コンテンツにスキップ

「東急6000系電車 (初代)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: サイズの大幅な増減
(同じ利用者による、間の2版が非表示)
1行目: 1行目:
{{鉄道車両
[[ファイル:Tkk6000.JPG|thumb|300px|東横線で急行運用についた6000系(1980年3月)]]
|車両名=東急6000系電車
'''東急6000系電車'''(とうきゅう6000けいでんしゃ)は、かつて[[東京急行電鉄]]に在籍していた[[通勤形電車]]である。
|社色=#ee0011
|画像=Tkk6000.JPG
|画像説明=東横線で急行運用に充当されていた頃の6000系<br/>(1980年3月)
|編成両数=2,4,6,8<ref name="magazine200805-296-97-98"/>
|起動加速度=
|営業最高速度=
|設計最高速度=
|減速度(常用最大)=
|減速度(非常)=
|車両定員= 着席54人・立席76人(デハ6000形)<ref name="ayumi43"/><br/>着席64人・立席76人(デハ6100形)<ref name="ayumi43"/>
|編成定員=
|全長= 18,000<ref name="ayumi43"/>
|全幅= 2,744<ref name="ayumi43"/>
|全高= 4,000<ref name="ayumi43"/>
|車体長=
|車体幅=
|車体高=
|車両重量= A編成デハ6000形(Mc1、Mc2) 28.5t<ref name="ayumi43"/><br/>A編成デハ6100形(M1、M2) 28.0t<ref name="ayumi43"/><br/>B編成デハ6200形(Mc1、Mc2) 28.5t<ref name="ayumi43"/><br/>B編成デハ6300形(M1、M2) 28.0t<ref name="ayumi43"/><br/>C編成デハ6000形(Mc1、Mc2) 29.0t<ref name="ayumi43"/><br/>C編成デハ6100形(M1、M2) 28.5t<ref name="ayumi43"/>
|編成重量=
|軌間= 1,067
|電気方式= [[直流]]1,500V<br />([[架空電車線方式]])
|モーター出力= 100kW(定格電圧375V、定格回転数1,300rpm)(A編成)<ref name="denkisha196005-145-17"/><br/>85kW(定格電圧375V、定格回転数1,050rpm)(B編成)<ref name="denkisha196005-145-17"/><br/>120kW(C編成)<ref name="ayumi43"/>
|編成出力=
|歯車比= 7.2(A、C編成)<ref name="ayumi43"/><br/>52:9 = 5.78(B編成)<ref name="ayumi43"/>
|駆動装置= 平行カルダン駆動方式(A、C編成)<ref name="ayumi43"/><br/>[[直角カルダン駆動方式]](B編成)<ref name="ayumi43"/>
|主電動機= [[東洋電機製造]] TDK893A(A編成)<ref name="denkisha196005-145-17"/><br/>[[東京芝浦電気]] SE571(B編成)<ref name="denkisha196005-145-17"/><br/>東洋電機製造 TDK893B(C編成)<ref name="ayumi43"/>
|制御装置=東洋電機製造 ACRF-H4100-753A(A編成)<ref name="denkisha196005-145-17"/><br/>東京芝浦電気 MM101A(B編成)<ref name="denkisha196005-145-17"/><br/>東洋電機製造 ACRF-H4120-754A(C編成)<ref name="ayumi43"/>
|ブレーキ方式=
|保安装置=
|製造メーカー= [[総合車両製作所|東急車輛製造]]<ref name="shitetsu-tokyu-171"/>
|備考=内容は全て落成時のもの。
}}
'''東急6000系電車'''(とうきゅう6000けいでんしゃ)は、[[1960年]]<ref name="magazine200805-296-93"/>から[[1989年]]<ref name="magazine200805-296-99"/>まで[[東京急行電鉄]]で運用されていた[[通勤形電車]]である。4両編成5本(20両)が[[東急車輛製造]]で製作された<ref name="shitetsu-tokyu-171"/>。


本項では[[弘南鉄道]]へ譲渡された後の同社6000系電車についても記述する。
[[1960年]]([[昭和]]35年)に、東急が[[東急5000系電車 (初代)|5000系]]に代わる高性能車として開発し、[[回生ブレーキ|電力回生ブレーキ]]を装備した[[省エネルギー|省エネ]]電車として、4両編成5本(20両)が[[東急車輛製造]]で製作された。また、エコノミカルカーという愛称でも呼ばれていた。


==登場の経緯と増備==
運行経費と共に、保守費の低減にも着目し、[[東急5200系電車|5200系]]での経験を踏まえ、[[台枠]]以外を[[ステンレス]]とした[[セミステンレス車両|セミステンレス構造]]とされた。
東急では[[1954年]]から[[東急5000系電車 (初代)|5000系]]の増備を進め、保守面の事情から同一形式を大量製造する方針を採っていたため<ref name="denkisha196005-145-16"/>、100両あまりを製造して[[東急東横線|東横線]]で運用するに至った。加えて、[[1958年]]に営業運転を開始した[[東急5200系電車|5200系]]が[[ステンレス鋼|ステンレス]]製車体で登場したほか、電装品など<ref group="注釈">[[空気バネ]]や応荷重装置([[#denkisha196005-145-16-20|『電気車の科学』通巻145号、p.16]])</ref>の技術に大きな進歩がみられていたことから、5000系を基にしつつ新技術を盛り込んだ車両を新たに6000系として登場させるに至った。


編成については、当時の東横線の運転時分など<ref group="注釈">平均駅間距離1,200m・表定速度36km/h(各駅停車)、2,920m・46km/h(急行)([[#denkisha196005-145-16-20|『電気車の科学』通巻145号、p.16]])</ref>を満たせる性能を確保するため、全電動車方式とすることとなった<ref name="denkisha196005-145-16"/>。しかし2両ユニットで考えたときにMTユニットの車両よりも製造費用が高くなってしまうため、台車1つあたりのモーターを2つではなく1つとする、'''1[[鉄道車両の台車|台車]]・1[[電動機|モーター]]装備・2[[輪軸 (鉄道車両)|軸]][[駆動輪|駆動]]'''を採用することで製造費の低減が図られた<ref name="denkisha196005-145-16"/>。
本系列はいまだ[[プロトタイプ|試作]]的要素が多く、増備は少数にとどまったが、ステンレス車体に両開きドアと回生ブレーキの組み合わせという、その後の東急のスタンダードを確立した系列として名を残している。


1台車1モーター2軸駆動を具体化するにあたり、東急では最初に4両固定編成を2本製造した。この2本は車体は同一である<ref name="denkisha196005-145-17"/>が、電装品の違いにより'''A編成'''・'''B編成'''と呼ばれていた<ref name="denkisha196005-145-17"/>。両者を比較検討した結果、A編成の方式の方が優れているという結論に達したため<ref name="ayumi35"/>、A編成の仕様を踏襲しつつ主電動機の出力をアップした'''C編成'''と称するタイプが量産された。
本項では[[弘南鉄道]]へ譲渡された後の同社6000系電車についても記述する。

各編成の特徴は以下の通りである。詳細については後述「[[#車両概説|車両概説]]」の項も参照。
; A編成
: 4両編成1本<ref name="magazine200805-296-95"/>が1960年3月に落成<ref name="shitetsu-tokyu-171"/>。
: [[東洋電機製造]]製の電装品・駆動装置(平[[歯車]]平行可撓継ぎ手方式)を装備。
: のちにデハ6001・6002号が[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]の試験に利用された。
; B編成
: 4両編成1本<ref name="magazine200805-296-95"/>が1960年5月に落成<ref name="shitetsu-tokyu-171"/>。
: [[東京芝浦電気]]製の電装品・駆動装置([[直角カルダン駆動方式|直角カルダン方式]])を装備。
: のちにデハ6202・6302・6201・6301号がVVVFインバータ制御の試験に利用された。
; C編成
: A編成を基にした量産車格。4両編成3本<ref name="magazine200805-296-95"/>が[[1961年]]6月に落成<ref name="shitetsu-tokyu-171"/>。
: 東洋電機製造製の電装品・駆動装置(平[[歯車]]平行可撓継ぎ手方式)を装備。
: 上記2つの編成と違ってVVVFインバータ制御の試験に供されることはなかったが、12両全てが譲渡された<ref name="magazine200805-296-99"/>。

1台車1モーター2軸駆動方式を採用したことで製造費の縮減には成功したほか、空気バネ台車<ref name="pic200407-749-41"/>や[[回生ブレーキ]]<ref name="pic200407-749-41"/>を初めて導入するなど、その後の東急の車両に広く使用される技術の多くを初めて盛り込んだ車両でもあった。一方、台車の構造が複雑になったことや<ref name="kaisou2-143"/>、騒音や振動が目立つ<ref name="magazine200805-296-93"/>などの欠点が浮き彫りにもなった。また、本格的な増備が[[1962年]]にオールステンレス車体で登場した[[東急7000系電車 (初代)|7000系]]に替わられたことで総計20両の増備にとどまったことも、保守管理上の悩みの種となった<ref name="kaisou2-143"/>。

==車両概説==
===車体===
5200系で採用された[[セミステンレス車両|セミステンレス]]構造を引き続き採用し、骨組みは普通鋼でその上から厚さ0.8mmのステンレス板を張り付けるというもの<ref name="magazine200805-296-93"/>だった。5200系との相違点は、側面には客用扉にまでビードが入っている<ref name="magazine200805-296-92"/>のに対し、先頭部にはビードが入っていない点である。

先頭部は5000系、5200系の非貫通スタイルから一転して、中央に貫通扉が設置された。これは将来6両編成で運転するにあたり、その過渡期には4両と2両の分割併合を行う機会があると予想されたためであった<ref name="denkisha196005-145-19"/>。客用扉は同社では初めて<ref name="denkisha196005-145-19"/>両開き(幅1,300mm<ref name="ayumi35"/>)のものが1両あたり3カ所設置され、編成を組んだ際に扉間隔がおおむね6mになるよう配慮して<ref name="ayumi35"/>側面のレイアウトが決定された。


[[車両番号]]は5200系と同じく、前面向かって右上と、側面のビードの間に[[紺色]]の小さな文字で印字する方式とされた<ref name="ayumi20"/>。
== 概要 ==
=== 主要機器 ===
1[[鉄道車両の台車|台車]]・1[[電動機|モーター]]装備・2[[輪軸 (鉄道車両)|軸]][[駆動輪|駆動]]という[[日本]]の[[電車]]としては非常に珍しい特徴を持つ。


また、18m3ドア・側扉間隔6mという仕様は[[営団地下鉄日比谷線]](当時は2号線と呼称されていた)乗り入れ規格に準拠したもの<ref name="history614"/>であったが、これについて当時東急の車両部長を務めていた白石安之は「当社がこの2号線に乗入運転をするようになるのはまだ3~4年先のことであるから,この6000形を使用するかどうかは別として,この規格による電車を新製し,すべての点からこれを検討しておくためである」と述べている<ref name="denkisha196005-145-19"/>。結局本形式による乗り入れは行われず、2年後に登場する[[東急7000系電車 (初代)|7000系]]が乗り入れ運用に投じられることになった。なお、7000系では床面高さが規格に準拠した1,125mm(軌条面基準)となっている<ref name="history614"/><ref name="denkisha196201-165-11"/>のに対し、本系列ではそれより高い1,150mmとなっており<ref name="ayumi43"/>、本系列での直通運転は不可能であった。
電機品メーカーとその構造により、A編成・B編成・C編成と3つに大別できる。
* A編成…[[東洋電機製造]]製の電装品・駆動装置(平[[歯車]]平行可撓継ぎ手方式)を装備。後に6001と6002の両先頭車が[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]の実用試験車へと改造されている。4両編成1本(4両)が製造された。
* B編成…[[東芝]]製の電装品・駆動装置([[直角カルダン駆動方式|直角カルダン方式]])を装備。「6200系」と呼称されている。回生ブレーキは故障が多かったため、[[1973年]](昭和48年)頃に回生ブレーキ機能が外された。また、機器類の故障も多く出力も低すぎたため、度重なる改造を経てVVVFインバータ制御の実用試験車へと変貌していった。4両編成1本(4両)が製造された。
* C編成…A編成の量産車格の編成。東洋電機製造製の電装品・駆動装置(平[[歯車]]平行可撓継ぎ手方式)を装備(2代)。4両編成3本(12両)が製造された。
いずれも台車中央にモーターを1個置くが、A・C編成は[[枕木]]方向の片軸モーターに複数の平歯車と撓み継ぎ手を組み合わせた方式であるのに対し、B編成は[[軌条|レール]]方向に設置された両軸モーターを使用した直角カルダン駆動方式である。


===主要機器===
両者を比較した結果、比較的安定した性能を見せたA編成をベースに、量産車としてC編成が製造された。なお、B編成は出力過少である上、撓み継ぎ手・回生ブレーキの不具合と故障が多発したため、度重なる改造の末、最終的にはVVVFインバータ制御試験車(後述)となった。
1台車・1モーター装備・2軸駆動という、[[日本]]の[[電車]]としては非常に珍しい<ref name="shitetsu-tokyu-134"/>特徴を持つ。ほぼ同時期に[[電気機関車]]においても[[日本国有鉄道]](国鉄)[[国鉄EF80形電気機関車|EF80形]]などに1台車1主電動機方式が採用されたが、主電動機個数を減らして得られる、[[空転]]防止、軽量化、電動機の保守軽減などの効果より、機械的な特殊さ、複雑さによる欠点の方が大きく、しばらくの間、特に日本国内の高速鉄道では後に採用されることがなかった。


本形式ではいずれも台車中央にモーターを1個置くが、A・C編成は[[枕木]]方向の片軸モーターに複数の平歯車と撓み継ぎ手を組み合わせた方式で、モーター軸→第1段ギヤボックス→カルダン軸→第2段ギヤ装置の順に駆動力が伝わる<ref name="magazine200805-296-93"/>。ギヤの数が多かったために、共鳴音の音程は非常に高く<ref name="magazine200805-296-93"/>、同時にやかましい<ref name="magazine200805-296-95"/>ものだったという。A編成の台車はTS-311形で、ホイールベースは2,000mmであった<ref name="denkisha196005-145-17"/>。C編成ではTS-311形を改良したTS-315形となり、軸バネ部分にコイルバネが追加された<ref name="magazine200805-296-95"/>。なお、台車中央枕木方向に主電動機軸を置く方式は、電車用としては日本国外においても類例を見ない方式である。
台車構造も昨今の[[ボルスタレス台車]]を思わせる軽量台車が採用された。軸バネは円筒ゴムを使用した現行の[[東急2000系電車|2000系]]のそれに近い構造である。基礎[[ブレーキ]]に、同じ東急車輛製である[[国鉄キハ01系気動車]]同様、[[ドラムブレーキ]]を用いていたのも特徴である。いずれも具合は芳しくなく、軸バネはコイルスプリングに、ブレーキは両抱きの[[踏面ブレーキ]]に改造されている。


一方のB編成は[[軌条|レール]]方向に設置された両軸モーターを使用した直角カルダン駆動方式で、スパイラルギヤ→ベベルギヤの順に駆動力が伝わる。これは5000系でも採用されていた方式であり、ギヤの数が少ないこともあって走行音は非常に静かだったという<ref name="magazine200805-296-93"/>。台車はTS-312形で、モーターが線路方向に配置されている関係上、ホイールベースは2,400mmと少々長めになった<ref name="denkisha196005-145-17"/>。なお、1台車1主電動機全軸駆動の実例として、B編成に見られるレール方向に主電動機軸を置くものは、
なお、1台車1主電動機全軸駆動の実例として、B編成に見られるレール方向に主電動機軸を置くものは、<!--台車寸法の小型化から主電動機などに制約の大きい[[路面電車]]において、[[アメリカ合衆国]]の[[PCCカー]]を発祥として、旧・[[西ドイツ]]の[[デュワグ]]カーや旧・[[チェコスロバキア]]で量産され、旧[[東ヨーロッパ|東欧]][[社会主義国|共産圏]]の標準車となった[[タトラ (自動車)|タトラ]]カーなどで広く普及し、日本においても[[東京都交通局]]([[東京都電車|都電]])[[東京都交通局5500形電車|5500形5501号]]や、[[広島電鉄]][[広島電鉄3500形電車|3500形]]、[[長崎電気軌道]][[長崎電気軌道2000形電車|2000形]]、[[熊本市交通局]][[熊本市交通局8200形電車|8200形]]などの実例はあるが、[[高速鉄道]]ではアメリカ合衆国の[[シカゴ・L]]などで採用された程度で、多くはない。-->
<!--台車寸法の小型化から主電動機などに制約の大きい[[路面電車]]において、[[アメリカ合衆国]]の[[PCCカー]]を発祥として、旧・[[西ドイツ]]の[[デュワグ]]カーや旧・[[チェコスロバキア]]で量産され、旧[[東ヨーロッパ|東欧]][[社会主義国|共産圏]]の標準車となった[[タトラ (自動車)|タトラ]]カーなどで広く普及し、日本においても[[東京都交通局]]([[東京都電車|都電]])[[東京都交通局5500形電車|5500形5501号]]や、[[広島電鉄]][[広島電鉄3500形電車|3500形]]、[[長崎電気軌道]][[長崎電気軌道2000形電車|2000形]]、[[熊本市交通局]][[熊本市交通局8200形電車|8200形]]などの実例はあるが、[[高速鉄道]]ではアメリカ合衆国の[[シカゴ・L]]などで採用された程度で、多くはない。-->
連接車やトレーラーを牽引するために、路面電車でも1台車2電動機が一般的だったヨーロッパでは、ドイツの[[デュワグ]]カーなどで広く使用された。日本では、「軽快電車」として開発された[[広島電鉄]][[広島電鉄3500形電車|3500形]]や[[長崎電気軌道]][[長崎電気軌道2000形電車|2000形]]、[[熊本市交通局]][[熊本市交通局8200形電車|8200形]]まで、この方式の採用例はない。
連接車やトレーラーを牽引するために、路面電車でも1台車2電動機が一般的だったヨーロッパでは、ドイツの[[デュワグ]]カーなどで広く使用された。日本では、「軽快電車」として開発された[[広島電鉄]][[広島電鉄3500形電車|3500形]]や[[長崎電気軌道]][[長崎電気軌道2000形電車|2000形]]、[[熊本市交通局]][[熊本市交通局8200形電車|8200形]]まで、この方式の採用例はない。


台車はいずれも東急では初となる[[空気バネ]]付き台車であった<ref name="pic200407-749-41"/>。基礎ブレーキは、A・B両編成では構造が簡素なため保守管理の手間を省くことができるという予測からドラムブレーキが採用された<ref name="denkisha196005-145-17"/>が、C編成では踏面両抱き式のものを当初から装着<ref name="magazine200805-296-95"/>し、A編成B編成もそれぞれ[[1962年]]・[[1963年]]に同じ方式に改造された<ref name="magazine200805-296-95"/>。当初は全ての編成が[[回生ブレーキ]]を搭載していた<ref name="denkisha196005-145-17"/>が、B編成が装備していた電力回生ブレーキは[[1969年]]に撤去され<ref name="magazine200805-296-99"/>、電磁直通式空気ブレーキのみとされた<ref name="magazine200805-296-99"/>。
一方、台車中央枕木方向に主電動機軸を置く方式は、電車用としては日本国外においても類例を見ない方式である。なお、この方式を採用したA・C編成は、歯車が斜歯(はすば)ではなく平歯であったことから、高音かつ音量の大きい非常に特徴的な駆動音を発した。


電動[[空気圧縮機]]はA・C編成がC-1000形を、B編成ではRCP-40B形を採用していたが、B編成のものは後にC-1000形に交換された<ref name="ayumi38"/>。
ほぼ同時期に[[電気機関車]]においても[[日本国有鉄道]](国鉄)[[国鉄EF80形電気機関車|EF80形]]などに1台車1主電動機方式が採用されたが、主電動機個数を減らして得られる、[[空転]]防止、軽量化、電動機の保守軽減などの効果より、機械的な特殊さ、複雑さによる欠点の方が大きく、しばらくの間、特に日本国内の高速鉄道では後に採用されることがなかった。


===車内===
=== 編成表(製造当時のもの) ===
車内は5200系に準じた仕様とされた。[[蛍光灯]]は40W・カバー付き<ref name="ayumi35"/>で、中央には[[換気扇|ファンデリア]]が1両あたり6台設置された<ref name="denkisha196007-147-55"/>。客室窓は上下2段で、先の[[東急5200系|5200系]]や後の[[東急7000系電車 (初代)|7000系]]初期車と同様、2枚のガラスが[[ワイヤー]]で連動する[[釣瓶|つるべ]]式であった<ref name="ayumi35"/>。
* ※…後にVVVFインバータ制御装置実用試験のためVVVFインバータ制御装置改造を施された車両

** ピンク色(H)の車両…[[日立製作所]]のVVVF電装品に改造された車両
==車体更新==
** 紫色(T)の車両…東京芝浦電気のVVVF電装品に改造された車両
[[1970年]]から客用扉がコルゲートの入っていないものに交換され<ref name="magazine200805-296-96"/><ref name="ayumi38"/>、翌[[1971年]]からは車内ファンデリアを扇風機に取り替える工事が施工された<ref name="ayumi38"/>。また、後述する更新工事の施工までに、客室の蛍光灯カバーも撤去された<ref name="magazine200805-296-96"/>。
** 茶色(H)の車両…東洋電機製造のVVVF電装品に改造された車両

** 黄緑色…後にVVVFインバータ制御装置実用試験のため[[付随車]]代用に変更とされた車両([[制御車|制御付随車]]/付随車代用・[[動力車|電動車]]・[[遅れ込め制御]]改造)
そして[[1976年]]3月から[[1978年]]12月まで<ref name="shitetsu-tokyu-171"/>、より大がかりな更新工事が施工された。主な内容は以下の通りである。
* オレンジ色(K)の車両…[[弘南鉄道]]譲渡車(中間車の2両〈黄色〉は部品取り用)
*車体裾部の構体を取り替え<ref group="注釈">セミステンレス車体だったため、裾部分の構体などが腐食していた([[#ayumi|『東急ステンレスカーのあゆみ』p.38]])</ref><ref name="ayumi38"/>。これにより車体裾のコルゲートが2本少なくなっている。
* 車種
* 側窓を下段固定、上段下降式に変更。ならびにユニット化<ref name="ayumi38"/>。
** Mc1…営業用[[操縦席|運転台]]付き電動車(制御車)
* 車内化粧板の張り替え<ref name="magazine200805-296-96"/>
** Mc2…営業用運転台・補助機器([[電動発電機]]・[[圧縮機|空気圧縮機]]他)付き電動車(制御車)

** M1…制御装置付電動車
[[1983年]]には、前照灯がシールドビーム2灯に取り替えられた<ref name="ayumi38,40"/>。
** M2…補助機器(電動発電機・空気圧縮機など)付き中間電動車

* 偶数番号の車両…制御装置・パンタグラフ搭載
==VVVFインバータ制御の実用化試験==
** ◇…菱形[[集電装置|パンタグラフ]](長津田・二子玉川園・桜木町方に搭載)
[[1984年]]6月<ref name="pic200407-749-249"/>、最初にB編成の先頭車デハ6202が[[VVVFインバータ制御]]へ改造され、制御装置は[[日立製作所]]製のもの(誘導電動機は165kW)に、台車は東急車輌のTS-1003形へとそれぞれ交換された<ref name="ayumi40"/>。この際、デハ6202とユニットを組むデハ6201は[[制御車|制御]][[付随車]]代用として使用され、デハ6202の回生ブレーキと連動し、常用制動で[[空気ブレーキ]]を停止寸前まで使用しない“[[遅れ込め制御]]”に対応する改造がなされた。
** ■…制御装置

* 奇数番号の車両…補助機器(電動発電機・空気圧縮機など)搭載
東横・田園都市・[[目蒲線|目蒲(当時)]]の各線で[[試運転]]を行った後、[[1984年]](昭和59年)[[7月25日]]から[[9月18日]]まで大井町線で営業運転が行われた。これは[[直流電化|直流]]1,500V区間の高速電車としては日本初の営業運転であった。
* 東芝車…[[鉄道の車両番号|車両番号]]に+200される

当時、4,500V耐圧の[[ゲートターンオフサイリスタ|GTO]][[半導体素子|素子]]は未だ開発途上であり、2,500V耐圧のものを2個[[直列]]に使用し理論上の定格電圧を5000Vまで上げるなど、未だ開発途上を伺わせる機器構成である。まだ安定性を欠くシステムゆえ、[[営業]]運転時は[[乗務員]]とは別に[[技術者]]が添乗したり、期間中不具合により長期に渡って営業を離脱したこともあった。

[[1985年]]3月にはデハ6302に東芝製(2,500V耐圧×2)<ref name="ayumi43"/>の、6002号には東洋製(4,500V耐圧)<ref name="ayumi43"/>の制御器が搭載され、同時に6202のGTO素子も4,500V耐圧のものに交換されている。なお、この際交換された6302と6002の台車は8000系用のTS-807形であり<ref name="ayumi43"/>、ボルスタレス台車ではない。また、いずれもユニットを組む6301と6001は6201同様付随車扱いとされ、ブレーキ遅れ込め制御も同様に対応する仕様となった。この現車試験中に6000系VVVFインバータ制御車は営業運転にも用いられており<ref name="magazine200805-296-98"/>、度重なる編成変更を経て全車両をVVVFインバータ制御とした編成に組み直され、同年[[7月1日]]から11月頃まで再び大井町線で営業運転が実施された。この現車試験結果は早速新製車[[東急9000系電車|9000系]]<ref name="ayumi43"/>(日立製主制御器)や改造車[[東急7600系電車|7600系]]・[[東急7700系電車|7700系]]<ref name="ayumi43"/>(ともに東洋製主制御器)に反映され、以後の新規製造車は8590系や[[東急8500系電車|8500系]]の増備車など一部を除きすべてVVVFインバータ制御・[[かご形三相誘導電動機|交流モーター]]車となった。ただし、東芝製の制御装置は、東急においては[[1999年]](平成11年)に落成した[[東急3000系電車 (2代)|新3000系]]偶数編成以降で本格採用が開始された。

これらは、試験終了後の1986年(昭和61年)1月頃に[[休車]]となり、8090系後期型の投入の影響により玉突きで東横線から大井町線に転属された[[東急7000系電車 (初代)|7000系]]に置き換えられてそのまま[[廃車 (鉄道)|廃車]]された。

==運用==
当初は20両全てが東横線で運用されていた<ref name="magazine200805-296-95"/>。その後[[1964年]]には2編成が[[田園都市線]]に転属し、東横線に残った12両は6連2本に組み替えられた<ref group="注釈">この時も、またこれ以降で6両が組成される際も、4+2のものと6両貫通のものが存在した([[#magazine200805-296-92-99|『Rail Magazine』通巻296号、p.98]])</ref><ref name="magazine200805-296-97"/>。同年7月までには東横線の12両も田園都市線に転属し、全編成が同線で運用されるようになる<ref name="magazine200805-296-97"/>。[[1967年]]4月までにC編成12両が[[目蒲線]]に転属するが、[[1970年]]8月に1本が、[[1972年]]11月に2本がそれぞれ田園都市線に戻されている<ref name="magazine200805-296-97"/>。1979年には全車が東横線に復帰し、[[1981年]]に[[大井町線]]に18両(6連3本)が、[[東急こどもの国線|こどもの国線]]の予備車として2両が転属するまでは8連で急行運用に充当されることもあった<ref name="magazine200805-296-98"/>。この8連は当初A編成とB編成を併結したものであった<ref group="注釈">A編成は4、B編成は5ノッチであったため、B編成は4ノッチ投入で5ノッチ投入になるよう回路を改造した([[#ayumi|『東急ステンレスカーのあゆみ』p.40]])</ref>が、半年ほどでC編成による4+4の8連に置き換えられている<ref name="magazine200805-296-98"/>。なお、東横線での急行運用時には先頭車の前面に(方向幕とは別に)7000系・[[東急7200系電車|7200系]]・[[東急8000系電車|8000系]]と同様に「急行」の種別札を装着していた<ref name="magazine200805-296-97"/>。

==廃車と譲渡==
[[画像:Konan Railway-6005.jpg|thumb|300px|弘南鉄道デハ6005(元東急6000系デハ6005)(2010年8月、[[津軽大沢駅]]にて撮影)]]
[[1986年]][[6月7日]]にデハ6001・6002号が廃車された<ref name="pic200407-749-249"/>。その後他の車両も順次廃車が進行し、[[1989年]][[11月21日]]にデハ6007・6008およびデハ6105~6108の計6両が廃車されたのをもって東急線からは全車が廃車された<ref name="pic200407-749-249"/>。

VVVFインバータ制御の実用試験車のB編成の車体は、大手[[ホームセンター]]企業である[[ジョイフル本田]]の[[茨城県]]下の店舗を通じて一般に売却された。2004年7月時点では、4両全てが県内で倉庫や会議室などとして利用されている<ref name="pic200407-749-175"/>。

一方、C編成12両は全車が[[日立製作所]]または[[弘南鉄道]]に譲渡された<ref name="magazine200805-296-99"/>。4両は同社水戸工場で試験用と[[通勤]][[客車]]として使用された後に廃車され<ref name="magazine200805-296-99"/>、8両が[[弘南鉄道大鰐線|大鰐線]]で運用されていた<ref name="magazine200805-296-99"/>が、[[2006年]](平成18年)[[10月31日]]の[[快速列車]]廃止に伴い運用から離脱し、波動用として在籍している。2008年[[3月6日]]には[[さよなら運転]]も実施されたが、その後も運用に入り、検査も施された。

== 編成表(製造当時) ==
;凡例
: CONT:主制御器
:PT:菱形[[集電装置|パンタグラフ]](長津田・二子玉川園・桜木町方に搭載)
:MG:[[電動発電機]]
:CP:[[空気圧縮機]]
:BT:[[蓄電池]]

; 車種
: Mc1…営業用[[操縦席|運転台]]付き電動車(制御車)
: Mc2…営業用運転台・補助機器([[電動発電機]]・[[圧縮機|空気圧縮機]]他)付き電動車(制御車)
: M1…制御装置付電動車
: M2…補助機器(電動発電機・空気圧縮機など)付き中間電動車


{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 3em 2em;"
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 3em 2em;"
69行目: 152行目:
|-style="border-bottom:solid 2px #666;"
|-style="border-bottom:solid 2px #666;"
!colspan="2" style="background-color:#eee;"|機器類
!colspan="2" style="background-color:#eee;"|機器類
|CP,MG
|CP,MG,BT
|CONT.PT
|◇■
|CP,MG
|CP,MG,BT
|CONT,PT
|◇■
|-
|-
!rowspan="5"|編成
!rowspan="5"|編成
!6002
!6002
|style="background-color:#cf9;"|''6001''
|style="background-color:#cf9;"|6001
|6102
|6102
|6101
|6101
84行目: 167行目:
|-
|-
!6202
!6202
|style="background-color:#cf9;"|''6201''
|style="background-color:#cf9;"|6201
|style="background-color:#c9f;"|'''※6302'''
|style="background-color:#c9f;"|'''※6302'''
|style="background-color:#cf9;"|''6301''
|style="background-color:#cf9;"|6301
|style="background-color:#fcf;"|'''※6202'''
|style="background-color:#fcf;"|'''※6202'''
|style="text-align:left;"|東京芝浦電気の電装品を採用(東芝車B編成)
|style="text-align:left;"|東京芝浦電気の電装品を採用(東芝車B編成)
92行目: 175行目:
|-
|-
!6004
!6004
|6003
|<ins>6003</ins>
|6104
|<ins>6104</ins>
|6103
|''6103''
|6004
|''6004''
|rowspan="3" style="text-align:left;"|東洋電機製造の電装品を採用(東洋車C編成・2代)
|rowspan="3" style="text-align:left;"|東洋電機製造の電装品を採用(東洋車C編成・2代)
|rowspan="3"|120kW×2
|rowspan="3"|120kW×2
112行目: 195行目:
|}
|}


* ※印 - 後にVVVFインバータ制御装置実用試験のためVVVFインバータ制御装置改造を施された車両
=== 車体 ===
: 背景色がピンクの車両 - [[日立製作所]]のVVVF電装品に改造された車両<ref name="ayumi41"/>
[[東急5200系電車|5200系]]の[[セミステンレス車両|セミステンレス]]構造を基本に客用扉を両開きとし、前面は[[貫通扉]]を設けた。また、「く」の字形の側面形状の下半分は垂直構造とされた。[[東京地下鉄日比谷線|地下鉄日比谷線]][[直通運転|乗り入れ]]を構想に入れていたが(「回想の東京急行II」参照)、当系列での[[地下鉄]]乗り入れは実現されず、[[東急7000系電車 (初代)|7000系]]が乗り入れた。
: 背景色が紫の車両 - 東京芝浦電気のVVVF電装品に改造された車両<ref name="ayumi43"/>
: 背景色が茶色の車両 - 東洋電機製造のVVVF電装品に改造された車両<ref name="ayumi43"/>
: 背景色が黄緑の車両 - 後にVVVFインバータ制御装置実用試験のため[[付随車]]代用に変更とされた車両([[制御車|制御付随車]]/付随車代用・[[動力車|電動車]]・[[遅れ込め制御]]改造)
* 背景色がオレンジの車両 - [[弘南鉄道]]譲渡車(中間車の4両〈黄色〉は部品取り用)<ref name="magazine200805-296-99"/>
* ''斜体''の車両 - [[日立製作所]]水戸工場に譲渡され、VVVF化などの各種試験に使用された車両<ref name="magazine200805-296-99"/>
* <ins>下線</ins>付車両 - 日立製作所水戸工場に譲渡され、[[勝田駅]]から工場までの従業員輸送用客車として使用された車両<ref name="magazine200805-296-99"/>


== その他 ==
客室窓は上下2段で、先の[[東急5200系|5200系]]や後の[[東急7000系電車 (初代)|7000系]]初期車と同様、[[ワイヤー]]連動の[[釣瓶|つるべ]]式であったが、後に上段下降、下段固定に改造された。
* 登場したばかりのデハ6105・6106号(いずれもC編成)の窓ガラスには耐熱処理の施された濃緑色のものが使われていたが、就役から数日後に他の車両と同様のガラスに交換されている<ref name="kaisou2-143"/><ref name="magazine200805-296-96"/>。
* [[1977年]]9月10日、[[鷺沼検車区]]の留置線の法面が崩れ、デハ6001号が落下する事故が発生した。車体への損傷が軽微だったため、一部の部品を交換した上で営業運転に復帰した<ref name="magazine200805-296-97"/>。
* [[2008年]]に[[東急6000系電車 (2代)|新6000系]]が登場してから、本系列は「旧6000系」と呼ばれることが多い。


== 運用 ==
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
新製時は[[東急東横線|東横線]]に配置され、その後[[東急田園都市線|田園都市線]]に配置された後[[1979年]](昭和54年)8月には再び東横線へ復帰した。(この時は8連1本・6連2本)そして[[1981年]](昭和56年)には[[東急大井町線|大井町線]]に6連3本が配置されたほか、残る2連1本は[[東急こどもの国線|こどもの国線]]用の予備車として運用された。その後[[1989年]]([[平成]]1年)頃までに全車両が[[東急8090系電車|8090系]]と[[東急9000系電車|9000系]]に置き換えられて[[廃車 (鉄道)|廃車]]になった。なお、東横線での急行運用時には先頭車の前面に7000系・[[東急7200系電車|7200系]]・[[東急8000系電車|8000系]]と同様に「急行」の種別札を装着していた。


===注釈===
== VVVFインバータ制御の実用化試験 ==
{{Reflist|group="注釈"}}
[[1983年]](昭和58年)に日立製作所製の試作[[ユニット]]を使用し、B編成の先頭車デハ6202が[[VVVFインバータ制御]]へ改造された。この際、デハ6202とユニットを組むデハ6201は[[制御車|制御]][[付随車]]代用として使用され、デハ6202の回生ブレーキと連動し、常用制動で[[空気ブレーキ]]を停止寸前まで使用しない“[[遅れ込め制御]]”に対応する改造がなされた。


===出典===
東横・田園都市・[[目蒲線|目蒲(当時)]]の各線で[[試運転]]を行った後、[[1984年]](昭和59年)[[7月25日]]から[[9月18日]]まで大井町線で営業運転が行われた。これは[[直流電化|直流]]1,500V区間の高速電車としては日本初の営業運転であった。
{{Reflist|2|refs=
<ref name="magazine200805-296-92">[[#magazine200805-296-92-99|『Rail Magazine』通巻296号、p.92]]</ref>
<ref name="magazine200805-296-93">[[#magazine200805-296-92-99|『Rail Magazine』通巻296号、p.93]]</ref>
<ref name="magazine200805-296-95">[[#magazine200805-296-92-99|『Rail Magazine』通巻296号、p.95]]</ref>
<ref name="magazine200805-296-96">[[#magazine200805-296-92-99|『Rail Magazine』通巻296号、p.96]]</ref>
<ref name="magazine200805-296-97">[[#magazine200805-296-92-99|『Rail Magazine』通巻296号、p.97]]</ref>
<ref name="magazine200805-296-97-98">[[#magazine200805-296-92-99|『Rail Magazine』通巻296号、pp.97-98]]</ref>
<ref name="magazine200805-296-98">[[#magazine200805-296-92-99|『Rail Magazine』通巻296号、p.98]]</ref>
<ref name="magazine200805-296-99">[[#magazine200805-296-92-99|『Rail Magazine』通巻296号、p.99]]</ref>
<ref name="shitetsu-tokyu-134">[[#shitetsu-tokyu|『私鉄の車両4 東京急行電鉄』(2002年版)、p.134]]</ref>
<ref name="shitetsu-tokyu-171">[[#shitetsu-tokyu|『私鉄の車両4 東京急行電鉄』(2002年版)、p.171]]</ref>
<ref name="ayumi20">[[#ayumi|『東急ステンレスカーのあゆみ』p.20]]</ref>
<ref name="ayumi35">[[#ayumi|『東急ステンレスカーのあゆみ』p.35]]</ref>
<ref name="ayumi38">[[#ayumi|『東急ステンレスカーのあゆみ』p.38]]</ref>
<ref name="ayumi38,40">[[#ayumi|『東急ステンレスカーのあゆみ』p.38,40]]</ref>
<ref name="ayumi40">[[#ayumi|『東急ステンレスカーのあゆみ』p.40]]</ref>
<ref name="ayumi41">[[#ayumi|『東急ステンレスカーのあゆみ』p.41]]</ref>
<ref name="ayumi43">[[#ayumi|『東急ステンレスカーのあゆみ』p.43]]</ref>
<ref name="denkisha196005-145-16">[[#denkisha196005-145-16-20|『電気車の科学』通巻145号、p.16]]</ref>
<ref name="denkisha196005-145-17">[[#denkisha196005-145-16-20|『電気車の科学』通巻145号、p.17]]</ref>
<ref name="denkisha196005-145-19">[[#denkisha196005-145-16-20|『電気車の科学』通巻145号、p.19]]</ref>
<ref name="denkisha196007-147-55">[[#denkisha196007-147-55-58|『電気車の科学』通巻147号、p.55]]</ref>
<ref name="denkisha196201-165-11">[[#denkisha196201-165-9-12|『電気車の科学』通巻165号、p.11]]</ref>
<ref name="kaisou2-143">[[#kaisou|『回想の東京急行Ⅱ』p.143]]</ref>
<ref name="pic200407-749-41">[[#pic200407-749-40-46|『鉄道ピクトリアル』通巻749号、p.41]]</ref>
<ref name="pic200407-749-175">[[#pic200407-749-172-175|『鉄道ピクトリアル』通巻749号、p.175]]</ref>
<ref name="pic200407-749-249">[[#pic200407-749-245-261|『鉄道ピクトリアル』通巻749号、p.249]]</ref>
<ref name="history614">[[#history|『東京地下鉄道日比谷線建設史』p.614]]</ref>
}}


==参考文献==
当時、4,500V耐圧の[[ゲートターンオフサイリスタ|GTO]][[半導体素子|素子]]は未だ開発途上であり、2,500V耐圧のものを2個[[直列]]に使用し理論上の定格電圧を5000Vまで上げるなど、未だ開発途上を伺わせる機器構成である。まだ安定性を欠くシステムゆえ、[[営業]]運転時は[[乗務員]]とは別に[[技術者]]が添乗したり、期間中不具合により長期に渡って営業を離脱したこともあった。台車は東急車輛製造製試作ボルスタレス試験台車(TS-1003形)に交換され、編成は6両すべてが先頭車であった。
===書籍===
* {{Cite book|和書|author = 荻原二郎、宮田道一、関田克孝|authorlink = |year = 2002|title = 回想の東京急行Ⅱ|publisher = [[大正出版]]|ref = kaisou|id = |isbn = 978-4-8117-0641-2}}
* {{Cite book|和書|author = 飯島巌、宮田道一、井上広和|authorlink = |year = 2002|title = 私鉄の車両4 東京急行電鉄|publisher = [[ネコ・パブリッシング]]|ref = shitetsu-tokyu|id = |isbn = 978-4-87366-287-9}}
* {{Cite book|和書|author = 荻原俊夫|authorlink = |year = 2010|title = 東急ステンレスカーのあゆみ|publisher = JTBパブリッシング|ref = ayumi|id = |isbn = 978-4-533-07925-2}}
* {{Cite book|和書|author = 帝都高速度交通営団|authorlink = |year = 1969|title = 東京地下鉄道日比谷線建設史|publisher = 帝都高速度交通営団|ref = history|id = |isbn = }} ※非売品


===雑誌記事===
翌[[1985年]](昭和60年)には6302に東芝製(2,500V耐圧×2)の、6002には東洋製(4,500V耐圧)の制御器が搭載され、同時に6202のGTO素子も4,500V耐圧のものに交換されている。なお、この際交換された6302と6002の台車は8000系と同等のもの(TS-807形)となっており、ボルスタレスではない。また、いずれもユニットを組む6301と6001は6201同様付随車扱いとされ、ブレーキ遅れ込め制御も同様に対応する仕様となった。この現車試験中に6000系VVVFインバータ制御車は営業運転にも用いられており、度重なる編成変更を経て全車両をVVVFインバータ制御とした編成に組み直され、同年[[7月1日]]から11月頃まで再び大井町線で営業運転が実施された。この現車試験結果は早速新製車9000系(日立製主制御器)と改造車[[東急7600系電車|7600系]]・[[東急7700系電車|7700系]](ともに東洋製主制御器)に反映され、以後の新規製造車は8590系や[[東急8500系電車|8500系]]の増備車など一部を除きすべてVVVFインバータ制御・[[かご形三相誘導電動機|交流モーター]]車となった。ただし、東芝製の制御装置は、東急においては[[1999年]](平成11年)に落成した[[東急3000系電車 (2代)|新3000系]]偶数編成以降で本格採用が開始された。
* {{Cite journal|和書|author=関田克孝|year= 2008|month= 05|title= 東急初代6000系の25年|journal=[[Rail Magazine]] |issue=296 |pages= 92-99 |publisher=ネコ・パブリッシング |ref = magazine200805-296-92-99}}

* {{Cite journal|和書|author=白石安之|year= 1960|month= 05|title= 東京急行新ステンレスカー6000形について|journal=電気車の科学 |issue=145 |pages= 16-20 |publisher=[[電気車研究会]] |ref = denkisha196005-145-16-20}}
これらは、試験終了後の1986年(昭和61年)1月頃に[[休車]]となり、8090系後期型の投入の影響により玉突きで東横線から大井町線に転属された[[東急7000系電車 (初代)|7000系]]に置き換えられてそのまま[[廃車 (鉄道)|廃車]]された。
* {{Cite journal|和書|author=白石安之|year= 1960|month= 07|title= 東京急行新ステンレスカー6000形について(3)|journal=電気車の科学 |issue=147 |pages= 55-58 |publisher=電気車研究会 |ref = denkisha196007-147-55-58}}

* {{Cite journal|和書|author=白石安之|year= 1962|month= 01|title= 東京急行の7000形オールステンレス・カーについて|journal=電気車の科学 |issue=165 |pages= 9-12 |publisher=電気車研究会 |ref = denkisha196201-165-9-12}}
== 廃車後の動き ==
* {{Cite journal|和書|author=神尾純一|year= 2004|month= 07|title= 車両総説|journal=[[鉄道ピクトリアル]] |issue=749 |pages= 40-46 |publisher=電気車研究会 |ref = pic200407-749-40-46}}
[[画像:Konan Railway-6005.jpg|thumb|300px|弘南鉄道デハ6005(元東急6000系デハ6005)(2010年8月、[[津軽大沢駅]]にて撮影)]]
* {{Cite journal|和書|author=|year= 2004|month= 07|title= 他社へ行った東急の車両&保存車|journal=鉄道ピクトリアル |issue=749 |pages= 172-175 |publisher=電気車研究会 |ref = pic200407-749-172-175}}
VVVFインバータ制御の実用試験車のB編成の車体は、大手[[ホームセンター]]企業である[[ジョイフル本田]]の[[茨城県]]下の店舗を通じて一般に売却された。その一部は[[土浦市]]内に現存する。
* {{Cite journal|和書|author=|year= 2004|month= 07|title= 東京急行電鉄 社歴表|journal=鉄道ピクトリアル |issue=749 |pages= 245-261 |publisher=電気車研究会 |ref = pic200407-749-245-261}}

一方、C編成の一部は[[日立製作所]]と[[弘南鉄道]]に譲渡された。前者は同社水戸工場で試験用と[[通勤]][[客車]]として使用された後に廃車された。後者は4両が[[弘南鉄道大鰐線|大鰐線]]で運用されていたが、[[2006年]](平成18年)[[10月31日]]の[[快速列車]]廃止に伴い運用から離脱し、波動用として在籍している。2008年[[3月6日]]には[[さよなら運転]]も実施されたが、その後も運用に入り、検査も施された。

== その他 ==
* 2008年に[[東急6000系電車 (2代)|新6000系]]が登場してから、本系列は「旧6000系」と呼ばれることが多い。

== 参考文献 ==
* 荻原二郎・宮田道一・関田克孝 『回想の東京急行II』 大正出版、2002年。


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://homepage3.nifty.com/ys-atc/tokyutrain.html 東急電車アーカイブス] - 6000系電車の解説と6000系の走行音がある
* [http://homepage3.nifty.com/ys-atc/tokyutrain.html 東急電車アーカイブス] - 6000系電車の解説と6000系の走行音がある

== 関連項目 ==
* [[私鉄沿線97分署]]


{{東京急行電鉄の車両}}
{{東京急行電鉄の車両}}

2012年5月3日 (木) 06:03時点における版

東急6000系電車
東横線で急行運用に充当されていた頃の6000系
(1980年3月)
基本情報
製造所 東急車輛製造[1]
主要諸元
編成 2,4,6,8[4]
軌間 1,067
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
車両定員 着席54人・立席76人(デハ6000形)[2]
着席64人・立席76人(デハ6100形)[2]
車両重量 A編成デハ6000形(Mc1、Mc2) 28.5t[2]
A編成デハ6100形(M1、M2) 28.0t[2]
B編成デハ6200形(Mc1、Mc2) 28.5t[2]
B編成デハ6300形(M1、M2) 28.0t[2]
C編成デハ6000形(Mc1、Mc2) 29.0t[2]
C編成デハ6100形(M1、M2) 28.5t[2]
全長 18,000[2]
全幅 2,744[2]
全高 4,000[2]
主電動機 東洋電機製造 TDK893A(A編成)[3]
東京芝浦電気 SE571(B編成)[3]
東洋電機製造 TDK893B(C編成)[2]
主電動機出力 100kW(定格電圧375V、定格回転数1,300rpm)(A編成)[3]
85kW(定格電圧375V、定格回転数1,050rpm)(B編成)[3]
120kW(C編成)[2]
駆動方式 平行カルダン駆動方式(A、C編成)[2]
直角カルダン駆動方式(B編成)[2]
歯車比 7.2(A、C編成)[2]
52:9 = 5.78(B編成)[2]
制御装置 東洋電機製造 ACRF-H4100-753A(A編成)[3]
東京芝浦電気 MM101A(B編成)[3]
東洋電機製造 ACRF-H4120-754A(C編成)[2]
備考 内容は全て落成時のもの。
テンプレートを表示

東急6000系電車(とうきゅう6000けいでんしゃ)は、1960年[5]から1989年[6]まで東京急行電鉄で運用されていた通勤形電車である。4両編成5本(20両)が東急車輛製造で製作された[1]

本項では弘南鉄道へ譲渡された後の同社6000系電車についても記述する。

登場の経緯と増備

東急では1954年から5000系の増備を進め、保守面の事情から同一形式を大量製造する方針を採っていたため[7]、100両あまりを製造して東横線で運用するに至った。加えて、1958年に営業運転を開始した5200系ステンレス製車体で登場したほか、電装品など[注釈 1]の技術に大きな進歩がみられていたことから、5000系を基にしつつ新技術を盛り込んだ車両を新たに6000系として登場させるに至った。

編成については、当時の東横線の運転時分など[注釈 2]を満たせる性能を確保するため、全電動車方式とすることとなった[7]。しかし2両ユニットで考えたときにMTユニットの車両よりも製造費用が高くなってしまうため、台車1つあたりのモーターを2つではなく1つとする、1台車・1モーター装備・2駆動を採用することで製造費の低減が図られた[7]

1台車1モーター2軸駆動を具体化するにあたり、東急では最初に4両固定編成を2本製造した。この2本は車体は同一である[3]が、電装品の違いによりA編成B編成と呼ばれていた[3]。両者を比較検討した結果、A編成の方式の方が優れているという結論に達したため[8]、A編成の仕様を踏襲しつつ主電動機の出力をアップしたC編成と称するタイプが量産された。

各編成の特徴は以下の通りである。詳細については後述「車両概説」の項も参照。

A編成
4両編成1本[9]が1960年3月に落成[1]
東洋電機製造製の電装品・駆動装置(平歯車平行可撓継ぎ手方式)を装備。
のちにデハ6001・6002号がVVVFインバータ制御の試験に利用された。
B編成
4両編成1本[9]が1960年5月に落成[1]
東京芝浦電気製の電装品・駆動装置(直角カルダン方式)を装備。
のちにデハ6202・6302・6201・6301号がVVVFインバータ制御の試験に利用された。
C編成
A編成を基にした量産車格。4両編成3本[9]1961年6月に落成[1]
東洋電機製造製の電装品・駆動装置(平歯車平行可撓継ぎ手方式)を装備。
上記2つの編成と違ってVVVFインバータ制御の試験に供されることはなかったが、12両全てが譲渡された[6]

1台車1モーター2軸駆動方式を採用したことで製造費の縮減には成功したほか、空気バネ台車[10]回生ブレーキ[10]を初めて導入するなど、その後の東急の車両に広く使用される技術の多くを初めて盛り込んだ車両でもあった。一方、台車の構造が複雑になったことや[11]、騒音や振動が目立つ[5]などの欠点が浮き彫りにもなった。また、本格的な増備が1962年にオールステンレス車体で登場した7000系に替わられたことで総計20両の増備にとどまったことも、保守管理上の悩みの種となった[11]

車両概説

車体

5200系で採用されたセミステンレス構造を引き続き採用し、骨組みは普通鋼でその上から厚さ0.8mmのステンレス板を張り付けるというもの[5]だった。5200系との相違点は、側面には客用扉にまでビードが入っている[12]のに対し、先頭部にはビードが入っていない点である。

先頭部は5000系、5200系の非貫通スタイルから一転して、中央に貫通扉が設置された。これは将来6両編成で運転するにあたり、その過渡期には4両と2両の分割併合を行う機会があると予想されたためであった[13]。客用扉は同社では初めて[13]両開き(幅1,300mm[8])のものが1両あたり3カ所設置され、編成を組んだ際に扉間隔がおおむね6mになるよう配慮して[8]側面のレイアウトが決定された。

車両番号は5200系と同じく、前面向かって右上と、側面のビードの間に紺色の小さな文字で印字する方式とされた[14]

また、18m3ドア・側扉間隔6mという仕様は営団地下鉄日比谷線(当時は2号線と呼称されていた)乗り入れ規格に準拠したもの[15]であったが、これについて当時東急の車両部長を務めていた白石安之は「当社がこの2号線に乗入運転をするようになるのはまだ3~4年先のことであるから,この6000形を使用するかどうかは別として,この規格による電車を新製し,すべての点からこれを検討しておくためである」と述べている[13]。結局本形式による乗り入れは行われず、2年後に登場する7000系が乗り入れ運用に投じられることになった。なお、7000系では床面高さが規格に準拠した1,125mm(軌条面基準)となっている[15][16]のに対し、本系列ではそれより高い1,150mmとなっており[2]、本系列での直通運転は不可能であった。

主要機器

1台車・1モーター装備・2軸駆動という、日本電車としては非常に珍しい[17]特徴を持つ。ほぼ同時期に電気機関車においても日本国有鉄道(国鉄)EF80形などに1台車1主電動機方式が採用されたが、主電動機個数を減らして得られる、空転防止、軽量化、電動機の保守軽減などの効果より、機械的な特殊さ、複雑さによる欠点の方が大きく、しばらくの間、特に日本国内の高速鉄道では後に採用されることがなかった。

本形式ではいずれも台車中央にモーターを1個置くが、A・C編成は枕木方向の片軸モーターに複数の平歯車と撓み継ぎ手を組み合わせた方式で、モーター軸→第1段ギヤボックス→カルダン軸→第2段ギヤ装置の順に駆動力が伝わる[5]。ギヤの数が多かったために、共鳴音の音程は非常に高く[5]、同時にやかましい[9]ものだったという。A編成の台車はTS-311形で、ホイールベースは2,000mmであった[3]。C編成ではTS-311形を改良したTS-315形となり、軸バネ部分にコイルバネが追加された[9]。なお、台車中央枕木方向に主電動機軸を置く方式は、電車用としては日本国外においても類例を見ない方式である。

一方のB編成はレール方向に設置された両軸モーターを使用した直角カルダン駆動方式で、スパイラルギヤ→ベベルギヤの順に駆動力が伝わる。これは5000系でも採用されていた方式であり、ギヤの数が少ないこともあって走行音は非常に静かだったという[5]。台車はTS-312形で、モーターが線路方向に配置されている関係上、ホイールベースは2,400mmと少々長めになった[3]。なお、1台車1主電動機全軸駆動の実例として、B編成に見られるレール方向に主電動機軸を置くものは、 連接車やトレーラーを牽引するために、路面電車でも1台車2電動機が一般的だったヨーロッパでは、ドイツのデュワグカーなどで広く使用された。日本では、「軽快電車」として開発された広島電鉄3500形長崎電気軌道2000形熊本市交通局8200形まで、この方式の採用例はない。

台車はいずれも東急では初となる空気バネ付き台車であった[10]。基礎ブレーキは、A・B両編成では構造が簡素なため保守管理の手間を省くことができるという予測からドラムブレーキが採用された[3]が、C編成では踏面両抱き式のものを当初から装着[9]し、A編成B編成もそれぞれ1962年1963年に同じ方式に改造された[9]。当初は全ての編成が回生ブレーキを搭載していた[3]が、B編成が装備していた電力回生ブレーキは1969年に撤去され[6]、電磁直通式空気ブレーキのみとされた[6]

電動空気圧縮機はA・C編成がC-1000形を、B編成ではRCP-40B形を採用していたが、B編成のものは後にC-1000形に交換された[18]

車内

車内は5200系に準じた仕様とされた。蛍光灯は40W・カバー付き[8]で、中央にはファンデリアが1両あたり6台設置された[19]。客室窓は上下2段で、先の5200系や後の7000系初期車と同様、2枚のガラスがワイヤーで連動するつるべ式であった[8]

車体更新

1970年から客用扉がコルゲートの入っていないものに交換され[20][18]、翌1971年からは車内ファンデリアを扇風機に取り替える工事が施工された[18]。また、後述する更新工事の施工までに、客室の蛍光灯カバーも撤去された[20]

そして1976年3月から1978年12月まで[1]、より大がかりな更新工事が施工された。主な内容は以下の通りである。

  • 車体裾部の構体を取り替え[注釈 3][18]。これにより車体裾のコルゲートが2本少なくなっている。
  • 側窓を下段固定、上段下降式に変更。ならびにユニット化[18]
  • 車内化粧板の張り替え[20]

1983年には、前照灯がシールドビーム2灯に取り替えられた[21]

VVVFインバータ制御の実用化試験

1984年6月[22]、最初にB編成の先頭車デハ6202がVVVFインバータ制御へ改造され、制御装置は日立製作所製のもの(誘導電動機は165kW)に、台車は東急車輌のTS-1003形へとそれぞれ交換された[23]。この際、デハ6202とユニットを組むデハ6201は制御付随車代用として使用され、デハ6202の回生ブレーキと連動し、常用制動で空気ブレーキを停止寸前まで使用しない“遅れ込め制御”に対応する改造がなされた。

東横・田園都市・目蒲(当時)の各線で試運転を行った後、1984年(昭和59年)7月25日から9月18日まで大井町線で営業運転が行われた。これは直流1,500V区間の高速電車としては日本初の営業運転であった。

当時、4,500V耐圧のGTO素子は未だ開発途上であり、2,500V耐圧のものを2個直列に使用し理論上の定格電圧を5000Vまで上げるなど、未だ開発途上を伺わせる機器構成である。まだ安定性を欠くシステムゆえ、営業運転時は乗務員とは別に技術者が添乗したり、期間中不具合により長期に渡って営業を離脱したこともあった。

1985年3月にはデハ6302に東芝製(2,500V耐圧×2)[2]の、6002号には東洋製(4,500V耐圧)[2]の制御器が搭載され、同時に6202のGTO素子も4,500V耐圧のものに交換されている。なお、この際交換された6302と6002の台車は8000系用のTS-807形であり[2]、ボルスタレス台車ではない。また、いずれもユニットを組む6301と6001は6201同様付随車扱いとされ、ブレーキ遅れ込め制御も同様に対応する仕様となった。この現車試験中に6000系VVVFインバータ制御車は営業運転にも用いられており[24]、度重なる編成変更を経て全車両をVVVFインバータ制御とした編成に組み直され、同年7月1日から11月頃まで再び大井町線で営業運転が実施された。この現車試験結果は早速新製車9000系[2](日立製主制御器)や改造車7600系7700系[2](ともに東洋製主制御器)に反映され、以後の新規製造車は8590系や8500系の増備車など一部を除きすべてVVVFインバータ制御・交流モーター車となった。ただし、東芝製の制御装置は、東急においては1999年(平成11年)に落成した新3000系偶数編成以降で本格採用が開始された。

これらは、試験終了後の1986年(昭和61年)1月頃に休車となり、8090系後期型の投入の影響により玉突きで東横線から大井町線に転属された7000系に置き換えられてそのまま廃車された。

運用

当初は20両全てが東横線で運用されていた[9]。その後1964年には2編成が田園都市線に転属し、東横線に残った12両は6連2本に組み替えられた[注釈 4][25]。同年7月までには東横線の12両も田園都市線に転属し、全編成が同線で運用されるようになる[25]1967年4月までにC編成12両が目蒲線に転属するが、1970年8月に1本が、1972年11月に2本がそれぞれ田園都市線に戻されている[25]。1979年には全車が東横線に復帰し、1981年大井町線に18両(6連3本)が、こどもの国線の予備車として2両が転属するまでは8連で急行運用に充当されることもあった[24]。この8連は当初A編成とB編成を併結したものであった[注釈 5]が、半年ほどでC編成による4+4の8連に置き換えられている[24]。なお、東横線での急行運用時には先頭車の前面に(方向幕とは別に)7000系・7200系8000系と同様に「急行」の種別札を装着していた[25]

廃車と譲渡

弘南鉄道デハ6005(元東急6000系デハ6005)(2010年8月、津軽大沢駅にて撮影)

1986年6月7日にデハ6001・6002号が廃車された[22]。その後他の車両も順次廃車が進行し、1989年11月21日にデハ6007・6008およびデハ6105~6108の計6両が廃車されたのをもって東急線からは全車が廃車された[22]

VVVFインバータ制御の実用試験車のB編成の車体は、大手ホームセンター企業であるジョイフル本田茨城県下の店舗を通じて一般に売却された。2004年7月時点では、4両全てが県内で倉庫や会議室などとして利用されている[26]

一方、C編成12両は全車が日立製作所または弘南鉄道に譲渡された[6]。4両は同社水戸工場で試験用と通勤客車として使用された後に廃車され[6]、8両が大鰐線で運用されていた[6]が、2006年(平成18年)10月31日快速列車廃止に伴い運用から離脱し、波動用として在籍している。2008年3月6日にはさよなら運転も実施されたが、その後も運用に入り、検査も施された。

編成表(製造当時)

凡例
CONT:主制御器
PT:菱形パンタグラフ(長津田・二子玉川園・桜木町方に搭載)
MG:電動発電機
CP:空気圧縮機
BT:蓄電池
車種
Mc1…営業用運転台付き電動車(制御車)
Mc2…営業用運転台・補助機器(電動発電機空気圧縮機他)付き電動車(制御車)
M1…制御装置付電動車
M2…補助機器(電動発電機・空気圧縮機など)付き中間電動車
 
← 長津田・二子玉川園
大井町 →

← 桜木町
渋谷 →
備考 主電動機出力
車種(全車電動車) Mc2 M1 M2 Mc1
形式 デハ6000形 デハ6100形 デハ6100形 デハ6000形
機器類 CP,MG,BT CONT.PT CP,MG,BT CONT,PT
編成 6002 6001 6102 6101 ※6002 東洋電機製造の電装品を採用(東洋車A編成・初代) 100kW×2
6202 6201 ※6302 6301 ※6202 東京芝浦電気の電装品を採用(東芝車B編成) 85kW×2
6004 6003 6104 6103 6004 東洋電機製造の電装品を採用(東洋車C編成・2代) 120kW×2
6006 6005 6106 6105 6006
6008 6007 6108 6107 6008
  • ※印 - 後にVVVFインバータ制御装置実用試験のためVVVFインバータ制御装置改造を施された車両
背景色がピンクの車両 - 日立製作所のVVVF電装品に改造された車両[27]
背景色が紫の車両 - 東京芝浦電気のVVVF電装品に改造された車両[2]
背景色が茶色の車両 - 東洋電機製造のVVVF電装品に改造された車両[2]
背景色が黄緑の車両 - 後にVVVFインバータ制御装置実用試験のため付随車代用に変更とされた車両(制御付随車/付随車代用・電動車遅れ込め制御改造)
  • 背景色がオレンジの車両 - 弘南鉄道譲渡車(中間車の4両〈黄色〉は部品取り用)[6]
  • 斜体の車両 - 日立製作所水戸工場に譲渡され、VVVF化などの各種試験に使用された車両[6]
  • 下線付車両 - 日立製作所水戸工場に譲渡され、勝田駅から工場までの従業員輸送用客車として使用された車両[6]

その他

  • 登場したばかりのデハ6105・6106号(いずれもC編成)の窓ガラスには耐熱処理の施された濃緑色のものが使われていたが、就役から数日後に他の車両と同様のガラスに交換されている[11][20]
  • 1977年9月10日、鷺沼検車区の留置線の法面が崩れ、デハ6001号が落下する事故が発生した。車体への損傷が軽微だったため、一部の部品を交換した上で営業運転に復帰した[25]
  • 2008年新6000系が登場してから、本系列は「旧6000系」と呼ばれることが多い。

脚注

注釈

  1. ^ 空気バネや応荷重装置(『電気車の科学』通巻145号、p.16
  2. ^ 平均駅間距離1,200m・表定速度36km/h(各駅停車)、2,920m・46km/h(急行)(『電気車の科学』通巻145号、p.16
  3. ^ セミステンレス車体だったため、裾部分の構体などが腐食していた(『東急ステンレスカーのあゆみ』p.38
  4. ^ この時も、またこれ以降で6両が組成される際も、4+2のものと6両貫通のものが存在した(『Rail Magazine』通巻296号、p.98
  5. ^ A編成は4、B編成は5ノッチであったため、B編成は4ノッチ投入で5ノッチ投入になるよう回路を改造した(『東急ステンレスカーのあゆみ』p.40

出典

  1. ^ a b c d e f 『私鉄の車両4 東京急行電鉄』(2002年版)、p.171
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『東急ステンレスカーのあゆみ』p.43
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『電気車の科学』通巻145号、p.17
  4. ^ 『Rail Magazine』通巻296号、pp.97-98
  5. ^ a b c d e f 『Rail Magazine』通巻296号、p.93
  6. ^ a b c d e f g h i j 『Rail Magazine』通巻296号、p.99
  7. ^ a b c 『電気車の科学』通巻145号、p.16
  8. ^ a b c d e 『東急ステンレスカーのあゆみ』p.35
  9. ^ a b c d e f g h 『Rail Magazine』通巻296号、p.95
  10. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻749号、p.41
  11. ^ a b c 『回想の東京急行Ⅱ』p.143
  12. ^ 『Rail Magazine』通巻296号、p.92
  13. ^ a b c 『電気車の科学』通巻145号、p.19
  14. ^ 『東急ステンレスカーのあゆみ』p.20
  15. ^ a b 『東京地下鉄道日比谷線建設史』p.614
  16. ^ 『電気車の科学』通巻165号、p.11
  17. ^ 『私鉄の車両4 東京急行電鉄』(2002年版)、p.134
  18. ^ a b c d e 『東急ステンレスカーのあゆみ』p.38
  19. ^ 『電気車の科学』通巻147号、p.55
  20. ^ a b c d 『Rail Magazine』通巻296号、p.96
  21. ^ 『東急ステンレスカーのあゆみ』p.38,40
  22. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻749号、p.249
  23. ^ 『東急ステンレスカーのあゆみ』p.40
  24. ^ a b c 『Rail Magazine』通巻296号、p.98
  25. ^ a b c d e 『Rail Magazine』通巻296号、p.97
  26. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻749号、p.175
  27. ^ 『東急ステンレスカーのあゆみ』p.41

参考文献

書籍

  • 荻原二郎、宮田道一、関田克孝『回想の東京急行Ⅱ』大正出版、2002年。ISBN 978-4-8117-0641-2 
  • 飯島巌、宮田道一、井上広和『私鉄の車両4 東京急行電鉄』ネコ・パブリッシング、2002年。ISBN 978-4-87366-287-9 
  • 荻原俊夫『東急ステンレスカーのあゆみ』JTBパブリッシング、2010年。ISBN 978-4-533-07925-2 
  • 帝都高速度交通営団『東京地下鉄道日比谷線建設史』帝都高速度交通営団、1969年。  ※非売品

雑誌記事

  • 関田克孝「東急初代6000系の25年」『Rail Magazine』第296号、ネコ・パブリッシング、2008年5月、92-99頁。 
  • 白石安之「東京急行新ステンレスカー6000形について」『電気車の科学』第145号、電気車研究会、1960年5月、16-20頁。 
  • 白石安之「東京急行新ステンレスカー6000形について(3)」『電気車の科学』第147号、電気車研究会、1960年7月、55-58頁。 
  • 白石安之「東京急行の7000形オールステンレス・カーについて」『電気車の科学』第165号、電気車研究会、1962年1月、9-12頁。 
  • 神尾純一「車両総説」『鉄道ピクトリアル』第749号、電気車研究会、2004年7月、40-46頁。 
  • 「他社へ行った東急の車両&保存車」『鉄道ピクトリアル』第749号、電気車研究会、2004年7月、172-175頁。 
  • 「東京急行電鉄 社歴表」『鉄道ピクトリアル』第749号、電気車研究会、2004年7月、245-261頁。 

外部リンク