「バスク州」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
→‎関連項目: カタルーニャ州を追加
改名提案
(4人の利用者による、間の9版が非表示)
1行目: 1行目:
{{改名提案|バスク州|t=ノート:バスク自治州|date=2014年12月}}
{{Redirect|バスク国|広義のバスク地方|バスク国 (歴史的な領域)}}
{{Redirect|バスク国|広義のバスク地方|バスク国 (歴史的な領域)}}


{{Infobox settlement
{{Infobox settlement
| name = バスク
| name = バスク自治州
| native_name = {{lang|eu|Euskadi}}&nbsp;{{ref|a|a}} {{eu icon}}<br/>{{lang|es|País Vasco}}、{{lang|es|Euskadi}} {{es icon}}
| native_name = {{lang|eu|Euskadi}}&nbsp;{{ref|a|a}} {{eu icon}}<br/>{{lang|es|País Vasco}}、{{lang|es|Euskadi}} {{es icon}}
| official_name = バスク自治州<br/>{{lang|eu|Euskal Autonomia Erkidegoa}}&nbsp;{{ref|b|b}} {{eu icon}}<br/>{{lang|es|Comunidad Autónoma del País Vasco}} {{es icon}}
| official_name = {{lang|eu|Euskal Autonomia Erkidegoa}}&nbsp;{{ref|b|b}} {{eu icon}}<br/>{{lang|es|Comunidad Autónoma del País Vasco}} {{es icon}}
| settlement_type = [[スペインの地方行政区画|自治州]]
| settlement_type = [[スペインの地方行政区画|自治州]]
| image_skyline =
| image_skyline =
17行目: 18行目:
| shield_alt = バスクの紋章
| shield_alt = バスクの紋章
| motto =
| motto =
| anthem = [[:en:Eusko Abendaren Ereserkia]]
| anthem = エウスコ・アベンダレン・エレセルキア
| image_map = Localización del País Vasco.svg
| image_map = Localización del País Vasco.svg
| mapsize =
| mapsize =
| map_alt =
| map_alt =
| map_caption = スペイン北部におけるバスクの位置 ()
| map_caption = スペイン北部におけるバスク自治州の位置
| latd=42 |latm=50 |lats= |latNS=N
| latd=42 |latm=50 |lats= |latNS=N
| longd=2 |longm=41 |longs= |longEW=W
| longd=2 |longm=41 |longs= |longEW=W
29行目: 30行目:
| subdivision_name = [[スペイン]] <!-- No flags -->
| subdivision_name = [[スペイン]] <!-- No flags -->
| seat_type = 州都
| seat_type = 州都
| seat = [[ビトリア=ガステイス]]<ref name=elcorreo>{{cite news|title=Azkuna: "Vitoria no es la capital de Euskadi"|url=http://www.elcorreo.com/vizcaya/v/20100312/politica/vitoria-capital-euskadi-20100312.html|accessdate=2010-09-09|newspaper=[[エル・コレオ]]|date=2010-03-12}}</ref><ref>{{cite news|last=Ayala|first=Alberto|title=Vitoria no será capital por ley, por ahora|url=http://www.elcorreo.com/alava/v/20100511/politica/vitoria-sera-capital-ahora-20100511.html|accessdate=2010-09-09|newspaper=[[エル・コレオ]]|date=2010-05-11}}</ref>
| seat = [[ビトリア=ガステイス]]
| parts_type = [[スペインの県|県]]
| parts_type = [[スペインの県|県]]
| parts_style = para
| parts_style = para
36行目: 37行目:
| p2 = [[ビスカヤ県]]
| p2 = [[ビスカヤ県]]
| p3 = [[ギプスコア県]]
| p3 = [[ギプスコア県]]
| government_type = [[:en:Devolution]]([[立憲君主制]]憲政下)
| government_type = 自治権委譲([[立憲君主制]]憲政下)
| governing_body = [[:en:Basque Government]]
| governing_body = バスク自治州政府
| government_footnotes =
| government_footnotes =
| leader_party = [[バスク国民党]](EAJ/PNV)
| leader_party = [[バスク国民党|バスク民族主義党]](EAJ/PNV)
| leader_title = [[レンダカリ]]
| leader_title = [[レンダカリ]]
| leader_name = [[イニゴ・ウルクル]]
| leader_name = [[イニゴ・ウルクル]]
| area_total_km2 = 7234
| area_total_km2 = 7234
| area_rank = 14位 (スペイン中1.4%)
| area_rank = 14位 スペイン中1.4%
| area_notes =
| area_notes =
| population_as_of = 2008
| population_as_of = 2008
49行目: 50行目:
| population_note =
| population_note =
| population_blank1_title = 順位
| population_blank1_title = 順位
| population_blank1 = 7位 (スペイン中4.9%)
| population_blank1 = 7位 スペイン中4.9%
| population_density_km2 = auto
| population_density_km2 = auto
| population_demonym =
| population_demonym =
56行目: 57行目:
| demographics1_title1 = 英語
| demographics1_title1 = 英語
| demographics1_info1 = Basque
| demographics1_info1 = Basque
| demographics1_title2 = [[カスティーリャ語]]
| demographics1_title2 = [[スペイン語|カスティーリャ語]]
| demographics1_info2 = vasco(男性形)、vasca(女性形)
| demographics1_info2 = vasco(男性形)、vasca(女性形)
| demographics1_title3 = [[バスク語]]
| demographics1_title3 = [[バスク語]]
68行目: 69行目:
| blank_info_sec1 = 1979年10月25日
| blank_info_sec1 = 1979年10月25日
| blank1_name_sec1 = 公用語
| blank1_name_sec1 = 公用語
| blank1_info_sec1 = [[バスク語]]、[[カスティーリャ語]]
| blank1_info_sec1 = [[バスク語]]、[[スペイン語|カスティーリャ語]]
| blank2_name_sec1 = | blank2_info_sec1 =
| blank2_name_sec1 = | blank2_info_sec1 =
| blank_name_sec2 = 議席割り当て
| blank_name_sec2 = 議席割り当て
| blank_info_sec2 =
| blank_info_sec2 =
| blank1_name_sec2 = [[:en:Basque Parliament]]
| blank1_name_sec2 = バスク自治州議会
| blank1_info_sec2 = 75 deputies
| blank1_info_sec2 = 75
| blank2_name_sec2 = [[代議院 (スペイン)|代議院]]
| blank2_name_sec2 = [[代議院 (スペイン)|院]]
| blank2_info_sec2 = 19 (350人中)
| blank2_info_sec2 = 19人(350人中
| blank3_name_sec2 = [[元老院 (スペイン)|元老院]]
| blank3_name_sec2 = [[元老院 (スペイン)|院]]
| blank3_info_sec2 = 15 (264人中)
| blank3_info_sec2 = 15人(264人中
| website = [http://www.euskadi.net バスク州政府]{{eu icon}}
| website = [http://www.euskadi.net バスク州政府]{{eu icon}}
| footnotes = a. {{note|a}} Also ''Euskal Herria'', according to the Basque Statute of Autonomy .<br/><!--
| footnotes = a. {{note|a}} Also ''Euskal Herria'', according to the Basque Statute of Autonomy .<br/><!--
-->b. {{note|b}} Also ''Euskal Herriko Autonomia Erkidegoa'', according to the Basque Statute of Autonomy.
-->b. {{note|b}} Also ''Euskal Herriko Autonomia Erkidegoa'', according to the Basque Statute of Autonomy.
}}
}}
'''バスク自治州'''({{lang-eu|Euskadi}} {{IPA-eu|eus̺kadi|}}, {{lang-es|País Vasco}} {{IPA-es|paˈiz ˈβasko|}}, {{lang-en|Basque Country}}, {{lang-fr|Pays Basque}})は、[[スペイン]]北部にある[[スペインの地方行政区画|自治州]]。[[ピレネー山脈]]の西側に位置し、北側は[[大西洋]]の[[ビスケー湾]]に面している。[[アラバ県]]、[[ビスカヤ県]]、[[ギプスコア県]]の3県で構成されている。
[[ファイル:Basque country map.png|thumb|250px|right|バスク全土]]
'''バスク自治州'''({{lang-eu|Euskadi}}、[[カスティーリャ語]]: {{lang|es|País Vasco}})は、[[スペイン]]の[[自治州]]の一つである。州都は[[ビトリア=ガステイス]]({{lang-eu|Gasteiz}}、カスティーリャ語: {{lang|es|Vitoria}})。スペインの北部、[[ピレネー山脈]]の西側に位置し、北は[[大西洋]]([[ビスケー湾]])に面している。


[[スペイン1978年憲法]](現行憲法)によって、バスク自治州はスペインにおいて強力な自治権を得た。行政区分としてのバスク自治州は{{仮リンク|ゲルニカ憲章|en|Statute of Autonomy of the Basque Country}}(バスク自治憲章 : スペイン領バスクに住む[[バスク人]]の発展のための枠組みを提供する基本的な法的文書)に基づいているが、バスク人が多く住むナバーラ県はバスク自治州から除外され、単独で[[ナバーラ州]]となった。バスク自治州には公式な州都は存在しないが<ref name=elcorreo/>、バスク議会やバスク自治州政府の本部が置かれるアラバ県の[[ビトリア=ガステイス]]が事実上の州都である。もっとも人口が多い自治体はビスカヤ県の[[ビルバオ]]である。
住民は歴史的にはいわゆる[[バスク人]]であり、スペイン内の他地域とは、文化的には差異が大きい。スペイン国内では経済先進地域であり、他地方からの移民も多く、そのため州公用語の[[バスク語]]は少数言語状態にあり、公営TVのETBはそのチャンネルでスペイン語放送もせざるを得ないのが現状である([[カタルーニャ州]]や[[ガリシア州]]では公営TVでは固有語による放送しか行っていない)。


== 名称 ==
== 名称 ==
カスティーリャ語ではパイス・バスコ({{lang|es|País Vasco}})またはバスク語起源名称でエウスカディ ({{lang|eu|Euskadi}}) 呼ばれ、以前はカスティーリャ語ではプロビンシアス・バスコンガーダス ({{lang|es|Provincias vascongadas}}) の名称もよく使われていた。アラ、ビカイアギブスコアの3県を指す。それを訳した形として、日本語も'''バスク国'''、'''バスク自治州'''訳される場合もある<!--ウィキペディア以前は見たことがないぞ。ウィキペディアが広めたんじゃないのか?-->。バスク語にエウスカル・エリア ({{lang|eu|Euskal Herria}})」エウスカディ ({{lang|eu|Euskadi}})」二つ呼び方がある。前者は「バスク語の話されるくに」を意味する(「エウスカル(バスク語の)」+「エリアくに後者は、19世紀のバスク・ナショナリズムの始祖[[サビノ・アラナ]]の造語<ref>萩尾生「バスク地方と」/ 萩尾生吉田浩美編著『現代バスクをための50章』明石書店 2012年 24-28ページ</ref>。
[[バスク人]]居住地いう文化的領域としての[[バスク国 (歴史的な領域)|バスク地方]]と行政区分としてのバスク自治州との混同には注意が必要ある。バスク地方やバスク自治州を指す呼称して、[[バスク語]]エウスカル・エリア{{lang|eu|Euskal Herria}}とエウスカディ{{lang|eu|Euskadi}})があるが、こ2種類はバスク自治州みを指す場合と、バスク地全体を指す場合あり、個人の立場や政治社会的文脈によってさまざまである<ref name=hagio2428>萩尾ほか(2012)、pp.24-28</ref>エウスカル・エリアは「バスク語の話されるくに<ref group="注">バスク語のエリア(Herria)は必ずしも「国家」のニュアンスを持たないことから、ひらがなの「くに」を当てている出典関ほか(2008)p.397</ref>」を意味し、エウスカディは[[バスク・ナショナリズム]]の始祖[[サビノ・アラナ]]の造語である<ref name=hagio2428/>。[[スペイン語|カスティーリャ語]]でバスク自治州パイスバスコ({{lang|eu|Páis Vasco}})またはエウスカディと呼ばれ、バスク地方全体指す場合にバスコニア({{lang|eu|Vasconia}})という単語が使われる場合がある<ref name=hagio2428/>。


== 地理 ==
自治州の領域を'''バスク地方'''と呼ぶことがある。ただし、「バスク地方」と言った場合、バスク人の歴史的な居住地を指す概念もあるので注意が必要である。広義の「バスク地方」({{lang-eu|Euskal Herria}})はスペイン・フランスにまたがって広がっており、バスク自治州の領域はその一部である。詳細は'''[[バスク国 (歴史的な領域)]]''' を参照。
西は[[カンタブリア州]]と[[カスティーリャ・イ・レオン州]]、南は[[ラ・リオハ州]]、東は[[フランス]]と[[ナバーラ州]]と接しており、北は[[大西洋]]の[[ビスケー湾]]に面している。[[エブロ川]]がラ・リオハ州との自然州境を形成している。東西に並行して走る2本の[[カンタブリア山脈#東部|バスク山脈]]によって、バスク自治州は地理的に3地域に分けることができる。ビスケー湾に面した北部の「大西洋岸」、[[地中海]]に流れ込む[[エブロ川]]流域にあたる南部の「エブロ谷」、両者の中間部のアラバ盆地と呼ばれる高原地帯である。


== 歴史 ==
=== 地形 ===
; 北部(大西洋岸)
{{see also|バスク国 (歴史的な領域)#歴史}}
バスク山脈から[[ビスケー湾]]に流れ込む[[ネルビオン川]]、ウロラ川、[[オリア川]]、[[ウルメア川]]、[[ビダソア川]]などの小河川が内陸部に小盆地を形成している。海岸部は[[リアス式海岸]]が続き、高い崖や小さな入江で構成されていることから、天然の良港を抱える<ref name=hagio2428>萩尾ほか(2012)、pp.49-53「海バスク」</ref>。砂浜海岸は少なく<ref name=allieres15>アリエール(1992)、p.15</ref>、[[レケイティオ]]や[[サン・セバスティアン]]など一部に限られる。ビルバオ・アブラ湾、[[ビルバオ河口]]、ウルダイバイ河口、フランスとの国境を形成している[[チングディ湾]]などの地形が特徴である。海岸部に住むバスク人は捕鯨におけるヨーロッパの先駆者であり、ビスケー湾沿岸には[[ベルメオ]]、[[オンダロア]]、[[サラウツ]]、[[オンダリビア]]など、紋章にクジラの図柄を含む自治体が少なからず存在する<ref name=hagio2428/>。協同での捕鯨や遠洋漁業に代表されるように、ビスケー湾岸地域は山間部に比べて集団主義志向であるとされる<ref name=hagio2428/>。
バスク自治州政府は、1936年に成立した「バスク自治政府」に自らの起源を置いている。自治あるいは独立を目指したバスク民族運動の経緯は[[バスク民族主義党]]を参照のこと。


; 中間部(アラバ盆地)
現在のバスク自治州は、1978年のスペイン憲法によってバスク3県(アラバ・ビスカヤ・ギプスコア)にバスク自治州が設定されたことにはじまる。自治州政府の行政機構を定めた地方自治憲章(ゲルニカ憲章)が1979年10月25日の国民投票で承認されたことにより、現在の自治州政府が確立している。
ふたつの山脈の間の地域はアラバ盆地と呼ばれる高原があり、アラバ盆地の中央部には州都[[ビトリア=ガステイス]]が位置している。河川は山地や盆地から[[エブロ川]]に向かって流れ、主な河川には{{仮リンク|サドーラ川|en|Zadorra River}}やバジャス川などがある。北部と中間部の間にはバスク山脈の一部であるゴルベア山地やウルキージャ山地が横たわっており、アラバ県とギプスコア県の県境にはバスク自治州の最高峰であるアイスコリ山(1,551m)がある。


; 南部(エブロ平原)
2003年には州政府の閣議で、さらに高度な自治を要求し、将来のスペインとの関係見直しも視野に含めた{{仮リンク|イバレチェ・プラン|en|Ibarretxe Plan}}を決定し、バスク州議会を通過させたが、[[マドリード]]の議会で否決されている。
南部のエブロ川流域はリオハ・アラベサと呼ばれ、[[ラ・リオハ州]]や[[アラゴン州]]などと地中海沿岸的特性を共有している。ブドウの生産が盛んなリオハ地方は[[ラ・リオハ州]]だけでなくアラバ県にもまたがっており、この地域で収穫されたブドウから{{仮リンク|リオハ (ワイン)|label=リオハ|en|Rioja (wine)}}として知られる赤ワインが製造されている<ref name=hagio281283>萩尾ほか(2012)、pp.281-283</ref>。中間部と南部を隔てる山地は標高1,000m程度であり、この山地の南側にはカスティーリャ・イ・レオン州の飛び地である{{仮リンク|トレビニョ|en|Treviño}}がある。


<gallery>
== 政治 ==
Iglesia San Telmo.jpg|[[コスタ・バスカ]](北部)
[[ファイル:Parlamento vasco 1.jpg|thumb|180px|バスク議会議事堂]]
Lekeitio harbour.jpg|典型的な港町である[[レケイティオ]](北部)
[[ファイル:Palacio de Ajuria Enea (Vitoria).jpg|180px|thumb|レンダカリ公邸]]
Vitoria desde berrosteguieta.jpg|州都[[ビトリア=ガステイス]](中間部)
[[ファイル:Ertzaintza Volkswagen Bilbao.jpg|thumb|180px|州警察Ertzaintzaのパトカー]]
Rioja vineyards.JPG|[[エブロ川]]流域のブドウ畑(南部)
バスク自治州政府(バスク政府、{{lang-eu|Eusko Jaurlaritza}}、[[カスティーリャ語]]: {{lang|es|Gobierno Vasco}})がビトリア=ガステイスに置かれている。
</gallery>


=== 気候 ===
「バスク政府」は1936年に成立した「バスク自治政府」をその起源に据えており、首長は[[レンダカリ]]という称号で呼ばれている。日本語では「州首相」「州知事」「首長」と訳されるほか、「大統領」と訳されることがある(レンダカリに相当するカスティーリャ語は{{lang|es|presidente}}だが、これはほかの自治州の首長も同様である)。
[[バスク山脈]]は[[大西洋]]と[[地中海]]に注ぐ河川を隔てる[[分水嶺]]であり、バスク山脈を境にバスク自治州の気候は明確に区分される。ビスカヤ県やギプスコア県北部の谷、アラバ県のアジャラ谷などは[[エスパーニャ・ベルデ]](スペインの北部大西洋岸地域)の一部であり、湾岸部は[[西岸海洋性気候]](CfB)である<ref name=teiko16>大泉光一(1993)、p.16</ref><ref name=michi2>大泉陽一(2007)、p.2</ref>。一年中湿度が高く、過ごしやすい気温である。年間降水量は約1,200mmであり、イベリア半島内でもっとも降水量が多い地域である<ref name=teiko16/><ref name=michi3>大泉陽一(2007)、p.3</ref>。ビルバオの1日あたり日照時間は最長を記録する7月が6.06時間、最短を記録する12月が2.51時間である<ref name="AEMET">{{cite web |url=http://www.aemet.es/en/serviciosclimaticos/datosclimatologicos/valoresclimatologicos?l=1082&k=pva |title=Standard Climate Values. Bilbao Aeropuerto |work=AE Met |date= |accessdate=2014-10-20}}</ref>。年間日照時間は1,584時間であり、エスパーニャ・ベルデを除いたスペインの他地域の半分程度、北ヨーロッパのロンドン(イギリス)やワルシャワ(ポーランド)などと同程度である。中央部のアラバ盆地は[[大陸性気候]]の影響が大きいが、北部の海洋性気候も混じり合い、乾燥して暖かい夏季と寒く降雪のある冬季をもたらす。南部のエブロ谷は純粋な大陸性気候であり、冬季は寒く乾燥し、夏季はとても温かく乾燥する。降水量は春季と秋季がピークであるが、希少かつ不規則であり、年間300mm程度の少なさである。


{{Weather box
バスク自治州議会もビトリア=ガステイスに所在する。3つの県に25ずつの議席が割り当てられている。レンダカリは4年に一度、議会の選挙で選ばれる。1978年以後30年間にわたってレンダカリは[[バスク民族主義党]]から選出されてきたが、2009年5月の選挙で[[バスク社会党]]のフランシスコ・ハビエル・ロペス・アルバレス(愛称の[[パチ・ロペス|'''パチ'''・ロペス]]で呼ばれることが多い)が、バスク民族主義者党以外からはじめてレンダカリに就任した。
|location = [[ビルバオ]]([[ビルバオ空港]])
|metric first = yes
|single line = yes


|year high C = 19.1
なお、バスク自治憲章(ゲルニカ憲章)にはナバーラがバスク自治州に加わることを想定した文言がある。その場合には、州政府と州議会を現在のビトリア=ガステイスからナバーラの[[パンプローナ]]に移すとしている。
|Jan mean C = 9.0
|Feb mean C = 9.8
|Mar mean C = 10.8
|Apr mean C = 11.9
|May mean C = 15.1
|Jun mean C = 17.6
|Jul mean C = 20.0
|Aug mean C = 20.3
|Sep mean C = 18.8
|Oct mean C = 15.8
|Nov mean C = 12.0
|Dec mean C = 10.0
|year mean C = 14.3


|Jan precipitation mm = 126
自治州はラジオ・テレビ局やErtzaintzaと呼ばれる州警察を持っている。また、州政府は教育・保健政策を管掌している。これらの権限はバスク自治憲章に伴い、[[国会 (スペイン)|国会]]によって州に移譲された。
|Feb precipitation mm = 97
|Mar precipitation mm = 94
|Apr precipitation mm = 124
|May precipitation mm = 90
|Jun precipitation mm = 64
|Jul precipitation mm = 62
|Aug precipitation mm = 82
|Sep precipitation mm = 74
|Oct precipitation mm = 121
|Nov precipitation mm = 141
|Dec precipitation mm = 116
|year precipitation mm = 1195


|source 1 = Agencia Estatal de Meteorología<ref name="AEMET" />
== 地理 ==
|date=September 2013}}
[[ファイル:Macizo de Aitzkorri.jpg|thumb|250px|バスクの最高峰、Aitzkorri massif]]

バスク自治州は、北にビスケー湾に面しており、西に[[カンタブリア州]]・[[ブルゴス県]]([[カスティーリャ・イ・レオン州]])、南に[[ラ・リオハ州]]、東に[[ナバーラ州]]および[[フランス]]に隣接する。
=== 県と自治体 ===
[[File:Euskadi provincias lg.jpg|thumb|right|200px|3県の位置関係図]]

バスク自治州は[[アラバ県]]、[[ビスカヤ県]]、[[ギプスコア県]]の3県で構成され、それぞれの県都は[[ビトリア=ガステイス]]、[[ビルバオ]]、[[サン・セバスティアン|ドノスティア / サン・セバスティアン]]である。1979年の自治州発足後、全252の[[ムニシピオ]](基礎自治体)のうち187のムニシピオが自治体名の改名を行った<ref name=ishii42>石井(2013)、p.42</ref>。その多くは[[スペイン語|カスティーリャ語]]名を[[バスク語]]名に改名したものだが、二言語の名称をハイフンで連結した自治体や、スラッシュで分けた自治体も見られる<ref name=ishii4546>石井(2011)、pp.45-46</ref>。ハイフンで連結された場合には二者択一性は担保されておらず、全体で一つの名称として扱われる<ref name=ishii4546/>。スラッシュで分けられた場合は、使用する言語環境によって二者のうちいずれかを選択する<ref name=ishii4546/>。

{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
|-
! 分類 !! 日本語<ref group="注" name=kanyo>ここでは日本における慣用表記を考慮した名称を記載している。バスク自治州はバスク州と表記されることも多く、ビトリア=ガステイスはビトリア単独で表記されることも多い。</ref> !! 公式名 !! カスティーリャ語表記<ref name=seki340343>関ほか(2008)、pp.340-343</ref> !! バスク語表記<ref name=seki340343/>
|-
| 州名 || '''[[バスク自治州]]''' || || Páis VascoまたはEuskadi|| EusukadiまたはEusukal Herria
|-
| rowspan=3| 県名 || '''[[アラバ県]]''' || Álava / Araba || Álava || Araba
|-
| '''[[ビスカヤ県]]''' || Bizkaia || Vizcaya || Bizkaia
|-
| '''[[ギプスコア県]]''' || Guipúzcoa || Gipuzkoa || Guipúzcoa
|-
| rowspan=3| 県都名 || '''[[ビトリア=ガステイス]]''' || Vitoria-Gasteiz<ref name=ishii>石井(2013)</ref> || Vitoria || Gasteiz
|-
| '''[[ビルバオ]]''' || Bilbao || Bilbao || Bilbo
|-
| '''[[サン・セバスティアン]]''' || Donostia / San Sebastián<ref name=ishii/> || San Sebastián || Donostia
|}

{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
|-
! # !! 自治体 !! 県名 !! 人口<ref group="注" name=ine>2013年のスペイン国立統計局(INE)の調査による。</ref> !! !! # !! 自治体 !! 県名 !! 人口<ref group="注" name=ine/>
|-
| 1 || [[ビルバオ]] || [[ビスカヤ県]] || 349,356人 || rowspan=5| || 6 || [[イルン]] || [[ギプスコア県]] || 61,113人
|-
| 2 || [[ビトリア=ガステイス]] || [[アラバ県]] || 241,386人 || 7 || [[ポルトゥガレテ]] || [[ビスカヤ県]] || 47,756人
|-
| 3 || [[サン・セバスティアン]] || [[ギプスコア県]] || 186,500人 || 8 || [[サントゥルツィ]] || [[ビスカヤ県]] || 47,129人
|-
| 4 || [[バラカルド]] || [[ビスカヤ県]] || 100,502人 || 9 || [[バサウリ]] || [[ビスカヤ県]] || 41,971人
|-
| 5 || [[ゲチョ]] || [[ビスカヤ県]] || 79,839人 || 10 || [[エレンテリア]] || [[ギプスコア県]] || 39,324人
|}


自治州は、東西に並行する2本の山脈によって3地域に分けることができる。ビスケー湾に面した北部の「大西洋岸」、地中海に流れ込むエブロ川流域にあたる南部の「エブロ谷」、両者の中間に当たる中部の高原地帯である。バスク自治州の最高峰はAitzkorri (1551 m) である。
<gallery>
<gallery>
Vista de Bilbao (1).jpg|[[ビルバオ]](ビスカヤ県)
ファイル:Iglesia San Telmo.jpg|Zumaia付近のバスクの海岸
Bulevar de Salburua, Vitoria-Gastiez.jpg|[[ビトリア=ガステイス]](アラバ県)
ファイル:Rioja vineyards.JPG|エブロ川流域のブドウ畑
750px-San Sebastian aerial Añorga.jpg|[[サン・セバスティアン]](ギプスコア県)
ファイル:Vitoria desde berrosteguieta.jpg|州都ビトリアの景観
</gallery>
</gallery>


=== ===
=== 人口 ===
バスク自治州の人口は約215万人であり、スペインの自治州内における順位は第7位、スペイン全体に占める割合は4.9%である。バスク自治州でもっとも人口が多い自治体は[[ビルバオ]]であり、州人口の半分の約100万人は[[ビルバオ都市圏]]に住む。人口上位の10自治体のうち、6自治体(ビルバオ、[[バラカルド]]、[[ゲチョ]]、[[ポルトゥガレテ]]、[[サントゥルツィ]]、[[バサウリ]])がビルバオ都市圏にある。バスク自治州の人口のうち、28.2%はバスク自治州外生まれである<ref name="elmundo.es">{{cite web|url=http://www.elmundo.es/elmundo/2009/03/11/paisvasco/1236769219.html |title=El 28,2% de la población que vive en el País Vasco ha nacido fuera &#124; País Vasco |work=[[エル・ムンド]] |date=2009-03-11 |accessdate=2010-04-26}}</ref>。
以下の3つの県より構成される。下記の表記は(カスティーリャ語 / バスク語)となっている。


19世紀末には急激な工業化によって人口が大きく増加し、1877年に45万人だった人口は1900年には60万人となった<ref name=seki357360>関ほか(2008)、pp.357-360</ref>。20世紀の100年間を通してスペインの他地域から移住者がやってきており、特に[[ガリシア州]]と[[カスティーリャ・イ・レオン州]]からの移住者が多い。1950年代以後の高度経済成長期には大量の労働者が流入し、1950年に104万人だった人口は1975年には約2倍の207万人に達した<ref name=seki380382/>。1970年代半ば以降には技術者や熟練労働者が大量に流出し、1975年から1991年までに13万人以上の社会減を記録した<ref name=seki391393/>。20世紀末にはかなりの人口がスペイン国内の自身の出身地に戻ったが、逆に南アメリカなど国外からの移民は増加している<ref name="elmundo.es"/>。スペインの総人口に占める比率は徐々に低下し<ref name=ikari40>碇(2008)、p.40</ref>、また急速に少子高齢化が進行している。ホセ・アランダ・アスナールによれば、バスク自治州の人口の30%は地域外で生まれ、40%はバスク人の親を持っていない<ref name="Aranda">"La mezcla del pueblo vasco", ''Empiria: Revista de metodología de ciencias sociales'', ISSN 1139-5737, Nº 1, 1998, pags. 121–180.</ref>。
* [[アラバ県]] ({{lang|es|Álava}} / {{lang|eu|Araba}}) - 県都[[ビトリア=ガステイス]]({{lang|es|Vitoria}} / ガステイス {{lang|eu|Gasteiz}})
* [[ビスカヤ県]] ({{lang|es|Vizcaya}} / {{lang|eu|Bizkaia}}) - 県都[[ビルバオ]]({{lang|es|Bilbao}} / ビルボ {{lang|eu|Bilbo}})
* [[ギプスコア県]] ({{lang|es|Guipúzcoa}} / {{lang|eu|Gipuzkoa}}) - 県都[[ドノスティア=サン・セバスティアン]]({{lang|es|San Sebastián}} / ドノスティア {{lang|eu|Donostia}})


{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
== 経済 ==
|-
[[ファイル:Bilbao_03746.JPG|thumb|250px|ビルバオの商業地区]]
! colspan=9 | バスク3県の人口<ref name=seki357360/><ref group="注">1979年からバスク自治州を構成する3県の合計人口。</ref>
|-
| '''年''' || 1857 || 1877 || 1900 || 1920 || 1940 ||1960 || 1981 || 2001
|-
| '''人口''' || 413,470 || 450,699 || 602,204 || 783,125 || 948,096 || 1,358,707 || 2,141,809 || 2,082,587
|-
|}


== 歴史 ==
バスク州はスペインの中でももっとも豊かな地方で、一人当たりGDPは[[欧州連合|EU]]の平均よりも20.6%高く、30,680 USドルである(2004年)[http://www.lehendakaritza.ejgv.euskadi.net/r48-7872/en/contenidos/informacion/ec_vasca/en_3216/indice_i.html]。
{{see also|バスク国 (歴史的な領域)#歴史}}


=== 第二共和政とフランコ時代 ===
産業は伝統的に[[製鉄業]]・[[造船業]]に集中していた。これは19世紀にビルバオ周辺で豊かな[[鉄鉱石]]が発見されたためで、19世紀から20世紀半ばにかけて、ビルバオはバスクの「産業革命」の中心となった。1970年代・80年代の経済危機の時代にこれらの伝統的な産業は停滞し、かわってサービス産業や新技術産業が成長している。
[[File:Alsasua 09 - Impunidad callejera de los asesinos 1.JPG|thumb|right|200px|ETAのシンボル]]


1833年に[[スペインの県|県]]という枠組みが導入されてから、スペイン1978年憲法制定とバスク自治州発足まで、[[アラバ県]]、[[ビスカヤ県]]、[[ギプスコア県]]の3県は[[スペイン語|カスティーリャ語]]ではプロビンシアス・バスコンガダス(バスクの県)という名称で知られていた<ref>{{cite book|last=Esparza Zabalegi|first=Jose Mari|title=Euskal Herria Kartografian eta Testigantza Historikoetan|year=1990|publisher=Euskal Editorea SL|isbn=978-84-936037-9-3|pages=52–54, 58}}</ref>。1931年には[[スペイン第二共和政]]が成立し、[[ホセ・アントニオ・アギーレ]]らはエステーリャ憲章(バスク自治憲章案)を作成したが、この際には共和国政府に容認されず廃案となった<ref name=kawanari196>川成ほか(2013)、p.196</ref>。
現在、バスク自治州の工業部門で大きな割合を占めているのは、ビスカヤ谷・ギプスコアの[[工作機械]]、ビトリア=ガステイスの航空機械工業、ビルバオのエネルギー業である。


[[スペイン内戦]]中の1936年10月1日、[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]に移転した共和国議会でバスク自治憲章が成立し、バスク自治法が公布されてバスク自治政府が樹立されたが<ref name=kawanari196/>、この時点でナバーラ県とアラバ県の一部は反乱軍側にあり、共和国側の領域となったのはビスカヤ県の全域とギプスコア県の一部だけだった<ref>大泉陽一(2007)、p.30</ref><ref>大泉光一(1993)、p.47</ref><ref name=tateishi170>立石ほか(2002)、p.170</ref>。10月7日には現在のバスク自治州の前身であるバスク自治政府が発足し、アギーレが初代[[レンダカリ]](政府首班)に就任した<ref name=seki373376>関ほか(2008)、pp.373-376</ref><ref name=tateishi170/>。バスク軍警察やバスク大学を創設するなどして自治を行ったが、[[スペイン内戦]]では反乱軍の後押しを受けたドイツ軍による[[ゲルニカ爆撃]]などが行われ、バスク自治政府は支配領域をすべて失って亡命政府となった<ref>大泉光一(1993)、p.51</ref>。バスク亡命政府はバルセロナ、パリ、ニューヨークと拠点を変え、自治憲章が無効とされたバスク地方ではバスク語文化とそれに結びつく象徴的行為が抑圧された<ref name=seki376378>関ほか(2008)、pp.376-378</ref><ref name=tateishi171>立石ほか(2002)、p.171</ref><ref group="注">ただし、バスク語の使用禁止を明文化した法文はほとんど確認されていない。出典は関ほか(2008)、pp.376-378</ref>。[[第二次世界大戦]]後、1950年代初頭には[[国際連合]]やアメリカ合衆国が相次いでフランコとの協力体制を構築し、ナチスを想起させる[[バスク・ナショナリズム]]は西ヨーロッパ諸国に見限られた<ref name=seki378380>関ほか(2008)、pp.378-380</ref><ref name=tateishi171/>。このため1952年には地下組織のEKINが結成され、1959年には[[バスク祖国と自由]](ETA)に発展した<ref name=tateishi172>立石ほか(2002)、p.172</ref><ref>大泉光一(1993)、pp.52-53</ref>。
バスク自治州に本拠を持つ大企業としては、金融業の[[ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行]](BBVA、本社ビルバオ)、エネルギー業の[[イベルドローラ]](本社ビルバオ)、鉄道車両の[[CAF (企業)|CAF]](本社ギプスコア県ベアサイン)、風力発電機の{{仮リンク|ガメサ|en|Gamesa Corporación Tecnológica}}(本社ビトリア=ガステイス)が挙げられる。


1950年代にはビスカヤ県とギプスコア県で工業発展が開始され、1960年代にはアラバ県にも工業発展が広がると<ref>渡部(1987)、p.140</ref>、近隣諸県から大量に労働者が流入した<ref name=seki380382>関ほか(2008)、pp.380-382</ref><ref name=tateishi175>立石ほか(2002)、p.175</ref>。1960年代以降には外国資本が導入されるようになり、{{仮リンク|ビスカヤ高炉|en|Altos Hornos de Vizcaya}}などの製鉄企業が発展した<ref>渡部(1987)、p.153</ref>。1960年代にはバスク自治州の域内総生産はスペイン最大の伸び率を示し、1973年にはスペインの工業生産高の56%を産出していた<ref name=seki391393>関ほか(2008)、pp.391-393</ref>。バスク地方の生活水準は上昇し、1975年にはビスカヤ県の個人所得がスペインの50県中1位となったが、硫黄や塩素などによる生態系への悪影響などが指摘され、また1973年の[[オイルショック]]では経済が大きな打撃を被った<ref name=seki380382/><ref name=tateishi181>立石ほか(2002)、p.181</ref>。また、都市部への人口集中が顕著になり、経済発展とともにバスク民族意識が薄れ始めた<ref>渡部(1987)、p.154</ref>。1975年にはフランコが死去し、スペインでは{{仮リンク|民主化への移行|en|Spanish transition to democracy}}が開始された。
== 交通 ==
バスク地方は、スペイン中央部・北部とほかのヨーロッパを結ぶ交通の要衝となっている。


=== 道路 ===
=== スペインの民主化 ===
1978年には国民投票が行われて[[スペイン1978年憲法]](現行憲法)が制定されたが、憲法にはスペイン国家の不可分一体性が明記され、バスク人は民族を構成するには至らない民族体と位置付けられた<ref name=seki385387>関ほか(2008)、pp.385-387</ref>。このため、バスク・ナショナリスト穏健派の[[バスク国民党|バスク民族主義党]](PNV)は州民に対して投票棄権を呼びかけ、バスク・ナショナリスト急進左派は憲法否認を呼びかけた<ref name=seki385387/>。投票率が45%に留まったバスク地域はスペイン国内でもっとも棄権率が高く<ref>{{cite web|url=http://www9.euskadi.net/q93TodoWar/q93Desplegar.jsp |title=Archivo de Resultados Electorales |publisher=Euskadi.net |date= |accessdate=2010-04-26}}</ref>、賛成票は投票のうちわずか69%<ref name=seki385387/>、棄権者・無記入票・反対票の合計は65.4%にも達した<ref>大泉光一(1993)、p.108</ref>。
道路交通の大動脈は、ビルバオからサンセバスティアンを経由してフランス国境までを結ぶAP-8{{enlink|Autopista AP-8}}と、サンセバスティアンからビトリア=ガステイスを経由してスペイン中央部までを結ぶA1{{enlink|Autovía A-1}}である。このほか主要な高速道路には、ビルバオと[[サラゴサ]]を結ぶAP-68{{enlink|Autopista AP-68}}などがある。


スペイン1978年憲法は自治州の設置を認めており、1979年には{{仮リンク|ゲルニカ憲章|en|Statute of Autonomy of the Basque Country}}(バスク自治憲章)がスペイン国会で承認された後にバスク地方での住民投票でも承認され、アラバ、ビスカヤ、ギプスコアの歴史的3領域の自治組織としてのバスク自治州が発足した<ref name=seki387391>関ほか(2008)、pp.387-391</ref><ref name=tateishi177>立石ほか(2002)、p.177</ref>。3県の県境は1833年以前の伝統的境界区分をほぼそのまま踏襲したものである<ref name=seki396>関ほか(2008)、p.396</ref>。スペイン1978年憲法は[[フエロ]]など各地域の歴史的権利を認めており、バスク自治州は教育・警察・厚生などの分野で大幅な自治権が認められた<ref>大泉陽一(2007)、p.43</ref>。今日では世界でもっとも地方分権化が進んだ地域のひとつとされ、[[ザ・エコノミスト]]誌は「ヨーロッパのどこよりも高い自律性を持つ」としている<ref>{{cite web|url=http://www.economist.com/world/europe/displaystory.cfm?story_id=9833306 |title=Spain and its regions &#124; Autonomy games |publisher=[[エコノミスト]] |date=2007-09-20 |accessdate=2010-04-26}}</ref>。この時点ではナバーラ県はバスク自治州には含まれておらず、憲法ではナバーラ県の意思に基づいてバスク自治州への統合が可能とされたが、結局1982年に単独でナバーラ州に昇格した<ref name=seki387391/><ref name=tateishi179>立石ほか(2002)、p.179</ref>。1980年にはバスク自治州議会議員選挙が行われ、バスク民族主義党が第一党に、バスク自治州政府としての初代レンダカリ(バスク自治政府時代も含めれば第3代)に[[カルロス・ガライコエチェア]]が選出された<ref name=tateishi177/>。
=== 鉄道 ===


=== バスク自治州発足後 ===
バスク州政府所有の会社であるEusko Trenbide Sarea(バスク鉄道ネットワーク)が、バスク州における鉄道インフラの維持と新設にあたっている。
[[File:La passerelle Zubizuri et le nouveau quartier (Bilbao) (3447300026).jpg|thumb|right|200px|観光都市に生まれ変わったビルバオ]]


1975年から1985年まで、バスク自治州の域内総生産はマイナスとなり、1985年にはビスカヤ県で26%、ギプスコア県で22%という高い失業率を記録した<ref name=seki391393/>。バスク自治州は重工業一極型の産業構造・石油依存社会からの転換を図り、1990年の湾岸危機による石油価格高騰の影響も比較的軽かった<ref name=seki391393/>。1990年頃には第三次産業従事者割合が就業人口の50%を超え、2002年の経済成長率はEU平均を上回る1.8%、失業率は8.3%にまで回復した<ref name=seki391393/>。3県都の郊外には工業団地が設置されて企業が誘致され、工業都市だったビルバオは[[ビルバオ・グッゲンハイム美術館]]の開館に象徴されるように文化産業都市としてよみがえった<ref name=seki391393/>。
バスク州政府所有の[[バスク鉄道]] (EuskoTren) は[[狭軌]]の鉄道会社であり、ビルバオとサン・セバスティアンの間の市内交通・都市間交通や、ビルバオとビトリア=ガステイス間の路線を運営している。また、ビルバオ都市圏には[[メトロ・ビルバオ]]がある。


[[バスク祖国と自由]](ETA)はスペインの民主化以後もテロ行為を敢行しており、バスク経済が一定程度回復するとテロリズムの克服が最大の懸念事項となった。ETAの政治部門はHB(人民統一)、エリ・バタスナ(EH、われらバスク人民)、[[バタスナ]]などと名を変えて常にある程度の支持を得ていたが、2002年に[[ホセ・マリア・アスナール]]政権によって非合法化されると活動拠点をフランス領バスクに移した。2004年にはイスラーム系過激派による[[スペイン列車爆破テロ|マドリード列車爆破テロ]]が起こったが、スペイン政権与党の[[国民党 (スペイン)|国民党]](PP)はETAの犯行と即断したことで国民の信頼を失い、[[スペイン社会労働党]](PSOE)が政権与党に返り咲く引き金となった<ref name=seki393396>関ほか(2008)、pp.393-396</ref>。ETAは1968年の武力闘争開始以後に800人以上を殺害し、1989年・1996年・1998年9月・2006年3月・2010年には休戦または停戦を宣言してスペイン政府との交渉に臨んだが、いずれの宣言も短期間で破棄して武力闘争を再開した。2000年代後半以降にはスペイン当局によって450人以上のメンバーが逮捕され、軍事的・政治的に弱体化したとされている<ref>{{cite web |url=http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/europe/ETA.html |title=「バスク祖国と自由」(ETA) |publisher=[[公安調査庁]] |date= |accessdate=2014-10-10}}</ref>。BBCはETAとスペイン政府との衝突を「ヨーロッパ史上もっとも長い戦争」と表現したが<ref name="bbcnews_war">{{cite news| title = Eyewitness: ETA's shadowy leaders | url = http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/545414.stm|publisher=[[BBCニュース]]| date = 2 December 1999| accessdate = 1 November 2010}}</ref>、ETAは2011年に再度休戦を宣言した<ref name=BBC20111020>{{cite news |title=Basque group Eta says armed campaign is over|url=http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-15393014|accessdate=20 October 2011 |publisher=[[BBCニュース]] |date=20 October 2011}}</ref>。
[[ファイル:Euskal Y.PNG|thumb|250px|高速鉄道・バスクY (Basque Y)]]
スペイン国鉄[[レンフェ]] (RENFE) の[[広軌]]路線が州内には2つあり、1路線はガステイスとサン・セバスティアンを、もう1路線はビルバオとスペイン中央部を結んでいる。レンフェはビルバオ([[セルカニアス・ビルバオ]])とサン・セバスティアンの[[セルカニアス]](通勤鉄道網)も運営している。


2003年にはバスク自治州レンダカリの[[フアン・ホセ・イバレチェ]]がゲルニカ憲章改正案({{仮リンク|イバレチェ・プラン|en|Ibarretxe Plan}})が自治州議会に提議した。この改正案ではバスク地方をスペイン連邦国家を構成する一国家のごとく位置づけており、1年以上の議論を経てバスク自治州議会が承認したが、スペインの不可分一体性を崩しかねないこのプランは[[代議院 (スペイン)|スペイン下院]]に否決された<ref name=seki393396/>。
おなじくスペイン政府所有の[[スペイン狭軌鉄道]] (FEVE) は、ビルバオとバルマセダ間のコミューター路線のほか、ビルバオと州外の北部スペインを結ぶ路線を運営している。


== 政治 ==
また、「バスクY」と呼ばれる高速鉄道が建設中であり、2013年に完成予定である。地形的な条件から、路線では多くのトンネルが使用されている。[[アンダイエ]]でフランスの[[TGV]]ネットワークと接続する。
=== バスク自治州政府 ===
[[File:Antiguoroblesdegernika.JPG|thumb|right|200px|バスクの自治の象徴である[[ゲルニカの木]]]]


1978年憲法では各地域の「歴史的権利」を認め、[[中央集権体制]]と異なる地域のアイデンティティ(バスク、カタルーニャ、ガリシア)との妥協を試みている。[[カスティーリャ・イ・レオン州]]、[[バレンシア州]]なども含めて、スペインのすべての地域に自治行政や州議会が付与され、バスク自治州、[[カタルーニャ州]]、[[ガリシア州]]は歴史的特異性を認められた。まだバスク自治州はそれぞれの地域の徴税権を有しているが、その意思決定はスペインと[[欧州連合]](EU)によって制限されている。スペイン国会によって承認された{{仮リンク|ゲルニカ憲章|en|Statute of Autonomy of the Basque Country}}(バスク自治憲章)はスペイン国家の専管事項に抵触しない範囲での自治を認めており、バスク自治州は自治州警察(エルツァンツァ)、独自の教育制度、財政自由裁量権などを有している<ref name=seki387391/><ref>{{cite web |url=http://www.basquecountry.euskadi.net/t32-448/en/contenidos/informacion/estatuto_guernica/en_455/adjuntos/estatu_i.pdf |title=The Statute of Autonomy of the Basque Country|website=Euskadi.net |format=PDF |accessdate=July 8, 2013}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.boe.es/buscar/act.php?id=BOE-A-1979-30177&tn=1&p=19791222&vd=&lang=en |title=Statute of Autonomy of the Basque Country |date=December 18, 1978 |work=BOE |language=Spanish |accessdate=July 8, 2013}}</ref>。スペインの17自治州のうち15自治州では中央政府が徴税した税金の一部を各自治州に分配しているが、バスク自治州とナバーラ州では各県に徴税権があり、その一部が分担金としてスペイン国庫に納められる<ref name=hagio151155>萩尾ほか(2012)、pp.151-155</ref>。この高度な財政上の自由裁量権には近隣の自治州から不満もあり、また欧州連合も巻き込んだ問題となっている<ref name=hagio151155/>。バスク自治州議会とバスク自治州政府が置かれる[[ビトリア=ガステイス]]が事実上の州都だが、ゲルニカ憲章では公式な州都は定められていない<ref name=elcorreo/>。バスク自治州議会によって選出された[[レンダカリ]](バスク自治州政府首班<ref group="注">レンダカリは「政府首班」の他に、「首相」「知事」「首長」「大統領」と訳されることもある。レンダカリに相当するカスティーリャ語はプレシデンテ({{lang|es|presidente}})である。</ref>)は就任後に[[ゲルニカの木|ゲルニカのオークの木]]の下で宣誓を行い、その傍らにある{{仮リンク|バスク議事堂|es|Casa de Juntas de Guernica}}<ref group="注">ビトリア=ガステイスにあるバスク自治州議会とは異なる。</ref>で就任式を行う<ref name=hagio107109>萩尾ほか(2012)、pp.107-109</ref>。
=== 空港 ===
[[ファイル:Aeropuerto de Bilbao.jpg|thumb|250px|ビルバオ空港]]
州内には3つの空港がある。


=== バスク自治州議会 ===
* [[ビルバオ空港]]
[[File:Parlamento vasco 1.jpg|thumb|200px|ビトリア=ガステイスにあるバスク自治州議会]]
* {{仮リンク|ビトリア空港|en|Vitoria Airport}}
* {{仮リンク|サン・セバスティアン空港|en|San Sebastián Airport}}


バスク自治州議会は3県から直接選挙で25人ずつ選出された計75人の議員からなる<ref name=hagio125130/>。人口最少のアラバ県と人口最多のビスカヤ県では約4倍の人口差があり、1票の格差が問題となっている<ref name=hagio125130/>。1980年(第1回)バスク自治州議会選挙では[[バスク民族主義党]](EAJ=PNV)が25議席を獲得して単独で政権党となり、初代[[レンダカリ]]には[[カルロス・ガライコエチェア]]が就任した<ref name=seki387391/>。[[バスク祖国と自由]](ETA)の政治部門であるエリ・バタスナ(HB、[[バタスナ]]の前前身)と{{仮リンク|バスク左翼|en|Euskadiko Ezkerra}}(EE)を含めて42議席をバスク・ナショナリスト政党が占め、非バスク・ナショナリスト政党の[[バスク社会党]](PSE)([[スペイン社会労働党]]のバスク支部)は9議席、[[国民同盟]](AP)(社会労働党と並ぶスペインの二大政党)は6議席を獲得するにとどまった<ref name=seki387391/>。1984年自治州議会選挙では議席数が各県から25人の計75議席に増加し、バスク・ナショナリスト勢力は70%弱の得票を得て、再びバスク民族主義党が単独で政権党となったが、すでに内部分裂の兆しを見せていた<ref name=seki387391/>。レンダカリのガライコエチェアと{{仮リンク|シャビエル・アルサリュス|en|Xabier Arzalluz}}が対立し、1984年12月にはガライコエチェアの不信任決議が採択されて後任には[[ホセ・アントニオ・アルダンサ]]が就任した。ガライコエチェアはバスク民族主義党から離脱して{{仮リンク|バスク連帯|en|Eusko Alkartasuna}}(EA)を結成し、バスク国家の独立を標榜した<ref name=seki387391/>。1986年自治州議会選挙での得票数1位はバスク民族主義党だったが、バスク連帯に票が流れた結果議席数を前回選挙の半分程度まで減らし、議席数では19議席を獲得したバスク社会党を下回ったことで、バスク民族主義党はバスク社会党と連立して政権を担った<ref name=seki389>関ほか(2008)、pp.389</ref>。1990年自治州議会選挙ではバスク民族主義党がバスク連帯の支持票を奪還して第1党に返り咲き、バスク連帯やバスク左翼と連立を組んで政権を担った<ref name=seki389/>。バスク社会党の支持票は[[国民党 (スペイン)|国民党]](PP)に流れ、またエリ・バタスナは過去最大の得票率を得た<ref name=seki393396/>。
3空港のうち最も規模が大きく、州の交通の軸となっているのは[[ビルバオ空港]]である。国際線も発着するビルバオ空港には、2007年には420万人の利用者があった。

1994年自治州議会選挙ではバスク民族主義党とバスク連帯とバスク社会党が、1998年自治州議会選挙ではバスク民族主義党とバスク連帯が連立を組んで政権を担った<ref name=seki393396/>。1982年から1998年まで、ETAに近いエリ・バタスナや後継のバスク市民(バタスナの前身)はバスク自治州議会への出席を拒否していたが、1998年以後の3年間は、政権党はバスク市民の議会内支援を得て議会内過半数に達した<ref name=seki393396/>。2001年自治州議会選挙ではバスク・ナショナリスト政党の得票率が過去最低の53%となったが、バスク民族主義党はバスク連帯と[[統一左翼 (スペイン)|統一左翼]](IU)と連立を組んで議会内過半数を保った<ref name=seki393396/>。2001年9月の[[アメリカ同時多発テロ]]は世界的な反テロリズムの潮流を巻き起こし、ETAと関わりが深いバタスナは国民党の[[ホセ・マリア・アスナール]]政権によって非合法化された<ref name=seki393396/>。

2005年選挙ではバスク民族主義党とバスク連帯と統一左翼が連立を組んで政権を担った<ref name=seki389/>。2009年自治州議会選挙では得票率・議席数ともにバスク民族主義党が第1党だったが、第2党のバスク社会党と第3党の国民党が結束して議会内過半数を確保し、バスク社会党の[[パチ・ロペス]]が史上初となるバスク民族主義党以外からのレンダカリとなった。2012年自治州議会選挙ではバスク民族主義党が第1党となり、バスク連帯を中心とする政党連合の[[ビルドゥ|EHビルドゥ]]が21議席を獲得して第2党に躍進した<ref name="nikkei">{{cite news| title =スペイン地方選、与党1勝1敗 緊縮策、続く綱渡り | url = http://www.nikkei.com/article/DGXDASGM2203J_S2A021C1FF1000/|newspaper= 日本経済新聞|date= 2012-10-23| accessdate =2014-10-26}}</ref>。バスク民族主義党の[[イニゴ・ウルクリュ]]がレンダカリとなり、レンダカリの座が再びバスク民族主義党に戻った。

{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
|-
! colspan="3" | バスク自治州政府首班([[レンダカリ]])
|-
! 在任期間 !! 名前 !! 出身政党
|-
| 1980-1985 || [[カルロス・ガライコエチェア]] || [[バスク国民党|バスク民族主義党]](PNV)
|-
| 1985-1999 || [[ホセ・アントニオ・アルダンサ・ガロ]] || [[バスク国民党|バスク民族主義党]](PNV)
|-
| 1999-2009 || [[フアン・ホセ・イバレチェ]] || [[バスク国民党|バスク民族主義党]](PNV)
|-
| 2009-2012 || [[パチ・ロペス]] || [[バスク社会党]](PSE-PSOE)
|-
| 2012- || [[イニゴ・ウルクリュ]] || [[バスク国民党|バスク民族主義党]](PNV)
|-
|}

=== 領土問題 ===
==== ナバーラ州との関係 ====
歴史的には[[ナバーラ州]]も[[バスク国 (歴史的な領域)|バスク地方]]の一部である。1979年にバスク自治州が成立すると、バスク自治州はアラバ、ビスカヤ、ギプスコア、ナバーラの4領域の紋章を自治州の紋章に組みこんだが、1982年に成立したナバーラ州はナバーラの紋章がバスク自治州の紋章に含まれていることに抗議し、バスク自治州政府はナバーラの紋章部分を空白とした紋章に切り替えた<ref name=hagio125130>萩尾ほか(2012)、pp.125-130</ref>。スペイン1978年憲法の暫定規則4と{{仮リンク|ゲルニカ憲章|en|Statute of Autonomy of the Basque Country}}第2条にはナバーラをバスク自治州に編入させることを想定した文言がある<ref name=hagio138141>萩尾ほか(2012)、pp.138-141</ref>。ナバーラの独自性を擁護する政治的思潮としてナバリスモがあり、[[バスク・ナショナリズム]]の台頭と同時期に興った<ref name=hagio138141/>。[[ナバーラ住民連合]]はナバリスモを体現する政党であり、バスク自治州への編入可能性を明記した暫定規則4の除去する憲法改正をスペイン国会に繰り返し要求している<ref>{{cite web |url=http://www.diariodenavarra.es/20071204/navarra/upn-recuerda-chivite-posicion-respecto-transitoria-cuarta.html?not=2007120413423498&dia=20071204&seccion=navarra&seccion2=politica&chnl=10 |title=UPN recuerda a Chivite que dejó muy claro que la Transitoria Cuarta no tenía sentido |newspaper=ディアリオ・デ・ナバーラ |accessdate=6 March 2012}}</ref><ref name=hagio142146>萩尾ほか(2012)、pp.142-146</ref>。

==== 飛び地 ====
バスク自治州は{{仮リンク|トレビニョ|en|Treviño}}([[カスティーリャ・イ・レオン州]]・[[ブルゴス県]])と{{仮リンク|バリェ・デ・ビジャベルデ|en|Valle de Villaverde}}([[カンタブリア州]])というふたつの他州の飛び地を有している。人口約2,000人、アラバ県の県都ビトリア=ガステイスの南に隣接するトレビニョは2006年時点で13.5%がバスク語話者であり<ref name=hagio189193/>、バスク自治州は財政的支援を行っている<ref name=hagio5457>萩尾ほか(2012)、pp.54-57</ref>。トレビニョの住民は少なくとも16世紀からアラバ県への編入を望んできたとされ、1940年の住民投票では96%が編入に賛成し、1958年の住民投票でも賛成多数だった<ref name=hagio5457/>。1979年の成立したバスク自治憲章ではトレビニョのバスク自治州への編入の可能性に言及しているが、ブルゴス県は一貫して分離を認めていない<ref name=hagio5457/>。ビスカヤ県西部にあるビジャベルデは人口400人程度の飛び地であり、やはり住民は1980年代から1990年代にかけてバスク自治州への編入に熱心だったが、編入は実現していない<ref name=hagio5457/>。

== 経済 ==
{{seealso|バスク国 (歴史的な領域)#経済}}
[[File:Torre Banco de Vizcaya.jpg|thumb|right|150px|ビルバオの[[ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行|BBVA]]本社]]


1970年代と1980年代の経済危機の時代、製鉄業や造船業などの伝統的な産業は停滞し、かわってハイテク産業が成長した<ref name=ikari17>碇(2008)、p.17</ref>。現在、バスク自治州の工業部門で大きな割合を占めているのは、ビスカヤ県とギプスコア県の盆地に存在する[[工作機械]]産業、[[ビトリア=ガステイス]]の航空機械工業、[[ビルバオ]]のエネルギー産業である。バスク自治州に本拠を持つ大企業としては、金融業の[[ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行]](BBVA、本社ビルバオ)、エネルギー業の[[イベルドローラ]](本社ビルバオ)、鉄道車両の[[CAF (企業)|CAF]](本社ギプスコア県ベアサイン)、[[モンドラゴン協同組合企業]](本社ギプスコア県アラサーテ/モンドラゴン)、風力発電機の[[ガメサ]](本社ビスカヤ県サムディオ)が挙げられる<ref name=talent>{{cite news |url=http://www.bizkaiatalent.org/en/pais-vasco-te-espera/apuesta-de-futuro/ |date= |accessdate=2014-10-20 |title=Betting for the future |work=Bizkaia talent}}</ref>。
=== 港湾 ===
ビルバオ港と{{仮リンク|パサイア|en|Pasaia}}港が重要な港湾である。このほか、[[ベルメオ]]や{{仮リンク|オンダロア|en|Ondarroa}}など中小規模の漁港がある。


バスク自治州の1人あたり所得はスペインの州の中でもっとも高い。2002年時点の1人あたりGDPは、スペインの全17州中で[[マドリード州]]と[[ナバーラ州]]に次ぐ第3位だったが、2006年にはマドリード州に次ぐ第2位となった<ref>{{cite web |url=http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/international/spw/report/0903_spain.pdf |title=スペインの国土政策事情 |work=国土交通省 |page=67 |date= |accessdate=2014-11-07}}</ref>。2010年における1人当たりGDPは31,314ユーロであり、スペインの平均よりも33.8%高く、[[欧州連合]](EU)の平均よりも40%高い<ref>{{cite web |url=http://www.ine.es/en/prensa/np645_en.pdf |title=Spanish regional accounts |work=スペイン国立統計局(INE) |date= |accessdate=2014-11-07}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.eustat.es/elementos/ele0002100/ti_GDP_per_capita_by_province_Current_prices_base_2005__1980-2008a/tbl0002160_i.html |title=GDP per capita by province in the Basque Autonomous Community, 1980-2009(a) |work=エウスタット(バスク統計局) |date= |accessdate=2010-12-08}}</ref>。2012年におけるバスク自治州の失業率は約14.56%であり<ref name="unemployment (2012)">{{cite web |url=http://elpais.com/elpais/2012/07/27/media/1343378503_303750.html |title=Paro en España |work=[[エル・パイス]] |date=2012-07-27 |accessdate=2014-11-07}}</ref>、スペイン全体の失業率(24.6%)を大きく下回っている<ref name="unemployment (2012)"/>。2013年の、バスク自治州の公的債務はGDPの13.00%(1人あたり8,825ユーロ)であり<ref>{{cite web |url=http://www.datosmacro.com/deuda/espana-comunidades-autonomas/pais-vasco |title=Deuda Pública del País Vasco |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |date= |work=Datos Macro|publisher= |accessdate=2014-04-23}}</ref>、スペイン全体の93.90%(1人あたり960,676ユーロ)を大きく下回った<ref>{{cite web |url=http://www.datosmacro.com/deuda/espana |title=Deuda Pública de España|author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |date= |work=Datos Macro|publisher= |accessdate=2014-04-23}}</ref>。2009年にはバスク自治州の経済は3.3%縮小したが、スペイン全体の縮小率3.6%を下回った。
ビルバオ港はバスク州・スペイン北部にとどまらず、スペイン国内で最も重要な港湾の一つである。ビルバオとイギリスの[[ポーツマス (イングランド)|ポーツマス]]との間には[[フェリー]]の路線がある。


== 社会 ==
== 社会 ==
=== 住民 ===
=== 交通 ===
[[File:Euskotran vitoria 1.jpg|thumb|right|200px|ビトリア=ガステイス・トラム]]
[[ファイル:Bilbao Spain.jpg|250px|thumb|最大の都市ビルバオ]]


; 道路
{{See also|バスク人}}
道路交通の大動脈は、[[ビルバオ]]から[[サン・セバスティアン]]を経由してフランス国境までを結ぶAP-8号線と、サン・セバスティアンから[[ビトリア=ガステイス]]を経由してスペイン中央部までを結ぶA-1号線である。この他の主要な高速道路には、ビルバオと[[サラゴサ]]を結ぶAP-68号線などがある。


; 鉄道
州人口の約半分は、ビルバオ都市圏に住む。人口上位の10都市のうち6都市までがビルバオの周縁都市([[コナベーション]])である。
バスク自治州政府が所有する[[バスク鉄道]]は狭軌の路線を持つ鉄道会社であり、[[ビルバオ都市圏]]内や[[サン・セバスティアン都市圏]]内、ビルバオとサン・セバスティアンの都市間鉄道路線を運行している。バスク鉄道が所有するエウスコ・トランは[[ビルバオ・トラム]]と[[ビトリア=ガステイス・トラム]](路面電車)を運行している。[[メトロ・ビルバオ]](地下区間を有する都市鉄道)は[[ビルバオ都市圏]]で2路線が運行されている<ref name=urbanrail>{{cite news |url=http://www.urbanrail.net/eu/es/bilbao/bilbao.htm |date= |accessdate=2014-10-20 |title=Bilbao |work=Urban Rail.net}}</ref>。


[[レンフェ]](スペイン国鉄)はビトリア=ガステイスとサン・セバスティアンやビルバオ、ビルバオとスペイン中央部を結ぶ広軌の路線を運行している。レンフェは[[セルカニアス]]と呼ばれる通勤鉄道網をスペインの主要都市圏で運行しており、バスク自治州ではビルバオ都市圏([[セルカニアス・ビルバオ]])とサン・セバスティアン都市圏で運行されている。[[スペイン狭軌鉄道]](FEVE)はビルバオとバルマセダの間で都市鉄道を運行しており、またビルバオとスペイン北部の他州を結ぶ路線を運行している<ref name=urbanrail/>。
# [[ビルバオ]] (354,145)

# [[ビトリア=ガステイス]] (226,490)
バスク自治州3県の県都を結ぶ高速鉄道ネットワークの[[バスクY]]が建設中であり、2017年に完成予定である。バスクYはフランスの[[アンダイエ]]でフランスの高速鉄道網と接続する予定であり<ref>{{cite news|url=http://www.railwaygazette.com/nc/news/single-view/view/eib-lends-EUR1bn-for-basque-y-high-speed-network.html|accessdate=28 June 2012|title=EIB lends €1bn for Basque Y high speed network - Railway Gazette|work=Railway Gazette International}}</ref>、スペインの首都マドリードとフランスを結ぶ主要な路線となる。バスク地方の山がちな地形のため、バスクYの路線の大部分はトンネルか橋梁を走行し、総建設費は10億ユーロとなる予定である。
# [[ドノスティア=サン・セバスティアン]] (183,308)

# [[バラカルド]] (95,675)
; 空港
# [[ゲチョ]] (83,000)
[[File:Aeropuerto de Bilbao.jpg|thumb|right|200px|ビルバオ空港]]
# [[イルン]] (59,557)

# [[ポルトゥガレテ]] (51,066)
バスク自治州には[[ビルバオ空港]]、[[サン・セバスティアン空港]]、[[ビトリア空港]]の3つの空港がある。もっとも重要な空港はビルバオ空港であり、ロンドンやヨーロッパの多くの都市に向けた国際便を有している<ref name=euskoguide>{{cite news |url=http://www.euskoguide.com/about-basque-country/arrive-in-the-basque-country.html |date= |accessdate=2014-10-20 |title=How to Arrive |work=Eusko Guide}}</ref>。2012年の旅客数は約417万人であり、スペイン国内では13番目に旅客数の多い空港だった<ref name=aena2012>{{cite news |url=http://www.aena-aeropuertos.es/csee/ccurl/52/737/Estadisticas_Acumulado%20DEF_2012.pdf |title=TRÁFICO DE PASAJEROS, OPERACIONES Y CARGA EN LOS AEROPUERTOS ESPAÑOLES 2012 |work=空港・航空管制公団(AENA)|date=|accessdate=2014-11-07}}</ref>。上位15空港の中で旅客数が前年より増加した2空港のひとつであり、2011年から3.1%の伸びを記録した<ref name=aena2012/>。サン・セバスティアン空港はバルセロナとマドリードに向けた国内便を有しており<ref name=euskoguide/>、スペイン=フランス国境を流れる[[ビダソア川]]に面している。2012年の旅客数は約26万人であり、スペイン国内では31番目に旅客数の多い空港だった<ref name=aena2012/>。ビトリア空港は3空港の中で最長の3,500mの滑走路を有するが、2012年の旅客数は約24,000人であり、スペイン国内では37番目に旅客数の多い空港だった<ref name=aena2012/>。ビトリア空港は貨物便を主体とする空港であり、スペインで4番目に貨物取扱量が多い空港である。2014年10月にはニューヨーク行きの旅客便が設定され、バスク地方から初めて大西洋を超える便となった<ref>{{cite news |url=http://www.elmundo.es/pais-vasco/2014/08/24/53f9fbe3ca4741cc6c8b4578.html |title=Foronda, el caso del 'mejor' aeropuerto vasco |work=[[エル・ムンド]] |date=2014-08-24 |accessdate=2014-11-07}}</ref>。
# [[サントゥルツィ]] (47,320)

# [[バサウリ]] (45,045)
; 港湾
# [[エレンテリア]] (38,397)
{{仮リンク|ビルバオ港|en|Port of Bilbao}}とパサイア港がバスク自治州の2大港湾である。このほかに、[[ベルメオ]]や[[オンダロア]]などに中小規模の漁港がある。ビルバオ港はスペインでもっとも重要な経済地区のひとつであり、航空工学、電子工学、エネルギー、鉄鋼、工作機械などの産業の拠点となっている<ref name=wps>{{cite web |url=http://www.worldportsource.com/ports/review/ESP_Port_of_Bilbao_415.php |title=Port of Bilbao - Review and History |work=World Port Source |date= |accessdate=2014-11-05}}</ref>。2005年には3,680万トンの貨物を取り扱い、スペインで4番目に貨物取扱量の多い港湾だった<ref name=wps/>。ビルバオとイギリスの[[ポーツマス (イングランド)|ポーツマス]]との間には[[フェリー]]の路線がある<ref name=bilbaoport>{{cite news |url=http://www.bilbaoport.es/aPBW/web/en/port/ferry/index.jsp |date= |accessdate=2014-10-20 |title=Ferry Service to Portsmouth |work=ビルバオ港}}</ref>。


=== 言語 ===
=== 言語 ===
{{Main|バスク語}}
{{See also|バスク国 (歴史的な領域)#言語}}

[[File:Basque as first language(corrected).JPG|thumb|right|200px|バスク地方における自治体別バスク語話者の割合]]

バスク自治州の公用語は[[バスク語]]と[[スペイン語|カスティーリャ語]](スペイン語)の二言語である。国民国家の成立過程においてスペイン政府は、バスク人とその言語的アイデンティティを抑制しようと試みてきた<ref>Torrealdi, J.M. ''El Libro Negro del Euskera'' (1998) Ttarttalo ISBN 84-8091-395-9</ref>。スペインの民主化移行期の1975年頃にはバスク7領域で160校の[[イカストラ]]<ref group="注">バスク語で初等教育・中等教育を行う学校。1960年頃に非合法的に運営が開始され、民主化後の1993年には約40%のイカストラが公立学校に編入、その他は私立学校として存続した。</ref>が34,000人の生徒を抱えるまでに至った<ref name=hagio194198>萩尾ほか(2012)、pp.194-198</ref>。[[スペイン1978年憲法]]第3条ではカスティーリャ語を国家公用語と定めているが、同時に他言語も自治州内の公用語となる可能性を明記している<ref name=hagio189193>萩尾ほか(2012)、pp.189-193</ref>。1979年のゲルニカ憲章ではバスク自治州の固有言語としてバスク語を選定し、カスティーリャ語との二言語共同公用体制を敷いた<ref name=hagio189193/>。バスク自治州政府文化省言語政策局が言語政策を主導し、エウスカルツァインディア(バスク語アカデミー)が諮問機関に指定された<ref name=hagio189193/>。1982年にはバスク語使用正常化基本法が発効され、Aモデル(カスティーリャ語が教育言語でバスク語は必修科目)、Bモデル(カスティーリャ語とバスク語の双方が均等に教育言語)、Dモデル(バスク語が教育言語でカスティーリャ語は必修科目)の3つの言語教育モデルが導入された<ref name=hagio194198/>。バスク語は[[欧州連合]](EU)機関内でも限定的使用が認められており、2011年にはスペイン国会上院でも使用が認められるようになった<ref name=hagio189193/>。


2012年時点ではほぼ100%の生徒が初等学校で何らかのバスク語の教育を受けている<ref name=hagio194198/>。2006年にバスク自治州で16歳以上の全住民を対象に行われた社会言語学調査によると、30.1%は流暢なバスク語話者であり、18.3%はバスク語を話すことができ、51.5%はバスク語を話すことができないという結果だった<ref name=gobierno>''IV. Inkesta Soziolinguistikoa'' Gobierno Vasco, Servicio Central de Publicaciones del Gobierno Vasco 2008, ISBN 978-84-457-2775-1</ref>。流暢なバスク語話者の割合はギプスコア県(49.1%)が最高、アラバ県(14.2%)が最低であり、流暢な話者の割合は1991年が24.1%、1996年が27.7%、2001年が29.5%と、年々増加している<ref name=gobierno/>。流暢な話者の割合は16歳-24歳までの年代(57.5%)がもっとも高く、65歳以上は25.0%にとどまっている<ref name=gobierno/>。[[ギプスコア県]]の大部分の地域、[[ビスカヤ県]]の中部と東部、[[アラバ県]]の北端でバスク語は強い存在感を示しているが、ビスカヤ県西部、アラバ県の大部分に存在するバスク語話者は、カスティーリャ語に次ぐ第二言語としてバスク語を使用している。バスク語話者のほぼ全員がカスティーリャ語またはフランス語とのバイリンガルである<ref name=hagio3439>萩尾ほか(2012)、pp.34-39</ref>。多くの自治体ではバスク語話者とカスティーリャ語・フランス語話者が混在しており、住民すべてがバスク語話者である自治体は存在しないといえる<ref name=hagio3439/>。
バスク語とカスティーリャ語(スペイン語)がともに公用語である。


=== 教育 ===
=== 教育 ===
[[File:Vitoria-Gasteiz-University-campus-4454.jpg|thumb|right|200px|唯一の公立大学であるバスク大学]]
バスク語で教育を行う学校として、[[イカストラ]]がある。


1886年にイエズス会によって[[ビルバオ]]近郊のデウスト<ref group="注">デウストはその後ビルバオと合併し、現在ではビルバオを構成する8区のうちのひとつである。</ref>に[[デウスト大学]]が創設され<ref name=deustouniv>{{cite web |url=http://www.deusto.es/servlet/Satellite/Page/1102609954978/_ingl/%231227879422943%231102609954978/UniversidadDeusto/Page/PaginaCollTemplate |title=History and Mission |date= |work= |publisher=[[デウスト大学]] |accessdate=2014-11-05}}</ref>、1962年にスペイン政府によって正式な大学として認可された。デウスト大学の卒業生であるバスク自治政府[[レンダカリ]]の[[ホセ・アントニオ・アギーレ]]などによって公立大学の創設が望まれており、[[スペイン内戦]]中の1938年にはビルバオに公立大学が設置された。バスク自治州発足後の1980年には、自治州各地の教育機関を統合して正式に[[バスク大学]](UPV)が創設された。バスク大学は3県それぞれにキャンパスを置いており、バスク自治州にある唯一の公立大学である。1943年には[[アラサーテ|アラサーテ/モンドラゴン]]に高等工科学校が設立され、1997年に正式に[[モンドラゴン大学]]として創設された<ref name=monduniv>{{cite web |url=http://www.mondragon.edu/en/about-us/what-is-mu |title=What is MU? |date= |work= |publisher=[[モンドラゴン大学]] |accessdate=2014-11-05}}</ref>。
== 文化 ==
[[ファイル:Pinchos txaka bonito.jpg|250px|thumb|ピンチョス]]


=== メディア ===
[[バスク人]]主体の地域であるため、スペイン国内のほかの地域とは異なる文化的特徴を持つ。[[ピンチョス]]に代表される[[バスク料理]]でも知られている。
バスク自治州における2010年の日刊紙の普及度は51.8%であり、17自治州のうち第3位である<ref name=hagio303307>萩尾ほか(2012)、pp.303-307</ref>。大きく分けて、[[エル・パイス]]や[[エル・ムンド]]などマドリードで発行されている全国紙、[[エル・コレオ]](ビスカヤ県とアラバ県中心)やエル・ディアリオ・バスコ(ギプスコア県中心)などマドリードとの結びつきが強い保守的な地方紙、ガラやベリア(バスク語のみ)など[[バスク・ナショナリズム]]との親和性が強い地方紙の3種類に分類される<ref name=hagio303307/>。他州も含めたスペイン全体での発行部数は、エル・コレオが約12万部、ガラが約13万部、ベリアが約5万部などである<ref name=hagio303307/>。バスク自治州の公共放送としてバスク・ラジオ・テレビ局があり、2チャンネルを有するテレビの片方はバスク語のみで放送している<ref name=hagio303307/>。2012年時点ではインターネット空間におけるバスク語の使用頻度は全言語中38位である<ref name=hagio303307/>。

== 文化 ==
{{seealso|バスク国 (歴史的な領域)#音楽・映画・美術}}
{{seealso|バスク国 (歴史的な領域)#文学}}


=== スポーツ ===
=== スポーツ ===
バスクスポーツ
{{seealso|バスク国 (歴史的な領域)#スポーツ}}

[[File:San Mames 00, Euskal Herria.jpg|thumb|right|200px|アスレティック・ビルバオのスタジアム]]

バスク自治州では[[サッカー]]、[[バスケットボール]]、[[自転車競技]]などが盛んである。サッカークラブには[[ビルバオ]]の[[アスレティック・ビルバオ]](全国リーグ優勝8回・全国カップ優勝24回)、サン・セバスティアンの[[レアル・ソシエダ]](リーグ優勝2回・カップ優勝2回)、[[ビトリア=ガステイス]]の[[デポルティーボ・アラベス]]などのクラブがあり、いずれも[[リーガ・エスパニョーラ]]に所属している。アスレティック・ビルバオは[[バスク人]]のみで選手を構成していることが特徴であり、[[レアル・マドリード]]や[[FCバルセロナ]]とともに1部リーグから降格したことがない3クラブのひとつである<ref name=hagio318323>萩尾ほか(2012)、pp.318323</ref>。レアル・ソシエダもかつてはバスク人のみで選手を構成していたが、1989年以降はスペインの他地域出身選手やスペイン国外出身選手を獲得している。フランコが死去してスペインが民主化移行期にあった1980年代初頭には、この2クラブが4シーズンの間リーガ・エスパニョーラのタイトルを独占した<ref name=hagio318323/>。バスク自治州出身の著名選手には、スペイン代表最多出場記録を保持していた[[アンドニ・スビサレッタ]]、[[2010 FIFAワールドカップ]]優勝メンバーとなった[[シャビ・アロンソ]]などがいる。

バスケットボールクラブにはビトリア=ガステイスの[[サスキ・バスコニア]](リーグ優勝1回・カップ優勝5回)、ビルバオの[[CBビルバオ・ベリー]]、サン・セバスティアンの[[ギプスコア・バスケットクラブ]]などがあり、いずれも[[ACB]]に所属している。自転車競技チームにはかつて[[UCIプロツアー|UCIプロチーム]]の[[エウスカルテル・エウスカディ]]が存在し、[[北京オリンピックにおける自転車競技|北京オリンピック]]個人ロード金メダルの[[サムエル・サンチェス]]などが所属していたが、資金難のために2013年に解散した<ref name=cyclowired>{{cite news |title=スポンサー探しが頓挫 スペインのエウスカルテルが19年間の歴史に幕|url=http://www.cyclowired.jp/?q=node/115100 |publisher=cyclo wired |date=2013-08-20 |accessdate=2014-10-20}}</ref>。エウスカルテルは「バスク人のバスク人によるバスク人のためのチーム」であり、2012年までは所属選手をバスク地方出身かバスク地方でアマチュア時代を過ごした選手に限定していた<ref name=cyclowired/><ref name=cyclingtime>{{cite news |title=オレンジ集団終焉の時、さらばエウスカルテル・エウスカディ|url=http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=20066 |publisher=Cycling Time |date=2013-08-23 |accessdate=2014-10-20}}</ref>。

=== 料理 ===
{{seealso|バスク国 (歴史的な領域)#料理}}

[[File:Pinchos txaka bonito.jpg|thumb|right|200px|皿に盛られた[[ピンチョス]]]]


バスク地方は[[ピンチョス]]などで知られる[[バスク料理]]が有名である。1967年にはバスク地方出身の料理人のルイス・イリサールがギプスコア県・[[サラウツ]]にスペイン3番目となる料理学校を開校させ、1992年にはサン・セバスティアンにも料理学校を開校させた。この学校には自身の名を冠し、現在ではスペイン一の料理学校と言われている<ref>高城(2012)、pp.106-108</ref>。サン・セバスティアン出身の料理人のカルロス・アルギニャーノは1990年代以降にエンターテインメント性を重視した料理番組の司会を務め、スペインにおける料理人の地位を高めることに成功した<ref>高城(2012)、pp.150-151</ref>。1999年にはサン・セバスティアンで料理に関する世界初の学会が開催され、これ以後にはスペイン各地に料理学会が発足した<ref>高城(2012)、pp.148-149</ref>。2011年にはヨーロッパ初の食科学に関する4年制大学として、[[モンドラゴン大学]]の食科学部の研究機関という位置づけでバスク・クリナリー・センター(バスク料理センター)が開設された<ref>高城(2012)、pp.154</ref>。
* [[アスレティック・ビルバオ]] - 伝統的にバスク人のみでチームを形成するサッカークラブ
* [[レアル・ソシエダ]] - アスレティック・ビルバオとともにバスクを代表するサッカークラブ
* [[エウスカルテル・エウスカディ]] - アスレティック・ビルバオと同じく、バスク人のみで形成された自転車ロードレースチーム


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<references />
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* ホセ・アントニオ・アギーレ『バスク大統領亡命記』狩野美智子訳 三省堂 1989年

* ジャック・アリエール『バスク人』萩尾生訳 白水社 1992年
== 関連項目 ==
* 碇順次『スペイン』(ヨーロッパ読本)河出書房新社 2008年
* [[ナバラ王国]]
* 石井久生「バスク語地名の復活にみるボーダーランドの多義性とローカル・イニシアティブ」『共立国際研究』共立女子大学国際学部紀要 (27) pp.1-25 2010年
* [[バスク祖国と自由]] (ETA)
* 石井久生「制度により構築される言語景観 バスク州とナバラ州における基礎自治体改名の実践」『共立国際研究』共立女子大学国際学部紀要 (30) pp.39-61 2013年
* [[2001年バスク自治州議会選挙]]
* 大泉光一『バスク民族の抵抗』新潮社、1993年
* [[アマユール]]
* 大泉陽一『未知の国スペイン –バスク・カタルーニャ・ガリシアの歴史と文化-』原書房、2007年
* [[バスク国の旗]]
* 川成洋・坂東省次・桑原真夫『スペイン王権史』中央公論新社、2013年
* [[カタルーニャ州]] バスク自治州と同じく独立運動が盛んな州。
* 京都外国語大学イスパニア語学科『スペイン語世界のことばと文化』行路社、2003年
* 関哲行・立石博高・中塚次郎『世界歴史大系 スペイン史 2 近現代・地域からの視座』山川出版社、2008年
* 高城剛『人口18万人の街がなぜ美食世界一になれたのか』祥伝社新書、2012年
* 立石博高『スペイン・ポルトガル史』山川出版社、2000年
* 萩尾生・吉田浩美『現代バスクを知るための50章』(エリア・スタディーズ)明石書店、2012年
* 渡部哲郎『バスク –もう一つのスペイン-』彩流社、1984年
* 渡部哲郎『バスクとバスク人』平凡社、2004年


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.euskadi.net/ バスク州政府](バスク語、スペイン語、英語ほか)
* [http://web.archive.org/web/20081029213808/http://www.basques.euskadi.net/t32-3373/en/contenidos/noticia/opciones_spri/ja_invertir/temas.html バスク州政府]{{ja icon}}(2008年10月29日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])
* [http://www.spain.info/ja/ven/comunidades-autonomas/pais_vasco.html スペインにおける観光の公式ウェブサイト]
{{Commonscat|Basque Country}}
{{Commonscat|Basque Country}}

{{Wikisource1911Enc|Basque Provinces}}
* [http://www.euskadi.net/ バスク自治州政府] {{Eu icon}} {{Es icon}}
* [http://www.spain.info/ja/ven/comunidades-autonomas/pais_vasco.html バスク州]スペイン政府観光局 {{En icon}}


{{スペインの自治州}}
{{スペインの自治州}}
{{Euskal Herria provinces}}

{{デフォルトソート:はすくしちしゆう}}
{{デフォルトソート:はすくしちしゆう}}
[[Category:バスク|しちしゆう]]
[[Category:バスク|しちしゆう]]

2014年12月27日 (土) 21:22時点における版

バスク自治州

Euskadi a (バスク語)
País VascoEuskadi (スペイン語)
Euskal Autonomia Erkidegoa b (バスク語)
Comunidad Autónoma del País Vasco (スペイン語)
バスクの旗
バスクの紋章
紋章
:エウスコ・アベンダレン・エレセルキア
スペイン北部におけるバスク自治州の位置(赤)
スペイン北部におけるバスク自治州の位置(赤)
北緯42度50分 西経2度41分 / 北緯42.833度 西経2.683度 / 42.833; -2.683座標: 北緯42度50分 西経2度41分 / 北緯42.833度 西経2.683度 / 42.833; -2.683
国名 スペイン
州都 ビトリア=ガステイス[1][2]
アラバ県ビスカヤ県ギプスコア県
政府
 • 種別 自治権委譲(立憲君主制憲政下)
 • 議会 バスク自治州政府
 • レンダカリ イニゴ・ウルクル (バスク民族主義党(EAJ/PNV))
面積
 • 合計 7,234 km2
面積順位 14位 (スペイン中1.4%)
人口
(2008)
 • 合計 2,155,546人
 • 密度 300人/km2
 • 順位
7位 (スペイン中4.9%)人
バスク人呼称
 • 英語 Basque
 • カスティーリャ語 vasco(男性形)、vasca(女性形)
 • バスク語 euskaldun
電話番号 +34 94-
ISO 3166コード ES-PV
自治州法 1979年10月25日
公用語 バスク語カスティーリャ語
バスク自治州議会 75人
下院 19人(350人中)
上院 15人(264人中)
ウェブサイト バスク州政府(バスク語)
a. ^ Also Euskal Herria, according to the Basque Statute of Autonomy .
b. ^ Also Euskal Herriko Autonomia Erkidegoa, according to the Basque Statute of Autonomy.

バスク自治州バスク語: Euskadi [eus̺kadi], スペイン語: País Vasco [paˈiz ˈβasko], 英語: Basque Country, フランス語: Pays Basque)は、スペイン北部にある自治州ピレネー山脈の西側に位置し、北側は大西洋ビスケー湾に面している。アラバ県ビスカヤ県ギプスコア県の3県で構成されている。

スペイン1978年憲法(現行憲法)によって、バスク自治州はスペインにおいて強力な自治権を得た。行政区分としてのバスク自治州はゲルニカ憲章英語版(バスク自治憲章 : スペイン領バスクに住むバスク人の発展のための枠組みを提供する基本的な法的文書)に基づいているが、バスク人が多く住むナバーラ県はバスク自治州から除外され、単独でナバーラ州となった。バスク自治州には公式な州都は存在しないが[1]、バスク議会やバスク自治州政府の本部が置かれるアラバ県のビトリア=ガステイスが事実上の州都である。もっとも人口が多い自治体はビスカヤ県のビルバオである。

名称

バスク人の居住地という文化的領域としてのバスク地方と、行政区分としてのバスク自治州との混同には注意が必要である。バスク地方やバスク自治州を指す呼称として、バスク語にはエウスカル・エリア(Euskal Herria)とエウスカディ(Euskadi)があるが、この2種類はバスク自治州のみを指す場合と、バスク地方全体を指す場合があり、個人の立場や政治社会的文脈によってさまざまである[3]。エウスカル・エリアは「バスク語の話されるくに[注 1]」を意味し、エウスカディはバスク・ナショナリズムの始祖サビノ・アラナの造語である[3]カスティーリャ語でバスク自治州はパイス・バスコ(Páis Vasco)またはエウスカディと呼ばれ、バスク地方全体を指す場合にバスコニア(Vasconia)という単語が使われる場合がある[3]

地理

西はカンタブリア州カスティーリャ・イ・レオン州、南はラ・リオハ州、東はフランスナバーラ州と接しており、北は大西洋ビスケー湾に面している。エブロ川がラ・リオハ州との自然州境を形成している。東西に並行して走る2本のバスク山脈によって、バスク自治州は地理的に3地域に分けることができる。ビスケー湾に面した北部の「大西洋岸」、地中海に流れ込むエブロ川流域にあたる南部の「エブロ谷」、両者の中間部のアラバ盆地と呼ばれる高原地帯である。

地形

北部(大西洋岸)

バスク山脈からビスケー湾に流れ込むネルビオン川、ウロラ川、オリア川ウルメア川ビダソア川などの小河川が内陸部に小盆地を形成している。海岸部はリアス式海岸が続き、高い崖や小さな入江で構成されていることから、天然の良港を抱える[3]。砂浜海岸は少なく[4]レケイティオサン・セバスティアンなど一部に限られる。ビルバオ・アブラ湾、ビルバオ河口、ウルダイバイ河口、フランスとの国境を形成しているチングディ湾などの地形が特徴である。海岸部に住むバスク人は捕鯨におけるヨーロッパの先駆者であり、ビスケー湾沿岸にはベルメオオンダロアサラウツオンダリビアなど、紋章にクジラの図柄を含む自治体が少なからず存在する[3]。協同での捕鯨や遠洋漁業に代表されるように、ビスケー湾岸地域は山間部に比べて集団主義志向であるとされる[3]

中間部(アラバ盆地)

ふたつの山脈の間の地域はアラバ盆地と呼ばれる高原があり、アラバ盆地の中央部には州都ビトリア=ガステイスが位置している。河川は山地や盆地からエブロ川に向かって流れ、主な河川にはサドーラ川やバジャス川などがある。北部と中間部の間にはバスク山脈の一部であるゴルベア山地やウルキージャ山地が横たわっており、アラバ県とギプスコア県の県境にはバスク自治州の最高峰であるアイスコリ山(1,551m)がある。

南部(エブロ平原)

南部のエブロ川流域はリオハ・アラベサと呼ばれ、ラ・リオハ州アラゴン州などと地中海沿岸的特性を共有している。ブドウの生産が盛んなリオハ地方はラ・リオハ州だけでなくアラバ県にもまたがっており、この地域で収穫されたブドウからリオハ英語版として知られる赤ワインが製造されている[5]。中間部と南部を隔てる山地は標高1,000m程度であり、この山地の南側にはカスティーリャ・イ・レオン州の飛び地であるトレビニョ英語版がある。

気候

バスク山脈大西洋地中海に注ぐ河川を隔てる分水嶺であり、バスク山脈を境にバスク自治州の気候は明確に区分される。ビスカヤ県やギプスコア県北部の谷、アラバ県のアジャラ谷などはエスパーニャ・ベルデ(スペインの北部大西洋岸地域)の一部であり、湾岸部は西岸海洋性気候(CfB)である[6][7]。一年中湿度が高く、過ごしやすい気温である。年間降水量は約1,200mmであり、イベリア半島内でもっとも降水量が多い地域である[6][8]。ビルバオの1日あたり日照時間は最長を記録する7月が6.06時間、最短を記録する12月が2.51時間である[9]。年間日照時間は1,584時間であり、エスパーニャ・ベルデを除いたスペインの他地域の半分程度、北ヨーロッパのロンドン(イギリス)やワルシャワ(ポーランド)などと同程度である。中央部のアラバ盆地は大陸性気候の影響が大きいが、北部の海洋性気候も混じり合い、乾燥して暖かい夏季と寒く降雪のある冬季をもたらす。南部のエブロ谷は純粋な大陸性気候であり、冬季は寒く乾燥し、夏季はとても温かく乾燥する。降水量は春季と秋季がピークであるが、希少かつ不規則であり、年間300mm程度の少なさである。

ビルバオビルバオ空港)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
日平均気温 °C°F 9.0
(48.2)
9.8
(49.6)
10.8
(51.4)
11.9
(53.4)
15.1
(59.2)
17.6
(63.7)
20.0
(68)
20.3
(68.5)
18.8
(65.8)
15.8
(60.4)
12.0
(53.6)
10.0
(50)
14.3
(57.7)
降水量 mm (inch) 126
(4.96)
97
(3.82)
94
(3.7)
124
(4.88)
90
(3.54)
64
(2.52)
62
(2.44)
82
(3.23)
74
(2.91)
121
(4.76)
141
(5.55)
116
(4.57)
1,195
(47.05)
出典:Agencia Estatal de Meteorología[9]

県と自治体

3県の位置関係図

バスク自治州はアラバ県ビスカヤ県ギプスコア県の3県で構成され、それぞれの県都はビトリア=ガステイスビルバオドノスティア / サン・セバスティアンである。1979年の自治州発足後、全252のムニシピオ(基礎自治体)のうち187のムニシピオが自治体名の改名を行った[10]。その多くはカスティーリャ語名をバスク語名に改名したものだが、二言語の名称をハイフンで連結した自治体や、スラッシュで分けた自治体も見られる[11]。ハイフンで連結された場合には二者択一性は担保されておらず、全体で一つの名称として扱われる[11]。スラッシュで分けられた場合は、使用する言語環境によって二者のうちいずれかを選択する[11]

分類 日本語[注 2] 公式名 カスティーリャ語表記[12] バスク語表記[12]
州名 バスク自治州 Páis VascoまたはEuskadi EusukadiまたはEusukal Herria
県名 アラバ県 Álava / Araba Álava Araba
ビスカヤ県 Bizkaia Vizcaya Bizkaia
ギプスコア県 Guipúzcoa Gipuzkoa Guipúzcoa
県都名 ビトリア=ガステイス Vitoria-Gasteiz[13] Vitoria Gasteiz
ビルバオ Bilbao Bilbao Bilbo
サン・セバスティアン Donostia / San Sebastián[13] San Sebastián Donostia
# 自治体 県名 人口[注 3] # 自治体 県名 人口[注 3]
1 ビルバオ ビスカヤ県 349,356人 6 イルン ギプスコア県 61,113人
2 ビトリア=ガステイス アラバ県 241,386人 7 ポルトゥガレテ ビスカヤ県 47,756人
3 サン・セバスティアン ギプスコア県 186,500人 8 サントゥルツィ ビスカヤ県 47,129人
4 バラカルド ビスカヤ県 100,502人 9 バサウリ ビスカヤ県 41,971人
5 ゲチョ ビスカヤ県 79,839人 10 エレンテリア ギプスコア県 39,324人

人口

バスク自治州の人口は約215万人であり、スペインの自治州内における順位は第7位、スペイン全体に占める割合は4.9%である。バスク自治州でもっとも人口が多い自治体はビルバオであり、州人口の半分の約100万人はビルバオ都市圏に住む。人口上位の10自治体のうち、6自治体(ビルバオ、バラカルドゲチョポルトゥガレテサントゥルツィバサウリ)がビルバオ都市圏にある。バスク自治州の人口のうち、28.2%はバスク自治州外生まれである[14]

19世紀末には急激な工業化によって人口が大きく増加し、1877年に45万人だった人口は1900年には60万人となった[15]。20世紀の100年間を通してスペインの他地域から移住者がやってきており、特にガリシア州カスティーリャ・イ・レオン州からの移住者が多い。1950年代以後の高度経済成長期には大量の労働者が流入し、1950年に104万人だった人口は1975年には約2倍の207万人に達した[16]。1970年代半ば以降には技術者や熟練労働者が大量に流出し、1975年から1991年までに13万人以上の社会減を記録した[17]。20世紀末にはかなりの人口がスペイン国内の自身の出身地に戻ったが、逆に南アメリカなど国外からの移民は増加している[14]。スペインの総人口に占める比率は徐々に低下し[18]、また急速に少子高齢化が進行している。ホセ・アランダ・アスナールによれば、バスク自治州の人口の30%は地域外で生まれ、40%はバスク人の親を持っていない[19]

バスク3県の人口[15][注 4]
1857 1877 1900 1920 1940 1960 1981 2001
人口 413,470 450,699 602,204 783,125 948,096 1,358,707 2,141,809 2,082,587

歴史

第二共和政とフランコ時代

ETAのシンボル

1833年にという枠組みが導入されてから、スペイン1978年憲法制定とバスク自治州発足まで、アラバ県ビスカヤ県ギプスコア県の3県はカスティーリャ語ではプロビンシアス・バスコンガダス(バスクの県)という名称で知られていた[20]。1931年にはスペイン第二共和政が成立し、ホセ・アントニオ・アギーレらはエステーリャ憲章(バスク自治憲章案)を作成したが、この際には共和国政府に容認されず廃案となった[21]

スペイン内戦中の1936年10月1日、バレンシアに移転した共和国議会でバスク自治憲章が成立し、バスク自治法が公布されてバスク自治政府が樹立されたが[21]、この時点でナバーラ県とアラバ県の一部は反乱軍側にあり、共和国側の領域となったのはビスカヤ県の全域とギプスコア県の一部だけだった[22][23][24]。10月7日には現在のバスク自治州の前身であるバスク自治政府が発足し、アギーレが初代レンダカリ(政府首班)に就任した[25][24]。バスク軍警察やバスク大学を創設するなどして自治を行ったが、スペイン内戦では反乱軍の後押しを受けたドイツ軍によるゲルニカ爆撃などが行われ、バスク自治政府は支配領域をすべて失って亡命政府となった[26]。バスク亡命政府はバルセロナ、パリ、ニューヨークと拠点を変え、自治憲章が無効とされたバスク地方ではバスク語文化とそれに結びつく象徴的行為が抑圧された[27][28][注 5]第二次世界大戦後、1950年代初頭には国際連合やアメリカ合衆国が相次いでフランコとの協力体制を構築し、ナチスを想起させるバスク・ナショナリズムは西ヨーロッパ諸国に見限られた[29][28]。このため1952年には地下組織のEKINが結成され、1959年にはバスク祖国と自由(ETA)に発展した[30][31]

1950年代にはビスカヤ県とギプスコア県で工業発展が開始され、1960年代にはアラバ県にも工業発展が広がると[32]、近隣諸県から大量に労働者が流入した[16][33]。1960年代以降には外国資本が導入されるようになり、ビスカヤ高炉などの製鉄企業が発展した[34]。1960年代にはバスク自治州の域内総生産はスペイン最大の伸び率を示し、1973年にはスペインの工業生産高の56%を産出していた[17]。バスク地方の生活水準は上昇し、1975年にはビスカヤ県の個人所得がスペインの50県中1位となったが、硫黄や塩素などによる生態系への悪影響などが指摘され、また1973年のオイルショックでは経済が大きな打撃を被った[16][35]。また、都市部への人口集中が顕著になり、経済発展とともにバスク民族意識が薄れ始めた[36]。1975年にはフランコが死去し、スペインでは民主化への移行英語版が開始された。

スペインの民主化

1978年には国民投票が行われてスペイン1978年憲法(現行憲法)が制定されたが、憲法にはスペイン国家の不可分一体性が明記され、バスク人は民族を構成するには至らない民族体と位置付けられた[37]。このため、バスク・ナショナリスト穏健派のバスク民族主義党(PNV)は州民に対して投票棄権を呼びかけ、バスク・ナショナリスト急進左派は憲法否認を呼びかけた[37]。投票率が45%に留まったバスク地域はスペイン国内でもっとも棄権率が高く[38]、賛成票は投票のうちわずか69%[37]、棄権者・無記入票・反対票の合計は65.4%にも達した[39]

スペイン1978年憲法は自治州の設置を認めており、1979年にはゲルニカ憲章英語版(バスク自治憲章)がスペイン国会で承認された後にバスク地方での住民投票でも承認され、アラバ、ビスカヤ、ギプスコアの歴史的3領域の自治組織としてのバスク自治州が発足した[40][41]。3県の県境は1833年以前の伝統的境界区分をほぼそのまま踏襲したものである[42]。スペイン1978年憲法はフエロなど各地域の歴史的権利を認めており、バスク自治州は教育・警察・厚生などの分野で大幅な自治権が認められた[43]。今日では世界でもっとも地方分権化が進んだ地域のひとつとされ、ザ・エコノミスト誌は「ヨーロッパのどこよりも高い自律性を持つ」としている[44]。この時点ではナバーラ県はバスク自治州には含まれておらず、憲法ではナバーラ県の意思に基づいてバスク自治州への統合が可能とされたが、結局1982年に単独でナバーラ州に昇格した[40][45]。1980年にはバスク自治州議会議員選挙が行われ、バスク民族主義党が第一党に、バスク自治州政府としての初代レンダカリ(バスク自治政府時代も含めれば第3代)にカルロス・ガライコエチェアが選出された[41]

バスク自治州発足後

観光都市に生まれ変わったビルバオ

1975年から1985年まで、バスク自治州の域内総生産はマイナスとなり、1985年にはビスカヤ県で26%、ギプスコア県で22%という高い失業率を記録した[17]。バスク自治州は重工業一極型の産業構造・石油依存社会からの転換を図り、1990年の湾岸危機による石油価格高騰の影響も比較的軽かった[17]。1990年頃には第三次産業従事者割合が就業人口の50%を超え、2002年の経済成長率はEU平均を上回る1.8%、失業率は8.3%にまで回復した[17]。3県都の郊外には工業団地が設置されて企業が誘致され、工業都市だったビルバオはビルバオ・グッゲンハイム美術館の開館に象徴されるように文化産業都市としてよみがえった[17]

バスク祖国と自由(ETA)はスペインの民主化以後もテロ行為を敢行しており、バスク経済が一定程度回復するとテロリズムの克服が最大の懸念事項となった。ETAの政治部門はHB(人民統一)、エリ・バタスナ(EH、われらバスク人民)、バタスナなどと名を変えて常にある程度の支持を得ていたが、2002年にホセ・マリア・アスナール政権によって非合法化されると活動拠点をフランス領バスクに移した。2004年にはイスラーム系過激派によるマドリード列車爆破テロが起こったが、スペイン政権与党の国民党(PP)はETAの犯行と即断したことで国民の信頼を失い、スペイン社会労働党(PSOE)が政権与党に返り咲く引き金となった[46]。ETAは1968年の武力闘争開始以後に800人以上を殺害し、1989年・1996年・1998年9月・2006年3月・2010年には休戦または停戦を宣言してスペイン政府との交渉に臨んだが、いずれの宣言も短期間で破棄して武力闘争を再開した。2000年代後半以降にはスペイン当局によって450人以上のメンバーが逮捕され、軍事的・政治的に弱体化したとされている[47]。BBCはETAとスペイン政府との衝突を「ヨーロッパ史上もっとも長い戦争」と表現したが[48]、ETAは2011年に再度休戦を宣言した[49]

2003年にはバスク自治州レンダカリのフアン・ホセ・イバレチェがゲルニカ憲章改正案(イバレチェ・プラン英語版)が自治州議会に提議した。この改正案ではバスク地方をスペイン連邦国家を構成する一国家のごとく位置づけており、1年以上の議論を経てバスク自治州議会が承認したが、スペインの不可分一体性を崩しかねないこのプランはスペイン下院に否決された[46]

政治

バスク自治州政府

バスクの自治の象徴であるゲルニカの木

1978年憲法では各地域の「歴史的権利」を認め、中央集権体制と異なる地域のアイデンティティ(バスク、カタルーニャ、ガリシア)との妥協を試みている。カスティーリャ・イ・レオン州バレンシア州なども含めて、スペインのすべての地域に自治行政や州議会が付与され、バスク自治州、カタルーニャ州ガリシア州は歴史的特異性を認められた。まだバスク自治州はそれぞれの地域の徴税権を有しているが、その意思決定はスペインと欧州連合(EU)によって制限されている。スペイン国会によって承認されたゲルニカ憲章英語版(バスク自治憲章)はスペイン国家の専管事項に抵触しない範囲での自治を認めており、バスク自治州は自治州警察(エルツァンツァ)、独自の教育制度、財政自由裁量権などを有している[40][50][51]。スペインの17自治州のうち15自治州では中央政府が徴税した税金の一部を各自治州に分配しているが、バスク自治州とナバーラ州では各県に徴税権があり、その一部が分担金としてスペイン国庫に納められる[52]。この高度な財政上の自由裁量権には近隣の自治州から不満もあり、また欧州連合も巻き込んだ問題となっている[52]。バスク自治州議会とバスク自治州政府が置かれるビトリア=ガステイスが事実上の州都だが、ゲルニカ憲章では公式な州都は定められていない[1]。バスク自治州議会によって選出されたレンダカリ(バスク自治州政府首班[注 6])は就任後にゲルニカのオークの木の下で宣誓を行い、その傍らにあるバスク議事堂スペイン語版[注 7]で就任式を行う[53]

バスク自治州議会

ビトリア=ガステイスにあるバスク自治州議会

バスク自治州議会は3県から直接選挙で25人ずつ選出された計75人の議員からなる[54]。人口最少のアラバ県と人口最多のビスカヤ県では約4倍の人口差があり、1票の格差が問題となっている[54]。1980年(第1回)バスク自治州議会選挙ではバスク民族主義党(EAJ=PNV)が25議席を獲得して単独で政権党となり、初代レンダカリにはカルロス・ガライコエチェアが就任した[40]バスク祖国と自由(ETA)の政治部門であるエリ・バタスナ(HB、バタスナの前前身)とバスク左翼英語版(EE)を含めて42議席をバスク・ナショナリスト政党が占め、非バスク・ナショナリスト政党のバスク社会党(PSE)(スペイン社会労働党のバスク支部)は9議席、国民同盟(AP)(社会労働党と並ぶスペインの二大政党)は6議席を獲得するにとどまった[40]。1984年自治州議会選挙では議席数が各県から25人の計75議席に増加し、バスク・ナショナリスト勢力は70%弱の得票を得て、再びバスク民族主義党が単独で政権党となったが、すでに内部分裂の兆しを見せていた[40]。レンダカリのガライコエチェアとシャビエル・アルサリュスが対立し、1984年12月にはガライコエチェアの不信任決議が採択されて後任にはホセ・アントニオ・アルダンサが就任した。ガライコエチェアはバスク民族主義党から離脱してバスク連帯英語版(EA)を結成し、バスク国家の独立を標榜した[40]。1986年自治州議会選挙での得票数1位はバスク民族主義党だったが、バスク連帯に票が流れた結果議席数を前回選挙の半分程度まで減らし、議席数では19議席を獲得したバスク社会党を下回ったことで、バスク民族主義党はバスク社会党と連立して政権を担った[55]。1990年自治州議会選挙ではバスク民族主義党がバスク連帯の支持票を奪還して第1党に返り咲き、バスク連帯やバスク左翼と連立を組んで政権を担った[55]。バスク社会党の支持票は国民党(PP)に流れ、またエリ・バタスナは過去最大の得票率を得た[46]

1994年自治州議会選挙ではバスク民族主義党とバスク連帯とバスク社会党が、1998年自治州議会選挙ではバスク民族主義党とバスク連帯が連立を組んで政権を担った[46]。1982年から1998年まで、ETAに近いエリ・バタスナや後継のバスク市民(バタスナの前身)はバスク自治州議会への出席を拒否していたが、1998年以後の3年間は、政権党はバスク市民の議会内支援を得て議会内過半数に達した[46]。2001年自治州議会選挙ではバスク・ナショナリスト政党の得票率が過去最低の53%となったが、バスク民族主義党はバスク連帯と統一左翼(IU)と連立を組んで議会内過半数を保った[46]。2001年9月のアメリカ同時多発テロは世界的な反テロリズムの潮流を巻き起こし、ETAと関わりが深いバタスナは国民党のホセ・マリア・アスナール政権によって非合法化された[46]

2005年選挙ではバスク民族主義党とバスク連帯と統一左翼が連立を組んで政権を担った[55]。2009年自治州議会選挙では得票率・議席数ともにバスク民族主義党が第1党だったが、第2党のバスク社会党と第3党の国民党が結束して議会内過半数を確保し、バスク社会党のパチ・ロペスが史上初となるバスク民族主義党以外からのレンダカリとなった。2012年自治州議会選挙ではバスク民族主義党が第1党となり、バスク連帯を中心とする政党連合のEHビルドゥが21議席を獲得して第2党に躍進した[56]。バスク民族主義党のイニゴ・ウルクリュがレンダカリとなり、レンダカリの座が再びバスク民族主義党に戻った。

バスク自治州政府首班(レンダカリ
在任期間 名前 出身政党
1980-1985 カルロス・ガライコエチェア バスク民族主義党(PNV)
1985-1999 ホセ・アントニオ・アルダンサ・ガロ バスク民族主義党(PNV)
1999-2009 フアン・ホセ・イバレチェ バスク民族主義党(PNV)
2009-2012 パチ・ロペス バスク社会党(PSE-PSOE)
2012- イニゴ・ウルクリュ バスク民族主義党(PNV)

領土問題

ナバーラ州との関係

歴史的にはナバーラ州バスク地方の一部である。1979年にバスク自治州が成立すると、バスク自治州はアラバ、ビスカヤ、ギプスコア、ナバーラの4領域の紋章を自治州の紋章に組みこんだが、1982年に成立したナバーラ州はナバーラの紋章がバスク自治州の紋章に含まれていることに抗議し、バスク自治州政府はナバーラの紋章部分を空白とした紋章に切り替えた[54]。スペイン1978年憲法の暫定規則4とゲルニカ憲章英語版第2条にはナバーラをバスク自治州に編入させることを想定した文言がある[57]。ナバーラの独自性を擁護する政治的思潮としてナバリスモがあり、バスク・ナショナリズムの台頭と同時期に興った[57]ナバーラ住民連合はナバリスモを体現する政党であり、バスク自治州への編入可能性を明記した暫定規則4の除去する憲法改正をスペイン国会に繰り返し要求している[58][59]

飛び地

バスク自治州はトレビニョ英語版カスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県)とバリェ・デ・ビジャベルデ英語版カンタブリア州)というふたつの他州の飛び地を有している。人口約2,000人、アラバ県の県都ビトリア=ガステイスの南に隣接するトレビニョは2006年時点で13.5%がバスク語話者であり[60]、バスク自治州は財政的支援を行っている[61]。トレビニョの住民は少なくとも16世紀からアラバ県への編入を望んできたとされ、1940年の住民投票では96%が編入に賛成し、1958年の住民投票でも賛成多数だった[61]。1979年の成立したバスク自治憲章ではトレビニョのバスク自治州への編入の可能性に言及しているが、ブルゴス県は一貫して分離を認めていない[61]。ビスカヤ県西部にあるビジャベルデは人口400人程度の飛び地であり、やはり住民は1980年代から1990年代にかけてバスク自治州への編入に熱心だったが、編入は実現していない[61]

経済

ビルバオのBBVA本社

1970年代と1980年代の経済危機の時代、製鉄業や造船業などの伝統的な産業は停滞し、かわってハイテク産業が成長した[62]。現在、バスク自治州の工業部門で大きな割合を占めているのは、ビスカヤ県とギプスコア県の盆地に存在する工作機械産業、ビトリア=ガステイスの航空機械工業、ビルバオのエネルギー産業である。バスク自治州に本拠を持つ大企業としては、金融業のビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行(BBVA、本社ビルバオ)、エネルギー業のイベルドローラ(本社ビルバオ)、鉄道車両のCAF(本社ギプスコア県ベアサイン)、モンドラゴン協同組合企業(本社ギプスコア県アラサーテ/モンドラゴン)、風力発電機のガメサ(本社ビスカヤ県サムディオ)が挙げられる[63]

バスク自治州の1人あたり所得はスペインの州の中でもっとも高い。2002年時点の1人あたりGDPは、スペインの全17州中でマドリード州ナバーラ州に次ぐ第3位だったが、2006年にはマドリード州に次ぐ第2位となった[64]。2010年における1人当たりGDPは31,314ユーロであり、スペインの平均よりも33.8%高く、欧州連合(EU)の平均よりも40%高い[65][66]。2012年におけるバスク自治州の失業率は約14.56%であり[67]、スペイン全体の失業率(24.6%)を大きく下回っている[67]。2013年の、バスク自治州の公的債務はGDPの13.00%(1人あたり8,825ユーロ)であり[68]、スペイン全体の93.90%(1人あたり960,676ユーロ)を大きく下回った[69]。2009年にはバスク自治州の経済は3.3%縮小したが、スペイン全体の縮小率3.6%を下回った。

社会

交通

ビトリア=ガステイス・トラム
道路

道路交通の大動脈は、ビルバオからサン・セバスティアンを経由してフランス国境までを結ぶAP-8号線と、サン・セバスティアンからビトリア=ガステイスを経由してスペイン中央部までを結ぶA-1号線である。この他の主要な高速道路には、ビルバオとサラゴサを結ぶAP-68号線などがある。

鉄道

バスク自治州政府が所有するバスク鉄道は狭軌の路線を持つ鉄道会社であり、ビルバオ都市圏内やサン・セバスティアン都市圏内、ビルバオとサン・セバスティアンの都市間鉄道路線を運行している。バスク鉄道が所有するエウスコ・トランはビルバオ・トラムビトリア=ガステイス・トラム(路面電車)を運行している。メトロ・ビルバオ(地下区間を有する都市鉄道)はビルバオ都市圏で2路線が運行されている[70]

レンフェ(スペイン国鉄)はビトリア=ガステイスとサン・セバスティアンやビルバオ、ビルバオとスペイン中央部を結ぶ広軌の路線を運行している。レンフェはセルカニアスと呼ばれる通勤鉄道網をスペインの主要都市圏で運行しており、バスク自治州ではビルバオ都市圏(セルカニアス・ビルバオ)とサン・セバスティアン都市圏で運行されている。スペイン狭軌鉄道(FEVE)はビルバオとバルマセダの間で都市鉄道を運行しており、またビルバオとスペイン北部の他州を結ぶ路線を運行している[70]

バスク自治州3県の県都を結ぶ高速鉄道ネットワークのバスクYが建設中であり、2017年に完成予定である。バスクYはフランスのアンダイエでフランスの高速鉄道網と接続する予定であり[71]、スペインの首都マドリードとフランスを結ぶ主要な路線となる。バスク地方の山がちな地形のため、バスクYの路線の大部分はトンネルか橋梁を走行し、総建設費は10億ユーロとなる予定である。

空港
ビルバオ空港

バスク自治州にはビルバオ空港サン・セバスティアン空港ビトリア空港の3つの空港がある。もっとも重要な空港はビルバオ空港であり、ロンドンやヨーロッパの多くの都市に向けた国際便を有している[72]。2012年の旅客数は約417万人であり、スペイン国内では13番目に旅客数の多い空港だった[73]。上位15空港の中で旅客数が前年より増加した2空港のひとつであり、2011年から3.1%の伸びを記録した[73]。サン・セバスティアン空港はバルセロナとマドリードに向けた国内便を有しており[72]、スペイン=フランス国境を流れるビダソア川に面している。2012年の旅客数は約26万人であり、スペイン国内では31番目に旅客数の多い空港だった[73]。ビトリア空港は3空港の中で最長の3,500mの滑走路を有するが、2012年の旅客数は約24,000人であり、スペイン国内では37番目に旅客数の多い空港だった[73]。ビトリア空港は貨物便を主体とする空港であり、スペインで4番目に貨物取扱量が多い空港である。2014年10月にはニューヨーク行きの旅客便が設定され、バスク地方から初めて大西洋を超える便となった[74]

港湾

ビルバオ港英語版とパサイア港がバスク自治州の2大港湾である。このほかに、ベルメオオンダロアなどに中小規模の漁港がある。ビルバオ港はスペインでもっとも重要な経済地区のひとつであり、航空工学、電子工学、エネルギー、鉄鋼、工作機械などの産業の拠点となっている[75]。2005年には3,680万トンの貨物を取り扱い、スペインで4番目に貨物取扱量の多い港湾だった[75]。ビルバオとイギリスのポーツマスとの間にはフェリーの路線がある[76]

言語

バスク地方における自治体別バスク語話者の割合

バスク自治州の公用語はバスク語カスティーリャ語(スペイン語)の二言語である。国民国家の成立過程においてスペイン政府は、バスク人とその言語的アイデンティティを抑制しようと試みてきた[77]。スペインの民主化移行期の1975年頃にはバスク7領域で160校のイカストラ[注 8]が34,000人の生徒を抱えるまでに至った[78]スペイン1978年憲法第3条ではカスティーリャ語を国家公用語と定めているが、同時に他言語も自治州内の公用語となる可能性を明記している[60]。1979年のゲルニカ憲章ではバスク自治州の固有言語としてバスク語を選定し、カスティーリャ語との二言語共同公用体制を敷いた[60]。バスク自治州政府文化省言語政策局が言語政策を主導し、エウスカルツァインディア(バスク語アカデミー)が諮問機関に指定された[60]。1982年にはバスク語使用正常化基本法が発効され、Aモデル(カスティーリャ語が教育言語でバスク語は必修科目)、Bモデル(カスティーリャ語とバスク語の双方が均等に教育言語)、Dモデル(バスク語が教育言語でカスティーリャ語は必修科目)の3つの言語教育モデルが導入された[78]。バスク語は欧州連合(EU)機関内でも限定的使用が認められており、2011年にはスペイン国会上院でも使用が認められるようになった[60]

2012年時点ではほぼ100%の生徒が初等学校で何らかのバスク語の教育を受けている[78]。2006年にバスク自治州で16歳以上の全住民を対象に行われた社会言語学調査によると、30.1%は流暢なバスク語話者であり、18.3%はバスク語を話すことができ、51.5%はバスク語を話すことができないという結果だった[79]。流暢なバスク語話者の割合はギプスコア県(49.1%)が最高、アラバ県(14.2%)が最低であり、流暢な話者の割合は1991年が24.1%、1996年が27.7%、2001年が29.5%と、年々増加している[79]。流暢な話者の割合は16歳-24歳までの年代(57.5%)がもっとも高く、65歳以上は25.0%にとどまっている[79]ギプスコア県の大部分の地域、ビスカヤ県の中部と東部、アラバ県の北端でバスク語は強い存在感を示しているが、ビスカヤ県西部、アラバ県の大部分に存在するバスク語話者は、カスティーリャ語に次ぐ第二言語としてバスク語を使用している。バスク語話者のほぼ全員がカスティーリャ語またはフランス語とのバイリンガルである[80]。多くの自治体ではバスク語話者とカスティーリャ語・フランス語話者が混在しており、住民すべてがバスク語話者である自治体は存在しないといえる[80]

教育

唯一の公立大学であるバスク大学

1886年にイエズス会によってビルバオ近郊のデウスト[注 9]デウスト大学が創設され[81]、1962年にスペイン政府によって正式な大学として認可された。デウスト大学の卒業生であるバスク自治政府レンダカリホセ・アントニオ・アギーレなどによって公立大学の創設が望まれており、スペイン内戦中の1938年にはビルバオに公立大学が設置された。バスク自治州発足後の1980年には、自治州各地の教育機関を統合して正式にバスク大学(UPV)が創設された。バスク大学は3県それぞれにキャンパスを置いており、バスク自治州にある唯一の公立大学である。1943年にはアラサーテ/モンドラゴンに高等工科学校が設立され、1997年に正式にモンドラゴン大学として創設された[82]

メディア

バスク自治州における2010年の日刊紙の普及度は51.8%であり、17自治州のうち第3位である[83]。大きく分けて、エル・パイスエル・ムンドなどマドリードで発行されている全国紙、エル・コレオ(ビスカヤ県とアラバ県中心)やエル・ディアリオ・バスコ(ギプスコア県中心)などマドリードとの結びつきが強い保守的な地方紙、ガラやベリア(バスク語のみ)などバスク・ナショナリズムとの親和性が強い地方紙の3種類に分類される[83]。他州も含めたスペイン全体での発行部数は、エル・コレオが約12万部、ガラが約13万部、ベリアが約5万部などである[83]。バスク自治州の公共放送としてバスク・ラジオ・テレビ局があり、2チャンネルを有するテレビの片方はバスク語のみで放送している[83]。2012年時点ではインターネット空間におけるバスク語の使用頻度は全言語中38位である[83]

文化

スポーツ

アスレティック・ビルバオのスタジアム

バスク自治州ではサッカーバスケットボール自転車競技などが盛んである。サッカークラブにはビルバオアスレティック・ビルバオ(全国リーグ優勝8回・全国カップ優勝24回)、サン・セバスティアンのレアル・ソシエダ(リーグ優勝2回・カップ優勝2回)、ビトリア=ガステイスデポルティーボ・アラベスなどのクラブがあり、いずれもリーガ・エスパニョーラに所属している。アスレティック・ビルバオはバスク人のみで選手を構成していることが特徴であり、レアル・マドリードFCバルセロナとともに1部リーグから降格したことがない3クラブのひとつである[84]。レアル・ソシエダもかつてはバスク人のみで選手を構成していたが、1989年以降はスペインの他地域出身選手やスペイン国外出身選手を獲得している。フランコが死去してスペインが民主化移行期にあった1980年代初頭には、この2クラブが4シーズンの間リーガ・エスパニョーラのタイトルを独占した[84]。バスク自治州出身の著名選手には、スペイン代表最多出場記録を保持していたアンドニ・スビサレッタ2010 FIFAワールドカップ優勝メンバーとなったシャビ・アロンソなどがいる。

バスケットボールクラブにはビトリア=ガステイスのサスキ・バスコニア(リーグ優勝1回・カップ優勝5回)、ビルバオのCBビルバオ・ベリー、サン・セバスティアンのギプスコア・バスケットクラブなどがあり、いずれもACBに所属している。自転車競技チームにはかつてUCIプロチームエウスカルテル・エウスカディが存在し、北京オリンピック個人ロード金メダルのサムエル・サンチェスなどが所属していたが、資金難のために2013年に解散した[85]。エウスカルテルは「バスク人のバスク人によるバスク人のためのチーム」であり、2012年までは所属選手をバスク地方出身かバスク地方でアマチュア時代を過ごした選手に限定していた[85][86]

料理

皿に盛られたピンチョス

バスク地方はピンチョスなどで知られるバスク料理が有名である。1967年にはバスク地方出身の料理人のルイス・イリサールがギプスコア県・サラウツにスペイン3番目となる料理学校を開校させ、1992年にはサン・セバスティアンにも料理学校を開校させた。この学校には自身の名を冠し、現在ではスペイン一の料理学校と言われている[87]。サン・セバスティアン出身の料理人のカルロス・アルギニャーノは1990年代以降にエンターテインメント性を重視した料理番組の司会を務め、スペインにおける料理人の地位を高めることに成功した[88]。1999年にはサン・セバスティアンで料理に関する世界初の学会が開催され、これ以後にはスペイン各地に料理学会が発足した[89]。2011年にはヨーロッパ初の食科学に関する4年制大学として、モンドラゴン大学の食科学部の研究機関という位置づけでバスク・クリナリー・センター(バスク料理センター)が開設された[90]

脚注

注釈

  1. ^ バスク語のエリア(Herria)は必ずしも「国家」のニュアンスを持たないことから、ひらがなの「くに」を当てている。出典は関ほか(2008)、p.397
  2. ^ ここでは日本における慣用表記を考慮した名称を記載している。バスク自治州はバスク州と表記されることも多く、ビトリア=ガステイスはビトリア単独で表記されることも多い。
  3. ^ a b 2013年のスペイン国立統計局(INE)の調査による。
  4. ^ 1979年からバスク自治州を構成する3県の合計人口。
  5. ^ ただし、バスク語の使用禁止を明文化した法文はほとんど確認されていない。出典は関ほか(2008)、pp.376-378
  6. ^ レンダカリは「政府首班」の他に、「首相」「知事」「首長」「大統領」と訳されることもある。レンダカリに相当するカスティーリャ語はプレシデンテ(presidente)である。
  7. ^ ビトリア=ガステイスにあるバスク自治州議会とは異なる。
  8. ^ バスク語で初等教育・中等教育を行う学校。1960年頃に非合法的に運営が開始され、民主化後の1993年には約40%のイカストラが公立学校に編入、その他は私立学校として存続した。
  9. ^ デウストはその後ビルバオと合併し、現在ではビルバオを構成する8区のうちのひとつである。

出典

  1. ^ a b c “Azkuna: "Vitoria no es la capital de Euskadi"”. エル・コレオ. (2010年3月12日). http://www.elcorreo.com/vizcaya/v/20100312/politica/vitoria-capital-euskadi-20100312.html 2010年9月9日閲覧。 
  2. ^ Ayala, Alberto (2010年5月11日). “Vitoria no será capital por ley, por ahora”. エル・コレオ. http://www.elcorreo.com/alava/v/20100511/politica/vitoria-sera-capital-ahora-20100511.html 2010年9月9日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f 萩尾ほか(2012)、pp.24-28 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "hagio2428"が異なる内容で複数回定義されています
  4. ^ アリエール(1992)、p.15
  5. ^ 萩尾ほか(2012)、pp.281-283
  6. ^ a b 大泉光一(1993)、p.16
  7. ^ 大泉陽一(2007)、p.2
  8. ^ 大泉陽一(2007)、p.3
  9. ^ a b Standard Climate Values. Bilbao Aeropuerto”. AE Met. 2014年10月20日閲覧。
  10. ^ 石井(2013)、p.42
  11. ^ a b c 石井(2011)、pp.45-46
  12. ^ a b 関ほか(2008)、pp.340-343
  13. ^ a b 石井(2013)
  14. ^ a b El 28,2% de la población que vive en el País Vasco ha nacido fuera | País Vasco”. エル・ムンド (2009年3月11日). 2010年4月26日閲覧。
  15. ^ a b 関ほか(2008)、pp.357-360
  16. ^ a b c 関ほか(2008)、pp.380-382
  17. ^ a b c d e f 関ほか(2008)、pp.391-393
  18. ^ 碇(2008)、p.40
  19. ^ "La mezcla del pueblo vasco", Empiria: Revista de metodología de ciencias sociales, ISSN 1139-5737, Nº 1, 1998, pags. 121–180.
  20. ^ Esparza Zabalegi, Jose Mari (1990). Euskal Herria Kartografian eta Testigantza Historikoetan. Euskal Editorea SL. pp. 52–54, 58. ISBN 978-84-936037-9-3 
  21. ^ a b 川成ほか(2013)、p.196
  22. ^ 大泉陽一(2007)、p.30
  23. ^ 大泉光一(1993)、p.47
  24. ^ a b 立石ほか(2002)、p.170
  25. ^ 関ほか(2008)、pp.373-376
  26. ^ 大泉光一(1993)、p.51
  27. ^ 関ほか(2008)、pp.376-378
  28. ^ a b 立石ほか(2002)、p.171
  29. ^ 関ほか(2008)、pp.378-380
  30. ^ 立石ほか(2002)、p.172
  31. ^ 大泉光一(1993)、pp.52-53
  32. ^ 渡部(1987)、p.140
  33. ^ 立石ほか(2002)、p.175
  34. ^ 渡部(1987)、p.153
  35. ^ 立石ほか(2002)、p.181
  36. ^ 渡部(1987)、p.154
  37. ^ a b c 関ほか(2008)、pp.385-387
  38. ^ Archivo de Resultados Electorales”. Euskadi.net. 2010年4月26日閲覧。
  39. ^ 大泉光一(1993)、p.108
  40. ^ a b c d e f g 関ほか(2008)、pp.387-391
  41. ^ a b 立石ほか(2002)、p.177
  42. ^ 関ほか(2008)、p.396
  43. ^ 大泉陽一(2007)、p.43
  44. ^ Spain and its regions | Autonomy games”. エコノミスト (2007年9月20日). 2010年4月26日閲覧。
  45. ^ 立石ほか(2002)、p.179
  46. ^ a b c d e f g 関ほか(2008)、pp.393-396
  47. ^ 「バスク祖国と自由」(ETA)”. 公安調査庁. 2014年10月10日閲覧。
  48. ^ “Eyewitness: ETA's shadowy leaders”. BBCニュース. (1999年12月2日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/545414.stm 2010年11月1日閲覧。 
  49. ^ “Basque group Eta says armed campaign is over”. BBCニュース. (2011年10月20日). http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-15393014 2011年10月20日閲覧。 
  50. ^ The Statute of Autonomy of the Basque Country” (PDF). Euskadi.net. 2013年7月8日閲覧。
  51. ^ Statute of Autonomy of the Basque Country” (Spanish). BOE (1978年12月18日). 2013年7月8日閲覧。
  52. ^ a b 萩尾ほか(2012)、pp.151-155
  53. ^ 萩尾ほか(2012)、pp.107-109
  54. ^ a b c 萩尾ほか(2012)、pp.125-130
  55. ^ a b c 関ほか(2008)、pp.389
  56. ^ “スペイン地方選、与党1勝1敗 緊縮策、続く綱渡り”. 日本経済新聞. (2012年10月23日). http://www.nikkei.com/article/DGXDASGM2203J_S2A021C1FF1000/ 2014年10月26日閲覧。 
  57. ^ a b 萩尾ほか(2012)、pp.138-141
  58. ^ UPN recuerda a Chivite que dejó muy claro que la Transitoria Cuarta no tenía sentido”. 2012年3月6日閲覧。
  59. ^ 萩尾ほか(2012)、pp.142-146
  60. ^ a b c d e 萩尾ほか(2012)、pp.189-193
  61. ^ a b c d 萩尾ほか(2012)、pp.54-57
  62. ^ 碇(2008)、p.17
  63. ^ “Betting for the future”. Bizkaia talent. http://www.bizkaiatalent.org/en/pais-vasco-te-espera/apuesta-de-futuro/ 2014年10月20日閲覧。 
  64. ^ スペインの国土政策事情”. 国土交通省. p. 67. 2014年11月7日閲覧。
  65. ^ Spanish regional accounts”. スペイン国立統計局(INE). 2014年11月7日閲覧。
  66. ^ GDP per capita by province in the Basque Autonomous Community, 1980-2009(a)”. エウスタット(バスク統計局). 2010年12月8日閲覧。
  67. ^ a b Paro en España”. エル・パイス (2012年7月27日). 2014年11月7日閲覧。
  68. ^ Deuda Pública del País Vasco”. Datos Macro. 2014年4月23日閲覧。
  69. ^ Deuda Pública de España”. Datos Macro. 2014年4月23日閲覧。
  70. ^ a b “Bilbao”. Urban Rail.net. http://www.urbanrail.net/eu/es/bilbao/bilbao.htm 2014年10月20日閲覧。 
  71. ^ “EIB lends €1bn for Basque Y high speed network - Railway Gazette”. Railway Gazette International. http://www.railwaygazette.com/nc/news/single-view/view/eib-lends-EUR1bn-for-basque-y-high-speed-network.html 2012年6月28日閲覧。 
  72. ^ a b “How to Arrive”. Eusko Guide. http://www.euskoguide.com/about-basque-country/arrive-in-the-basque-country.html 2014年10月20日閲覧。 
  73. ^ a b c d “TRÁFICO DE PASAJEROS, OPERACIONES Y CARGA EN LOS AEROPUERTOS ESPAÑOLES 2012”. 空港・航空管制公団(AENA). http://www.aena-aeropuertos.es/csee/ccurl/52/737/Estadisticas_Acumulado%20DEF_2012.pdf 2014年11月7日閲覧。 
  74. ^ “Foronda, el caso del 'mejor' aeropuerto vasco”. エル・ムンド. (2014年8月24日). http://www.elmundo.es/pais-vasco/2014/08/24/53f9fbe3ca4741cc6c8b4578.html 2014年11月7日閲覧。 
  75. ^ a b Port of Bilbao - Review and History”. World Port Source. 2014年11月5日閲覧。
  76. ^ “Ferry Service to Portsmouth”. ビルバオ港. http://www.bilbaoport.es/aPBW/web/en/port/ferry/index.jsp 2014年10月20日閲覧。 
  77. ^ Torrealdi, J.M. El Libro Negro del Euskera (1998) Ttarttalo ISBN 84-8091-395-9
  78. ^ a b c 萩尾ほか(2012)、pp.194-198
  79. ^ a b c IV. Inkesta Soziolinguistikoa Gobierno Vasco, Servicio Central de Publicaciones del Gobierno Vasco 2008, ISBN 978-84-457-2775-1
  80. ^ a b 萩尾ほか(2012)、pp.34-39
  81. ^ History and Mission”. デウスト大学. 2014年11月5日閲覧。
  82. ^ What is MU?”. モンドラゴン大学. 2014年11月5日閲覧。
  83. ^ a b c d e 萩尾ほか(2012)、pp.303-307
  84. ^ a b 萩尾ほか(2012)、pp.318323
  85. ^ a b “スポンサー探しが頓挫 スペインのエウスカルテルが19年間の歴史に幕”. cyclo wired. (2013年8月20日). http://www.cyclowired.jp/?q=node/115100 2014年10月20日閲覧。 
  86. ^ “オレンジ集団終焉の時、さらばエウスカルテル・エウスカディ”. Cycling Time. (2013年8月23日). http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=20066 2014年10月20日閲覧。 
  87. ^ 高城(2012)、pp.106-108
  88. ^ 高城(2012)、pp.150-151
  89. ^ 高城(2012)、pp.148-149
  90. ^ 高城(2012)、pp.154

参考文献

  • ホセ・アントニオ・アギーレ『バスク大統領亡命記』狩野美智子訳 三省堂 1989年
  • ジャック・アリエール『バスク人』萩尾生訳 白水社 1992年
  • 碇順次『スペイン』(ヨーロッパ読本)河出書房新社 2008年
  • 石井久生「バスク語地名の復活にみるボーダーランドの多義性とローカル・イニシアティブ」『共立国際研究』共立女子大学国際学部紀要 (27) pp.1-25 2010年
  • 石井久生「制度により構築される言語景観 バスク州とナバラ州における基礎自治体改名の実践」『共立国際研究』共立女子大学国際学部紀要 (30) pp.39-61 2013年
  • 大泉光一『バスク民族の抵抗』新潮社、1993年
  • 大泉陽一『未知の国スペイン –バスク・カタルーニャ・ガリシアの歴史と文化-』原書房、2007年
  • 川成洋・坂東省次・桑原真夫『スペイン王権史』中央公論新社、2013年
  • 京都外国語大学イスパニア語学科『スペイン語世界のことばと文化』行路社、2003年
  • 関哲行・立石博高・中塚次郎『世界歴史大系 スペイン史 2 近現代・地域からの視座』山川出版社、2008年
  • 高城剛『人口18万人の街がなぜ美食世界一になれたのか』祥伝社新書、2012年
  • 立石博高『スペイン・ポルトガル史』山川出版社、2000年
  • 萩尾生・吉田浩美『現代バスクを知るための50章』(エリア・スタディーズ)明石書店、2012年
  • 渡部哲郎『バスク –もう一つのスペイン-』彩流社、1984年
  • 渡部哲郎『バスクとバスク人』平凡社、2004年

外部リンク