東急5200系電車
東急5200系電車 | |
---|---|
![]() 大井町線時代の東急5200系電車 (1985年2月、緑が丘駅) | |
基本情報 | |
運用者 | 東京急行電鉄 |
製造所 | 東急車輛製造 |
製造年 | 1958年 - 1959年 |
製造数 | 4両 |
運用開始 | 1958年12月1日 |
運用終了 | 1986年5月25日[1] |
廃車 | 1986年9月4日 |
主要諸元 | |
編成 |
3両または4両 5000系中間車を組込み5両 |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 |
直流1,500V (架空電車線方式) |
車両定員 |
先頭車130(座席54)人 中間140(座席60)人 |
車両重量 |
デハ5200形(Mc) - 29.5t[2] デハ5210形(M) - 29.0t[2] サハ5250形(T) - 21.0t[2] |
全長 | 18,000 mm |
車体長 | 17,500 mm |
全幅 | 2,744 mm |
車体幅 | 2,744 mm |
全高 | 4,118 mm |
車体高 |
3,934 mm パンタ折りたたみ 4,078 mm |
床面高さ | 1,170 mm |
車体 | セミステンレス車両 |
台車 |
軸箱守(ペデスタル) + 軸ばね方式コイルばね台車 TS-301 |
変速段 | 弱め界磁起動1段、直列12段、渡り2段、並列11段、弱め界磁3段、発電制動20段 |
主電動機 | 直流直巻電動機 SE-518形(定格出力110kW/端子電圧750V) |
主電動機出力 | 110kW |
駆動方式 | 直角カルダン駆動方式 |
歯車比 | 52:9(5.78) |
制御方式 | 電動カム軸式抵抗制御 |
制御装置 | 東芝PE-11B形 |
制動装置 | 発電ブレーキ併用自動空気ブレーキ(AMCD)、手ブレーキ |
保安装置 | 車内警報装置→東急形ATS |
東急5200系電車(とうきゅう5200けいでんしゃ)は、かつて東京急行電鉄(現・東急電鉄)に在籍していた通勤形電車である[3]。
概要[編集]
日本国有鉄道のサロ153形900番台とともに日本初のステンレス鋼製車体の電車であり[4]、1958年に東急車輛製造で(←渋谷)デハ5201-サハ5251-デハ5202の3両が製造され、同年12月1日から営業運転を開始した[5]。
外板に多数のコルゲーションが入っていた外観から、「湯たんぽ」、あるいは5000系「青ガエル」のステンレス版であることから「ステンレスガエル」などの愛称が付けられた(ただし東急の公式な愛称ではない)が、6000系の登場以降は「湯たんぽ」は6000系の愛称となり、「ステンレスガエル」や「銀ガエル」がより定着していった[6]。
車両概説[編集]
基本性能は5000系と同一であるが、5000系が軽量効果の高いモノコック構造を採用していたのに対し、当系列は通常の構造だったため、重量は5000系よりむしろ重くなった。骨組みは普通鋼であり、一般にセミステンレス車両と呼ばれるものである。狙いとしては無塗装によるメンテナンスフリー化と腐食しないため部材を薄くできることがあった。なお扉と窓の配置は5000系と同じだが、車両全長は5000系の18.5mに対し0.5m短い18mである。客用扉は落成時点では窓ガラス面積が大きいものを採用していた。
変わった特徴としては、2段式の客室窓がつるべ構造になっていた点がある。内窓を上げるとワイヤーで連動した外窓が下がって上下で通風できるようになっていたが、後に通常の窓構造に改造された。
改造工事[編集]
1972年(昭和47年)に更新工事のが行われ、室内の強制送風機(ファンデリア)が扇風機に交換され、化粧板の交換、側窓の更新、客用ドアは小窓のものに交換された[7]。デハ5202号は1977年(昭和52年)に接触事故にあい、その際の復旧時に前面下部のコルゲーションが3本なくなり、顔つきが変わった。
先頭車の前照灯は当初白熱電球1灯だったが、1983年(昭和58年)3月には6000系とともにシールドビーム2灯化された[7]。同年夏には2度目の更新で台枠を補修し、車体側面下部のコルゲーションが3本なくなり、乗務員室側開戸(側面出入口)、戸袋窓が一回り小さくなった[7]。
運用[編集]
導入当初は東横線で使用され、1959年(昭和34年)には中間電動車デハ5211を増結して4両編成となった。1964年(昭和39年)には田園都市線へ転属。1979年(昭和54年)3月には中間に5000系デハ5117号を挟み5両編成となり、同年8月の田園都市線・新玉川線の直通化により大井町 - 二子玉川園(現・二子玉川)間が大井町線として分断された際東横線に転属となり、桜木町方に5000系2連(デハ5054 - デハ5050)を併結した6連で運用された。しかし1980年(昭和55年)の東横線5000系運用終了と同時に大井町線に復帰した。その際には再びデハ5117号を組み込み5両編成[注 1]となったため、1両だけ緑塗装車が組成される珍編成が復活し目立つ存在だった[9]。
1985年(昭和60年)6月には大井町線の5000系運用終了に伴い、5200系も目蒲線に転属し、サハ5251号を抜いた全電動車3両編成で運用されたが[注 2]、5000系の引退に先行して1986年(昭和61年)5月25日に運用終了となった[1]。5000系は6月18日まで運用された[1]。
1986年(昭和61年)に上田電鉄別所線(当時は上田交通)の架線電圧1500V昇圧に伴って5000系とともに譲渡され、モハ5201 - クハ5251(デハ5202を電装解除)の編成となったが、1993年(平成5年)、7200系への一斉置き換えに伴い営業運転を終了した。
デハ5201号は東急に返還され、長津田検車区に保存されていたが、その後東急車輛製造横浜製作所(現・総合車両製作所横浜事業所)の構内に保存され、「東急車輛産業遺産制度」の第1号として永久保存されることが決定した[10][11][12]。現地では、2009年8月に同遺産に指定された東急7000系デハ7052号と背中合わせで保存されている[13]。なお、この2両は2010年5月15日に産業考古学会(JIAS)から推薦産業遺産の認定を受けている[14]ほか、2012年8月7日に日本機械学会から機械遺産第51号(2012年度認定分の一つ)の認定を受けた[15]。
その他の車体は先頭車クハ5251号と中間車1両(最初にデハ5211号が、後釜にサハ5251号が→サハ5202に改番)ずつ計2両が上田電鉄の下之郷電車庫で倉庫として使用されていたが、のちに中間車は解体され、先頭車のみが倉庫として使用・静態保存されている。その後、この先頭車は2006年にイベント用として松本電気鉄道(現・アルピコ交通)からパンタグラフを譲り受けて装着し、東急時代の状態に復元された。
-
総合車両製作所横浜事業所に展示されている5200系
-
東急時代のデハ5202号。踏切事故後の修復に際しコルゲーションが減らされたため、表情が異なる。
-
上田交通に譲渡された5200系
(2006年5月6日、下之郷車庫)
車両一覧[編集]
下表は、全車両の竣功日と東急での廃車日、そして処遇の対照表である。デハ5117のみ5000系であるが、編成に含まれていた時期があるため参考として記載する。上田交通での処遇については本文も参照のこと。
車両番号 | 竣功日[16] | 廃車日(東急)[3] | 処遇 |
---|---|---|---|
デハ5201 | 1958年12月5日 | 1986年7月28日 | 上田交通(モハ5201)[3] |
デハ5202 | 1958年12月5日 | 1986年7月28日 | 上田交通(クハ5251)[3] |
サハ5251 | 1958年12月1日 | 1986年9月4日 | 東急から直接廃車[3] |
デハ5211 | 1959年11月5日 | 1986年7月28日 | 上田交通(倉庫として利用)[17] |
デハ5117 | 1958年4月23日 | 1986年3月19日 | 東急から直接廃車[3] |
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b c 鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1986年8月号「読者短信」pp.111。
- ^ a b c 『私鉄の車両4 東京急行電鉄』(2002年版)、pp.158-159
- ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』通巻749号、p.249
- ^ 『電気車の科学』通巻129号、p.34
- ^ “ステンレスの鉄道車両、12月1日で誕生60年 いまは通勤電車の6割に”. 乗りものニュース. (2018年11月30日) 2020年12月1日閲覧。
- ^ 宮田(1995)、p.97
- ^ a b c 交友社「鉄道ファン」1984年7月号「東急田園都市線中央林間延長」p.90記事。
- ^ 『私鉄の車両4 東京急行電鉄』(2002年版)、pp.150-151
- ^ 『私鉄の車両4 東京急行電鉄』(2002年版)、p.150
- ^ 編集長敬白:デハ5201が東急車輛産業遺産第1号に。 - 鉄道ホビダス(インターネットアーカイブ)]
- ^ 東急車輛産業遺産制度を設立し、 日本初のステンレス電車(当社製)を永久保存します (PDF) - 東急車輛プレスリリース 2008年6月30日(インターネットアーカイブ)
- ^ “元東急デハ5201 東急車輛製造に永久保存”. 鉄道ホビダス 最新鉄道情報. (2008年7月1日)
- ^ 荻原(2010)、p.16
- ^ 『産業考古学』通巻136号、pp.42-43
- ^ 日本機械学会「機械遺産」 機械遺産 第51号 ステンレス鋼製車両群(東急5200系と7000系) - 一般社団法人日本機械学会
- ^ 『私鉄の車両4 東京急行電鉄』(2002年版)、p.170
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻749号、p.240
参考文献[編集]
書籍[編集]
- 飯島巌、宮田道一、井上広和『私鉄の車両4 東京急行電鉄』ネコ・パブリッシング、2002年。ISBN 978-4-87366-287-9。
- 荻原俊夫『東急ステンレスカーのあゆみ』JTBパブリッシング、2010年。ISBN 978-4-533-07925-2。
- 宮田道一『東急電車物語』多摩川新聞社、1995年。ISBN 4-924882-15-1。
雑誌記事[編集]
- 金子智治、焼田健「東京急行電鉄 現有車両プロフィール2004」『鉄道ピクトリアル』第749号、電気車研究会、2004年7月、195-243頁。
- T記者「お手並み拝見〔48〕 わが国初のステンレスカー東急で新造」『電気車の科学』第129号、鉄道図書刊行会、1959年1月、34-35頁。
- 「東京急行電鉄 社歴表」『鉄道ピクトリアル』第749号、電気車研究会、2004年7月、245-261頁。
- 「2010年度功労者表彰・推薦産業遺産」『産業考古学』第136号、産業考古学会、2010年6月、42-43頁。