分類した。その上で2党制と2.5党制とを多数決型民主主義(ウェストミンスター・システム・モデル)とし、優位政党のある多党制と優位政党のない多党制とを合意形成型民主主義(コンセンサス・システム・モデル)とした。サルトーリの政党制との関連性は以下の通りである。
- 多数決型民主主義
- 二大ブロック制
- 合意形成型民主主義
- 一党優位政党制
- 穏健な多党制
- 分極的多党制
- 原子化政党制
そしてレイプハルトは、多くの面において合意形成型民主主義が優れているという結論を、36か国に及ぶ実証研究の中から「証明」した。レイプハルトによれば、合意形成型民主主義はイギリスに代表される多数決型民主主義と比較して、マイノリティ(女性や人種的マイノリティ)の代表性における度合いでは高いことから、「優しい」民主主義がある一方、経済的業績では両者に有意な差がないと主張している。
サルトーリは、このレイプハルトの合意形成型民主主義を「全くついていけない」と再反論している。
どの政党制が優れているか
デュベルジェは、その後の彼の論文の中で、フランス第五共和政の事例を取り上げることで、絶対多数制の選挙制度における多党制を推薦するかのような論調を採っている。またサルトーリもフランス第五共和政の二回投票制をもっとも優れた選挙制度であるという結論を留保つきながら著述している。
フランス第五共和政は、二大政党制と穏健な多党制の中間的な政党制となる二大ブロック制(二ブロック的多党制)である。二つの政党群が政権を競い合い、選挙によって明確に勝者となる政党群が決まる。その政党群の中のリーダー格である政党の党首が首班指名を受けるということをデュベルジェとサルトーリは想定しているようである。
しかし、近年のフランスでは第三勢力の国民連合が台頭してきているほか、イギリスやカナダでも伝統的なトーリー・ホイッグ・レイバーが併存している状況となっているため、デュベルジェとサルトーリの想定外の事態になっているとも言えなくもない。1993年以降のイタリアにおける状況の方が想定に近いものの、サルトーリ自身は小選挙区制と比例代表制の混在している選挙制度は批判している。なお、サルトーリが母国のイタリアで分極的多党制を批判し、二大政党制への変革を求めて選挙制度の改革を推進したことは有名である。
日本の各政党や政治家も、政党制のあり方に対する支持・不支持を表明している。国民民主党は二大政党制を推奨しており、社会民主党は穏健な多党制を推奨している。自由民主党は一党優位制を暗に望む政治家(55年体制を知るベテランに多い)と、二大政党制を主張する政治家(若手に多い)が混在しているようである。しかし、当然のことながら、これらは、各党・政治家の利害に大きく影響された主張であると言える。
日本の政党制
戦前は立憲政友会や立憲民政党などによる二大ブロック制を経て社会大衆党などが参加した穏健な多党制であった。
55年体制下における日本の政党は長らく自由民主党が与党であり続けた特徴がある。サルトーリらの分析では、55年体制は典型的な一党優位制の状況であった。自由民主党の一党支配が終焉した1993年以降は日本共産党を除けば、全政党が政権に参加したことがあるという経緯からみて、戦前以来の穏健な多党制とも言える。また、民主党と自由党が合併した2003年以降は二極対決が実現し、2009年から二大政党制に移行したとも言える(2007年には衆議院では自由民主党が第一党、参議院では民主党が第一党というねじれ国会が2009年まで続いたものの、2012年から再びねじれ国会になり、2013年まで続いた)。
しかし、日本共産党におけるイデオロギーの差異から見て、ずっと分極的多党制であり続けたという議論も成り立ち、特に2005年から2009年までは顕著な傾向を示した。日本共産党を有為な政党と見るかどうかで、全体をどのように見るかが異なってしまう(カリフォルニア大学バークレー校のロバート・A・スキャラピーノも同意見)。発言者の政治的思惑も絡んで、意見の一致は不可能であろう。定説はないというのが正しいとする見方も根強い。
ただし、全体としては1993年の選挙制度改革を契機に、紆余曲折を経ながらも徐々に二大政党制へ移行しつつあるという見解が最も妥当なところであろう。とはいうものの、日本の場合におけるいわゆる二大政党制は選挙制度改革の所産という性格が強く、さらに選挙制度改革後も日本共産党に加えて、設立母体たる創価学会の価値観を色濃く反映し独自の政治姿勢を保持し続ける公明党勢力が厳然と存在していることから、米国や英国流の二大政党制と同列に論じることには批判がある。仮に日本で再び選挙制度が改正されると、極めて人為的に作られた民主党や結党当初より党内対立を抱える自由民主党の分裂も十分に予想され、その時は、再び理念・政策をもとに政党が結集する穏健な多党制へ戻る可能性も指摘されている。また自由民主党の派閥における派閥を重んじる日本独特の歴史的背景をもとに、キリスト教社会同盟という地域政党も参加したドイツの政党におけるキリスト教民主同盟・社会民主党・自由民主党の三極対決により続いた三大政党制の状況に移行する可能性もある[1]。
2012年の第46回総選挙では、自由民主党・公明党が勝利し政権復帰したが、与党第一党の民主党は比例区では日本維新の会に及ばず、選挙区を含め辛くも比較第二党を確保した。また、2013年東京都議会議員選挙では民主党は公明党・共産党をも下回り第四党に転落した。さらに第23回参院選では民主党は比例区で公明党を下回る第三党となり、選挙区議席で比較第二党を確保した。これは55年体制期にも見られなかった一大政党制の現象であり、自由民主党の一党優位制に回帰したとも言えるだけでなく、分極的多党制に至ったとも言える。
そして2017年の第48回総選挙では、自由民主党・立憲民主党・希望の党と自公連立政権の一翼を担う公明党による三つ巴の三極対決が実現した。
冷戦後のグローバリゼーション・情報化と政党
冷戦の終了とグローバリゼーション・情報化の進展が政党のあり方にも影響を与えつつある。冷戦後、政党がイデオロギー政党としての性格からプラグマティック政党の性格に変化せざるを得ないという議論もある。いずれにしろ、多くの点で今後世界の政党制が変動する可能性がある。
脚注
参考文献
- ジョヴァンニ・サルトーリ『現代政党学』(普及版)、岡沢憲芙・川野秀之訳、早稲田大学出版部、2000年(原著:1976年)。