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[[File:New York City Opera.jpg|thumb|1965-2011年までニューヨーク・シティ・オペラの本拠地だった、ニューヨーク州立劇場(現:[[ディヴィッド・H・コーク劇場]])]]
{{Portal|クラシック音楽}}
'''ニューヨーク・シティ・オペラ'''({{lang-en-short|New York City Opera}})は、かつて[[アメリカ合衆]]の[[ニューヨーク市]]本拠としていた[[オペラ|オペラ・カンパニー]](歌劇団)。
'''ニューヨーク・シティ・オペラ'''({{lang-en-short|New York City Opera}})は、国[[ニューヨーク市]]の[[マンハッタン]]に本拠を置く[[オペラ|オペラ・カンパニー]](歌劇団)である。略称は頭字語で'''NYCO'''。同社は[[1943年]]から[[2013年]]に[[経営破綻]]するまで活動し、一旦その歴史に幕を下ろすも、[[2016年]]以降は再建計画に基づいて活動を再開している


== 概要 ==
== 概要==
ニューヨーク市長[[フィオレロ・ラガーディア]]に「市民のオペラ」とも称されたこのオペラ会社は1943年に設立された。米国内では、[[メトロポリタン・オペラ]]に次ぐ2番目のオペラ劇団であった<ref name="NYCO">[http://www.cnn.co.jp/showbiz/35037903.html NYシティオペラ、経営難で破産申請へ]</ref>。同社の掲げた目的は、幅広い観衆に手ごろな価格でオペラに接してもらうことだった。また、革新的なレパートリー{{Refnest|group="注釈"|レパートリーとは、劇団や音楽家がいつでも上演できるよう準備してある演目や曲目のこと<ref>「[https://kotobank.jp/word/レパートリー-151851 レパートリーとは]」コトバンク、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より。</ref>。}}選択を製作することを目指し、アメリカの歌手や作曲家のために住処を提供している。この会社はもともと、マンハッタンの西55丁目にある{{仮リンク|ニューヨーク・シティ・センター|en|New York City Center}}の劇場を拠点としていた。その後、1966年から2010年にかけてニューヨーク州立劇場(現:[[ディヴィッド・H・コーク劇場]])の[[リンカーン・センター]]の一部になった。この時期にレパートリーでは秋と春シーズンのオペラを製作し、30以上の学校で4000人の学生に{{仮リンク|アーツ・イン・エデュケーション|en|Arts in education}}{{Refnest|group="注釈"|座学ではなく、実際に芸術に触れる(鑑賞する)ことで、芸術への理解を深めたり文化的感性を養う教育手法のこと。}}・プログラムを提供するなど、幅広い教育とアウトリーチ(訪問広報)活動を維持した。2011年、同社は財政難のためリンカーン・センターを去り、事務所を[[ロウアー・マンハッタン]]の[[ブロード・ストリート (マンハッタン)|ブロード・ストリート]]75番地に移した<ref name=":0">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2011/05/24/arts/music/new-york-city-opera-departure-brings-questions.html |title=City Opera Departure Brings Questions |last=Wakin |first=Daniel J. |date=May 23, 2011 |work=The New York Times }}</ref><ref name=":1">{{cite news|url=http://artsbeat.blogs.nytimes.com/2011/12/06/city-opera-leaving-lincoln-center-will-have-offices-in-lower-manhattan|title=City Opera Leaving Lincoln Center |last=Wakin|first=Daniel J.|date=December 6, 2011 |work=The New York Times}}</ref>。2011-12年と2012-13年のシーズンに、NYCOはブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック([[:en:Brooklyn Academy of Music|BAM]])を含むニューヨーク市内の様々な会場で4つのオペラを上演した<ref>{{cite web |url=http://www.nycopera.com/seasontickets/ |title=2011-2012 Season and Tickets |publisher=New York City Opera |accessdate=November 8, 2011 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111111022451/http://www.nycopera.com/seasontickets/ |archivedate=November 11, 2011 |df=mdy-all }}</ref>。2013年10月1日、緊急の資金調達キャンペーンが不調に終わったことで、同社は[[連邦倒産法第11章|連邦破産法11章]](日本の[[民事再生法]]にあたる)<ref>「[https://kotobank.jp/word/連邦破産法-662316 連邦破産法]」コトバンク、デジタル大辞林の解説より。連邦「破産法」という訳語もこれに基づく。</ref>を申請した<ref>{{cite news|first=Michael|last=Cooper|date=September 29, 2013|url=https://www.nytimes.com/2013/09/30/arts/music/veterans-of-city-opera-proudly-wistful-reflect-as-the-curtain-falls.html?pagewanted=all&_r=1&|title=Veterans of City Opera, Proudly Wistful, Reflect as the Curtain Falls|work=[[The New York Times]]|accessdate=October 7, 2013}}</ref><ref>{{cite news|first=Michael|last=Cooper|title=New York City Opera Announces It Will Close|url=http://artsbeat.blogs.nytimes.com/2013/10/01/new-york-city-opera-announces-it-will-close/|accessdate=October 1, 2013|newspaper=The New York Times|date=October 7, 2013}}</ref>。
[[1943年]]に[[メトロポリタン・オペラ]]に次ぐ2番目のオペラ団として設立された<ref name="NYCO">[http://www.cnn.co.jp/showbiz/35037903.html NYシティオペラ、経営難で破産申請へ]</ref>。


2016年1月、経営破綻(による一部債務)を残して公演を再開する同社の[[連邦倒産法第11章#再建計画|再建計画]]が破産裁判所で承認された時、非営利団体の[[NYCOルネッサンス]]が新たな管理下でこのオペラ会社を復活させた<ref name=NYT20160113>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2016/01/13/arts/music/new-york-city-opera-will-return-and-soon-under-reorganization-plan.html?_r=0|title=New York City Opera Will Return, and Soon, Under Reorganization Plan|author=Michael Cooper|work=[[The New York Times]]|date=January 12, 2016}}</ref><ref name=wsj>{{cite news|url=https://www.wsj.com/articles/judge-oks-city-operas-revival-plan-1452655575|title=Judge OKs City Opera's Revival Plan|work=[[The Wall Street Journal]]|date=January 12, 2016|author=Stephanie Gleason}}</ref>。ヘッジファンド・マネジャーでNYCOの元役員である{{仮リンク|ロイ・ニエダーホファー|en|Roy Niederhoffer}}が率いるこの団体は、2016-17年でのシーズン・オペラを上演する計画を発表した<ref name=NYT20160113 /><ref name=wsj />。最初のオペラは[[プッチーニ]]の『[[トスカ]]』で、2016年1月に[[ジャズ・アット・リンカーン・センター]]のローズ・シアターで上演された<ref name="ReferenceB" /><ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2015/12/03/arts/music/a-group-cedes-its-bid-to-revive-city-opera-to-a-rival.html|title=A Group Cedes Its Bid to Revive City Opera to a Rival|author=Michael Cooper|work=[[The New York Times]]|date=December 2, 2015}}</ref><ref name=NYT20160121>[https://www.nytimes.com/2016/01/22/arts/music/review-tosca-from-nyco-renaissance-puts-a-grand-ambition-to-the-test.html "Review: ''Tosca'', From NYCO Renaissance, Puts a Grand Ambition to the Test] by [[Anthony Tommasini]], ''The New York Times'', January 21, 2016</ref>。
採算を取るためには全てのチケットを600[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]で販売する必要があったが、オペラに親しんでもらう狙いから、最も安い座席は25ドルで販売していた<ref name="NYCO" />。
NYCOはその70年以上の歴史の中で、[[ビヴァリー・シルズ]]、[[シェリル・ミルンズ]]、[[プラシド・ドミンゴ]]、{{仮リンク|マラリン・ニスカ|en|Maralin Niska}}、{{仮リンク|キャロル・ヴァネス|en|Carol Vaness}}、[[ホセ・カレーラス]]、{{仮リンク|シャーリー・ヴェレット|en|Shirley Verrett}}、[[タティアナ・トロヤノス]]、{{仮リンク|ジェリー・ハドリー|en|Jerry Hadley}}、{{仮リンク|キャサリン・マルフィターノ|en|Catherine Malfitano}}、{{仮リンク|サミュエル・レイミー|en|Samuel Ramey}}、{{仮リンク|ジアーナ・ロランディ|en|Gianna Rolandi}}を含む、多くの偉大なオペラ歌手のキャリアの端緒を手助けした。シルズは後に1979年から1989年まで同社の重役を務めた<ref>Tommasini, Anthony. [https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9A06E4D7153EF937A35754C0A9619C8B63&sec=&spon=&pagewanted=2 "Beverly Sills, All-American Diva With Brooklyn Roots, Is Dead at 78"], ''[[The New York Times]]'', July 4, 2007. Retrieved November 6, 2007.</ref>。ニューヨーク・シティ・オペラ出身(NYCOホーム)と呼ばれている最近人気の米国歌手には、{{仮リンク|デイヴィッド・ダニエルズ|en|David Daniels}}、{{仮リンク|マーク・デラヴァン|en|Mark Delavan}}、{{仮リンク|メアリー・ダンリービー|en|Mary Dunleavy}}、{{仮リンク|ローレン・フラニガン|en|Lauren Flanigan}}、{{仮リンク|エリザベス・フトラル|en|Elizabeth Futral}}、{{仮リンク|ベジャン・メフタ|en|Bejun Mehta}}、{{仮リンク|ロバート・ブラバカー|en|Robert Brubaker}}、{{仮リンク|カール・タナー|en|Carl Tanner}}などがいる。


NYCOはまたアメリカ人作曲家の作品を支持しており、伝統的にレパートリーの約3分の1はアメリカのオペラとなっている。同社のアメリカ作品レパートリーには、定評のある作品(例えば、[[ダグラス・ムーア]]の『ベイビー・ドウのバラード』、{{仮リンク|カーライル・フロイド|en|Carlisle Floyd}}の『スザンナ』、[[レナード・バーンスタイン]]の『[[キャンディード]]』)から新しい作品(例えば、{{仮リンク|トーマス・パサティエリ|en|Thomas Pasatieri}}の『朝食の前に』や{{仮リンク|マーク・アダモ|en|Mark Adamo}}の『Little Women』)まで揃っている。アメリカオペラの将来に対するNYCOの責務は、製作途中のオペラが披露される例年の『''Vox, Contemporary Opera Lab''』シリーズで実証されており、プロの歌手とプロのオーケストラによって実演される自分の作品を聞く機会を作曲家たちに与えている。また同社は、時折[[スティーヴン・ソンドハイム]]と[[ギルバート・アンド・サリヴァン]]の作品を含む[[ミュージカル]]や[[オペレッタ]]も製作している。
2005年には東京と[[2005年日本国際博覧会]]に関連して[[名古屋市|名古屋]]で初の海外公演を実施した<ref>[http://www.ny.us.emb-japan.go.jp/jp/i/news63.html ニューヨーク・シティ・オペラ日本公演]</ref>。


== 初期:1943-51年==
[[山田あつし]]が日本人初の指揮者を務めた<ref>[http://www.j-wave.co.jp/original/worldaircurrent/lounge/back/040410/ J-WAVE ANA WORLD AIR CURRENT]</ref>。
NYCOはニューヨーク・シティ・センター・オペラとして設立され、元々はマンハッタンの西55丁目にあるニューヨーク・シティ・センターを本拠地にしていた。
{{仮リンク|ラースロー・ハラース|en|Laszlo Halasz}}がこの劇団最初の監督であり、1943年から1951年までその職務を果たした。大衆が視聴できるオペラにするという会社の目標を考えると、チケットは安価であるべきで、作品は肉体的にも声的にも役割に適した歌手を起用してもっともらしく上演されるべきだ、とハラス氏は確信していた。このため、同社最初のシーズンのチケット価格はわずか2ドル75セント(現在のドル換算で28ドル)という値段となり、会社はその最初のシーズンを予算3万0463ドル(現在のドル換算で4300万ドル)で運営していた。そのような価格だと、会社はメトロポリタン・オペラで楽しめたスター広告を賄うことができなかった。しかしながらハラースは、この会社を若い歌手、特にアメリカ人オペラ歌手にとって重要な舞台にすることにより、この事実を美徳に変えてみせた<ref name="nyt">{{cite news | url=https://www.nytimes.com/2001/10/31/arts/laszlo-halasz-first-director-of-city-opera-is-dead-at-96.html?scp=1&sq=Laszlo%20Halasz%20&st=cse| title=Laszlo Halasz, First Director Of City Opera, Is Dead at 96|work=The New York Times| author= [[Allan Kozinn]]| date= October 31, 2001| accessdate=May 18, 2009}}</ref>。


1944年2月、この会社最初のシーズンに開催したものに[[ジャコモ・プッチーニ]]の『[[トスカ]]』、[[フリードリッヒ・フォン・フロトー]]の『[[マルタ (オペラ)|マルタ]]』、[[ジョルジュ・ビゼー]]の『[[カルメン]]』の製作が含まれていた。{{仮リンク|ドゥソリナ・ジャンニーニ|en|Dusolina Giannini}}、[[ジェニー・トゥーレル]]、{{仮リンク|マーサ・リプトン|en|Martha Lipton}}を含む、数人の著名な歌手がこの最初のシーズンで公演しており、彼らはNYCOデビュー後すぐにメトロポリタン・オペラに引き抜かれた。ハラースがNYCOで起用した他の著名な歌手には、{{仮リンク|フランシス・バイブル|en|Frances Bible}}、{{仮リンク|アデレイド・ビショップ|en| Adelaide Bishop}}、{{仮リンク|デブリア・ブラウン|en|Débria Brown}}、{{仮リンク|マック・ハレル|en|Mack Harrell}}、{{仮リンク|トーマス・ヘイワード (テノール)||en|Thomas Hayward (tenor)|label=トーマス・ヘイワード}}、[[ドロシー・カーステン]]、{{仮リンク|ブレンダ・ルイス|en|Brenda Lewis}}、{{仮リンク|エヴァ・リコヴァ|en|Eva Likova}}、{{仮リンク|レオン・リシュナー|en|Leon Lishner}}、[[レジーナ・レズニック]]、{{仮リンク|ノーマン・スコット (バス)|en|Norman Scott (bass)|label=ノーマン・スコット}}、[[ラモン・ヴィナイ]]、{{仮リンク|フランシス・イーンド|en|Frances Yeend}}らがいる。1945年に、会社はアフリカ系アメリカ人の演者を有する最初の主要な歌劇団になった。 これは[[ルッジェーロ・レオンカヴァッロ]]の作品『[[道化師 (オペラ)|道化師]]』において、{{仮リンク|トッド・ダンカン|en|Todd Duncan}}がトニオとして出演したものである<ref name="nyt" />。{{仮リンク|ローレンス・ウィンターズ|en|Lawrence Winters}}と{{仮リンク|ロバート・マクファーリン|en|Robert McFerrin}}は、同時期に劇団と歌うための著名な別のアフリカ系アメリカ人オペラ先駆者だった。1946年に『[[蝶々夫人]]』でヒロインを務めたソプラノの{{仮リンク|カミラ・ウィリアムズ|en|Camilla Williams}}が、この会社と共に歌った最初のアフリカ系アメリカ人女性となった<ref>Southern, 417</ref>。<!-- ウィンターズとウィリアムズの後日談はNYCOと直接関係しないので略。-->
2013年10月[[連邦倒産法第11章]]の適用を申請して70年の歴史に幕を下ろした。


NYCOのあるべき姿に関する自身の強い信念があって、ハラースは会社の取締役会と激しく対立する関係になった。その一つに、彼はオペラをアメリカの観客がより視聴しやすくするため、外国語作品を英語で上演する考えを支持した。彼は毎シーズン最低1つの製作を英語で提供することを主張した。ハラースと役員会の間で最も緊張が生じた問題は、アメリカの作曲家による新しい作品と聴くことが稀なオペラを当オペラハウスで上演するというハラースの約束事だった。
== 関連項目 ==
* [[メトロポリタン・オペラ]]


1946年10月10日、同社によって公開された最初のニューヨーク市初公演は[[リヒャルト・シュトラウス]]の『[[ナクソス島のアリアドネ]]』で、[[エラ・フレシュ]]が主役、{{仮リンク|バージニア・マクワッターズ|en|Virginia MacWatters}}が踊り子ツェルビネッタ、{{仮リンク|ジェイムズ・ピーズ|en|James Pease}}が音楽教師の配役だった。当時の報道では、その製作は「記録破り」と書かれており<ref name="montreal">{{cite web|url=https://news.google.com/newspapers?nid=1946&dat=19461126&id=LDMjAAAAIBAJ&sjid=HJkFAAAAIBAJ&pg=3363,4350627|title=Strauss Created New Orchestra in Writing His Operad ''Ariadne''|work=[[Montreal Gazette]]|date=November 26, 1946|accessdate=2019-02-10}}</ref>、それによってこの会社が「地図上に」掲載された<ref name="playbill">{{cite news | author=Rebecca Paller | title=Homecoming | url=http://www.playbillarts.com/features/article/5348-Homecoming.html | work=[[Playbill]] | date=October 12, 2006 | accessdate=December 13, 2011}}</ref>。 NYCOは次いでアリアドネを[[モントリオール]]のヒズ・マジェスティーズ劇場(現:ハー・マジェスティーズ劇場){{Refnest|group="注釈"|ハー・マジェスティーズは「女王陛下」と言う意味。英国ロンドンの[[ハー・マジェスティーズ劇場]]がよく知られているが、同名の劇場が世界各地にあり、これはカナダのモントリオールにあるもの。}}へ出張し、同オペラのカナダ初公演を行った<ref name=montreal />。
== 脚注 ==
{{reflist}}


本拠地で最初となる世界初公演は1949年、[[ウィリアム・グラント・スティル]]の『{{仮リンク|災いの島|en|Troubled Island}}』であった。それは特にアフリカ系アメリカ人によって作曲された、主要なオペラハウスで製作された最初の[[グランド・オペラ]]とされている<ref name="nyt" />。1949年秋、不調に終わった1921年のシカゴ初公演以来アメリカでは見られなかった、[[セルゲイ・プロコフィエフ]]の喜劇オペラ『[[三つのオレンジへの恋]]』をNYCOが復活させた。{{仮リンク|ウラジミール・ロジング|en|Vladimir Rosing}}が監督したこの新作は大当たりして、追加で2シーズンにわたって興行が行われた<ref>"''The Love for Three Oranges'': A Slaphappy Fairy Tale Makes a Smash-Hit Opera", ''Life Magazine'', November 1949.</ref>。
== 外部リンク ==

*{{Official|http://www.nycopera.com}}
また同年、ハラースは1950年にNYCOによって上演される{{仮リンク|デビッド・タムキン|en|David Tamkin}}の『[[ディブック]]』の世界初公演を予定していた。しかしながら、NYCO役員会はこの決定に反対し、最終的にこの製作は経済的理由で延期された。それでもハラースは1951-52年のシーズンに含めるべく作業を再スケジュールした。ハラースの大胆なレパートリー選択に不安を感じ、1951年にNYCO役員会は、自分達の承認を受けるためハラースに自身のレパートリー計画を提出するよう主張した。結果として、彼は[[ジャン・モレル]]を含む彼の指揮スタッフのメンバー数名および彼の最終的な後継者[[ヨーゼフ・ローゼンシュトック]]と[[ユリウス・ルーデル]]の2人と共に脱退した。 大半の制作スタッフの脱退に直面して、役員会は仕方なく引き下がり、1951年10月4日にニューヨークで『ディブック』の世界初公演がNYCOで行われた。しかしハラースと役員会の間の緊張は高いまま残り、ハラースが労働組合紛争に巻き込まれた1951年末に、役員達は彼を解雇した<ref name="nyt" />。

== ローゼンシュトックとラインスドルフ:1952-57年==
ハラースが解雇された後、NYCO役員会は会社の指揮者として既に働いていた[[ヨーゼフ・ローゼンシュトック]]を新たな監督に指名した。彼はその職務を4シーズン勤め、その間に彼は珍しいレパートリーでの革新的プログラムを予定するハラースの手法に、標準的な作品を織り交ぜ続けた。特に彼は世界初公演で[[アーロン・コープランド]]の 『{{仮リンク|入札地|en|The Tender Land}}』、ニューヨーク初公演で[[ウィリアム・ウォルトン]]の『{{仮リンク|トロイラスとクレシダ|en|Troilus and Cressida}}』、米国初公演で[[ゴットフリート・フォン・アイネム]]の 『{{仮リンク|審判 (オペラ)|en|Der Prozeß (opera)}}』と[[バルトーク・ベーラ]]の『[[青ひげ公の城]]』を上演した<ref name="time">{{cite news | url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,866739,00.html| title=New Man at the Center| work=[[Time (magazine)|TIME]]| date= January 9, 1956| accessdate=May 18, 2009}}</ref>。ローゼンシュトックはまた、劇団のレパートリーにミュージカルを組み入れた最初のNYCOの監督で、1954年に[[ジェローム・カーン]]と[[オスカー・ハマースタイン2世]]の『[[ショウボート (ミュージカル)|ショウボート]]』を製作、これにブロードウェイのベテランミュージカルとソプラノのオペラ歌手{{仮リンク|ヘレナ・ブリス|en|Helena Bliss}}が出演した。この決定は報道陣に笑いものにされたが、上演されたそのミュージカルが本拠地を満員にしたことでローゼンシュトックは正当性を実感した。一方で、[[ガエターノ・ドニゼッティ]]の劇場公演で当時滅多に聞けないオペラ『{{仮リンク|ドン・パスクワーレ|en|Don Pasquale}}』が、劇場の席の35%しか売れなかった<ref name="nyt2">{{cite news | url=https://www.nytimes.com/1993/07/25/arts/classical-music-city-opera-turns-50-but-who-s-counting.html?pagewanted=4| title=Classical Music; City Opera Turns 50, But Who's Counting?|work=The New York Times| author= [[Allan Kozinn]]| date= July 25, 1993| accessdate=May 18, 2009}}</ref>。
1956年1月、NYCO役員会はローゼンストックの辞任を承認した。予約や商談など、音楽以外の仕事に直面させられることが多すぎたので辞めたと彼は述べた。役員会は、メトロポリタン・オペラや[[クリーヴランド管弦楽団]]や[[ロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団]]の指揮者を務めていた[[エーリヒ・ラインスドルフ]]を、代役として任命した<ref name="time" />。ラインスドルフは1シーズンだけこの会社に在籍した。1956年シーズンでの現代的で珍しい作品の彼の野心的なプログラムがNYCOの財政問題を和らげることに失敗した後に彼は解雇され、報道陣からの厳しい批判を浴びることとなった。報道陣は、[[ジャック・オッフェンバック]]の新作『[[地獄のオルフェ]]』と[[カール・オルフ]]の『[[月 (オペラ)]]』のアメリカ初公演を特に気にかけなかった。主役に{{仮リンク|フィリス・カーティン|en|Phyllis Curtin}}を、Blitch牧師として{{仮リンク|ノーマン・トレイグル|en|Norman Treigle}}を配した{{仮リンク|カーライル・フロイド|en|Carlisle Floyd}}のプロとしての最初の作品『{{仮リンク|スザンナ (オペラ)|en|Susannah}}』で、ラインスドルフはひとつ大きな勝利を掴んだ。この製作は観客と評論家の両方にとって決定的な成功であり、そしてこのオペラはアメリカの古典となっている<ref name="nyt2" /><ref name="nyt3">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/1956/11/04/archives/cliff-hanger-peril-and-heroics-mark-story-of-city-center.html?sq=%2522New+York+City+Opera%2522+%2522Erich+Leinsdorf%2522&scp=39&st=p|title=Cliff Hanger; Peril and Heroics Mark Story of City Center|work=The New York Times|author=[[Howard Taubman]]|date= November 4, 1956|accessdate=May 18, 2009}}</ref>。

== ルーデル:1957-79年==
[[File:Interior of the New York State Theater at Lincoln Center (view from the stage - February 12, 2006).jpg|thumb|ステージから見たニューヨーク州立劇場(現:ディヴィッド・H・コーク劇場)の観客席ホール]]
ラインスドルフが解雇された後、NYCO役員会は1957年の春シーズンを取り止め、最終的に同社の新しい最高責任者(general director)として[[ユリウス・ルーデル]]を任命した。ルーデルは大学を卒業した直後の1944年にNYCOに雇われ、そこで13年間指揮スタッフとして働いていた。ルーデル主導の下、この会社は標準的な作品と冒険的な作品の両方を上演したことで高い評価を引き出し、新たな芸術的高みに到達した。同社はその最先端の舞台演出で知られるようになり、それはこれまでオペラに関わったことのなかった著名な監督を劇場へ引き抜くというルーデルの意欲によるところが大きかった。1960年代半ばまでに、同社は米国で有数のオペラ歌劇団の1つと一般的に見なされていた<ref name="nyt4">{{cite news | url=https://www.nytimes.com/2006/10/19/arts/music/19rude.html| title=City Opera's Great Innovator Returns, Baton at the Ready |work=The New York Times| author= [[Anne Midgette]]| date= October 19, 2006| accessdate=May 20, 2009}}</ref>。

シティ・オペラでの任期中、ルーデルはアメリカのオペラに強いこだわりを示し、12のお試し公演と19の世界初公演をもたらした。彼はまた、1966年2月22日にリンカーン・センターのニューヨーク州立劇場(現:[[ディヴィッド・H・コーク劇場]])でNYCOの新本拠地のこけら落としのため、テナー歌手の[[プラシド・ドミンゴ]]を配した[[アルベルト・ヒナステラ]]の『{{仮リンク|ドン・ロドリーゴ|en|Don Rodrigo}}』を含む、多数の米国初公演を行った<ref>{{cite web|url=https://www.nytimes.com/2016/03/06/arts/music/protecting-alberto-ginastera-from-oblivion.html|title=Protecting Alberto Ginastera From Oblivion|first=William|last=Robin|date=March 2, 2016|publisher=|accessdate=May 12, 2017|via=NYTimes.com}}</ref>。その同じシーズンに、同社は[[フランシス・プーランク]]の『[[カルメル会修道女の対話]]』のニューヨーク初公演を行った<ref name="nyt4" />。

前任者と同じく、ルーデルは若いアメリカ人の才能に注視しており、アメリカ人歌手を数世代にわたって育成する手助けをすることに責任感を持っていた。彼がキャリア育成した歌手の中には、バスバリトンの{{仮リンク|サミュエル・レイミー|en|Samuel Ramey}}とリリコ・スピント・ソプラノ{{Refnest|group="注釈"|オペラにおけるソプラノは声質や歌唱法によって細かく分類され、叙情的で甘い性格をもつ表現がソプラノ・リリコ。さらにリリコは、声質の重い・軽いによる分類があり、重い声質がリリコ・スピントと呼ばれる<ref>「[https://kotobank.jp/word/ソプラノ-90319 ソプラノとは]」コトバンク、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より。</ref>。}}の{{仮リンク|キャロル・ヴァネス|en|Carol Vaness}}がいた。彼の最も適切な決断の1つは、[[ビヴァリー・シルズ]]との芸術的パートナーシップを形成したことで、1956年から1979年のステージ引退まで彼女をNYCOの主要ソプラノにした<ref name="nyt4" />、ただし劇団との最初の公演のため1955年にヨーゼフ・ローゼンシュトックが彼女を雇ったことは記しておくべきだろう。NYCOと共にシルズが最初の大成功を収めたのは、同社が上演した最初の[[ヘンデル]]のオペラで1966年の『[[エジプトのジュリアス・シーザー|ジュリオ・チェーザレ]]』におけるクレオパトラの配役<!-- この時の相手役が{{仮リンク|ノーマン・トレイグル|en|Norman Treigle}}-->であった。当時はヘンデルのオペラが製作されることは稀で、その製作は国際的報道機関から多くの注目を集めた。シルズはすぐに世界中のあらゆる主要なオペラハウスで出演することになった。シルズは自身の国際的キャリアで忙しかったが、彼女は自らの引退までNYCOでの正規出演者であり続けた<ref name="nyt5">{{cite news | url=https://www.nytimes.com/2007/07/02/arts/03cnd-03Sills.html?scp=2&sq=beverly%20sills&st=cse| title=Beverly Sills, Acclaimed Soprano, Dies at 78 |work=The New York Times| author= [[Anthony Tommasini]]| date= July 2, 2007| accessdate=May 20, 2009}}</ref>。1970年、ルーデルの仕事でより芸術面でのスケジュールを空けるため、{{仮リンク|ジョン・サイモン・ホワイト|en|John Simon White}}がNYCOの経営監督(managing director)に任命された。ホワイトは1980年までその職務にいた<ref name="ON">{{cite web|url=http://www.operanews.com/operanews/templates/content.aspx?id=11450|title=Obituaries: John Simon White|work=[[Opera News]]|date=February 2002|accessdate=2019-02-10}}</ref>。
<!-- イギリスだとmanaging directorは社長だが、米国オペラ劇団に関するこの文脈では「音楽・芸術面以外での事務経営を管理する監督者」にあたる。-->
== シルズ:1979-88年==
[[File:Beverly Sills by Van Vechten.jpg|thumb|1956年の[[ビヴァリー・シルズ]]。[[カール・ヴァン・ヴェクテン]]撮影。]]
1979年、シルズのステージ引退により、彼女はNYCOの最高責任者(general director)としてルーデルの後を継いだ。シルズにとって当初の計画はそのポストをルーデルと共有し、そしてゆっくりと彼を追いやるものだった。しかし、ルーデルは[[バッファロー・フィルハーモニー管弦楽団]]の音楽監督という地位に就くために1979年に辞任することを決め、それでシルズが完全にそのポストに就いたのである<ref name="nyt5" />。

シルズが自分の役職に就いた当時、NYCOはやや低迷しており、300万ドルの借金を抱えていて、好意的レビューのより少ない数シーズンが到来していた。ビジネス面で、シルズは資金調達に対して驚くべき才能を見せ、会社にとって天の恵みであることを証明した。彼女が役職を退いた1989年初頭までに、彼女は会社の予算を900万ドル(現在のドル換算で3100万ドル)から2600万ドル(現在のドル換算で5300万ドル)に増やし、300万ドル(現在のドル換算で600万ドル)の剰余金という黒字を会社に残した。彼女はこれを達成した一方で、新規および若年層の観客を引き付けることを願って、チケット価格を20%引き下げている<ref name="nyt5" />。

== キーン:1989-95年==
[[File:New York State Theater atrium by David Shankbone.jpg|thumb|ディヴィッド・H・コーク劇場の遊歩道]]
1989年にシルズが最高責任者を引退すると、彼女の強い推奨に基づいて指揮者{{仮リンク|クリストファー・キーン|en|Christopher Keene}}が後任となった。キーンは1970年以降NYCOで指揮者を務め、1982年から1986年までNYCOの音楽監督を務めていた。キーンは任期中に、批評家と共に成功した革新的なオペラシーズンを一貫して提供した。彼の最後のシーズンには、[[黛敏郎]]の『[[金閣寺 (小説)|金閣寺]]』と{{仮リンク|ヨスト・マイヤー|fr|Jost Meier}}の『[[ドレフュス事件]]』の米国初公演が含まれていた。彼の死の1か月前、ピーター・G・デイビスは『''[[:en:New York (magazine)|New York ]]''』に「キーンは、多くの勇気ある行動、個人的と同時に芸術的な功績のおかげで、ニューヨークが残した数少ない正真正銘の文化的英雄の一人である」と記した<ref name="nyt6" />。

キーンは、エイズに起因するリンパ腫のため48歳で死去するまでその地位に就いていた。彼の最後のシティオペラでの公演は、1995年9月に[[パウル・ヒンデミット]]の『[[画家マティス (オペラ)]]』だった<ref name="nyt6">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/1995/10/09/arts/christopher-keene-is-dead-head-of-city-opera-was-48.html?scp=3&sq=Christopher+Keene&st=nyt|title=Christopher Keene Is Dead; Head of City Opera Was 48|work=The New York Times|author=[[James R. Oestreich]]|date= October 9, 1995|accessdate=May 20, 2009}}</ref>。

== ケロッグ:1996-2007年==
1996年にキーンの後任となったのは{{仮リンク|グリマグラス・オペラ|en|Glimmerglass Festival}}の最高責任者にして美術監督のポール・ケロッグだった。
彼の主導の下、NYCOはアメリカの作曲家によるいくつかの世界初公演を含む62の新しい作品をそのレパートリーに加え、「''Vox:Showcasing American Composers''(米国人作曲家を披露する)」シリーズを開始した。ケロッグはまた、NYCOをヘンデル、[[グルック]]、[[ラモー]]などのバロックの巨匠によるオペラの重要な製作者として確立することにも尽力し、これら長い間無視されてきた作品への新たな関心に火をつけた。 特筆すべき功績は高く称賛された[[カウンターテナー]]の{{仮リンク|ベジャン・メフタ|en|Bejun Mehta}}とソプラノの[[エイミー・バートン]]主演による、2007年におけるヘンデルの『[[オルランド (ヘンデル)|オルランド]]』の製作である<ref name="nyt7">{{cite news|url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=940CE3DC113FF937A35752C0A96F9C8B63&sec=&spon=&pagewanted=2|title=Toward A Leaner, Bolder City Opera|work=The New York Times|author=[[Anthony Tommasini]]|date= January 4, 2009|accessdate=May 20, 2009}}</ref><ref name="nyt8">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2005/09/15/arts/music/15oper.html?scp=4&sq=Paul%20Kellogg&st=cse|title=Paul Kellogg to Quit as Head of City Opera|newspaper=[[The New York Times]]|author=Daniel J. Wakin|date=September 15, 2005|accessdate=May 20, 2009}}</ref>。NYCOの「市民のオペラ」という伝統に沿って、2005年にケロッグは割引価格チケットでのNYCOイベント「オペラ・フォー・オール(みんなのためのオペラ)」を開催した<ref>{{cite web|url=http://www.newyorker.com/magazine/2005/10/24/fresh-faces|title=Fresh Faces|author=|date=|website=The New Yorker|accessdate=May 12, 2017}}</ref>。
ケロッグは2007年に引退を発表した。[[ニューヨーク・タイムズ]]の{{仮リンク|アンソニー・トマシーニ|en|Anthony Tommasini}}は、ケロッグは「誇れるだけの革新と実績の記録を持っていた。会社の使命を定めて実行するのに効果的な舞台芸術機関のリーダーはほとんどいない」とコメントした<ref name="nyt9">{{cite news | url=https://www.nytimes.com/2007/05/06/arts/music/06tomm.html| title=At City Opera, An Innovator Bows Out|work=The New York Times| author=Anthony Tommasini| date= May 6, 2007| accessdate=July 21, 2010}}</ref>。9月11日の[[アメリカ同時多発テロ事件]]の直後、ニューヨーク市長[[ルドルフ・ジュリアーニ]]の要請で2001年9月15日に(シーズンオペラを)開幕するというケロッグの決定を、トマシーニは「2001年における最も有意義な音楽の日」と呼んだ。その後、2001年のNYCO開幕日と2009年10月シーズンが、21世紀の最初の10年間におけるニューヨークの音楽シーンを象徴するものとして使われた<ref>{{cite news | url=https://www.nytimes.com/2001/12/30/arts/the-year-in-review-music-of-necessity-thoughts-turned-to-purpose-and-relevance.html| title=The Year in Review: Of Necessity, Thoughts Turned To Purpose And Relevance|work=The New York Times| author=Anthony Tommasini| date= December 30, 2001| accessdate=July 21, 2010}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.nytimes.com/2010/01/03/arts/music/03community.html?scp=1&sq=Ten%20Years%20of%20Opening%20the%20Tent&st=cse| title=Ten Years of Opening the Tent|work=The New York Times| author=Anthony Tommasini| date= January 3, 2010| accessdate=July 21, 2010}}</ref>。

===Vox,現代オペラ・ラボ===
「Vox, Contemporary Opera Lab (現代オペラ・ラボ)」(またはVox:Showcasing American Composers(米国人作曲家を披露する)でも知られる)は現代アメリカのオペラの発展に捧げられた毎年のコンサートシリーズである。1999年にニューヨーク・シティ・オペラによって設立されたこの祭典は、プロの歌手と音楽家とで上演される自分達の作品の抜粋を聞く機会を、作曲家や脚本家に提供した。各祭典にて、製作途中にあるオペラの事前抜粋が最大12作品上演された<ref>[http://www.vox-nyco.com/html/about.html ] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20090331225912/http://www.vox-nyco.com/html/about.html |date=March 31, 2009 }}</ref>。
{{仮リンク|リチャード・ダニエルプール|en|Richard Danielpour}}の『{{仮リンク|マーガレット・ガーナー|en|Margaret Garner (opera)}}』を含め、Voxで提供されたオペラの多くはニューヨークシティオペラや他の様々なオペラ会社によって完全製作として上演された<ref>{{cite news| url=https://www.nytimes.com/2009/04/26/arts/26weekahead.html | work=The New York Times | title=The Week Ahead: April 26 - May 2 | date=April 26, 2009 | accessdate=May 20, 2010}}</ref>。2006年から、Vox公演は[[ニューヨーク大学]]のスカーボールセンター・フォー・パフォーミングアーツで行われた<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2006/05/05/arts/music/05vox.html?_r=1&oref=slogin|work=The New York Times|title=At Vox 2006, City Opera Presents Excerpts From Works in Progress|first=Anthony|last=Tommasini|date=May 5, 2006|accessdate=May 20, 2010}}</ref>

== 空白期:2008-09年==
2009年に最高責任者兼美術監督として初の公式シーズンを始める予定だった[[ジェラール・モルティエ]]が突然辞任した2008年11月、[[継続企業の前提]]に関する注記が付された。同社は「我々が気付いた今日の経済情勢は、我々の計画進行を再考させることになった」と発表した。モルティエは年間予算6000万ドルを約束されたと報道されていたが、経済情勢のためこれが3600万ドルに削減された。新たな最高責任者の採用を含む、戦略転換について役員会に助言するため{{仮リンク|マイケル・カイザー|en|Michael Kaiser}}が任命された<ref>{{cite news | url=http://www.metoperafamily.org/operanews/news/pressrelease.aspx?id=1551 | title=Following Mortier Fallout, New York City Opera Retains Turnaround Adviser Michael Kaiser | work=[[Opera News]] | date=November 20, 2008 | accessdate=December 14, 2008}}</ref>。
[[ディヴィッド・H・コーク劇場]](旧:ニューヨーク州立劇場)は、2008-09シーズン中に大改修を行っていた。その工事期間中、同社はリンカーンセンターの本拠地でオペラを上演しなかった。代わりに、ニューヨーク・シティ・オペラは2009年1月に[[カーネギー・ホール]]で[[サミュエル・バーバー]]の『[[アントニーとクレオパトラ]]』のコンサート版を上演し、市周辺の他のコンサートやプログラムと同様、ニューヨークの公立学校でプレゼンテーション授業を続けた<ref name="nyt7" />。2009年、同社は{{仮リンク|ションバーグ黒人文化研究センター|en|Schomburg Center for Research in Black Culture}}で3つのコンサート(「''I'm On My Way''」「''Black History at City Opera, One Fine Day''」「''A Tribute to Camilla Williams''」)を行ったほか、[[ウィリアム・グラント・スティル]]の『{{仮リンク|災いの島|en|Troubled Island}}』を60周年記念コンサートの製作とした<ref>[http://pressroom.nycopera.com/pr/nycopera/news/new-york-city-opera-and-the-schomburg-center-for-research-in-black-culture-collaborate-.aspx] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20131019091707/http://pressroom.nycopera.com/pr/nycopera/news/new-york-city-opera-and-the-schomburg-center-for-research-in-black-culture-collaborate-.aspx |date=October 19, 2013 }}</ref>。

2009年6月、ブルームバーグはこの会社が2008年6月までの1年間で赤字1100万ドルを背負ったと報道した。収益は23%減少の3290万ドル、支出が11%増加で4420万ドルとされた<ref>Philip Boroff (June 1, 2009): [https://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20670001&sid=agoLPgXaoo.A "New York City Opera Ran Up $11 Million Deficit as Sales Dropped"], [[Bloomberg L.P.]]. Retrieved on June 6, 2009.</ref>。

== スティール:2009-13年==
2009年1月、同社は{{仮リンク|ジョージ・スティール (音楽家)|en|George Steel (musician)|label=ジョージ・スティール}}を総支配人(general manager) 兼美術監督に任命し、2009年2月1日に体制を発足すると発表した<ref name="Daniel J. Wakin">{{cite news | url=https://www.nytimes.com/2009/01/15/arts/music/15oper.html | title=City Opera Names Steel as General Manager | newspaper=[[The New York Times]] | author=Daniel J. Wakin | date=January 14, 2009 | accessdate=January 15, 2009}}</ref>。ニューヨークタイムズ紙は当時「多くの人が(NYCOを)国内で2番目に重要なハウス(オペラ劇場)だと考えている」と報じた<ref name="Daniel J. Wakin"/>。

2009年1月に、スティールが会社の方針転換を試みるためオペラの舵取りを依頼された時<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2009/01/15/arts/music/15oper.html|title=City Opera Names Steel as General Manager|newspaper=[[The New York Times]]|accessdate=2016-01-20}}</ref>、同社は一連の財政的経営的打撃を受けていた<ref name="online.wsj.com">{{cite web|last=Maloney |first=Jennifer |url=https://online.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303342104579101212218246746 |title=Drama Behind City Opera - WSJ |website=Online.wsj.com |date=2013-09-27 |accessdate=2016-01-20}}</ref>。数百万ドルという赤字の10年<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2011/06/19/arts/music/new-york-city-operas-recent-history.html?pagewanted=all|title=New York City Opera's Recent History|newspaper=[[The New York Times]]|accessdate=2016-01-20}}</ref>、2008-09年の「ダーク」シーズン(すなわち、上演したオペラ公演のない時期)、巨額の累積赤字を完済するための会社基金の枯渇<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2013/10/12/business/ransacking-the-endowment-at-new-york-city-opera.html?_r=0|title=Ransacking the Endowment at New York City Opera|newspaper=[[The New York Times]]|accessdate=2016-01-20}}</ref>、[[リーマン・ショック|2008年の市場崩壊]]、役員会による予算およびシーズン規模の大幅削減、主導者のいない長期間の後に総支配人になる予定だったジェラール・モルティエの突然の辞任<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2008/11/08/arts/music/08oper.html|title=Bold Impresario and City Opera Part Ways|newspaper=[[The New York Times]]|accessdate=2016-01-20}}</ref>(その前の最高責任者ポール・ケロッグは2007年に辞任)<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2005/09/15/arts/music/15oper.html?module=Search&mabReward=relbias%3Aw&_r=0|title=Paul Kellogg to Quit as Head of City Opera|newspaper=[[The New York Times]]|accessdate=2016-01-20}}</ref>。
スティールのもと2009-2010年のシーズン中に、この会社はアメリカのオペラからの抜粋で構成した「American Voices」と呼ばれる夜開催のプログラムに戻った。このシーズンには、[[ヒューゴー・ワイズガル]]の『{{仮リンク|エステル (オペラ)|en|Esther (Weisgall opera)|label=エステル}} 』の復活上演や、[[モーツァルト]]の『[[ドン・ジョヴァンニ]]』の新作も含まれていた。2010年3月に開催した春のシーズンには、{{仮リンク|マーク・ラモス|en|Mark Lamos}}が監督する[[エマニュエル・シャブリエ]]の『{{仮リンク|エトワール(オペラ)|en|L'étoile (opera)|label=エトワール}}』と、アンドリュー・チョーンが監督する[[ヘンデル]]の『{{仮リンク|パルテノペ (オペラ)|en|Partenope|label=パルテノペ}}』(オリジナル制作は{{仮リンク|フランシスコ・ネグリン|en|Francisco Negrin}}が監督したもの)が含まれていた。また同社は、ションバーグ黒人文化研究センターおよび{{仮リンク|オペラ・ノワール・オブ・ニューヨーク|en|Opera Noire of New York}}との共同作業で、「''Opera at the Schomburg''」「''A Tribute to Robert McFerrin''」 「''[[:en:X, The Life and Times of Malcolm X|X, The Life and Times of Malcolm X]]''」を含め、アフリカ系アメリカ人の歴史におけるオペラの役割に光を当て続けた<ref>[http://pressroom.nycopera.com/pr/nycopera/news/new-york-city-opera-and-the-schomburg-149936.aspx] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20120305103739/http://pressroom.nycopera.com/pr/nycopera/news/new-york-city-opera-and-the-schomburg-149936.aspx |date=March 5, 2012 }}</ref>。2010年4月、NYCOの「Vox, 現代オペラ・ラボ」は、ニューヨーク大学にて新興作曲家および定評ある作曲家の新作を特集した<ref>[http://pressroom.nycopera.com/pr/nycopera/news/new-york-city-opera-champions-153910.aspx] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20120305103758/http://pressroom.nycopera.com/pr/nycopera/news/new-york-city-opera-champions-153910.aspx |date=March 5, 2012 }}</ref>。
2010-11年シーズンには、{{仮リンク|クリストファー・オルデン|en|Christopher Alden (director)}}が監督した[[レナード・バーンスタイン]]の『{{仮リンク|静かな場所|en|A Quiet Place (opera)}}』の新作が含まれていた。ほか {{仮リンク|レオン・メジャー|en|Leon Major}}が監督した[[リヒャルト・シュトラウス]]の『{{仮リンク|インテルメッツォ (オペラ)|en|Intermezzo (opera)|label=インテルメッツォ}}』、そして[[ジョン・ゾーン]]の『''La Machine de l'être''』、[[アルノルト・シェーンベルク]]の『[[期待 (オペラ)|期待]]』、そして[[モートン・フェルドマン]]の『{{仮リンク|~でもなく|en|Neither (opera)}}』という3つの単独1幕作品からなる『モノドラマ』と題された新作もあった。ブロードウェイミュージカルのベテラン作曲家{{仮リンク|ステファン・シュワルツ|en|Stephen Schwartz (composer)}}による最初のオペラ『{{仮リンク|雨の午後の降霊祭 (オペラ)|en|S?ance on a Wet Afternoon (opera)}}』の米国初公演も上演された<ref>{{cite web|url=https://www.nytimes.com/2011/04/21/arts/music/seance-on-a-wet-afternoon-at-city-opera-review.html|title='S?ance on a Wet Afternoon' at City Opera - Review|first=Anthony|last=Tommasini|date=April 20, 2011|publisher=|accessdate=May 12, 2017|via=NYTimes.com}}</ref>。
さらに、同社は以下のような幾つかのコンサート公演を行った。「{{仮リンク|クリスティン・ブルーワー|en|Christine Brewer}}との夕べ」「''Lucky To Be Me:レナード・バーンスタインの音楽、{{仮リンク|ジョン・ゾーン|en|John Zorn}}&仲間と共に<!-- 英文では、仲間の具体名もカッコ内で列挙されているが割愛。Laurie Anderson, Lou Reed, Mike Patton, Marc Ribot, Dave Douglas, and Uri Caine-->''」、[[モーリス・センダック]]台本による[[オリヴァー・ナッセン]]の『[[かいじゅうたちのいるところ]]』の家族オペラコンサート、そして「''Defying Gravity:ステファン・シュワルツの音楽、[[クリスティン・チェノウェス]]と{{仮リンク|ラウル・エスパルザ|en|Ra?l Esparza}}と共に''」<ref>[https://www.nytimes.com/2010/03/10/arts/music/10opera.html NYCO 2010/11 Press release, ''[[The New York Times]]'', March 10, 2010]</ref><ref>[http://pressroom.nycopera.com/pr/nycopera/news/20th-century-opera-takes-center-154809.aspx] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140319193846/http://pressroom.nycopera.com/pr/nycopera/news/20th-century-opera-takes-center-154809.aspx |date=March 19, 2014 }}</ref>。2011年5月、同社はリンカーン・センターを離れて経費を節約し、今後のシーズンを市内の様々な会場で行うと発表した<ref>{{cite web|url=http://www.operanews.com/Opera_News_Magazine/2011/5/News/New_York_City_Opera_to_Depart_Lincoln_Center.html|title=Opera News - Struggling New York City Opera Announces Intention to Depart Lincoln Center|author=|date=|website=www.operanews.com|accessdate=May 12, 2017}}</ref>。
ビジネス面で、このオペラ劇団はスティールの任期の下で途方もない変化を遂げ、彼の任期中は予算のバランスが取れて、会社の寿命を延ばした。これらの変化は、ここ10年以上における初めての{{仮リンク|均衡予算|en|balanced budget}}となり、2011-12年の完売シーズンに繋がるものとなった<ref name="online.wsj.com" />。
会社を救うためにスティールが苦心して採用した一部の措置は論争を引き起こした、こじれたものの最終的に成立したオーケストラと歌手を代表する労働組合との契約交渉<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2012/01/18/nyregion/new-york-city-opera-and-union-reach-deal.html?module=Search&mabReward=relbias%3Aw|title=New York City Opera and Union Reach Deal|newspaper=[[The New York Times]]|accessdate=2016-01-20}}</ref>やオペラ劇団がリンカーン・センターから離脱したこと等だが、それは財政的な必要性からのものであった<ref name="online.wsj.com" />。会社は10年以上にわたってリンカーン・センターを去る案を公に討議していたが<ref>{{cite news|last=Tommasini|first=Anthony|url=https://www.nytimes.com/2003/08/19/arts/critic-s-notebook-a-chance-for-opera-the-city-and-city-opera.html?module=Search&mabReward=relbias%3Aw|title=Critic's Notebook ? A Chance For Opera, The City and City Opera|location=New York City|newspaper=[[The New York Times]]|date=2003-08-19|accessdate=2016-01-20}}</ref>、さもなくばオペラ劇団を閉鎖せざるを得ないという経済的現実による同社の最終的な出発には、賞賛と懐疑的意見との賛否両論が起こった<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2013/04/27/arts/music/city-opera-might-do-best-at-city-center.html?pagewanted=all&_r=0|title=City Opera Might Do Best at City Center|newspaper=[[The New York Times]]|accessdate=2016-01-20}}</ref>。芸術的な成功、資金調達の記録、そして会社のビジネスモデルへの劇的な変化にもかかわらず、最終的にこのオペラ劇団は経営破綻へと転落した。

== 経営破綻:2013-15年==
2013年10月1日、ニューヨーク・シティ・オペラは2013-14シーズンを継続するための十分な資金調達ができなかったとして、ニューヨーク南部地区の米国破産裁判所に[[連邦倒産法第11章|連邦破産法11章]]を申請した<ref>{{cite web|url=https://www.theguardian.com/world/2013/oct/01/new-york-opera-files-bankruptcy |title=New York City Opera to shut down after failing to meet $7m funding goal |work=The Guardian |accessdate=October 2, 2013}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.billboard.com/articles/news/5740742/new-york-city-opera-to-file-for-bankruptcy |title=New York City Opera To File For Bankruptcy |work=Billboard |accessdate=October 2, 2013}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.npr.org/blogs/deceptivecadence/2013/10/02/228171680/chronicle-of-a-death-foretold-new-york-city-opera-shuts-its-doors |title=Chronicle Of A Death Foretold: New York City Opera Shuts Its Doors |work=[[NPR]], [[Morning Edition]] |accessdate=October 2, 2013}}</ref><ref name="nytimes.com">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2015/10/07/arts/music/plan-to-revive-new-york-city-opera-has-creditors-backing.html|title=Plan to Revive New York City Opera Has Creditors Backing|newspaper=[[The New York Times]]|accessdate=2016-01-20}}</ref>。同社最後の製作は、[[マーク=アンソニー・タネジ]]の『{{仮リンク|アンナ・ニコル|en|Anna Nicole}}』の米国初公演となった。<!-- この事例はショーンレーン裁判官の前であった。-->

[[ニューヨーク・タイムズ]]記事において、音楽評論家のアンソニー・トマシーニは同社の2013年経営破綻の理由の1つを(他の失敗した芸術団体と関連づけて)次のように指摘した。

<blockquote>要は、芸術的な優秀さが十分ではなかったのである。どのような機関でも、大小や新旧を問わず、明確な芸術的ビジョン、観客や地域社会とつながる目的を持っていなければならない。 しかし、その舞台芸術は利益を生み出す努力では決してなかった。駆け出しの弦楽四重奏楽団から高尚なメトロポリタン・オペラまで、あらゆる機関が効果的なビジネスモデルを有することが、今まで以上に重要なのである<ref>Anthony Tommasini, [https://www.nytimes.com/2014/01/09/arts/music/lessons-in-a-year-of-crises.html?ref=music&_r=1 "Lessons in a Year of Crises"], ''[[The New York Times]]'', January 8, 2014</ref>。</blockquote>

== 再建復活:2016-現在==
2015年に、NYCOルネッサンスLtd.と名付けられた[[非営利団体]]がニューヨーク・シティ・オペラ再建のための11章計画を提出し、既存する会社の再建が2016年に実施された<ref name="wsj.com">{{cite web|last=Smith |first=Jennifer |url=https://www.wsj.com/articles/new-york-city-opera-suitors-prepare-bids-1421448468 |title=New York City Opera Suitors Prepare Bids |website=Wsj.com |date=2015-01-16 |accessdate=2016-01-20}}</ref><ref>[https://www.nytimes.com/2016/01/13/arts/music/new-york-city-opera-will-return-and-soon-under-reorganization-plan.html]</ref>。チケットを購入して返金を受けなかった人には、追加の特典が与えられた<ref>Sara Randazzo, [https://blogs.wsj.com/bankruptcy/2014/12/15/investors-have-a-deal-for-spurned-new-york-city-opera-ticketholders/ "Investors Have a Deal for Spurned New York City Opera Ticketholders"], ''[[Wall Street Journal]]'', December 15, 2014</ref>。

2016年1月に同団体は、定番のオペラとニッチな作品との混合で、ニューヨーク・シティ・オペラを再始動させる計画を発表した<ref name=NYT20160113 /><ref name="ReferenceA">{{cite web|last=Smith |first=Jennifer |url=https://www.wsj.com/articles/rival-visions-to-reboot-new-york-city-opera-detailed-1446417707 |title=Rival Visions to Reboot New York City Opera Detailed |website=Wsj.com |date=2015-11-01 |accessdate=2016-01-20}}</ref>。蘇ったNYCOのために提供された新たな本拠地は、[[ジャズ・アット・リンカーン・センター]]にある現代的な1100席のローズシアターである<ref name="ReferenceA"/><ref>{{cite web|url=http://www.nycorenaissance.com/about.phpNYC |title=.|accessdate=March 7, 2015 }}{{dead link|date=June 2016|bot=medic}}{{cbignore|bot=medic}}</ref>。

シティ・オペラ役員会と[[連邦倒産法第11章#債権者委員会|債権者委員会]]の両方が、全会一致で、NYCOルネッサンスの提案が好ましいとした。同団体はヘッジファンドマネージャーにして以前シティ・オペラ役員を務めたアマチュアの音楽家{{仮リンク|ロイ・ニエダーホファー|en|Roy Niederhoffer}}による財政の後ろ盾(彼が会長を務める)があり、彼はその取り組みに100万ドル以上の自身のお金を保証し、そして少なくとも250万ドルを集めた<ref name=wsj /><ref name="ReferenceB">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2015/11/12/arts/music/effort-to-revive-city-opera-includes-a-tosca-staging.html|title=Effort to Revive City Opera Includes a ''Tosca'' Staging|author=Michael Cooper|work=[[The New York Times]]|date=November 11, 2015}}</ref><ref name="nytimes.com" /><ref name="wsj.com" /><ref name="ReferenceA" /><ref>{{cite web|url=http://www.opalesque.com/656029/Hedge_fund_manager_Roy_Niederhoffer_promotes_New_York602.html|title=Hedge fund manager Roy Niederhoffer promotes New York City Opera in European tour this and next week ? Roy Niederhoffer|website=Opalesque.com|date= |accessdate=2016-01-20}}</ref><ref>{{cite web|author=Jennifer Rivera |url=http://www.huffingtonpost.com/jennifer-rivera/reviving-new-york-city-opera_b_6282702.html |title=An Interview With the Man Now in Charge of Reviving New York City Opera |website=Huffingtonpost.com |date=2014-12-09 |accessdate=2016-01-20}}</ref>。

2016年1月、破産裁判所はNYCOルネッサンスの再建計画を承認し、公演を再始動することを許可した<ref name=NYT20160113 /><ref name=wsj />。破産裁判官のショーン・レーンは「人々に愛された、かつ重要な文化施設」の計画を承認できて自分は喜んでいると語り、「オペラを大いに気にかけている人々の参加が、私が非常に素晴らしいと考える結果を今日ここに導いたのです」と述べた<ref name=wsj />。再建計画の下、このオペラ劇団は年次シーズンを設定し、そしてその最高責任者は{{仮リンク|マイケル・カパッソ|en|Michael Capasso}}と予定された<ref name=NYT20160113 />。シティオペラ・オーケストラ委員会の女性議長ゲイル・クルバンは「私たちは興奮しています...そしてニューヨーク・シティ・オペラとの長い未来を楽しみにしています」と語った<ref name=NYT20160113 />。

2016年1月、NYCOルネッサンスは、1900年ローマにおけるオペラ初演から{{仮リンク|アドルフ・ホーエンシュタイン|en|Adolfo Hohenstein}}の舞台および衣装デザインを用いた、[[プッチーニ]]の『[[トスカ]]』を1100席のローズシアターで上演した<ref name="philly.com">{{cite web|url=http://www.philly.com/philly/entertainment/arts/20160125_New_York_City_Opera_s_resurrection_may_be_right.html|title=New York City Opera's resurrection may be right|author=|date=|website=philly.com|accessdate=May 12, 2017}}</ref><ref name="philly.com"/>。テナーの{{仮リンク|ジェームス・ヴァレンティ|en|James Valenti}}とソプラノの{{仮リンク|ラトニア・ムーア|en|Latonia Moore}}を含む2つの別々のキャストがあり、最も安いバルコニー席は25ドルだった<ref name=NYT20160121 /><ref name="philly.com"/><ref>{{cite web|url=http://www.newyorker.com/magazine/2016/01/25/leap-of-faith-classical-music-russell-platt|title=Reviving the New York City Opera|work=[[The New Yorker]]|date= |accessdate=2016-01-20}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.asianage.com/ideas/reviving-city-opera-nod-past-860|title=Reviving City Opera with a nod to past|author=|date=January 22, 2016|website=asianage.com|accessdate=May 12, 2017}}</ref>『トスカ』は、1944年にNYCOによって演じられた最初のオペラである<ref name="ReferenceB" /><ref name="ReferenceA" /><ref name="philly.com"/>。

NYCOは2015-16年のシーズンに、同社にとって全て新作となる3つの現代作品を上演すると発表した。2016年3月16日、ジャズ・アット・リンカーン・センターのアペル・ルームでの新たなコンサートシリーズが、デヴィッド・ハーツバーグ(David Hertzberg)の『日曜日の朝』の初演とともに開催された。ソプラノと小さなアンサンブルのための作品、それはソプラノのサラ・シャファー(Sarah Shafer)とメゾソプラノとカースティン・チャベス(Kirstin Chávez)を特集したものだった<ref>{{cite web|url=https://www.nytimes.com/2016/03/19/arts/music/review-new-york-city-opera-a-quiet-sunday-morning.html|title=Review: New York City Opera, a Quiet 'Sunday Morning'|first=Zachary|last=Woolfe|date=March 18, 2016|publisher=|accessdate=May 12, 2017|via=NYTimes.com}}</ref>。これに続いたのが作曲家{{仮リンク|スチュワート・ウォレス|en|Stewart Wallace}}で台本マイケル・コリー(Michael Korie)の『ホッパーの妻』(画家[[エドワード・ホッパー]]とゴシップ・コラムニストの[[ヘッダ・ホッパー]]間の想像上の結婚についての、超現実的でエロチックも詰まった1997年の90分のファンタジー室内オペラ)の東海岸初公演である。それは2016年4月28日から5月1日まで、ハーレムステージで{{仮リンク|アンドレアス・ミティセック|en|Andreas Mitisek}}により監督されたもので、彼のニューヨーク・シティ監督デビューだった<ref>{{cite web|url=http://www.broadwayworld.com/bwwopera/article/New-York-City-Opera-to-Present-NY-Premiere-of-HOPPERS-WIFE-This-Spring-20160331|title=New York City Opera to Present NY Premiere of Hopper's Wife This Spring|first=BWW News|last=Desk|date=|website=broadwayworld.com|accessdate=May 12, 2017}}</ref>。
3つ目に、NYCOは2016年6月22-26日にかけて、{{仮リンク|ダニエル・カタン|en|DanielCatán}}の『''[[:en:Florencia en el Amazonas|Florencia en el Amazonas]]''』をジャズ・アット・リンカーン・センターのローズシアターで上演した。 [[ガブリエル・ガルシア=マルケス]]の小説に基づき「Ópera en Español」と名付けられた新しいスペイン語オペラシリーズの一部だった<ref>{{cite web|url=https://www.wsj.com/articles/rebooted-new-york-city-opera-plans-three-premieres-1456183954|title=Rebooted New York City Opera Plans Three Premieres|first=Jennifer|last=Smith|date=February 22, 2016|publisher=|accessdate=May 12, 2017|via=www.wsj.com}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.nytimes.com/2016/02/23/arts/music/new-york-city-opera-unveils-rest-of-season.html|title=New York City Opera Unveils Rest of Season|first=Michael|last=Cooper|date=February 22, 2016|publisher=|accessdate=May 12, 2017|via=NYTimes.com}}</ref><ref>{{cite web|url=http://abcnews.go.com/Entertainment/wireStory/ny-city-opera-announces-2016-season-bankruptcy-37119083|title=Entertainment Index|first=ABC|last=News|date=|website=ABC News|accessdate=May 12, 2017}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.nytimes.com/2016/03/10/arts/music/brooklyns-unconventional-loftopera-takes-on-puccini.html|title=Beer Bottles, Graffiti and Puccini: The LoftOpera Formula|first=Michael|last=Cooper|date=March 9, 2016|publisher=|accessdate=May 12, 2017|via=NYTimes.com}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.newyorker.com/magazine/2016/03/14/spring-classical-music-preview-charlie-parker-new-york-city-opera|title=Spring Classical Music Preview|author=|date=|website=The New Yorker|accessdate=May 12, 2017}}</ref>。公演のレビューで『''ザ・ニューヨーク・オブザーバー''』のジェームス・ジョーダンはこう書いている「<!--蘇ったNYCOの現在の提供で...スコアのあらゆるページが興奮の絶頂に航海する、溶けたキャラメルソースくらい罪深くリッチに... -->再構成されたニューヨーク・シティ・オペラはプレゼンテーションの全ての面にわたってハイレベルの品質で、誇りに満ち溢れんばかりとなり...20年以上にわたって私がNYCOで聴いた強力なボーカリスト出演者の中でも、突出して相応しかったのはFlorenciaとしての{{仮リンク|エリザベス・カバイェロ|en|Elizabeth Caballero}}でした...この製作は、その演劇の一番上に劇団がいることを明確にしてくれる」<ref>{{cite web|url=http://observer.com/2016/06/piranhas-and-cholera-are-no-match-for-a-diva/|title=Piranhas and Cholera Are No Match for a Diva|author=|date=June 23, 2016|website=observer.com|accessdate=May 12, 2017}}</ref>。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「カバイェロは発見だ」と見解を述べた<ref>{{cite web|url=https://www.wsj.com/articles/florencia-en-el-amazonas-patience-sarah-and-le-comte-ory-reviews-1467064445|title='Florencia en el Amazonas,' 'Patience & Sarah' and 'Le Comte Ory' Reviews|first=Heidi|last=Waleson|date=June 27, 2016|publisher=|accessdate=May 12, 2017|via=www.wsj.com}}</ref>。『ニューヨーク・クラシカル・レビュー』は、幾つかの演出的欠陥を指摘する一方で、「今後これが同社の活動の標準になるのであれば、将来は確かにとても明るいだろう」と書いた<ref>{{cite web|url=http://newyorkclassicalreview.com/2016/06/staging-flaws-apart-catans-florencia-takes-wing-at-city-opera/|title=New York Classical Review|author=|date=|website=newyorkclassicalreview.com|accessdate=May 12, 2017}}</ref>。

2016年9月8日、2016-17年シーズンのNYCO開幕の夜は両方とも1892年5月に初演されたオペラ『[[アレコ]]』(ニューヨーク初公演、[[セルゲイ・ラフマニノフ]]作曲、[[アレクサンドル・プーシキン]]の詩『{{仮リンク|ジプシー (プーシキン)|label=ジプシー|en|The Gypsies (poem)}}』の改作)と『[[道化師 (オペラ)|道化師]]』([[ルッジェーロ・レオンカヴァッロ]]による)の2本立てだった。これらはLev Puglieseにより監督されたもので、{{仮リンク|ジェームス・ミーナ|en|James Meena}}がNYCOのオーケストラを指揮して、本拠地ローズシアターのローズホールで上演された<ref name="broadwayworld.com">{{cite web|url=http://www.broadwayworld.com/bwwopera/article/New-York-City-Opera-to-Open-Season-with-ALEKO-PAGLIACCI-Double-Bill-20160812|title=New York City Opera to Open Season with Aleko & Pagliacci Double Bill|first=BWW News|last=Desk|date=|website=broadwayworld.com|accessdate=May 12, 2017}}</ref>。
バスの、{{仮リンク|ステファン・スカファロウスキー|en|Stefan Szkafarowsky}}はアレコの配役でNYCOデビューを果たし、『道化師』はカニオとしてNYCOデビューを果たしたテナーの{{仮リンク|フランチェスコ・アニーレ|en|Francesco Anile}}を特色とするものだった<ref name="broadwayworld.com"/>。ニューヨーク・タイムズ紙のアントニー・トマシーニは「ニューヨーク・シティ・オペラのオーケストラによる演奏は、時おりぎこちなかったが、生き生きとしたパフォーマンスを提供し、...劇団のコーラスからは活気のある歌を提供していた。...<!--『道化師』出演者の詳細評価は略。 -->熱狂的な聴衆がこのオープニングイベントに現れ、それが再始動したシティ・オペラのシーズンを明らかに、いや定義さえできよう」と書いた<ref>{{cite web|url=https://www.nytimes.com/2016/09/10/arts/music/review-new-york-city-opera-aleka-pagliacci.html|title=Review: Signs of Rebirth at New York City Opera|first=Anthony|last=Tommasini|date=September 9, 2016|publisher=|accessdate=May 12, 2017|via=NYTimes.com}}</ref>。『ニューヨーク・クラシカル・レビュー』は、「このたびの『道化師』は{{仮リンク|デイビット・マクヴィカー|en|David McVicar}}による最近のメトロポリタン作品よりもだいぶ感動的なものだった、<!-- 『道化師』の詳細評価は略。 -->...数年後、この音楽的かつ感情的に満足のいく2本立ては、この名高い劇団がついに自らの足で再起したであろうことの、これまでで最も素晴らしい証拠である。」と書いている<ref>{{cite web|url=http://newyorkclassicalreview.com/2016/09/in-aleko-and-pagliacci-new-york-city-opera-finds-its-stride/|title=New York Classical Review|author=|date=|website=newyorkclassicalreview.com|accessdate=May 12, 2017}}</ref>。[[ハフィントン・ポスト]]は、「NYCOはオペラ界における勢力としての地位を再確立するための正しい道を歩んでいる」との見解を述べた<ref>{{cite web|url=http://www.huffingtonpost.com/zealnyc/new-york-city-opera-prese_b_12014476.html|title=New York City Opera Presents a Historically Interesting Double-Bill of 'Aleko' and 'Pagliacci'|first=|last=ZEALnyc|date=September 15, 2016|website=huffingtonpost.com|accessdate=May 12, 2017}}</ref>。

ニューヨーク・シティ・オペラは2018-19年シーズンも2作品の世界初公演を行うなど<ref>David Salazar"[http://operawire.com/new-york-city-opera-2018-19-season-to-include-2-world-premieres/ New York City Opera 2018-19 Season To Include 2 World Premieres]"operawire,2018-08-27</ref>、オペラ劇団として活動を行っている。

== 世界初公演作品==
{{Div col|rules=yes|colwidth=22em}}
* [[ウィリアム・グラント・スティル]] -『{{仮リンク|災いの島|en|Troubled Island}}』 (1949)
*{{仮リンク|デビッド・タムキン|en|David Tamkin}} -『[[ディブック]]』(1951)
* [[アーロン・コープランド]] -『{{仮リンク|入札地|en|The Tender Land}}』(1954)
* {{仮リンク|ナビ・コダリ|en|Nevit Kodall}} -『ゴッホ (オペラ)』 (1957)
* {{仮リンク|マーク・ブッチ|en|Mark Bucci}} -『''[[:en:Tale for a Deaf Ear|Tale for a Deaf Ear]]''』 (1958, 初のプロ制作)
* {{仮リンク|ロバート・クルカ|en|Robert Kurka}} - 『善良な兵士シュヴェイク』 (1958)<!-- [[ヤロスラフ・ハシェク]]の代表作『兵士シュヴェイクの冒険』に基づくオペラ-->
* [[ヒューゴー・ワイズガル]] - 『{{仮リンク|作者を探す六人の登場人物 (オペラ)|en|Six Characters in Search of an Author (opera)}}』(1959)<!-- [[ルイジ・ピランデルロ]]の同名戯曲に基づくオペラ-->
* [[ノーマン・デロ=ジョイオ]] -『{{仮リンク|聖ジョアンの勝利|en|The Triumph of St. Joan}}』 (1959, 第3版の初公演)
* [[ロバート・ウォード]] -『殴られる彼奴 (オペラ)』(1959)<!-- [[レオニド・アンドレーエフ]]原作、1924年に公開された同名のサイレント映画に基づくオペラ-->
* [[ダグラス・ムーア]] -『鳩の翼 (オペラ)』(1961)<!-- [[ヘンリー・ジェイムズ]]の同名小説に基づくオペラ-->
* ロバート・ウォード - 『{{仮リンク|るつぼ (オペラ)|en|The Crucible (opera)}}』(1961)<!-- [[アーサー・ミラー]]の同名戯曲に基づくオペラ-->
* {{仮リンク|アブラハム・エルスタイン|en|Abraham Ellstein}} - 『ゴーレム (オペラ)』 (1962)
* {{仮リンク|カーライル・フロイド|en|Carlisle Floyd}} - 『 ''[[:en:The Passion of Jonathan Wade|The Passion of Jonathan Wade]]''』 (1962)
* [[ジェローム・モロス]] - 『坐っていてくれ、諸君』'' (1963)<!-- [[ロバート・A・ハインライン]]の同名小説に基づくオペラ-->
* {{仮リンク|リー・ホイビー|en|Lee Hoiby}} - 『{{仮リンク|ナタリヤ・ペトローヴナ|en|Grand Duchess Natalia Petrovna of Russia (1718-1725)}}』(1964)
* [[ジャック・ビーソン]] -『[[リジー・ボーデン (オペラ)|リジー・ボーデン]]』 (1965)
* {{仮リンク|ネッド・ロアム|en|Ned Rorem}} -『{{仮リンク|令嬢ジュリー (オペラ)|en|Miss Julie (Rorem opera)}}』(1965)
* [[ヴィットリオ・ジャンニーニ]] -『{{仮リンク|二人の主人を一度に持つと|en|Servant of Two Masters}}』 (1967)<!-- [[カルロ・ゴルドーニ]]の同名戯曲に基づくオペラ-->
* [[ヒューゴー・ワイズガル]] -『''[[:en:Nine Rivers from Jordan|Nine Rivers from Jordan]]''』 (1968)<!-- デニス・ジョンストンの同名著書に基づくオペラ-->
* [[ジャン=カルロ・メノッティ]] -『最重要人物』 (1971)
* {{仮リンク|シア・マスグレイヴ |en|Thea Musgrave}} -『{{仮リンク|アリアドネの声|sv|The Voice of Ariadne}}』 (1977)<!-- [[ヘンリー・ジェイムズ]]の『ヴァレリー家最後の者』に基づくオペラ-->
* {{仮リンク|レオン・キルヒナー|en|Leon Kirchner}} - 『リリー』 (1977)<!-- 国内流通の作品名で『リリー』確認。「ゆり」は確認できず。-->
* {{仮リンク|ドミニク・アルジェント|en|Dominick Argento}} -『''Miss Havisham's Fire''』 (1979)<!-- [[チャールズ・ディケンズ]]の『大いなる遺産』に若干基づいたオペラ-->
* {{仮リンク|スタンリー・シルバーマン|en|Stanley Silverman}} -『''Madame Adare''』 (1980)
* {{仮リンク|トーマス・パサティエリ|en|Thomas Pasatieri}} -『[[朝食の前に]]』 (1980)
* {{仮リンク|ヤン・バック|en|Jan Bach}} -『''The Student from Salamanca''』(1980)<!-- [[ホセ・デ・エスプロンセダ]]の叙事詩''El estudiante de Salamanca''に基づくオペラ-->
* [[レナード・バーンスタイン]] -『[[キャンディード]]』(オペラハウス版) (1982)
* {{仮リンク|アンソニー・デイビス (作曲家)|en|Anthony Davis (composer)|label=アンソニー・デイビス}} -『''[[:en:X, The Life and Times of Malcolm X|X, The Life and Times of Malcolm X]]'' (1986, 初舞台制作)
* {{仮リンク|ジェイ・ライズ|en|Jay Reise}} -『{{仮リンク|ラスプーチン (オペラ)|en|Rasputin (opera)|label=ラスプーチン}} '' (1988)<!-- [[エイノユハニ・ラウタヴァーラ]]の同名作品(2003)へのリンクなので注意。-->
* ヒューゴー・ワイズガル -『{{仮リンク|エステル (オペラ)|en|Esther (Weisgall opera)|label=エステル}} 』 (1993)<!-- 聖書『エステル記』の主人公[[エステル (聖書)|エステル]]を描いた作品。-->
* {{仮リンク|エズラ・ラダーマン|en|Ezra Laderman}} 『{{仮リンク|マリリン (オペラ)|en|Marilyn (opera)|label=マリリン}} 』 (1993)
* [[ルーカス・フォス]] -『{{仮リンク|グリフェルキン|en|Griffelkin}}』 (1993, 改訂版の初演)
* {{仮リンク|デボラ・ドラッテル|en|Deborah Drattell}} -『{{仮リンク|リリス (オペラ)|en|Lilith (opera)|label=リリス}}』 (2001, 初舞台制作)
* [[チャールズ・ウォリネン]] -『ハルーンとお話の海』(2004)<!-- [[サルマン・ラシュディ]]の著書に基づく作品。-->
{{div col end}}

== 脚注==
;注釈
{{Reflist|group="注釈"}}
;出典
{{Reflist|2}}
;参考文献
* {{cite book| title = New York City Opera Sings Stories and Productions of the New York City Opera, 1944-79| year = 1981| isbn = 978-0-8239-0544-7 }}
* {{cite book| author = Martin L. Sokol| title = The New York City Opera an American adventure| year = 1981| publisher = MacMillan Publishing Company| isbn = 0-02-612280-4 }}
* {{cite book| last = Southern| first = Eileen| title = The Music of Black Americans A History| year = 1997| publisher = W. W. Norton| isbn = 978-0-393-97141-5 }}
*[http://ml.naxos.jp/composer/ ナクソス・ミュージック・ライブラリー](NML) - 音楽家やオペラ楽曲の日本語表記について参照。

==外部リンク==
* [http://www.nycopera.com New York City Opera] official website
* {{YouTube|u=newyorkcityopera|{{PAGENAMEBASE}}}}
* {{NYTtopic|organizations/n/new_york_city_opera}}
* [http://www.soundfountain.org/rem/remhalasz.html#NYCOC Biography of Laszlo Halasz]


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[[Category:アメリカ合衆国の歌劇団]]
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2019年2月11日 (月) 03:29時点における版

1965-2011年までニューヨーク・シティ・オペラの本拠地だった、ニューヨーク州立劇場(現:ディヴィッド・H・コーク劇場

ニューヨーク・シティ・オペラ: New York City Opera)は、米国ニューヨーク市マンハッタンに本拠を置くオペラ・カンパニー(歌劇団)である。略称は頭字語でNYCO。同社は1943年から2013年経営破綻するまで活動し、一旦その歴史に幕を下ろすも、2016年以降は再建計画に基づいて活動を再開している。

概要

ニューヨーク市長フィオレロ・ラガーディアに「市民のオペラ」とも称されたこのオペラ会社は1943年に設立された。米国内では、メトロポリタン・オペラに次ぐ2番目のオペラ劇団であった[1]。同社の掲げた目的は、幅広い観衆に手ごろな価格でオペラに接してもらうことだった。また、革新的なレパートリー[注釈 1]選択を製作することを目指し、アメリカの歌手や作曲家のために住処を提供している。この会社はもともと、マンハッタンの西55丁目にあるニューヨーク・シティ・センター英語版の劇場を拠点としていた。その後、1966年から2010年にかけてニューヨーク州立劇場(現:ディヴィッド・H・コーク劇場)のリンカーン・センターの一部になった。この時期にレパートリーでは秋と春シーズンのオペラを製作し、30以上の学校で4000人の学生にアーツ・イン・エデュケーション英語版[注釈 2]・プログラムを提供するなど、幅広い教育とアウトリーチ(訪問広報)活動を維持した。2011年、同社は財政難のためリンカーン・センターを去り、事務所をロウアー・マンハッタンブロード・ストリート75番地に移した[3][4]。2011-12年と2012-13年のシーズンに、NYCOはブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック(BAM)を含むニューヨーク市内の様々な会場で4つのオペラを上演した[5]。2013年10月1日、緊急の資金調達キャンペーンが不調に終わったことで、同社は連邦破産法11章(日本の民事再生法にあたる)[6]を申請した[7][8]

2016年1月、経営破綻(による一部債務)を残して公演を再開する同社の再建計画が破産裁判所で承認された時、非営利団体のNYCOルネッサンスが新たな管理下でこのオペラ会社を復活させた[9][10]。ヘッジファンド・マネジャーでNYCOの元役員であるロイ・ニエダーホファー英語版が率いるこの団体は、2016-17年でのシーズン・オペラを上演する計画を発表した[9][10]。最初のオペラはプッチーニの『トスカ』で、2016年1月にジャズ・アット・リンカーン・センターのローズ・シアターで上演された[11][12][13]

NYCOはその70年以上の歴史の中で、ビヴァリー・シルズシェリル・ミルンズプラシド・ドミンゴマラリン・ニスカ英語版キャロル・ヴァネス英語版ホセ・カレーラスシャーリー・ヴェレット英語版タティアナ・トロヤノスジェリー・ハドリー英語版キャサリン・マルフィターノ英語版サミュエル・レイミー英語版ジアーナ・ロランディ英語版を含む、多くの偉大なオペラ歌手のキャリアの端緒を手助けした。シルズは後に1979年から1989年まで同社の重役を務めた[14]。ニューヨーク・シティ・オペラ出身(NYCOホーム)と呼ばれている最近人気の米国歌手には、デイヴィッド・ダニエルズ英語版マーク・デラヴァン英語版メアリー・ダンリービー英語版ローレン・フラニガン英語版エリザベス・フトラル英語版ベジャン・メフタ英語版ロバート・ブラバカー英語版カール・タナー英語版などがいる。

NYCOはまたアメリカ人作曲家の作品を支持しており、伝統的にレパートリーの約3分の1はアメリカのオペラとなっている。同社のアメリカ作品レパートリーには、定評のある作品(例えば、ダグラス・ムーアの『ベイビー・ドウのバラード』、カーライル・フロイド英語版の『スザンナ』、レナード・バーンスタインの『キャンディード』)から新しい作品(例えば、トーマス・パサティエリ英語版の『朝食の前に』やマーク・アダモ英語版の『Little Women』)まで揃っている。アメリカオペラの将来に対するNYCOの責務は、製作途中のオペラが披露される例年の『Vox, Contemporary Opera Lab』シリーズで実証されており、プロの歌手とプロのオーケストラによって実演される自分の作品を聞く機会を作曲家たちに与えている。また同社は、時折スティーヴン・ソンドハイムギルバート・アンド・サリヴァンの作品を含むミュージカルオペレッタも製作している。

初期:1943-51年

NYCOはニューヨーク・シティ・センター・オペラとして設立され、元々はマンハッタンの西55丁目にあるニューヨーク・シティ・センターを本拠地にしていた。 ラースロー・ハラース英語版がこの劇団最初の監督であり、1943年から1951年までその職務を果たした。大衆が視聴できるオペラにするという会社の目標を考えると、チケットは安価であるべきで、作品は肉体的にも声的にも役割に適した歌手を起用してもっともらしく上演されるべきだ、とハラス氏は確信していた。このため、同社最初のシーズンのチケット価格はわずか2ドル75セント(現在のドル換算で28ドル)という値段となり、会社はその最初のシーズンを予算3万0463ドル(現在のドル換算で4300万ドル)で運営していた。そのような価格だと、会社はメトロポリタン・オペラで楽しめたスター広告を賄うことができなかった。しかしながらハラースは、この会社を若い歌手、特にアメリカ人オペラ歌手にとって重要な舞台にすることにより、この事実を美徳に変えてみせた[15]

1944年2月、この会社最初のシーズンに開催したものにジャコモ・プッチーニの『トスカ』、フリードリッヒ・フォン・フロトーの『マルタ』、ジョルジュ・ビゼーの『カルメン』の製作が含まれていた。ドゥソリナ・ジャンニーニ英語版ジェニー・トゥーレルマーサ・リプトン英語版を含む、数人の著名な歌手がこの最初のシーズンで公演しており、彼らはNYCOデビュー後すぐにメトロポリタン・オペラに引き抜かれた。ハラースがNYCOで起用した他の著名な歌手には、フランシス・バイブル英語版アデレイド・ビショップ英語版デブリア・ブラウン英語版マック・ハレル英語版トーマス・ヘイワードドロシー・カーステンブレンダ・ルイス英語版エヴァ・リコヴァ英語版レオン・リシュナー英語版レジーナ・レズニックノーマン・スコット英語版ラモン・ヴィナイフランシス・イーンド英語版らがいる。1945年に、会社はアフリカ系アメリカ人の演者を有する最初の主要な歌劇団になった。 これはルッジェーロ・レオンカヴァッロの作品『道化師』において、トッド・ダンカン英語版がトニオとして出演したものである[15]ローレンス・ウィンターズ英語版ロバート・マクファーリン英語版は、同時期に劇団と歌うための著名な別のアフリカ系アメリカ人オペラ先駆者だった。1946年に『蝶々夫人』でヒロインを務めたソプラノのカミラ・ウィリアムズ英語版が、この会社と共に歌った最初のアフリカ系アメリカ人女性となった[16]

NYCOのあるべき姿に関する自身の強い信念があって、ハラースは会社の取締役会と激しく対立する関係になった。その一つに、彼はオペラをアメリカの観客がより視聴しやすくするため、外国語作品を英語で上演する考えを支持した。彼は毎シーズン最低1つの製作を英語で提供することを主張した。ハラースと役員会の間で最も緊張が生じた問題は、アメリカの作曲家による新しい作品と聴くことが稀なオペラを当オペラハウスで上演するというハラースの約束事だった。

1946年10月10日、同社によって公開された最初のニューヨーク市初公演はリヒャルト・シュトラウスの『ナクソス島のアリアドネ』で、エラ・フレシュが主役、バージニア・マクワッターズ英語版が踊り子ツェルビネッタ、ジェイムズ・ピーズ英語版が音楽教師の配役だった。当時の報道では、その製作は「記録破り」と書かれており[17]、それによってこの会社が「地図上に」掲載された[18]。 NYCOは次いでアリアドネをモントリオールのヒズ・マジェスティーズ劇場(現:ハー・マジェスティーズ劇場)[注釈 3]へ出張し、同オペラのカナダ初公演を行った[17]

本拠地で最初となる世界初公演は1949年、ウィリアム・グラント・スティルの『災いの島英語版』であった。それは特にアフリカ系アメリカ人によって作曲された、主要なオペラハウスで製作された最初のグランド・オペラとされている[15]。1949年秋、不調に終わった1921年のシカゴ初公演以来アメリカでは見られなかった、セルゲイ・プロコフィエフの喜劇オペラ『三つのオレンジへの恋』をNYCOが復活させた。ウラジミール・ロジング英語版が監督したこの新作は大当たりして、追加で2シーズンにわたって興行が行われた[19]

また同年、ハラースは1950年にNYCOによって上演されるデビッド・タムキン英語版の『ディブック』の世界初公演を予定していた。しかしながら、NYCO役員会はこの決定に反対し、最終的にこの製作は経済的理由で延期された。それでもハラースは1951-52年のシーズンに含めるべく作業を再スケジュールした。ハラースの大胆なレパートリー選択に不安を感じ、1951年にNYCO役員会は、自分達の承認を受けるためハラースに自身のレパートリー計画を提出するよう主張した。結果として、彼はジャン・モレルを含む彼の指揮スタッフのメンバー数名および彼の最終的な後継者ヨーゼフ・ローゼンシュトックユリウス・ルーデルの2人と共に脱退した。 大半の制作スタッフの脱退に直面して、役員会は仕方なく引き下がり、1951年10月4日にニューヨークで『ディブック』の世界初公演がNYCOで行われた。しかしハラースと役員会の間の緊張は高いまま残り、ハラースが労働組合紛争に巻き込まれた1951年末に、役員達は彼を解雇した[15]

ローゼンシュトックとラインスドルフ:1952-57年

ハラースが解雇された後、NYCO役員会は会社の指揮者として既に働いていたヨーゼフ・ローゼンシュトックを新たな監督に指名した。彼はその職務を4シーズン勤め、その間に彼は珍しいレパートリーでの革新的プログラムを予定するハラースの手法に、標準的な作品を織り交ぜ続けた。特に彼は世界初公演でアーロン・コープランドの 『入札地英語版』、ニューヨーク初公演でウィリアム・ウォルトンの『トロイラスとクレシダ』、米国初公演でゴットフリート・フォン・アイネムの 『審判 (オペラ)英語版』とバルトーク・ベーラの『青ひげ公の城』を上演した[20]。ローゼンシュトックはまた、劇団のレパートリーにミュージカルを組み入れた最初のNYCOの監督で、1954年にジェローム・カーンオスカー・ハマースタイン2世の『ショウボート』を製作、これにブロードウェイのベテランミュージカルとソプラノのオペラ歌手ヘレナ・ブリス英語版が出演した。この決定は報道陣に笑いものにされたが、上演されたそのミュージカルが本拠地を満員にしたことでローゼンシュトックは正当性を実感した。一方で、ガエターノ・ドニゼッティの劇場公演で当時滅多に聞けないオペラ『ドン・パスクワーレ』が、劇場の席の35%しか売れなかった[21]

1956年1月、NYCO役員会はローゼンストックの辞任を承認した。予約や商談など、音楽以外の仕事に直面させられることが多すぎたので辞めたと彼は述べた。役員会は、メトロポリタン・オペラやクリーヴランド管弦楽団ロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務めていたエーリヒ・ラインスドルフを、代役として任命した[20]。ラインスドルフは1シーズンだけこの会社に在籍した。1956年シーズンでの現代的で珍しい作品の彼の野心的なプログラムがNYCOの財政問題を和らげることに失敗した後に彼は解雇され、報道陣からの厳しい批判を浴びることとなった。報道陣は、ジャック・オッフェンバックの新作『地獄のオルフェ』とカール・オルフの『月 (オペラ)』のアメリカ初公演を特に気にかけなかった。主役にフィリス・カーティン英語版を、Blitch牧師としてノーマン・トレイグル英語版を配したカーライル・フロイド英語版のプロとしての最初の作品『スザンナ (オペラ)英語版』で、ラインスドルフはひとつ大きな勝利を掴んだ。この製作は観客と評論家の両方にとって決定的な成功であり、そしてこのオペラはアメリカの古典となっている[21][22]

ルーデル:1957-79年

ステージから見たニューヨーク州立劇場(現:ディヴィッド・H・コーク劇場)の観客席ホール

ラインスドルフが解雇された後、NYCO役員会は1957年の春シーズンを取り止め、最終的に同社の新しい最高責任者(general director)としてユリウス・ルーデルを任命した。ルーデルは大学を卒業した直後の1944年にNYCOに雇われ、そこで13年間指揮スタッフとして働いていた。ルーデル主導の下、この会社は標準的な作品と冒険的な作品の両方を上演したことで高い評価を引き出し、新たな芸術的高みに到達した。同社はその最先端の舞台演出で知られるようになり、それはこれまでオペラに関わったことのなかった著名な監督を劇場へ引き抜くというルーデルの意欲によるところが大きかった。1960年代半ばまでに、同社は米国で有数のオペラ歌劇団の1つと一般的に見なされていた[23]

シティ・オペラでの任期中、ルーデルはアメリカのオペラに強いこだわりを示し、12のお試し公演と19の世界初公演をもたらした。彼はまた、1966年2月22日にリンカーン・センターのニューヨーク州立劇場(現:ディヴィッド・H・コーク劇場)でNYCOの新本拠地のこけら落としのため、テナー歌手のプラシド・ドミンゴを配したアルベルト・ヒナステラの『ドン・ロドリーゴ英語版』を含む、多数の米国初公演を行った[24]。その同じシーズンに、同社はフランシス・プーランクの『カルメル会修道女の対話』のニューヨーク初公演を行った[23]

前任者と同じく、ルーデルは若いアメリカ人の才能に注視しており、アメリカ人歌手を数世代にわたって育成する手助けをすることに責任感を持っていた。彼がキャリア育成した歌手の中には、バスバリトンのサミュエル・レイミー英語版とリリコ・スピント・ソプラノ[注釈 4]キャロル・ヴァネス英語版がいた。彼の最も適切な決断の1つは、ビヴァリー・シルズとの芸術的パートナーシップを形成したことで、1956年から1979年のステージ引退まで彼女をNYCOの主要ソプラノにした[23]、ただし劇団との最初の公演のため1955年にヨーゼフ・ローゼンシュトックが彼女を雇ったことは記しておくべきだろう。NYCOと共にシルズが最初の大成功を収めたのは、同社が上演した最初のヘンデルのオペラで1966年の『ジュリオ・チェーザレ』におけるクレオパトラの配役であった。当時はヘンデルのオペラが製作されることは稀で、その製作は国際的報道機関から多くの注目を集めた。シルズはすぐに世界中のあらゆる主要なオペラハウスで出演することになった。シルズは自身の国際的キャリアで忙しかったが、彼女は自らの引退までNYCOでの正規出演者であり続けた[26]。1970年、ルーデルの仕事でより芸術面でのスケジュールを空けるため、ジョン・サイモン・ホワイト英語版がNYCOの経営監督(managing director)に任命された。ホワイトは1980年までその職務にいた[27]

シルズ:1979-88年

1956年のビヴァリー・シルズカール・ヴァン・ヴェクテン撮影。

1979年、シルズのステージ引退により、彼女はNYCOの最高責任者(general director)としてルーデルの後を継いだ。シルズにとって当初の計画はそのポストをルーデルと共有し、そしてゆっくりと彼を追いやるものだった。しかし、ルーデルはバッファロー・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督という地位に就くために1979年に辞任することを決め、それでシルズが完全にそのポストに就いたのである[26]

シルズが自分の役職に就いた当時、NYCOはやや低迷しており、300万ドルの借金を抱えていて、好意的レビューのより少ない数シーズンが到来していた。ビジネス面で、シルズは資金調達に対して驚くべき才能を見せ、会社にとって天の恵みであることを証明した。彼女が役職を退いた1989年初頭までに、彼女は会社の予算を900万ドル(現在のドル換算で3100万ドル)から2600万ドル(現在のドル換算で5300万ドル)に増やし、300万ドル(現在のドル換算で600万ドル)の剰余金という黒字を会社に残した。彼女はこれを達成した一方で、新規および若年層の観客を引き付けることを願って、チケット価格を20%引き下げている[26]

キーン:1989-95年

ディヴィッド・H・コーク劇場の遊歩道

1989年にシルズが最高責任者を引退すると、彼女の強い推奨に基づいて指揮者クリストファー・キーン英語版が後任となった。キーンは1970年以降NYCOで指揮者を務め、1982年から1986年までNYCOの音楽監督を務めていた。キーンは任期中に、批評家と共に成功した革新的なオペラシーズンを一貫して提供した。彼の最後のシーズンには、黛敏郎の『金閣寺』とヨスト・マイヤーフランス語版の『ドレフュス事件』の米国初公演が含まれていた。彼の死の1か月前、ピーター・G・デイビスは『New York 』に「キーンは、多くの勇気ある行動、個人的と同時に芸術的な功績のおかげで、ニューヨークが残した数少ない正真正銘の文化的英雄の一人である」と記した[28]

キーンは、エイズに起因するリンパ腫のため48歳で死去するまでその地位に就いていた。彼の最後のシティオペラでの公演は、1995年9月にパウル・ヒンデミットの『画家マティス (オペラ)』だった[28]

ケロッグ:1996-2007年

1996年にキーンの後任となったのはグリマグラス・オペラ英語版の最高責任者にして美術監督のポール・ケロッグだった。 彼の主導の下、NYCOはアメリカの作曲家によるいくつかの世界初公演を含む62の新しい作品をそのレパートリーに加え、「Vox:Showcasing American Composers(米国人作曲家を披露する)」シリーズを開始した。ケロッグはまた、NYCOをヘンデル、グルックラモーなどのバロックの巨匠によるオペラの重要な製作者として確立することにも尽力し、これら長い間無視されてきた作品への新たな関心に火をつけた。 特筆すべき功績は高く称賛されたカウンターテナーベジャン・メフタ英語版とソプラノのエイミー・バートン主演による、2007年におけるヘンデルの『オルランド』の製作である[29][30]。NYCOの「市民のオペラ」という伝統に沿って、2005年にケロッグは割引価格チケットでのNYCOイベント「オペラ・フォー・オール(みんなのためのオペラ)」を開催した[31]

ケロッグは2007年に引退を発表した。ニューヨーク・タイムズアンソニー・トマシーニ英語版は、ケロッグは「誇れるだけの革新と実績の記録を持っていた。会社の使命を定めて実行するのに効果的な舞台芸術機関のリーダーはほとんどいない」とコメントした[32]。9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の直後、ニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニの要請で2001年9月15日に(シーズンオペラを)開幕するというケロッグの決定を、トマシーニは「2001年における最も有意義な音楽の日」と呼んだ。その後、2001年のNYCO開幕日と2009年10月シーズンが、21世紀の最初の10年間におけるニューヨークの音楽シーンを象徴するものとして使われた[33][34]

Vox,現代オペラ・ラボ

「Vox, Contemporary Opera Lab (現代オペラ・ラボ)」(またはVox:Showcasing American Composers(米国人作曲家を披露する)でも知られる)は現代アメリカのオペラの発展に捧げられた毎年のコンサートシリーズである。1999年にニューヨーク・シティ・オペラによって設立されたこの祭典は、プロの歌手と音楽家とで上演される自分達の作品の抜粋を聞く機会を、作曲家や脚本家に提供した。各祭典にて、製作途中にあるオペラの事前抜粋が最大12作品上演された[35]リチャード・ダニエルプール英語版の『マーガレット・ガーナー英語版』を含め、Voxで提供されたオペラの多くはニューヨークシティオペラや他の様々なオペラ会社によって完全製作として上演された[36]。2006年から、Vox公演はニューヨーク大学のスカーボールセンター・フォー・パフォーミングアーツで行われた[37]

空白期:2008-09年

2009年に最高責任者兼美術監督として初の公式シーズンを始める予定だったジェラール・モルティエが突然辞任した2008年11月、継続企業の前提に関する注記が付された。同社は「我々が気付いた今日の経済情勢は、我々の計画進行を再考させることになった」と発表した。モルティエは年間予算6000万ドルを約束されたと報道されていたが、経済情勢のためこれが3600万ドルに削減された。新たな最高責任者の採用を含む、戦略転換について役員会に助言するためマイケル・カイザー英語版が任命された[38]

ディヴィッド・H・コーク劇場(旧:ニューヨーク州立劇場)は、2008-09シーズン中に大改修を行っていた。その工事期間中、同社はリンカーンセンターの本拠地でオペラを上演しなかった。代わりに、ニューヨーク・シティ・オペラは2009年1月にカーネギー・ホールサミュエル・バーバーの『アントニーとクレオパトラ』のコンサート版を上演し、市周辺の他のコンサートやプログラムと同様、ニューヨークの公立学校でプレゼンテーション授業を続けた[29]。2009年、同社はションバーグ黒人文化研究センターで3つのコンサート(「I'm On My Way」「Black History at City Opera, One Fine Day」「A Tribute to Camilla Williams」)を行ったほか、ウィリアム・グラント・スティルの『災いの島英語版』を60周年記念コンサートの製作とした[39]

2009年6月、ブルームバーグはこの会社が2008年6月までの1年間で赤字1100万ドルを背負ったと報道した。収益は23%減少の3290万ドル、支出が11%増加で4420万ドルとされた[40]

スティール:2009-13年

2009年1月、同社はジョージ・スティール英語版を総支配人(general manager) 兼美術監督に任命し、2009年2月1日に体制を発足すると発表した[41]。ニューヨークタイムズ紙は当時「多くの人が(NYCOを)国内で2番目に重要なハウス(オペラ劇場)だと考えている」と報じた[41]

2009年1月に、スティールが会社の方針転換を試みるためオペラの舵取りを依頼された時[42]、同社は一連の財政的経営的打撃を受けていた[43]。数百万ドルという赤字の10年[44]、2008-09年の「ダーク」シーズン(すなわち、上演したオペラ公演のない時期)、巨額の累積赤字を完済するための会社基金の枯渇[45]2008年の市場崩壊、役員会による予算およびシーズン規模の大幅削減、主導者のいない長期間の後に総支配人になる予定だったジェラール・モルティエの突然の辞任[46](その前の最高責任者ポール・ケロッグは2007年に辞任)[47]

スティールのもと2009-2010年のシーズン中に、この会社はアメリカのオペラからの抜粋で構成した「American Voices」と呼ばれる夜開催のプログラムに戻った。このシーズンには、ヒューゴー・ワイズガルの『エステル英語版 』の復活上演や、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の新作も含まれていた。2010年3月に開催した春のシーズンには、マーク・ラモス英語版が監督するエマニュエル・シャブリエの『エトワール英語版』と、アンドリュー・チョーンが監督するヘンデルの『パルテノペ英語版』(オリジナル制作はフランシスコ・ネグリン英語版が監督したもの)が含まれていた。また同社は、ションバーグ黒人文化研究センターおよびオペラ・ノワール・オブ・ニューヨーク英語版との共同作業で、「Opera at the Schomburg」「A Tribute to Robert McFerrin」 「X, The Life and Times of Malcolm X」を含め、アフリカ系アメリカ人の歴史におけるオペラの役割に光を当て続けた[48]。2010年4月、NYCOの「Vox, 現代オペラ・ラボ」は、ニューヨーク大学にて新興作曲家および定評ある作曲家の新作を特集した[49]

2010-11年シーズンには、クリストファー・オルデン英語版が監督したレナード・バーンスタインの『静かな場所』の新作が含まれていた。ほか レオン・メジャー英語版が監督したリヒャルト・シュトラウスの『インテルメッツォ』、そしてジョン・ゾーンの『La Machine de l'être』、アルノルト・シェーンベルクの『期待』、そしてモートン・フェルドマンの『~でもなく英語版』という3つの単独1幕作品からなる『モノドラマ』と題された新作もあった。ブロードウェイミュージカルのベテラン作曲家ステファン・シュワルツ英語版による最初のオペラ『雨の午後の降霊祭 (オペラ)英語版』の米国初公演も上演された[50]

さらに、同社は以下のような幾つかのコンサート公演を行った。「クリスティン・ブルーワー英語版との夕べ」「Lucky To Be Me:レナード・バーンスタインの音楽、ジョン・ゾーン&仲間と共に」、モーリス・センダック台本によるオリヴァー・ナッセンの『かいじゅうたちのいるところ』の家族オペラコンサート、そして「Defying Gravity:ステファン・シュワルツの音楽、クリスティン・チェノウェスラウル・エスパルザ英語版と共に[51][52]。2011年5月、同社はリンカーン・センターを離れて経費を節約し、今後のシーズンを市内の様々な会場で行うと発表した[53]

ビジネス面で、このオペラ劇団はスティールの任期の下で途方もない変化を遂げ、彼の任期中は予算のバランスが取れて、会社の寿命を延ばした。これらの変化は、ここ10年以上における初めての均衡予算英語版となり、2011-12年の完売シーズンに繋がるものとなった[43]。 会社を救うためにスティールが苦心して採用した一部の措置は論争を引き起こした、こじれたものの最終的に成立したオーケストラと歌手を代表する労働組合との契約交渉[54]やオペラ劇団がリンカーン・センターから離脱したこと等だが、それは財政的な必要性からのものであった[43]。会社は10年以上にわたってリンカーン・センターを去る案を公に討議していたが[55]、さもなくばオペラ劇団を閉鎖せざるを得ないという経済的現実による同社の最終的な出発には、賞賛と懐疑的意見との賛否両論が起こった[56]。芸術的な成功、資金調達の記録、そして会社のビジネスモデルへの劇的な変化にもかかわらず、最終的にこのオペラ劇団は経営破綻へと転落した。

経営破綻:2013-15年

2013年10月1日、ニューヨーク・シティ・オペラは2013-14シーズンを継続するための十分な資金調達ができなかったとして、ニューヨーク南部地区の米国破産裁判所に連邦破産法11章を申請した[57][58][59][60]。同社最後の製作は、マーク=アンソニー・タネジの『アンナ・ニコル』の米国初公演となった。

ニューヨーク・タイムズ記事において、音楽評論家のアンソニー・トマシーニは同社の2013年経営破綻の理由の1つを(他の失敗した芸術団体と関連づけて)次のように指摘した。

要は、芸術的な優秀さが十分ではなかったのである。どのような機関でも、大小や新旧を問わず、明確な芸術的ビジョン、観客や地域社会とつながる目的を持っていなければならない。 しかし、その舞台芸術は利益を生み出す努力では決してなかった。駆け出しの弦楽四重奏楽団から高尚なメトロポリタン・オペラまで、あらゆる機関が効果的なビジネスモデルを有することが、今まで以上に重要なのである[61]

再建復活:2016-現在

2015年に、NYCOルネッサンスLtd.と名付けられた非営利団体がニューヨーク・シティ・オペラ再建のための11章計画を提出し、既存する会社の再建が2016年に実施された[62][63]。チケットを購入して返金を受けなかった人には、追加の特典が与えられた[64]

2016年1月に同団体は、定番のオペラとニッチな作品との混合で、ニューヨーク・シティ・オペラを再始動させる計画を発表した[9][65]。蘇ったNYCOのために提供された新たな本拠地は、ジャズ・アット・リンカーン・センターにある現代的な1100席のローズシアターである[65][66]

シティ・オペラ役員会と債権者委員会の両方が、全会一致で、NYCOルネッサンスの提案が好ましいとした。同団体はヘッジファンドマネージャーにして以前シティ・オペラ役員を務めたアマチュアの音楽家ロイ・ニエダーホファー英語版による財政の後ろ盾(彼が会長を務める)があり、彼はその取り組みに100万ドル以上の自身のお金を保証し、そして少なくとも250万ドルを集めた[10][11][60][62][65][67][68]

2016年1月、破産裁判所はNYCOルネッサンスの再建計画を承認し、公演を再始動することを許可した[9][10]。破産裁判官のショーン・レーンは「人々に愛された、かつ重要な文化施設」の計画を承認できて自分は喜んでいると語り、「オペラを大いに気にかけている人々の参加が、私が非常に素晴らしいと考える結果を今日ここに導いたのです」と述べた[10]。再建計画の下、このオペラ劇団は年次シーズンを設定し、そしてその最高責任者はマイケル・カパッソ英語版と予定された[9]。シティオペラ・オーケストラ委員会の女性議長ゲイル・クルバンは「私たちは興奮しています...そしてニューヨーク・シティ・オペラとの長い未来を楽しみにしています」と語った[9]

2016年1月、NYCOルネッサンスは、1900年ローマにおけるオペラ初演からアドルフ・ホーエンシュタイン英語版の舞台および衣装デザインを用いた、プッチーニの『トスカ』を1100席のローズシアターで上演した[69][69]。テナーのジェームス・ヴァレンティ英語版とソプラノのラトニア・ムーア英語版を含む2つの別々のキャストがあり、最も安いバルコニー席は25ドルだった[13][69][70][71]『トスカ』は、1944年にNYCOによって演じられた最初のオペラである[11][65][69]

NYCOは2015-16年のシーズンに、同社にとって全て新作となる3つの現代作品を上演すると発表した。2016年3月16日、ジャズ・アット・リンカーン・センターのアペル・ルームでの新たなコンサートシリーズが、デヴィッド・ハーツバーグ(David Hertzberg)の『日曜日の朝』の初演とともに開催された。ソプラノと小さなアンサンブルのための作品、それはソプラノのサラ・シャファー(Sarah Shafer)とメゾソプラノとカースティン・チャベス(Kirstin Chávez)を特集したものだった[72]。これに続いたのが作曲家スチュワート・ウォレス英語版で台本マイケル・コリー(Michael Korie)の『ホッパーの妻』(画家エドワード・ホッパーとゴシップ・コラムニストのヘッダ・ホッパー間の想像上の結婚についての、超現実的でエロチックも詰まった1997年の90分のファンタジー室内オペラ)の東海岸初公演である。それは2016年4月28日から5月1日まで、ハーレムステージでアンドレアス・ミティセック英語版により監督されたもので、彼のニューヨーク・シティ監督デビューだった[73]。 3つ目に、NYCOは2016年6月22-26日にかけて、ダニエル・カタン英語版の『Florencia en el Amazonas』をジャズ・アット・リンカーン・センターのローズシアターで上演した。 ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説に基づき「Ópera en Español」と名付けられた新しいスペイン語オペラシリーズの一部だった[74][75][76][77][78]。公演のレビューで『ザ・ニューヨーク・オブザーバー』のジェームス・ジョーダンはこう書いている「再構成されたニューヨーク・シティ・オペラはプレゼンテーションの全ての面にわたってハイレベルの品質で、誇りに満ち溢れんばかりとなり...20年以上にわたって私がNYCOで聴いた強力なボーカリスト出演者の中でも、突出して相応しかったのはFlorenciaとしてのエリザベス・カバイェロ英語版でした...この製作は、その演劇の一番上に劇団がいることを明確にしてくれる」[79]。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「カバイェロは発見だ」と見解を述べた[80]。『ニューヨーク・クラシカル・レビュー』は、幾つかの演出的欠陥を指摘する一方で、「今後これが同社の活動の標準になるのであれば、将来は確かにとても明るいだろう」と書いた[81]

2016年9月8日、2016-17年シーズンのNYCO開幕の夜は両方とも1892年5月に初演されたオペラ『アレコ』(ニューヨーク初公演、セルゲイ・ラフマニノフ作曲、アレクサンドル・プーシキンの詩『ジプシー英語版』の改作)と『道化師』(ルッジェーロ・レオンカヴァッロによる)の2本立てだった。これらはLev Puglieseにより監督されたもので、ジェームス・ミーナ英語版がNYCOのオーケストラを指揮して、本拠地ローズシアターのローズホールで上演された[82]。 バスの、ステファン・スカファロウスキー英語版はアレコの配役でNYCOデビューを果たし、『道化師』はカニオとしてNYCOデビューを果たしたテナーのフランチェスコ・アニーレ英語版を特色とするものだった[82]。ニューヨーク・タイムズ紙のアントニー・トマシーニは「ニューヨーク・シティ・オペラのオーケストラによる演奏は、時おりぎこちなかったが、生き生きとしたパフォーマンスを提供し、...劇団のコーラスからは活気のある歌を提供していた。...熱狂的な聴衆がこのオープニングイベントに現れ、それが再始動したシティ・オペラのシーズンを明らかに、いや定義さえできよう」と書いた[83]。『ニューヨーク・クラシカル・レビュー』は、「このたびの『道化師』はデイビット・マクヴィカー英語版による最近のメトロポリタン作品よりもだいぶ感動的なものだった、...数年後、この音楽的かつ感情的に満足のいく2本立ては、この名高い劇団がついに自らの足で再起したであろうことの、これまでで最も素晴らしい証拠である。」と書いている[84]ハフィントン・ポストは、「NYCOはオペラ界における勢力としての地位を再確立するための正しい道を歩んでいる」との見解を述べた[85]

ニューヨーク・シティ・オペラは2018-19年シーズンも2作品の世界初公演を行うなど[86]、オペラ劇団として活動を行っている。

世界初公演作品

脚注

注釈
  1. ^ レパートリーとは、劇団や音楽家がいつでも上演できるよう準備してある演目や曲目のこと[2]
  2. ^ 座学ではなく、実際に芸術に触れる(鑑賞する)ことで、芸術への理解を深めたり文化的感性を養う教育手法のこと。
  3. ^ ハー・マジェスティーズは「女王陛下」と言う意味。英国ロンドンのハー・マジェスティーズ劇場がよく知られているが、同名の劇場が世界各地にあり、これはカナダのモントリオールにあるもの。
  4. ^ オペラにおけるソプラノは声質や歌唱法によって細かく分類され、叙情的で甘い性格をもつ表現がソプラノ・リリコ。さらにリリコは、声質の重い・軽いによる分類があり、重い声質がリリコ・スピントと呼ばれる[25]
出典
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外部リンク