バサウリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Basauri

Bandera de Basauri.svg   Escudo de Basauri.svg

Basauri02.jpg
Flag of the Basque Country.svg バスク州
Bizkaikobanderea.svg ビスカヤ県
面積 7.01 km²
標高 80m
人口 41,624 人 (2014年)
人口密度 5,937.8 人/km²
住民呼称 basauritarra
Basauriの位置(スペイン内)
Basauri
Basauri
スペイン内バサウリの位置
Basauriの位置(ビスカヤ県内)
Basauri
Basauri
ビスカヤ県内バサウリの位置

北緯43度14分12秒 西経2度53分24秒 / 北緯43.23667度 西経2.89000度 / 43.23667; -2.89000座標: 北緯43度14分12秒 西経2度53分24秒 / 北緯43.23667度 西経2.89000度 / 43.23667; -2.89000

バサウリBasauri)は、スペインバスク自治州ビスカヤ県ムニシピオ(基礎自治体)。市内は26地区に分かれている。

地理[編集]

ビルバオ都市圏に含まれる都市の一つで、ネルビオン川イバイサバル川が形成する低い谷の中、ネルビオン川両岸に広がる。バサウリはビスカヤの重要な河川が合流する地点で、うねりが連続するカーブをつくる氾濫原(現在は工業地帯)となっている。バサウリはこの2河川の行程によってオルドゥニャドゥランゴと道路でつながっている。川のすぐそばで町が誕生し、その後粘土質のマルマシン山(標高361m)へ広がっていった。

気候[編集]

バサウリの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 13.2
(55.8)
14.5
(58.1)
15.9
(60.6)
16.8
(62.2)
20.
(68)
22.6
(72.7)
25.2
(77.4)
25.5
(77.9)
24.4
(75.9)
20.8
(69.4)
16.4
(61.5)
14
(57)
20.3
(68.5)
平均最低気温 °C (°F) 4.7
(40.5)
5.1
(41.2)
5.7
(42.3)
7.1
(44.8)
10.1
(50.2)
12.6
(54.7)
14.8
(58.6)
15.2
(59.4)
13.2
(55.8)
10.8
(51.4)
7.6
(45.7)
6
(43)
9
(48)
降水量 mm (inch) 126
(4.96)
97
(3.82)
94
(3.7)
124
(4.88)
90
(3.54)
64
(2.52)
62
(2.44)
82
(3.23)
74
(2.91)
121
(4.76)
141
(5.55)
116
(4.57)
1,195
(47.05)
平均降水日数 13 11 11 13 12 8 7 8 9 11 12 12 128
 % 湿度 72 70 70 71 71 72 73 74 73 73 74 73 72
平均月間日照時間 86 97 128 128 160 173 188 179 157 123 93 78 1,584
出典: スペイン気象庁(AEMet)[1]

人口[編集]

バサウリの人口推移 1900-2012
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3]

由来[編集]

バサウリとはバスク語で「森の中の人々」を意味する。basaが森、uriが住民である。

歴史[編集]

バサウリは1510年、隣のアリゴアリガから分離して自治体となった。しかし、この時期に2つの自治体の首長が会見した記録がないため、少なくともこの時期ではないかという見解の年である。バサウリは1858年までゲルニカにあるビスカヤ全体議会に代表を送ったことがなかった。サン・ミゲル・デ・バサウリ(現在はバサウリの一地区)で開催される地区議会の方がそれまで重要だったためである。

統計[編集]

様々な要因がバサウリの20世紀における強力な経済成長に影響を及ぼした。通信のハブ地となったことが第一の要因と考えられている。オラルゴン、モロ、ミラベリャの各鉱山に近いことも人口の増加に影響した。人口の急増をもたらした最大の要因は、1892年に最初の大工場ラ・バスコニアが置かれたことである。

急激に増えた人口は、1984年を最後に減少に転じた。これはオイルショック以降、1979年から進行していた問題であった。

経済[編集]

19世紀までのバサウリは純粋な農業地帯で、トウモロコシ栽培や、牧草地でのウシやヒツジ飼育が主体であった。また2、3の製粉所もあった。後の大規模投資と工場立地で第一次産業は徐々に衰退し、現在はほぼ消滅したに等しい。

ビルバオに近く、ネルビオン川とイバイサバル川の谷高地と中間地を結ぶ交差路の役割をしており、その結果として工業化が進んだ。

交通[編集]

出身者[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]