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「ベルゲン」の版間の差分

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[[ファイル:Bergen-Bryggen-1.jpg|thumb|250px|[[ブリッゲン]]]]
[[ファイル:Bergen-Kunstmuseum.jpg|thumb|250px|小ルンゲゴース湖よりベルゲン美術館]]
[[ファイル:Bergen-Kunstmuseum.jpg|thumb|250px|小ルンゲゴース湖よりベルゲン美術館]]


'''ベルゲン'''({{lang-no|Bergen}}, [[国際音声記号|IPA]]-bærɡən)は[[ノルウェー]]西岸[[ヴェストラン]]地方[[ホルダラン県]]の都市および[[基礎自治体]]である。2012年5月現在の人口はベルゲン自治体全域で約265,400人、統計的な地域である[[ベルゲン都市圏]]で約390,500人で、ノルウェーでは首都[[オスロ]]に次ぐ規模の都市である。自治体の面積は465km2で、ベルゲン半島に位置し市中心部や北部の地区はビフィヨルン(Byfjorden)に位置しベルゲンの街は7つの山を中心に形作られている。多くの郊外の自治体が島嶼にある。ベルゲンはホランダラン県の行政の中心地で、[[アーナ]](Arna)、[[オルスタド]](Årstad)、[[オサネ]](Åsane)、[[ベルゲンフス]](Bergenhus)、[[ファナ]](Fana)、[[フィリングスダレン]](Fyllingsdalen)、[[ラクセヴォグ]](Laksevåg)、[[イトレビグダ]](Ytrebygda)の8つの行政区で構成されている。
'''ベルゲン''' ({{lang|no|Bergen}}、[[ブークモール|ノルウェー語]]での発音はバルゲンに近い) とは、[[ノルウェー|ノルウェー王国]][[ホルダラン県|ホルダラン (Hordaland) 県]]の中心都市、ノルウェー第2の都市(周辺町村との大合併がなされた)である。


ベルゲンでの交易は1020年代の初期に始められたとされるが、 1070年まで都市としては組織されなかった。ベルゲンは1217年から1299年までノルウェーの首都であり、13世紀後半からは[[ハンザ同盟]]都市となった。1789年までベルゲンは[[ノルウェー北部]]と国外の仲介交易の独占権を謳歌していた。波止場や[[ブリッゲン]]が残され、[[世界遺産]]になっている。ベルゲンは多くの火災に見舞われた。公立の[[ビジネススクール]]である[[ノルウェー経済校]](Norges Handelshøyskole)が1936年に設立され、[[ベルゲン大学]]が1946年に設立されている。1831年から1972年までベルゲンは独立した県であった。その後、ベルゲンは周辺の自治体と大合併が行われている。ベルゲンは国際的な[[養殖業]]、[[海運]]、海洋石油産業、海底技術の中心地でノルウェーの学術、観光、金融の中心都市でもある。
== 概説 ==
ノルウェー南西沿岸地方にあり、市街地は静かな[[フィヨルド]]に面して広がる。[[ノルウェー海]]にはフィヨルドと島で形成される複雑な水路でつながっており、西ノルウェー随一の天然の良港として発展してきた、[[港湾]]都市、商工都市。

人口248,085人([[2008年]]1月1日<ref>[http://www.ssb.no/emner/02/01/10/folkber/tab-2006-12-20-01.html Statistic Norway]</ref>)、面積465.3 km²。北緯60度24分、東経5度20分に位置する。

[[西岸海洋性気候]]の恩恵を受け冬でも緯度の割に寒くなく(平均気温はプラスに収まり)港も凍らない。これによりベルゲンは海運の中心・物流の要衝として発展する地の利を獲得した。

ベルゲンはノルウェー人にも外国人にも人気のある[[観光都市]]で、ヨーロッパ最大の客船寄港地の一つである。ベルゲンはフィヨルド探索の拠点として知られ、[[沿岸急行航路]]の出発点であり、[[ノルウェー国鉄]][[ベルゲン線]]の終着駅である。[[デンマーク]]のハンストホルム (Hanstholm)、ヒルツハルス (Hirtshals)、[[イギリス]]の[[ニューカッスル・アポン・タイン|ニューカッスル]]、[[アイスランド]]、[[フェロー諸島]]へのフェリーも出る。ベルゲン空港フレスラン (Flesland)は、ベルゲンの国際空港である。ベルゲンには1946年に大学が創設された。ベルゲン大学は、今日では約17000人の学生と、3000人の職員を擁する。また市内には複数の研究所、例えば海洋研究所、NIFES、そしてクリスティアン・ミケルセン研究所 (CMI)がある。また、国の漁業管理庁がある。ベルゲンは1972年にホルダラン県に編入されるまでは、特別市だった。[[2000年]]にはヨーロッパの[[文化首都]]にも選ばれた。市内には作曲家[[エドヴァルド・グリーグ|グリーグ]] (Grieg) の家と[[グリーグホール]] (Grieghallen) などがあり、世界各地から音楽を学びに留学する学生も多い。

ベルゲンは7人の娘と称されるサンドヴィーク山 (Sandviksfjellet)、ルンネマーネン (Rundemanen)、フロイエン (Fløyen)、ウルリーケン (Ulriken)、レーヴスタッケンLøvstakken、ダームスゴース山 (Damsgårdsfjellet)、リーデルホルン (Lyderhorn)の7つの山に背後を囲まれる。ベルゲンの市章([[w:Bergen|Bergen]]を参照)には、この7つの山が市の基礎として描かれている。ベルゲンの古い名前はBjorgvinといい、山間の牧草地を意味する。ベルゲン市内の最高峰は海抜987 mのグル山 (Gullfjellet)で、アルナ地区にある。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
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1916年、市中心部の多くが、歴史上最後となる大火によって焼失した。[[第二次世界大戦]]時、ドイツ軍による[[北欧侵攻|ノルウェー侵攻]]の開始日である1940年4月9日に、ノルウェーは[[要塞砲]]でドイツ戦艦と応戦したが、ベルゲンは短時間で占領された。1944年4月20日、ドイツ占領下で、120トンの爆発物を積みベルゲン要塞に停泊中のオランダの運搬船が爆発を起こし、少なくとも150人が亡くなり、歴史的建造物が破壊された。街は、ドイツの海軍施設を標的とする連合軍の爆撃を数回受けた。爆撃によりノルウェーの一般市民およそ100人が犠牲となった。
1916年、市中心部の多くが、歴史上最後となる大火によって焼失した。[[第二次世界大戦]]時、ドイツ軍による[[北欧侵攻|ノルウェー侵攻]]の開始日である1940年4月9日に、ノルウェーは[[要塞砲]]でドイツ戦艦と応戦したが、ベルゲンは短時間で占領された。1944年4月20日、ドイツ占領下で、120トンの爆発物を積みベルゲン要塞に停泊中のオランダの運搬船が爆発を起こし、少なくとも150人が亡くなり、歴史的建造物が破壊された。街は、ドイツの海軍施設を標的とする連合軍の爆撃を数回受けた。爆撃によりノルウェーの一般市民およそ100人が犠牲となった。

== 地理 ==
[[File:TettstedetBergen.jpg|thumb|right|ベルゲン都市域]]
ベルゲンの[[ミドホルダラン地方]]中西部の[[ベルゲン半島]]に位置する。ベルゲン自治体の面積は{{convert|465|km|sp=us}}あり、ほとんどの市街地は湾かフィヨルドの近くに位置しいくつかの山が市街地にそびえている。ベルゲン中心部の周辺にはベルゲンの7人の娘と称されるサンドヴィーク山 (Sandviksfjellet)、ルンネマーネン (Rundemanen)、フロイエン (Fløyen)、ウルリーケン (Ulriken)、レーヴスタッケンLøvstakken、ダームスゴース山 (Damsgårdsfjellet)、リーデルホルン (Lyderhorn)の7つの山に背後を囲まれ、これにはさらに9つの山[[ウルリケン山|ウルリケン]](Ulriken)、[[フロイエン山|フロイエン]](Fløyen)、レヴストッケン(Løvstakken)、ダムスゴルスシュフィエレ(Damsgårdsfjellet)、リダルホルン(Lyderhorn)、ソンドヴィクスフィエレ(Sandviksfjellet)、ブルモーネン(Blåmanen)、ルンデモネン(Rundemanen)、オスケイフィエレ(Askøyfjellet)が加わる。<ref name="syvendehm">{{cite web |url=http://www.bt.no/kuriosa/article380762.ece |title=I den syvende himmel |accessdate=14 August 2007 |work=Bergens Tidende |year=2007|author=Gunhild Agdesteen |language=Norwegian }}</ref>グルフィエレ(Gullfjellet)はベルゲンでは一番高い山で海抜{{convert|987|m|sp=us}}である。<ref name="wcpeaks">{{cite web |url=http://www.westcoastpeaks.com/Peaks/gullfjellstoppen.html |title=Norwegian Mountains: Gullfjellstoppen |accessdate=8 September 2007}}</ref>

{{wide image|Bergen panoramic photograph taken from Fløyen mountain.jpg|850px|フロイエンエン山からのパノラマ}}

== 気候・環境問題 ==
ベルゲンは[[海洋性気候]]で比較的穏やかな冬と涼しい夏が訪れる。ベルゲンは北緯60度の高緯度にあるが、天候は緯度の割に穏やかである。冬はノルウェーの中でも温暖な場所の一つで、これは[[メキシコ湾流]]([[ガルフストリーム]])の影響である。ベルゲンは降水量に恵まれ年間平均降水量は{{convert|2250|mm|in|abbr=on}} に上る。<ref name="nedboerstat">{{cite web |url=http://met.no/observasjoner/hordaland/normaler_for_kommune_1201.html |title=met.no: Normaler for Bergen |accessdate=16 August 2007 |year=2007 |author=Meterologisk Institutt |language=Norwegian
}}</ref>降雨量が多い原因として、ベルゲン周辺部の山に囲まれた地形に北大西洋の湿った空気がぶつかることによって生じる地形性降雨が見られることにある。2006年10月29日から翌年の2007年1月21日にかけては毎日降水が見られ85日間連続していた。<ref name="nedboersrekord">{{cite web|url=http://www.siste.no/Innenriks/var_og_uvar/article2537456.ece|title=Stopp for nedbørsrekord|accessdate=9 October 2007|publisher=siste.no|year=2007|author=ANB-NTB|language=Norwegian}}</ref> 降水量が豊富なため、毎年大雨はいつでも起こる可能性がある。

ベルゲンでの最高気温の記録は1947年に遡り31.8&nbsp;°Cを記録している。<ref name="varmerekorder">{{cite web |url=http://www.dagbladet.no/nyheter/2003/07/16/373782.html|title=Varmerekord i Bergen |accessdate=16 August 2007 |year=2003 |language=Norwegian}}</ref>一方、最低気温は1987年に−16.3&nbsp;°Cを記録した。<ref>Bjørbæk, G. 2003. ''Norsk vær i 110 år.'' N.W. DAMM & Sønn. ISBN 82-04-08695-4; page 260</ref>
量が多い降水量はしばしば都市のマーケティングに利用され、雨量を示したグラフを使った絵はがきが市内では売られている。天気が変わりやすいため市内では時折、傘の自動販売機を見かけるがこれらはあまり成功していない。<ref name="paraplyfiasko">{{cite web |url=http://www.hegnar.no/hegnar/newsdet.asp?id=171839
|archiveurl=http://web.archive.org/web/20071215094128/http://www.hegnar.no/hegnar/newsdet.asp?id=171839 |archivedate=15 December 2007 |title=Paraply-fiasko i Bergen |accessdate=16 August 2007 |language=Norwegian}}</ref>天気が悪くなっても少し雨宿りすると急に天気が良くなる場合もあり、その逆に晴れていても雲が流れて来て急に雨や[[霰]]に見舞われる場合もある。近年では降水量や風が増えて来ている。2005年後半には大雨によって洪水や土砂崩れが起きており、この年の9月14日には3人が死亡する最悪な災害となった。[[気候変動]]により今後土砂崩れや洪水がより強いものになることも考えられる。自治体では消防局に24人の隊員による土砂崩れや他の自然災害に対応したレスキュー隊を創設した。<ref>{{Cite news
| url=http://www.bt.no/lokalt/bergen/article314825.ece
| title=Bergen oppretter egen rasgruppe
| accessdate=11 September 2007
| publisher=Bergens Tidende
| date=14 November 2006
| author=Jan I. Eliassen
| language=Norwegian
}}</ref> <ref>{{Cite news
| url=http://www.bt.no/valg07/article404482.ece
| title=480 ras på vegene i Hordaland
| accessdate=12 October 2007
| publisher=Bergens Tidende
| date=4 September 2007
| author=Johan Lindebotten
| language=Norwegian
}}</ref>
他のベルゲンにおける環境面のリスクとして海面上昇が上げられている。すでに今日、 ブリッゲンでは定期的に起こる海面上昇による極端な潮汐による潮害がベルゲンでは問題になっている。<ref>{{Cite news
| url=http://www.aftenposten.no/nyheter/iriks/article1750317.ece
| title=Bergen går våt fremtid i møte
| accessdate=11 September 2007
| publisher=Aftenposten
| date=22 April 2007
| author=Cato Guhnfeldt
| language=Norwegian
}}</ref> 海面上昇や潮の満ち引きを緩やかにし、町やユネスコの世界文化遺産であるブリッゲンを保護するため防潮堤や郊外に港を造ることが提案されている。<ref>{{Cite news
| url=http://www.bt.no/lokalt/bergen/tettpa/article321091.ece
| title=Sluse kan redde Bryggen
| accessdate=11 September 2007
| publisher=Bergens Tidende
| date=6 December 2006
| author=Øivind Ask
| language=Norwegian
}}</ref>
<ref>{{Cite news
| url=http://www.aftenposten.no/nyheter/iriks/article2050231.ece
| title=Kvinne omkom da stein gikk gjennom frontruten
| accessdate=15 November 2007
| publisher=Aftenposten
| date=16 October 2007
| author=Jostein Ihlbæk
| language=Norwegian
}}</ref>
{{Clear}}
{{Weather box
|location = ベルゲン (1961–1990)
|metric first = y
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|Jan high C = 3.6
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|source 1 = World Meteorological Organisation,<ref name = WMO>
{{cite web
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| publisher = World Meteorological Organization
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}}</ref> Hong Kong Observatory<ref name = HKO>
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|title= Climatological Normals of Bergen
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|date=August 2010
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== 統計 ==
[[File:Bergen mariakirken2 edit.jpg|thumb|upright|left|聖マリア教会]]
ベルゲンの人口の88.8%は[[ノルウェー人]]で、2.1%は[[西側諸国]]を素地とする1世や2世の移民で、6.6%は西側諸国以外を素地とする1世や2世の移民である。<ref name="ssbtall"/>2009年には4,459人、1.8%の人口増加であった。人口の96%は市街地に居住している。2002年の17歳以上の平均収入は男性が426,000[[ノルウェー・クローナ]]、17歳以上の女性が238,000ノルウェー・クローナでトータルでの平均は333,000ノルウェー・クローナであった。<ref name="ssbtall">{{cite web|url=http://www.ssb.no/kommuner/hoyre_side.cgi?region=1201|title=SSB: Tall om Bergen kommune|accessdate=1 October 2007|publisher=Statistics Norway|language=Norwegian}}</ref> [[性比]]は20-39歳のグループで女性100に対して男性104.6で<ref name="ssbtall"/>、人口の22.8%が17歳以下、4.5%が80歳以上であった。

ベルゲンにおける移民の人口は23,682人で164カ国を素地としており、2008年現在ベルゲンの全人口の9.56%を占めている。移民の40.8%はヨーロッパ、36.8%がアジア、7.8%がアフリカ、2.5%がラテンアメリカ、2.5%が北アメリカ、0.5%がオセアニアを素地としている。1993-2008年の期間でベルゲンの移民の人口は119.7%増加しており、この間のノルウェー人の人口は8.1%で、ノルウェーの全国平均は移民が138.0%、ノルウェー人が4.2%であった。
人口増加数に占める移民の割合は1993-2008年の期間でオスロの84.5%と比べるとベルゲンの人口増加数の43.6%、ノルウェーの人口増加数の60.8%を達し、増加した人口のかなりの割合を移民が占めていることになる。<ref>{{cite web|url=http://statbank.ssb.no/statistikkbanken/Default_FR.asp?PXSid=0&nvl=true&PLanguage=0&tilside=selecttable/hovedtabellHjem.asp&KortnavnWeb=innvbef |title=Statistics Norway |publisher=Stat Bank |accessdate=4 January 2012}}</ref>

移民の人口はベルゲンでは1970年以来多くなっており、1986年1月1日現在では2,870人が西側諸国以外を素地としていた。2006年の統計では14,630人が西側諸国以外を素地とし1986年と比較すると約5倍に増加している。この間、ノルウェー全国平均の6倍の増加に比べると若干緩やかなものとなっている。1986年には自治体の全人口に占める西側諸国以外の移民の割合は3.6%であったが2006年1月にはベルゲンの全人口に占める割合は6%に増加している。西側諸国の移民は2%台をこの期間保っている。ポーランド人の移民は697人から2010年には3,128人に増加した。<ref>[http://www.bt.no/multimedia/archive/00321/Faktaark_321842a.pdf Immigrant population in Bergen]{{dead link|date=January 2012}}</ref>

[[ノルウェー国教会]]はベルゲンでは最大の割合を占め、2012年には201,006人(79.74%)の市民が信仰している。ベルゲンはボルグヴィン司教区とベルゲン大聖堂の本拠地でその中で顕著なものは聖ヨハネス教会で市街ではもっとも目立つ。国教会に続くものは無信仰で52,059人(13.55%)である。 <ref>{{cite web|url=http://www.fylkesmannen.no/hoved.aspx?m=1166&amid=2913053 |title='&#39;'County Mayor of Hordaland'&#39;' – '&#39;'Norwegian'&#39;' |publisher=Fylkesmannen.no |accessdate=4 January 2012}}</ref>12,000人は聖ポール教会の[[カトリック教会]]に属する。<ref>{{cite web|url=http://www.ba.no/nyheter/article6027280.ece |title='&#39;'Bergensavisen'&#39;' – '&#39;Norwegian'&#39; |publisher=ba.no |accessdate=25 April 2012}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.bt.no/nyheter/lokalt/Polakkene-fyller-St.-Paul-476287.html |title='&#39;'Bergens Tidende'&#39;' – '&#39;Norwegian'&#39; |publisher=Bt.no |accessdate=4 January 2012}}</ref> 4,947人はそれぞれ異なった[[プロテスタント]]や[[自由教会]]などである。2,707人は[[イスラム教]]、816人が[[ヒンドゥー教]]、255人が[[ロシア正教会]]、147人が[[正教会]]となっている。

== 都市計画 ==
[[File:Ulriken view.jpg|thumb|left|ウルリケン山からのベルゲン市街の眺め]]
ベルゲンの中心部は自治体内の西側に位置しバイフィヨルド(Byfjorden)に面している。数の定義で問題があるがベルゲンは7人娘の愛称で知られる山に市街地が囲まれている。ベルゲンの市街地は北、西、南側にそれぞれ広がり東側は大山塊となっている。市中心部の郊外や近隣の街区に1950年代より造られ始めたまばらな住宅地に大部分の人は居住している。その間、いくつかは高層住宅や[[テラスハウス]]などが占めるようになってきた。他には単身者の住宅も占めている。<ref name="bl27">{{cite encyclopedia |last=Hagen Hartvedt|first=Gunnar|editor= |encyclopedia=[[Bergen Byleksikon]]|title=Bergen|url= |edition=1st|year=1994|publisher=Kunnskapsforlaget|location=Oslo|id= |isbn=82-573-0485-9|oclc= |pages=27|quote= }}</ref>

[[File:SkansenSeptember2007 2.jpg|thumb|upright|中心部のトルゲアルメンニンゲン]]
ベルゲンの旧市街は中心部のベルゲン港(Vågen)周辺である。もともとは湾の東側が中心部となっていたが、ベルゲンの拡大によって西や南に広がった。古い時代の建物は少し残されており聖マリア教会はもっとも重要な建物で12世紀以来のものである。数百年間にわたりベルゲンの市街の範囲はほぼ一定であった。人口増加は停滞し都市の範囲も狭いものであった。<ref name="bl23">{{cite encyclopedia |last=Hagen Hartvedt|first=Gunnar|editor= |encyclopedia=Bergen Byleksikon|title=Bergen|url= |edition=1st|year=1994|publisher=Kunnskapsforlaget|location=Oslo|id= |isbn=82-573-0485-9|oclc= |pages=23|quote= }}</ref>
1702年にベルゲンは大火に見舞われ、ほとんどのベルゲンの古い建物はその後中世のスタイルで建て直されたブリッゲンを含めこの火災の後に建てられたものである。火は[[タール]]で覆われた家や丸太で出来た住居にとくに燃え広がり、ペンキの塗られたものやいくつかの煉瓦で覆われた木の住宅にも広がった。.<ref name="bl25">{{cite encyclopedia |last=Hagen Hartvedt|first=Gunnar|editor= |encyclopedia=Bergen Byleksikon|title=Bergen|url= |edition=1st|year=1994|publisher=Kunnskapsforlaget|location=Oslo|id= |isbn=82-573-0485-9|oclc= |pages=25|quote= }}</ref>

[[File:FyllingsdalenBorettslag1.jpg|thumb|left|フィリングスダレンの現代的な住宅地]]
19世紀後半急速に町は拡張と近代化が行われた。1855年のトルゲアルメンニンゲンでの火災は市中心部に整然とした大きさの市街の開発を生じさせた。都市の範囲が1876年に拡張しニゴルド(Nygård)、メフレンプリス(Møhlenpris)、サンドヴィンケン(Sandviken)では都市化と大規模な住宅地区の建設が貧しい箇所、富裕な箇所両方で行われた。<ref name='bt_nygaardshøyden'>{{cite news | first=Kjell | last=Østerbø | title=Da rike og fattige fikk sine strøk | date=23 September 2007 | url =http://www.bt.no/lokalt/bergen/article413890.ece | work =Bergens Tidende | accessdate =18 December 2008 | language = Norwegian }}</ref> 建築家たちは[[歴史主義建築]]、[[古典主義]]、[[アール・ヌーヴォー]]など様々な建築様式から影響を受けた。<ref name="bl2526">{{cite encyclopedia |last=Hagen Hartvedt|first=Gunnar|editor= |encyclopedia=Bergen Byleksikon|title=Bergen|url= |edition=1st|year=1994|publisher=Kunnskapsforlaget|location=Oslo|id= |isbn=82-573-0485-9|oclc= |pages=25–26|quote= }}</ref> 富裕層はヴィラをメフレンプリスとニゴルドの間とフロイエンに建て、1876年にベルゲンに加えた。都市かは同時にオルスタンドのソルヘイムスヴィンケンでも起こった。これらの自治体は当時、ベルゲンの外側の自治体で産業集積の中心となる地区であった。<ref name="bl2627">{{cite encyclopedia |last=Hagen Hartvedt|first=Gunnar|editor= |encyclopedia=Bergen Byleksikon|title=Bergen|url= |edition=1st|year=1994|publisher=Kunnskapsforlaget|location=Oslo|id= |isbn=82-573-0485-9|oclc= |pages=26–27|quote= }}</ref> 労働者の住宅は乏しい状態で建てられ、1960年代から1980年代のに行われた大規模な再開発後も少し残っていた。

オルスタンドがベルゲンの一部となった1916年に新しい地区の開発が認可され、市内のいくつかの街区も同様に計画された。多くの労働者階級が持ち家を建て、多くが小さく分離したアパートメントとして建てられた。第二次世界大戦後、ベルゲンでは当初の計画に反して大規模な高層住宅をランドス(Landås)に1950年代から1960年代に建築している。ベルゲンは1955年、フィリングスダレン([Fyllingsdalen)をファナ自治体から取得した。フィリングスダレンはモダンな高層住宅と単身者世帯の住宅が開発され、1960年代と1970年代に同様の開発がベルゲン市外の郊外で行われている。<ref name="bl961">{{cite encyclopedia |last=Hagen Hartvedt|first=Gunnar|editor= |encyclopedia=Bergen Byleksikon|title=Bergen|url= |edition=1st|year=1994|publisher=Kunnskapsforlaget|location=Oslo|id= |isbn=82-573-0485-9|oclc= |pages=9–61|quote= }}</ref>

[[File:Sandviken Street Bergen 2009.JPG|thumb|right|ベルゲン旧市街の狭い通り]]
同時期、[[ニュータウン]]の拡張計画がベルゲン市内で行われ、郊外の拡張された自治体は急速に成長した。ベルゲンの富裕層の市民は19世紀以来、ファナに居住しているが都市の拡張によりより手頃な住宅地の自治体となってきた。同様の進展はオサネやラクセヴォグでも起こっていた。ほとんどの住宅は戸建てのテラスハウスや単身者用の住宅か小規模なアパートメントであった。<ref name="bl961"/>1972年以来、周辺の自治体とベルゲンは大規模な合併が行われ大規模な開発方法は継続された。しかし、自治体は商業地近くやベルゲンライトレールの将来出来る駅近くに集中させる方法を奨励している。<ref name='bt_fortetting1'>{{cite news | first=Pål Andreas | last=Mæland | title=Nå kommer slangen til Paradis | date=16 May 2008 | url =http://www.bt.no/lokalt/bergen/article564560.ece | work =[[Bergens Tidende]] | accessdate =18 December 2008 | language = Norwegian }}</ref><ref name='bt_fortetting2'>{{cite news | first=Eva | last=Røyrane | title=Bergen bygges tettere | date=9 May 2007 | url =http://bt.no/forbruker/husoghjem/article361530.ece | work =[[Bergens Tidende]] | accessdate =18 December 2008 | language = Norwegian }}</ref>

1950年代から1960年代の大規模な近代化の波は第二次世界大戦におけるダメージによるもので地元の行政当局は大胆な開発や再建計画をベルゲン中心部の多くの地区で立てた。計画にはいくつかの木造住宅の取り壊しも含まれていた。''Nordnes''、''Marken''、''Stølen''といくつかの計画が立てられたが 戦争でももっとも被害を受けた'' Nordnes''だけが実行された。1964年のベルゲン市議会では''Marken''全域を取り壊すことに議決したが、強い異論により1974年には戻されている。ブリッゲンは1955年の火災により一部の建物が焼失しその後、その一部か全てが取り壊される危機にあった。その後代わりに破壊するのではなく、残りの建物は最終的に復元し焼けた建物のいくつかの再建も伴った。<ref name="bl961"/> 古い建物の解体はまだ時折起こっており、ごく最近の事例は''Jonsvollskvartalet''がある。<ref name='bt_jonsvoll'>{{cite news | first=Liv Solli | last=Okkenhaug | title=Rev de siste husene | date=21 April 2007 | url =http://www.bt.no/lokalt/bergen/article357421.ece | work =[[Bergens Tidende]] | accessdate =18 December 2008 | language = Norwegian }}</ref>

{{wide image|Brygge Norway 2005-08-18.jpg|1500px|[[文化遺産 (世界遺産)|世界文化遺産]]の[[ブリッゲン]]}}

== 教育 ==
ベルゲン市内には64校の小学校<ref name="barnskoler">{{cite web|url=http://www3.bergen.kommune.no/portal/page?_pageid=74,56541&_dad=portal&_schema=PORTAL&articleId=126&artSectionId=41&menuSectionId=41&sectionId=41|title=Oversikt over barneskoler|accessdate=29 September 2007|publisher=Bergen kommune|year=2007|language=Norwegian| archiveurl = http://web.archive.org/web/20070905133246/http://www3.bergen.kommune.no/portal/page?_pageid=74,56541&_dad=portal&_schema=PORTAL&articleId=126&artSectionId=41&menuSectionId=41&sectionId=41| archivedate = 5 September 2007}}</ref> 、18校の中学校<ref name="ungdomsskoler">{{cite web|url=http://www3.bergen.kommune.no/portal/page?_pageid=74,56541&_dad=portal&_schema=PORTAL&articleId=117&artSectionId=41&menuSectionId=41&sectionId=41|title=Oversikt over ungdomsskoler|accessdate=29 September 2007|publisher=Bergen kommune|year=2007|language=Norwegian| archiveurl = http://web.archive.org/web/20070914164527/http://www3.bergen.kommune.no/portal/page?_pageid=74,56541&_dad=portal&_schema=PORTAL&articleId=117&artSectionId=41&menuSectionId=41&sectionId=41| archivedate = 14 September 2007}}</ref>、20校の高校<ref name="hordskoler">{{cite web|url=http://utdanning.hfk.no/templates/Page.aspx?id=2055|title=Skoleportalen|accessdate=29 September 2007|publisher=Hordaland fylkeskommune|year=2007|language=Norwegian}}</ref> があり、同様にベルゲンでは11校が小中一貫校である。<ref name="kombiskoler">{{cite web|url=http://www3.bergen.kommune.no/portal/page?_pageid=74,56541&_dad=portal&_schema=PORTAL&articleId=116&artSectionId=41&menuSectionId=41&sectionId=41|title=Oversikt over kombinerte skoler|accessdate=29 September 2007|publisher=Bergen kommune|year=2007|language=Norwegian| archiveurl = http://web.archive.org/web/20070905174816/http://www3.bergen.kommune.no/portal/page?_pageid=74,56541&_dad=portal&_schema=PORTAL&articleId=116&artSectionId=41&menuSectionId=41&sectionId=41| archivedate = 5 September 2007}}</ref> ベルゲンカセドラルスクール{{enlink|Bergen Cathedral School|a=on}}はベルゲンでは一番古くに設立された学校で、1153年に[[ハドリアヌス4世 (ローマ教皇)|ハドリアヌス4世]]により設立された。<ref name="byleksikon">{{cite book | title=Bergen Byleksikon| last=Hartvedt| first=Gunnar Hagen|year=1994| publisher=Kunnskapsforlaget| isbn=82-573-0485-9}}</ref>

[[ベルゲン大学]]は16,000人の学生と3,000人のスタッフでノルウェーでは3番目に大きい教育機関である。<ref name="omuib">{{cite web
|url=http://www.uib.no/info/generell/#hva |title=Om Universitetet i Bergen |accessdate=16 August 2007 |language=Norwegian | archiveurl = http://web.archive.org/web/20060923223345/http://www.uib.no/info/generell/| archivedate = 23 September 2006}}</ref>大学の創設は1946年と比較的新しいが、調査研究活動はベルゲン博物館として1825年に遡る。大学には、卓越した気候学、石油、[[中世的信仰]]の3つの国立センターと幅広い学部、研究などの学問分野がある。<ref name="uibsff">{{cite web|url=http://nyheter.uib.no/?modus=vis_nyhet&id=120602111405|title=UiB får tre SFF|accessdate=9 October 2007|publisher=på høyden|year=2002|author=Mia Kolbjørnsen and Hilde Kvalvaag|language=Norwegian}}</ref>メインとなるキャンパスは市中心部にある。大学は医療研究内で協同してハイクラン大学病院を運営している。
''Chr. Michelsen Institute''{{enlink|Chr. Michelsen Institute|a=on}}は独立した研究機関として1930年に設立され人権や開発問題に特化した研究を行っている。<ref name="cmi">{{cite web|url=http://www.cmi.no/about/|title=About CMI|accessdate=2 October 2007|language=Norwegian}}</ref>ベルゲン大学カレッジ{{enlink|Bergen University College|a=on}}は6,000人の学生と600人のスタッフが在籍する。<ref name="hib">{{cite web |url=http://www.hib.no/om/index.html |title=Om Høgskolen i Bergen |accessdate=16 August 2007 |year=2007 |language=Norwegian}}</ref> 教職、工学、健康管理などプロフェッショナルの教育に特化している。カレッジは1994年に統合し創設された。キャンパスは町の周辺に広がっているが、計画では市内の[[クロンスタント]]{{enlink|Kronstad, Bergen|a=on}}に新しくキャンパスが新設されそこにまとめられる。ノルウェー経済校{{enlink|Norwegian School of Economics|a=on}}は郊外の[[サンドヴィケン]]{{enlink|Sandviken|a=on}}にあるノルウェーをリードする[[ビジネススクール]]である。<ref name="mim-nhh">{{cite web|url=http://rankings.ft.com/masters-in-management|title=FT.com / Business Education / Masters in management|accessdate=29 September 2007|work=Financial Times|year=2007|language=Norwegian}}</ref>このビジネススクールは3人の[[アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞|ノーベル経済学賞]]の受賞者を輩出している。<ref name="kydlandprize">{{cite web |url=http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/2004/ |title=The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 2004 |accessdate=16 August 2007 |year=2007 }}</ref> 約2,700人の学生と350人のスタッフが在籍する。<ref name="omnhh">{{cite web |url=http://www.nhh.no/omnhh/organisasjon/ |archiveurl=http://web.archiv e.org/web/20071025100212/http://www.nhh.no/omnhh/organisasjon/ |archivedate=25 October 2007 |title=Om NHH |accessdate=16 August 2007 |year=2006 |language=Norwegian }}</ref>他の教育機関としてベルゲン建築学校{{enlink|Bergen School of Architecture|a=on}}やベルゲン国立アートアカデミー{{enlink|Bergen National Academy of the Arts|a=on}}などは市の中心部にあり300人の学生がおり<ref name="khib">{{cite web |url=http://www.khib.no/index.php/khib/organisasjon/om_khib |archiveurl=http://web.archive.org/web/20071213051453/http://www.khib.no/index.php/khib/organisasjon/om_khib |archivedate=13 December 2007 |title=Om Kunsthøgskolen i Bergen |accessdate=16 August 2007 |language=Norwegian}}</ref>、ノルウェー海軍アカデミー{{enlink|Norwegian Naval Academy|a=on}}はラクセヴォグにある。ノルウェー海洋研究機関{{enlink|Norwegian Institute of Marine Research|a=on}}は1900年以来ベルゲンにあり、生態系や養殖に関する研究や提言を行い700名のスタッフが在籍する。<ref name="imr">{{cite web|url=http://www.imr.no/english/about_imr|archiveurl=http://web.archive.org/web/20080116144616/http://www.imr.no/english/about_imr|archivedate=16 January 2008|title=About imr|accessdate=2 October 2007|language=Norwegian}}</ref>

== 経済 ==
[[File:Strandgatenbg-modf.jpg|thumb|right|ベルゲンのショッピングストリート ストラント通り]]
2004年8月にベルゲンはアメリカのニュース雑誌[[タイム (雑誌)|タイム]]が名付けたヨーロッパの14の隠れた首都(Europe's 14 "secret capitals")の一つとされた。<ref name="secretcaps">{{cite news
|url=http://www.time.com/time/europe/secret/opener.html
|title=Europe's Secret Capitals
|accessdate=14 August 2007
|work=TIME Magazine
| date=30 August 2004
}}</ref>

ベルゲンは海洋ビジネスに関しての中心地として認められており、魚介類の養殖、ヨーロッパでは2番目の規模で先進的な海洋研究所(IMR)がある。ベルゲンは[[ノルウェー海軍]]の中心的な基地である[[ハーコンスヴァーン海軍基地]]や[[ベルゲン空港]]にある広大なノルウェーの[[北海油田]]やガス産業のメインとなるヘリポートがあり、ここから何千もの油田やガス田で働く勤務者を送り出している。<ref>{{cite web|url = http://www.wnfc.no/index.php?page=gallery&category=3&id=20|title = Film Location:Bergen|publisher = West Norway Film Commission|accessdate =9 October 2007}}</ref>

ノルウェーでは最大規模のショッピングセンターであるラグーンショッピングセンター(Lagunen Storsenter)が[[ファナ]]にあり、毎年25億4千万ノルウェー・クローナの売り上げがあり、520万人の買い物客が訪れる。

観光はベルゲンにとって重要な収入源となっている。ベルゲン市内のホテルは満室になっている場合があり<ref name="russerne">{{cite web|url=http://www.bt.no/na24/article371611.ece|title=Russerne kommer|accessdate=10 October 2007|publisher=bt.no|author=Lars Kvamme and Ingvild Bruaset|language=Norwegian}}</ref><ref name="bergensturister">{{cite web|url=http://www.bt.no/lokalt/bergen/article278593.ece|title=Sender bergensturister vekk|accessdate=10 October 2007|publisher=bt.no|year=2006|author=Frode Buanes and Lars Kvamme|language=Norwegian}}</ref>、これは観光客数の増大と会議の増加による。2006年9月に[[ローリング・ストーンズ]]のコンサートが開かれた時、多くのホテルは既に数ヶ月も前から満室であった。<ref name="fullehoteller">{{cite web|url=http://www.bt.no/lokalt/bergen/article273195.ece|title=Fulle hoteller møter Stones-fansen|accessdate=10 October 2007|publisher=bt.no|year=2006|author=Arild Berg Karlsen and Erik Fossen|language=Norwegian}}</ref> ベルゲンは非公式ながら[[ヴェストラン]](ノルウェー西部地方)の主都として見なされており、世界的に有名な[[ノルウェー]]の[[フィヨルド]]の玄関口としてヨーロッパでも随一のノルウェーでは最大の[[クルーズ船]]の寄港地となっている。

<ref name="cruisebergen">{{cite web
|url=http://www.bergenhavn.no/cruise.asp
|title=Velkommen til Bergen havn – "Inngangen til Fjordene"
|accessdate=14 August 2007
|author=Bergen Havn
|language=Norwegian
| archiveurl = http://web.archive.org/web/20070718051230/http://www.bergenhavn.no/cruise.asp| archivedate = 18 July 2007}}</ref>

{{wide image|Nygårdstangen panorama.jpg|1500px|ベルゲンのオフィスビル群}}

== 交通 ==
[[File:Bybanen23.juni2010.jpg|thumb|[[ベルゲンライトレール]]の[[ヴァリオアトラム]] ビーパルケン電停]]
[[File:Bergen Railway Station facade.JPG|thumb|ベルゲン駅]]
=== 航空 ===
[[ベルゲン空港]]が中心部から約{{convert|18|km|sp=us}}離れたフレスランドにある。<ref name=visittransport>{{cite web |url=http://www.visitnorway.com/en/Meetings/Destinations/Bergen/Transport-to-Bergen/ |title=Transport to Bergen |publisher=[[Innovation Norway]] |accessdate=2 May 2012 |archivedate=2 May 2012 |archiveurl=http://www.webcitation.org/67MYu3joM |deadurl=no}}</ref>2011年現在、空港は[[ノルウェー交通・通信省]]が出資する運営会社[[アヴィノル]]によって運営されており、年間560万人の旅客数を有する。<ref>{{cite web |url=http://www.avinor.no/tridionimages/11-TB8%20Passasjerer_tcm181-140526.xls |title=Passenger statistics |publisher=[[Avinor]] |format=[[Microsoft Excel file format|XLS]] |accessdate=9 April 2012}}</ref>ベルゲン空港は[[スカンジナビア航空]]、[[ノルウェー・エアシャトル]]、[[ヴィデロー航空]]のハブ空港となっており、ノルウェー国内20都市、海外53都市に就航している。<ref>{{cite web |url=http://www.avinor.no/en/airport/bergen/timetables |title=Flight Timetables |publisher=[[Avinor]] |accessdate=9 April 2012}}</ref>夏の最繁忙期には日本からもチャーター便が就航し、多くの観光客が利用する。<ref>http://holiday.knt.co.jp/t/51074881/</ref>

[[File:SAS MD-82 LN-RMM.jpg|thumb|left|ベルゲン空港]]
=== 港湾 ===
ベルゲン港はベルゲン市を含む周辺自治体で組織する管理当局である[[ベルゲン港湾局]]{{enlink|Bergen Port Authority|a=on}}により運営されノルウェーでは最大の港である。<ref>{{cite news |url=http://www.bt.no/na24/Bergen-havn-holder-koken-1807073.html |title=Bergen havn holder koken |work=[[Bergens Tidende]] |last=Eliassen |first=Jan I. |date=24 June 2006 |language=Norwegian |accessdate=2 May 2012 |archivedate=2 May 2012 |archiveurl=http://www.webcitation.org/67McXj2wR |deadurl=no}}</ref>2011年には264隻のクルーズ船により350,248人の観光客を集めている。<ref>{{cite web |url=http://www.bergenhavn.no/index.cfm?id=256072 |title=Cruise ships |publisher=[[Bergen Port Authority]] |accessdate=2 May 2012 |archivedate=2 May 2012 |archiveurl=http://www.webcitation.org/67MaAlipa |deadurl=no}}</ref> 2009年現在、ベルゲン港は5600万トンの貨物を取り扱い、ヨーロッパでは9番目に取り扱い量が多い港となっている。<ref>{{cite web |url=http://aapa.files.cms-plus.com/PDFs/WORLD%2520PORT%2520RANKINGS%25202009.pdf |title=World Port Rankings 2009 |publisher=[[American Association of Port Authorities]] |accessdate=2 May 2012 |archivedate=2 May 2012 |archiveurl=http://www.webcitation.org/67Mciv0KZ |deadurl=no}}</ref>ベルゲン港には市中心部から離れた場所に港を移転させる計画もあるが、未だに新しい場所は選ばれていない。<ref>{{cite news |url=http://www.bt.no/nyheter/lokalt/--Vi-har-alle-vart-feige-2694706.html |title=- Vi har alle vært feige |work=[[Bergens Tidende]] |last=Haga |first=Anders |date=24 June 2006 |language=Norwegian |accessdate=2 May 2012 |archivedate=2 May 2012 |archiveurl=http://www.webcitation.org/67McXj2wR |deadurl=no}}</ref>[[フィヨルドライン]]{{enlink|Fjord Line|a=on}}によりクルーズ客船が[[デンマーク]]の[[ヒァツハルス]]に向け運航されている。ベルゲンは沿岸急行船[[フッティルーテン]]{{enlink|Hurtigruten|a=on}}の南側のターミナルで、毎日[[キルケネス]]に向け定期便が運航されている。<ref name=visittransport /> 双胴船が南方向の[[ハウゲスン]]や[[スタヴァンゲル]]や<ref name="tideruter">{{cite web|url=http://www.tide.no/Default.aspx?pageid=789|title=Hurtigbåt- og lokalbåtruter|accessdate=16 September 2007|publisher=Tide ASA|language=Norwegian}}</ref>北方向の[[ソグネ・フィヨルド]]や[[ノール・フィヨルド]]に向け運航されている。<ref name="fjord1ferries">{{cite web|url=http://www.fjord1.no/default.asp?page=407#scroll|title=Fjord1 – Ekspressbåter|accessdate=16 September 2007|publisher=Fjord1|language=Norwegian}}</ref>

[[File:Sotra Bridge.jpg|thumb|left|ソトラ橋]]
=== 道路 ===
[[File:Fløibanen as seen from Fløyen.jpg|thumb|left|[[フロイエン山]]を登る[[フロイエンケーブルカー]]]]
ベルゲン市の周辺部には自動で車の通行料を収受する[[ETC]]のシステムがあり、オートパス{{enlink|Autopass|a=on}}と呼ばれている。<ref name="bbl1">{{cite journal | author=Gunnar Hagen Hartvedt| title=bompengering| journal=Bergen Byleksikon| year=1994| pages=119–120}}</ref>幹線道路は[[欧州自動車道路]]39号線(E39)がベルゲン市域を南北に通りE16が東方向に進み、国道555号線(''Riksvei 555'')が西方向へ進んでいる。[[ノルトホラント橋]]{{enlink|Nordhordland Bridge|a=on}}<ref>{{cite web |url=http://www.vegvesen.no/region_vest/prosjekter/nordhordlandsbrua/brosjyre_1994.pdf |title=The Nordhordland Bridge |author=[[Norwegian Public Roads Administration]] |year=1994 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20060209233657/http://www.vegvesen.no/region_vest/prosjekter/nordhordlandsbrua/brosjyre_1994.pdf |archivedate=2 June 2006|accessdate=不明}}</ref> 、[[オスケイ橋]]{{enlink|Askøy Bridge|a=on}}<ref>{{cite web|url=http://www.aaj.no/bruer/pdf/Askoy_referanse_eng.pdf |title=Askøy Bridge |publisher=[[Aas-Jakobsen]] |accessdate=2 October 2011 |archivedate=2 October 2011 |archiveurl=http://www.webcitation.org/6284TGM0k deadurl=no}}</ref>、[[ソトラ橋]]{{enlink|Sotra Bridge|a=on}}<ref>{{cite web|url=http://www.aaj.no/bruer/pdf/Askoy_referanse_eng.pdf |title=Askøy Bridge |publisher=[[Aas-Jakobsen]] |accessdate=2 October 2011 |archivedate=2 October 2011 |archiveurl=http://www.webcitation.org/6284TGM0k deadurl=no}}</ref>、[[オステレイ橋]]{{enlink|Osterøy Bridge|a=on}}などベルゲンにある4つの主要な橋により近隣の自治体と結ばれている。[[ビュレイ]]とはビュレイトンネルを経由結ばれている。<ref>{{cite book |title=Fastlandssamband for Bjorøy og Tyssøy |last=Jahnsen |first=Jack |year=2006 |publisher=Fastlandssambandet Tyssøy – Bjorøy |location=Straume |isbn=82-303-0642-7 |language=Norwegian}}</ref>

=== 鉄道 ===
[[ベルゲン駅]]は[[オスロ]]から496kmを走り抜けて来た[[ベルゲン線]]の終着駅である。<ref>{{cite book |author=Jernbaneverket |year=2007 |title=Jernbanestatistikk 2006 |url=http://www.jernbaneverket.no/multimedia/archive/01720/Jernbanestatistikk_1720406a.pdf |format=PDF|location=Oslo |publisher=Jernbaneverket |authorlink=Norwegian National Rail Administration |page=13}}</ref> [[ノルウェー国鉄]]によりベルゲンとオスロを結ぶ特急列車やベルゲンと[[ヴォス]]の間を結ぶ[[ベルゲン通勤鉄道]]が運行されている。ベルゲンと[[アーナ駅]]との間で終日にわたり30分間隔で途中の[[ウルリケントンネル]]を通り電車が運行され鉄道によるベルゲン都市圏の旅客輸送が担われている。この区間は並行して走る道路トンネルが無く、車はオサネ(Åsane)を経由しなければならない。<ref>{{cite web |url=http://www.jernbaneverket.no/no/Prosjekter/Prosjekter/Bergen---Arna/Dette-er-Bergen-Arna/ |title=Bergen-Arna |last=Aagesen |first=Ragnhild |date=21 September 2010 |language=Norwegian |archivedate=20 September 2011 |archiveurl=http://www.webcitation.org/61q6aNCLq |accessdate=20 September 2011 |deadurl=no}}</ref>

=== 公共交通 ===
[[ホルダラン県]]の公共交通はホルダラン県が出資するシェイス{{enlink|Skyss|a=on}}により運営されベルゲンを始め、周辺自治体に路線バス網が広がっており<ref>{{cite web |url=http://www.skyss.no/nn-NO/GlobalToppMeny1/English/About-Skyss/Company_information/ |title=About Skyss |publisher=[[Skyss]] |accessdate=2 May 2012}}</ref> 、[[トロリーバス]]1系統も含まれる。<ref>{{cite book |last=Aspenberg |first=Nils Carl |title=Trolleybussene i Norge |year=1996 |publisher=Baneforlaget |location=Oslo |pages=96}}</ref>[[ベルゲンライトレール]]と呼ばれるトラムが市中心部とネストゥン(Nestun)の間を2010年から結んでいる。<ref>{{cite web |url=http://www.bt.no/nyheter/lokalt/bybanen/Signingsferden-1107192.html |title=Signingsferden |accessdate=26 June 2010 |year=2010 |language=Norwegian}}</ref>今後の予定では2013年にローダル(Rådal)、2015年にベルゲン空港まで延伸される予定である。<ref>{{cite web |url=http://www.fanaposten.no/incoming/article927367.ece |title=Vil ha bybane til Flesland i 2015 |work=[[Fanaposten]] |last=Melhus |first=Ståle |date=11 September 2009 |accessdate=7 November 2009 |language=Norwegian}}</ref>トラムの路線拡張はその後も各行政区で行われる予定である。<ref>{{cite web |url=http://www.nrk.no/nyheter/distrikt/hordaland/1.1486016 |title=Usamde om bybaneutvidinga |author=Rykka, Ann Kristin and Solfrid Torvund |work=[[Norwegian Broadcasting Corporation]] |date=13 December 2006 |language=Norwegian|accessdate=不明}}</ref>市中心部とフロイエン山山頂がケーブルカーによって結ばれている。近郊のウルリケン山は[[ロープウェイ]]により麓と結ばれている。

== 文化 ==
=== メディア ===
''Bergens Tidende''(BT)と''Bergensavisen''(BA)はベルゲンではそれぞれ2006年現在87,076部、30,719部と発行部数が最大の新聞である。<ref name="opplag">{{cite web|url=http://mediebedriftene.no/index.asp?id=71672|title=Avisenes leser- og opplagstall for 2006|accessdate=oktober 26 2007|publisher=Mediebedriftenes Landsforening|year=2007|language=Norwegian}}</ref> BTは[[ホルダラン県]]と[[ソグン・オ・フィヨーラネ県]]をカバーする地方紙で、BAはベルゲン大都市圏に特化している。他にベルゲンで発行されている新聞にはキリスト教系の Christian nationalと''Dagen''があり発行部数は8,936部<ref name="opplag"/> あり、''TradeWinds''は国際的な海運の業界紙である。ファナには''Fanaposten''、アーナには''Bygdanytt''それぞれ地元のローカル紙がある。テレビ局ではノルウェーでは最大のベルゲンを拠点とする''TV2''がある。

=== 芸術・演劇 ===
[[グリーグホール]]は1978年に完成し1,500席を備えるベルゲンのメインとなる文化施設で<ref name="grieghall">{{cite web |url=http://www.grieghallen.no/facilities/capacity/?l=en |title=Grieghallen: Floor space and capacity |accessdate=8 September 2007|publisher=Grieg Hall}}</ref>、1765年に設立された[[ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団]]<ref name="filhar">{{cite web |url=http://www.filharmonien.no/ |title=Bergen Filharmoniske Orkester |accessdate=16 August 2007 |year=2006 |language=Norwegian}}</ref>と[[ベルゲン・ウッドウィントクインテット]]が本拠地としている。ダンスの一団''Carte Blanche''もまたベルゲンを代表するものである。毎年開催されるベルゲン国際フェスティバル{{enlink|Bergen International Festival|a=on}}はベルゲンのメインとなる文化行事で、ベルゲン国際映画フェスティバル{{enlink|Bergen International Film Festival|a=on}}がそれを補完する。ベルゲンからは二人の世界的に著名な作曲家である[[エドヴァルド・グリーグ]]と[[オーレ・ブル]]を輩出している。グリーグの家である[[トロルハウゲン]]{{enlink|Troldhaugen|a=on}}は博物館になっており、ベルゲン国際フェスティバルの開催時にはコンサートが行われる。1990年代後半から2000年代前半にかけベルゲンからはポップやロック、[[ブラックメタル]]などの分野からアーティストを輩出し成功し<ref name="telle">{{cite web|url=http://www.ba.no/puls/article591155.ece|title=Telle: – Angrer ingenting|accessdate=10 October 2007|publisher=ba.no|year=2003|author=Ann Kristin Frøystad|language=Norwegian}}</ref>、これらはまとめてベルゲンウエーブとして知られている。<ref name="bb1">{{cite web |url=http://www2.bt.no/bergenpuls/article396707 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20071015152917/http://www.bt.no/bergenpuls/article396707 |archivedate=15 October 2007 |title=Bløffmakerens guide til Bergensbølgen |accessdate=16 August 2007 |work=Bergens Tidende |year=2005|author=Lars Ursin |language=Norwegian }}</ref><ref name="bb2">{{cite web |url=http://www.bt.no/kultur/musikk/article225748.ece |title=Bergensbølgen tørrlagt på Alarm |accessdate=16 August 2007 |publisher=Bergens Tidende |year=2005 |author=Lars Ursin |language=Norwegian}}</ref>ベルゲン出身の音楽グループでは[[バーズム]]、[[ゴルゴロス]]、[[トーケ]]、[[エンスレイヴド]]、[[キングス・オブ・コンビニエンス]]などがノルウェーを始め世界的に知られている。

国立劇場(Den Nationale Scene)はベルゲンのメインとなる劇場で1850年に設立され[[ヘンリック・イプセン]]は芸術監督して最初に作成し上演している。ベルゲンの[[近代美術と現代美術]]は''BIT Teatergarasjen''、''United Sardines Factory''、''Bergen Center for Electronic Arts''が中心となっている。2000年にはベルゲンは[[欧州文化首都]]であった。<ref name="cultcap">{{cite web |url=http://ec.europa.eu/culture/eac/other_actions/cap_europ/cap_00_01_02_en.html |title=European Capitals of Culture 2000–2005 |accessdate=16 August 2007}}</ref>''Buekorps''{{enlink|Buekorps|a=on}}はベルゲンの文化を特徴付けるもので、7歳から21歳までの青少年が模造品の武器と[[スネアドラム]]で行進する。<ref name="Buekorpsene.com">{{cite web|url=http://buekorpsene.com/english/whatisbuekorps.php|title=What is a buekorps?|accessdate=10 November 2007|publisher=Buekorpsene.com|year=2006}}</ref><ref name="Studvest.no">{{cite web|url=http://www.studvest.no/nyhende.php?art_id=270|title=Studenter hestes av buekorps på nettet|accessdate=10 November 2007|publisher=Studvest.no|language=Norwegian}}</ref>

=== スポーツ ===
[[SKブラン]]はベルゲンに本拠地を置くサッカークラブチームでノルウェーのプロ1部リーグ[[エリテセリエン]]のチームで設立は1908年である。1963年からは7年だけ1部リーグであったが、1987年からはコンスタントに1部リーグに残留している。1961-62年と1963年、2007年のリーグ優勝チームでありref name="gulleteheme">{{cite web|url=http://www.fotball.no/t1.aspx?p=51831&x=1&a=209708|title=- Gratulerer, Brann!|accessdate=22 October 2007|publisher=Norges Fotballforbund|year=2007|author=Ole Ivar Store|language=Norwegian}}</ref>[[UEFAカップウィナーズカップ 1996-97]]では準々決勝まで進んでいる。SKブランは収容人数17,824人のブランスタディオン{{enlink|Brann Stadion|a=on}}でプレーしている。<ref name="brannstadion">{{cite web|url=http://www.brann.no/index.php?mapping=210|title=Stadionfakta|accessdate=1 October 2007|publisher=Brann.no|year=2007|language=Norwegian}}</ref>''FK Fyllingsdalen''{{enlink|FK Fyllingsdalen|a=on}}はベルゲンでは2番目に良く知られたチームで、ノルウェー2部リーグに属する。1990年、1991年、1993年には1部リーグに属していた。''Arna-Bjørnar''{{enlink|Arna-Bjørnar|a=on}}と''IL Sandviken''{{enlink|IL Sandviken|a=on}}はサッカー女子1部リーグ{{enlink|Toppserien|a=on}}に属する。
''Bergen IK''{{enlink|Bergen IK|a=on}}はアイスホッケーのクラブチームで''Bergenshallen''でプレーし、1部リーグに属する。ベルゲンには他にもハンドボールのクラブチーム等がある。
=== ベルゲンの言葉 ===
[[バルゲンスキ]]{{enlink|Bergensk|a=on}}と呼ばれるベルゲンの地元の言葉はノルウェー西部の方言の一種である。この言葉は14世紀半ばから18世紀にかけてやって来た商人が使っていた[[低地ドイツ語]]の影響を強く受けている。1536年から1814年にかけての[[デンマーク=ノルウェー]]時代にベルゲンでは他のノルウェーの地域に比べてより強い[[デンマーク語]]の影響を受けていた。デンマーク語の影響は女性[[性 (文法)]]を16世紀に取り除き、ノルウェーの方言では数少ない3つの性文法のうち2つしかないバルゲンスキを作っている。Rsはフランス語のような[[口蓋垂ふるえ音]]でおそらくベルゲンで18世紀の長い間、2、3代かけて[[歯茎ふるえ音]]を追い越した。識字率が改善し、バルゲンスキは19世紀から20世紀に[[ブークモール]]の影響を受けた。これは大部分でドイツ語のつながった語彙の消滅と、発音が東ノルウェー方言に向かってわずかにシフトしている。<ref name="slikblevi">{{cite book | title=Slik ble vi bergensere – Hanseatene og bergensdialekten| last=Nesse| first=Agnete|year=2003| publisher=Sigma Forlag| isbn=82-7916-028-0}}</ref>

== ゆかりの人物 ==
* [[エドヴァルド・グリーグ]] - 作曲家
* [[オーレ・ブル]] - 作曲家
*[[ハラール・セーヴェルー]] - 作曲家


== 姉妹都市 ==
== 姉妹都市 ==
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* {{Flagicon|Eritrea}} [[アスマラ]]([[エリトリア|エリトリア国]])
* {{Flagicon|Eritrea}} [[アスマラ]]([[エリトリア|エリトリア国]])
* {{Flagicon|WAL}} [[スウォンジ]]、[[ウェールズ]]
* {{Flagicon|WAL}} [[スウォンジ]]、[[ウェールズ]]

== 出身有名人 ==
* [[エドヴァルド・グリーグ]] 音楽家

== 交通 ==
* [[ベルゲン空港]]
* [[ノルウェー国鉄]]
** [[ベルゲン線]]
* 2010年に開業した[[ライトレール]](バイバネン)が[[ベルゲン駅]]とネストゥンを結んでいる。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[フィヨルドクルーズ]]/[[北海クルーズ]]/[[ヴァイキング・ライン]]
* [[フィヨルドクルーズ]]/[[北海クルーズ]]/[[ヴァイキング・ライン]]


== 参考文献 ==
== 脚注 ==
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[[Category:古都]]
[[Category:古都]]
[[Category:ハンザ同盟]]
[[Category:ハンザ同盟]]
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2012年5月20日 (日) 17:22時点における版

ベルゲン
Bergen
ベルゲンの市章
市章
位置
ベルゲンの位置の位置図
ベルゲンの位置
座標 : 北緯60度23分22秒 東経5度19分48秒 / 北緯60.38944度 東経5.33000度 / 60.38944; 5.33000
歴史
設立 1070年
行政
 ノルウェー
 地域 ヴェストラン
 県 ホルダラン県
 市 ベルゲン
地理
面積  
  市域 465 km2 (179.5 mi2)
人口
人口 (2010年現在)
  市域 256,580人
    人口密度   551.8人/km2(1,429.1人/mi2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
公式ウェブサイト : http://www.bergen.kommune.no
小ルンゲゴース湖よりベルゲン美術館

ベルゲン(ノルウェー語: Bergen, IPA-bærɡən)はノルウェー西岸ヴェストラン地方ホルダラン県の都市および基礎自治体である。2012年5月現在の人口はベルゲン自治体全域で約265,400人、統計的な地域であるベルゲン都市圏で約390,500人で、ノルウェーでは首都オスロに次ぐ規模の都市である。自治体の面積は465km2で、ベルゲン半島に位置し市中心部や北部の地区はビフィヨルン(Byfjorden)に位置しベルゲンの街は7つの山を中心に形作られている。多くの郊外の自治体が島嶼にある。ベルゲンはホランダラン県の行政の中心地で、アーナ(Arna)、オルスタド(Årstad)、オサネ(Åsane)、ベルゲンフス(Bergenhus)、ファナ(Fana)、フィリングスダレン(Fyllingsdalen)、ラクセヴォグ(Laksevåg)、イトレビグダ(Ytrebygda)の8つの行政区で構成されている。

ベルゲンでの交易は1020年代の初期に始められたとされるが、 1070年まで都市としては組織されなかった。ベルゲンは1217年から1299年までノルウェーの首都であり、13世紀後半からはハンザ同盟都市となった。1789年までベルゲンはノルウェー北部と国外の仲介交易の独占権を謳歌していた。波止場やブリッゲンが残され、世界遺産になっている。ベルゲンは多くの火災に見舞われた。公立のビジネススクールであるノルウェー経済校(Norges Handelshøyskole)が1936年に設立され、ベルゲン大学が1946年に設立されている。1831年から1972年までベルゲンは独立した県であった。その後、ベルゲンは周辺の自治体と大合併が行われている。ベルゲンは国際的な養殖業海運、海洋石油産業、海底技術の中心地でノルウェーの学術、観光、金融の中心都市でもある。

歴史

古代はノルウェー・ヴァイキングの拠点が置かれたが、本格的な都市の建設は1070年にノルウェー王オーラヴ・チッレ Olav Kyrreによって自治都市の設置が認められてからのことである。ベルゲン半島の東側から港が形成され、王が時々滞在する街として飛躍的に発展を遂げた。

1240年にはトロンハイム(ニーダロス)に替わってノルウェー王国史上2番目の首都となり、1299年オスロへ遷都されるまでホーコン・ホーコンソン Håkon Håkonsson王の王宮が置かれた。1236年には、ドイツのハンザ商人によって商館が建てられ、13世紀末には、ハンザ同盟 (Hanseatic League) の四大重要都市として君臨。各地から商人職工が集まり、現在のブリッゲン (Bryggen) 地区の旧市街(世界遺産)を形成した。ベルゲンの重要性は、ハンザ商人が独占した、ノルウェー海の海産物(特に北部ノルウェーの干しダラ)の交易によるものだった。1830年代まではノルウェー最大の都市であり、現在も西ノルウェーの経済、文化の中心である。

1916年、市中心部の多くが、歴史上最後となる大火によって焼失した。第二次世界大戦時、ドイツ軍によるノルウェー侵攻の開始日である1940年4月9日に、ノルウェーは要塞砲でドイツ戦艦と応戦したが、ベルゲンは短時間で占領された。1944年4月20日、ドイツ占領下で、120トンの爆発物を積みベルゲン要塞に停泊中のオランダの運搬船が爆発を起こし、少なくとも150人が亡くなり、歴史的建造物が破壊された。街は、ドイツの海軍施設を標的とする連合軍の爆撃を数回受けた。爆撃によりノルウェーの一般市民およそ100人が犠牲となった。

地理

ベルゲン都市域

ベルゲンのミドホルダラン地方中西部のベルゲン半島に位置する。ベルゲン自治体の面積は465 kilometers (289 mi)あり、ほとんどの市街地は湾かフィヨルドの近くに位置しいくつかの山が市街地にそびえている。ベルゲン中心部の周辺にはベルゲンの7人の娘と称されるサンドヴィーク山 (Sandviksfjellet)、ルンネマーネン (Rundemanen)、フロイエン (Fløyen)、ウルリーケン (Ulriken)、レーヴスタッケンLøvstakken、ダームスゴース山 (Damsgårdsfjellet)、リーデルホルン (Lyderhorn)の7つの山に背後を囲まれ、これにはさらに9つの山ウルリケン(Ulriken)、フロイエン(Fløyen)、レヴストッケン(Løvstakken)、ダムスゴルスシュフィエレ(Damsgårdsfjellet)、リダルホルン(Lyderhorn)、ソンドヴィクスフィエレ(Sandviksfjellet)、ブルモーネン(Blåmanen)、ルンデモネン(Rundemanen)、オスケイフィエレ(Askøyfjellet)が加わる。[1]グルフィエレ(Gullfjellet)はベルゲンでは一番高い山で海抜987 meters (3,238 ft)である。[2]

フロイエンエン山からのパノラマ

気候・環境問題

ベルゲンは海洋性気候で比較的穏やかな冬と涼しい夏が訪れる。ベルゲンは北緯60度の高緯度にあるが、天候は緯度の割に穏やかである。冬はノルウェーの中でも温暖な場所の一つで、これはメキシコ湾流ガルフストリーム)の影響である。ベルゲンは降水量に恵まれ年間平均降水量は2,250 mm (89 in) に上る。[3]降雨量が多い原因として、ベルゲン周辺部の山に囲まれた地形に北大西洋の湿った空気がぶつかることによって生じる地形性降雨が見られることにある。2006年10月29日から翌年の2007年1月21日にかけては毎日降水が見られ85日間連続していた。[4] 降水量が豊富なため、毎年大雨はいつでも起こる可能性がある。

ベルゲンでの最高気温の記録は1947年に遡り31.8 °Cを記録している。[5]一方、最低気温は1987年に−16.3 °Cを記録した。[6] 量が多い降水量はしばしば都市のマーケティングに利用され、雨量を示したグラフを使った絵はがきが市内では売られている。天気が変わりやすいため市内では時折、傘の自動販売機を見かけるがこれらはあまり成功していない。[7]天気が悪くなっても少し雨宿りすると急に天気が良くなる場合もあり、その逆に晴れていても雲が流れて来て急に雨やに見舞われる場合もある。近年では降水量や風が増えて来ている。2005年後半には大雨によって洪水や土砂崩れが起きており、この年の9月14日には3人が死亡する最悪な災害となった。気候変動により今後土砂崩れや洪水がより強いものになることも考えられる。自治体では消防局に24人の隊員による土砂崩れや他の自然災害に対応したレスキュー隊を創設した。[8] [9] 他のベルゲンにおける環境面のリスクとして海面上昇が上げられている。すでに今日、 ブリッゲンでは定期的に起こる海面上昇による極端な潮汐による潮害がベルゲンでは問題になっている。[10] 海面上昇や潮の満ち引きを緩やかにし、町やユネスコの世界文化遺産であるブリッゲンを保護するため防潮堤や郊外に港を造ることが提案されている。[11] [12]

ベルゲン (1961–1990)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 3.6
(38.5)
4.0
(39.2)
8.9
(48)
12.1
(53.8)
15.0
(59)
16.8
(62.2)
19.6
(67.3)
18.4
(65.1)
15.2
(59.4)
11.2
(52.2)
6.9
(44.4)
4.7
(40.5)
10.5
(50.9)
平均最低気温 °C°F −0.4
(31.3)
−0.5
(31.1)
3.1
(37.6)
5.0
(41)
7.2
(45)
10.2
(50.4)
11.5
(52.7)
11.6
(52.9)
9.1
(48.4)
6.6
(43.9)
2.8
(37)
0.6
(33.1)
5.2
(41.4)
降水量 mm (inch) 190
(7.48)
152
(5.98)
170
(6.69)
114
(4.49)
106
(4.17)
132
(5.2)
148
(5.83)
190
(7.48)
283
(11.14)
271
(10.67)
259
(10.2)
235
(9.25)
2,250
(88.58)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 21 17 19 17 17 16 18 19 23 24 22 22 235
平均月間日照時間 18.6 56.5 93.0 147.0 186.0 195.0 180.4 166.6 87.0 58.9 24.0 9.3 1,179.3
出典:World Meteorological Organisation,[13] Hong Kong Observatory[14]

統計

聖マリア教会

ベルゲンの人口の88.8%はノルウェー人で、2.1%は西側諸国を素地とする1世や2世の移民で、6.6%は西側諸国以外を素地とする1世や2世の移民である。[15]2009年には4,459人、1.8%の人口増加であった。人口の96%は市街地に居住している。2002年の17歳以上の平均収入は男性が426,000ノルウェー・クローナ、17歳以上の女性が238,000ノルウェー・クローナでトータルでの平均は333,000ノルウェー・クローナであった。[15] 性比は20-39歳のグループで女性100に対して男性104.6で[15]、人口の22.8%が17歳以下、4.5%が80歳以上であった。

ベルゲンにおける移民の人口は23,682人で164カ国を素地としており、2008年現在ベルゲンの全人口の9.56%を占めている。移民の40.8%はヨーロッパ、36.8%がアジア、7.8%がアフリカ、2.5%がラテンアメリカ、2.5%が北アメリカ、0.5%がオセアニアを素地としている。1993-2008年の期間でベルゲンの移民の人口は119.7%増加しており、この間のノルウェー人の人口は8.1%で、ノルウェーの全国平均は移民が138.0%、ノルウェー人が4.2%であった。 人口増加数に占める移民の割合は1993-2008年の期間でオスロの84.5%と比べるとベルゲンの人口増加数の43.6%、ノルウェーの人口増加数の60.8%を達し、増加した人口のかなりの割合を移民が占めていることになる。[16]

移民の人口はベルゲンでは1970年以来多くなっており、1986年1月1日現在では2,870人が西側諸国以外を素地としていた。2006年の統計では14,630人が西側諸国以外を素地とし1986年と比較すると約5倍に増加している。この間、ノルウェー全国平均の6倍の増加に比べると若干緩やかなものとなっている。1986年には自治体の全人口に占める西側諸国以外の移民の割合は3.6%であったが2006年1月にはベルゲンの全人口に占める割合は6%に増加している。西側諸国の移民は2%台をこの期間保っている。ポーランド人の移民は697人から2010年には3,128人に増加した。[17]

ノルウェー国教会はベルゲンでは最大の割合を占め、2012年には201,006人(79.74%)の市民が信仰している。ベルゲンはボルグヴィン司教区とベルゲン大聖堂の本拠地でその中で顕著なものは聖ヨハネス教会で市街ではもっとも目立つ。国教会に続くものは無信仰で52,059人(13.55%)である。 [18]12,000人は聖ポール教会のカトリック教会に属する。[19][20] 4,947人はそれぞれ異なったプロテスタント自由教会などである。2,707人はイスラム教、816人がヒンドゥー教、255人がロシア正教会、147人が正教会となっている。

都市計画

ウルリケン山からのベルゲン市街の眺め

ベルゲンの中心部は自治体内の西側に位置しバイフィヨルド(Byfjorden)に面している。数の定義で問題があるがベルゲンは7人娘の愛称で知られる山に市街地が囲まれている。ベルゲンの市街地は北、西、南側にそれぞれ広がり東側は大山塊となっている。市中心部の郊外や近隣の街区に1950年代より造られ始めたまばらな住宅地に大部分の人は居住している。その間、いくつかは高層住宅やテラスハウスなどが占めるようになってきた。他には単身者の住宅も占めている。[21]

中心部のトルゲアルメンニンゲン

ベルゲンの旧市街は中心部のベルゲン港(Vågen)周辺である。もともとは湾の東側が中心部となっていたが、ベルゲンの拡大によって西や南に広がった。古い時代の建物は少し残されており聖マリア教会はもっとも重要な建物で12世紀以来のものである。数百年間にわたりベルゲンの市街の範囲はほぼ一定であった。人口増加は停滞し都市の範囲も狭いものであった。[22] 1702年にベルゲンは大火に見舞われ、ほとんどのベルゲンの古い建物はその後中世のスタイルで建て直されたブリッゲンを含めこの火災の後に建てられたものである。火はタールで覆われた家や丸太で出来た住居にとくに燃え広がり、ペンキの塗られたものやいくつかの煉瓦で覆われた木の住宅にも広がった。.[23]

フィリングスダレンの現代的な住宅地

19世紀後半急速に町は拡張と近代化が行われた。1855年のトルゲアルメンニンゲンでの火災は市中心部に整然とした大きさの市街の開発を生じさせた。都市の範囲が1876年に拡張しニゴルド(Nygård)、メフレンプリス(Møhlenpris)、サンドヴィンケン(Sandviken)では都市化と大規模な住宅地区の建設が貧しい箇所、富裕な箇所両方で行われた。[24] 建築家たちは歴史主義建築古典主義アール・ヌーヴォーなど様々な建築様式から影響を受けた。[25] 富裕層はヴィラをメフレンプリスとニゴルドの間とフロイエンに建て、1876年にベルゲンに加えた。都市かは同時にオルスタンドのソルヘイムスヴィンケンでも起こった。これらの自治体は当時、ベルゲンの外側の自治体で産業集積の中心となる地区であった。[26] 労働者の住宅は乏しい状態で建てられ、1960年代から1980年代のに行われた大規模な再開発後も少し残っていた。

オルスタンドがベルゲンの一部となった1916年に新しい地区の開発が認可され、市内のいくつかの街区も同様に計画された。多くの労働者階級が持ち家を建て、多くが小さく分離したアパートメントとして建てられた。第二次世界大戦後、ベルゲンでは当初の計画に反して大規模な高層住宅をランドス(Landås)に1950年代から1960年代に建築している。ベルゲンは1955年、フィリングスダレン([Fyllingsdalen)をファナ自治体から取得した。フィリングスダレンはモダンな高層住宅と単身者世帯の住宅が開発され、1960年代と1970年代に同様の開発がベルゲン市外の郊外で行われている。[27]

ベルゲン旧市街の狭い通り

同時期、ニュータウンの拡張計画がベルゲン市内で行われ、郊外の拡張された自治体は急速に成長した。ベルゲンの富裕層の市民は19世紀以来、ファナに居住しているが都市の拡張によりより手頃な住宅地の自治体となってきた。同様の進展はオサネやラクセヴォグでも起こっていた。ほとんどの住宅は戸建てのテラスハウスや単身者用の住宅か小規模なアパートメントであった。[27]1972年以来、周辺の自治体とベルゲンは大規模な合併が行われ大規模な開発方法は継続された。しかし、自治体は商業地近くやベルゲンライトレールの将来出来る駅近くに集中させる方法を奨励している。[28][29]

1950年代から1960年代の大規模な近代化の波は第二次世界大戦におけるダメージによるもので地元の行政当局は大胆な開発や再建計画をベルゲン中心部の多くの地区で立てた。計画にはいくつかの木造住宅の取り壊しも含まれていた。NordnesMarkenStølenといくつかの計画が立てられたが 戦争でももっとも被害を受けた Nordnesだけが実行された。1964年のベルゲン市議会ではMarken全域を取り壊すことに議決したが、強い異論により1974年には戻されている。ブリッゲンは1955年の火災により一部の建物が焼失しその後、その一部か全てが取り壊される危機にあった。その後代わりに破壊するのではなく、残りの建物は最終的に復元し焼けた建物のいくつかの再建も伴った。[27] 古い建物の解体はまだ時折起こっており、ごく最近の事例はJonsvollskvartaletがある。[30]

教育

ベルゲン市内には64校の小学校[31] 、18校の中学校[32]、20校の高校[33] があり、同様にベルゲンでは11校が小中一貫校である。[34] ベルゲンカセドラルスクール (enはベルゲンでは一番古くに設立された学校で、1153年にハドリアヌス4世により設立された。[35]

ベルゲン大学は16,000人の学生と3,000人のスタッフでノルウェーでは3番目に大きい教育機関である。[36]大学の創設は1946年と比較的新しいが、調査研究活動はベルゲン博物館として1825年に遡る。大学には、卓越した気候学、石油、中世的信仰の3つの国立センターと幅広い学部、研究などの学問分野がある。[37]メインとなるキャンパスは市中心部にある。大学は医療研究内で協同してハイクラン大学病院を運営している。 Chr. Michelsen Institute (enは独立した研究機関として1930年に設立され人権や開発問題に特化した研究を行っている。[38]ベルゲン大学カレッジ (enは6,000人の学生と600人のスタッフが在籍する。[39] 教職、工学、健康管理などプロフェッショナルの教育に特化している。カレッジは1994年に統合し創設された。キャンパスは町の周辺に広がっているが、計画では市内のクロンスタント (enに新しくキャンパスが新設されそこにまとめられる。ノルウェー経済校 (enは郊外のサンドヴィケン (enにあるノルウェーをリードするビジネススクールである。[40]このビジネススクールは3人のノーベル経済学賞の受賞者を輩出している。[41] 約2,700人の学生と350人のスタッフが在籍する。[42]他の教育機関としてベルゲン建築学校 (enやベルゲン国立アートアカデミー (enなどは市の中心部にあり300人の学生がおり[43]、ノルウェー海軍アカデミー (enはラクセヴォグにある。ノルウェー海洋研究機関 (enは1900年以来ベルゲンにあり、生態系や養殖に関する研究や提言を行い700名のスタッフが在籍する。[44]

経済

ベルゲンのショッピングストリート ストラント通り

2004年8月にベルゲンはアメリカのニュース雑誌タイムが名付けたヨーロッパの14の隠れた首都(Europe's 14 "secret capitals")の一つとされた。[45]

ベルゲンは海洋ビジネスに関しての中心地として認められており、魚介類の養殖、ヨーロッパでは2番目の規模で先進的な海洋研究所(IMR)がある。ベルゲンはノルウェー海軍の中心的な基地であるハーコンスヴァーン海軍基地ベルゲン空港にある広大なノルウェーの北海油田やガス産業のメインとなるヘリポートがあり、ここから何千もの油田やガス田で働く勤務者を送り出している。[46]

ノルウェーでは最大規模のショッピングセンターであるラグーンショッピングセンター(Lagunen Storsenter)がファナにあり、毎年25億4千万ノルウェー・クローナの売り上げがあり、520万人の買い物客が訪れる。

観光はベルゲンにとって重要な収入源となっている。ベルゲン市内のホテルは満室になっている場合があり[47][48]、これは観光客数の増大と会議の増加による。2006年9月にローリング・ストーンズのコンサートが開かれた時、多くのホテルは既に数ヶ月も前から満室であった。[49] ベルゲンは非公式ながらヴェストラン(ノルウェー西部地方)の主都として見なされており、世界的に有名なノルウェーフィヨルドの玄関口としてヨーロッパでも随一のノルウェーでは最大のクルーズ船の寄港地となっている。

[50]

ベルゲンのオフィスビル群

交通

ベルゲンライトレールヴァリオアトラム ビーパルケン電停
ベルゲン駅

航空

ベルゲン空港が中心部から約18 kilometers (11 mi)離れたフレスランドにある。[51]2011年現在、空港はノルウェー交通・通信省が出資する運営会社アヴィノルによって運営されており、年間560万人の旅客数を有する。[52]ベルゲン空港はスカンジナビア航空ノルウェー・エアシャトルヴィデロー航空のハブ空港となっており、ノルウェー国内20都市、海外53都市に就航している。[53]夏の最繁忙期には日本からもチャーター便が就航し、多くの観光客が利用する。[54]

ベルゲン空港

港湾

ベルゲン港はベルゲン市を含む周辺自治体で組織する管理当局であるベルゲン港湾局 (enにより運営されノルウェーでは最大の港である。[55]2011年には264隻のクルーズ船により350,248人の観光客を集めている。[56] 2009年現在、ベルゲン港は5600万トンの貨物を取り扱い、ヨーロッパでは9番目に取り扱い量が多い港となっている。[57]ベルゲン港には市中心部から離れた場所に港を移転させる計画もあるが、未だに新しい場所は選ばれていない。[58]フィヨルドライン (enによりクルーズ客船がデンマークヒァツハルスに向け運航されている。ベルゲンは沿岸急行船フッティルーテン (enの南側のターミナルで、毎日キルケネスに向け定期便が運航されている。[51] 双胴船が南方向のハウゲスンスタヴァンゲル[59]北方向のソグネ・フィヨルドノール・フィヨルドに向け運航されている。[60]

ソトラ橋

道路

フロイエン山を登るフロイエンケーブルカー

ベルゲン市の周辺部には自動で車の通行料を収受するETCのシステムがあり、オートパス (enと呼ばれている。[61]幹線道路は欧州自動車道路39号線(E39)がベルゲン市域を南北に通りE16が東方向に進み、国道555号線(Riksvei 555)が西方向へ進んでいる。ノルトホラント橋 (en[62]オスケイ橋 (en[63]ソトラ橋 (en[64]オステレイ橋 (enなどベルゲンにある4つの主要な橋により近隣の自治体と結ばれている。ビュレイとはビュレイトンネルを経由結ばれている。[65]

鉄道

ベルゲン駅オスロから496kmを走り抜けて来たベルゲン線の終着駅である。[66] ノルウェー国鉄によりベルゲンとオスロを結ぶ特急列車やベルゲンとヴォスの間を結ぶベルゲン通勤鉄道が運行されている。ベルゲンとアーナ駅との間で終日にわたり30分間隔で途中のウルリケントンネルを通り電車が運行され鉄道によるベルゲン都市圏の旅客輸送が担われている。この区間は並行して走る道路トンネルが無く、車はオサネ(Åsane)を経由しなければならない。[67]

公共交通

ホルダラン県の公共交通はホルダラン県が出資するシェイス (enにより運営されベルゲンを始め、周辺自治体に路線バス網が広がっており[68]トロリーバス1系統も含まれる。[69]ベルゲンライトレールと呼ばれるトラムが市中心部とネストゥン(Nestun)の間を2010年から結んでいる。[70]今後の予定では2013年にローダル(Rådal)、2015年にベルゲン空港まで延伸される予定である。[71]トラムの路線拡張はその後も各行政区で行われる予定である。[72]市中心部とフロイエン山山頂がケーブルカーによって結ばれている。近郊のウルリケン山はロープウェイにより麓と結ばれている。

文化

メディア

Bergens Tidende(BT)とBergensavisen(BA)はベルゲンではそれぞれ2006年現在87,076部、30,719部と発行部数が最大の新聞である。[73] BTはホルダラン県ソグン・オ・フィヨーラネ県をカバーする地方紙で、BAはベルゲン大都市圏に特化している。他にベルゲンで発行されている新聞にはキリスト教系の Christian nationalとDagenがあり発行部数は8,936部[73] あり、TradeWindsは国際的な海運の業界紙である。ファナにはFanaposten、アーナにはBygdanyttそれぞれ地元のローカル紙がある。テレビ局ではノルウェーでは最大のベルゲンを拠点とするTV2がある。

芸術・演劇

グリーグホールは1978年に完成し1,500席を備えるベルゲンのメインとなる文化施設で[74]、1765年に設立されたベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団[75]ベルゲン・ウッドウィントクインテットが本拠地としている。ダンスの一団Carte Blancheもまたベルゲンを代表するものである。毎年開催されるベルゲン国際フェスティバル (enはベルゲンのメインとなる文化行事で、ベルゲン国際映画フェスティバル (enがそれを補完する。ベルゲンからは二人の世界的に著名な作曲家であるエドヴァルド・グリーグオーレ・ブルを輩出している。グリーグの家であるトロルハウゲン (enは博物館になっており、ベルゲン国際フェスティバルの開催時にはコンサートが行われる。1990年代後半から2000年代前半にかけベルゲンからはポップやロック、ブラックメタルなどの分野からアーティストを輩出し成功し[76]、これらはまとめてベルゲンウエーブとして知られている。[77][78]ベルゲン出身の音楽グループではバーズムゴルゴロストーケエンスレイヴドキングス・オブ・コンビニエンスなどがノルウェーを始め世界的に知られている。

国立劇場(Den Nationale Scene)はベルゲンのメインとなる劇場で1850年に設立されヘンリック・イプセンは芸術監督して最初に作成し上演している。ベルゲンの近代美術と現代美術BIT TeatergarasjenUnited Sardines FactoryBergen Center for Electronic Artsが中心となっている。2000年にはベルゲンは欧州文化首都であった。[79]Buekorps (enはベルゲンの文化を特徴付けるもので、7歳から21歳までの青少年が模造品の武器とスネアドラムで行進する。[80][81]

スポーツ

SKブランはベルゲンに本拠地を置くサッカークラブチームでノルウェーのプロ1部リーグエリテセリエンのチームで設立は1908年である。1963年からは7年だけ1部リーグであったが、1987年からはコンスタントに1部リーグに残留している。1961-62年と1963年、2007年のリーグ優勝チームでありref name="gulleteheme">Ole Ivar Store (2007年). “- Gratulerer, Brann!” (Norwegian). Norges Fotballforbund. 2007年10月22日閲覧。</ref>UEFAカップウィナーズカップ 1996-97では準々決勝まで進んでいる。SKブランは収容人数17,824人のブランスタディオン (enでプレーしている。[82]FK Fyllingsdalen (enはベルゲンでは2番目に良く知られたチームで、ノルウェー2部リーグに属する。1990年、1991年、1993年には1部リーグに属していた。Arna-Bjørnar (enIL Sandviken (enはサッカー女子1部リーグ (enに属する。 Bergen IK (enはアイスホッケーのクラブチームでBergenshallenでプレーし、1部リーグに属する。ベルゲンには他にもハンドボールのクラブチーム等がある。

ベルゲンの言葉

バルゲンスキ (enと呼ばれるベルゲンの地元の言葉はノルウェー西部の方言の一種である。この言葉は14世紀半ばから18世紀にかけてやって来た商人が使っていた低地ドイツ語の影響を強く受けている。1536年から1814年にかけてのデンマーク=ノルウェー時代にベルゲンでは他のノルウェーの地域に比べてより強いデンマーク語の影響を受けていた。デンマーク語の影響は女性性 (文法)を16世紀に取り除き、ノルウェーの方言では数少ない3つの性文法のうち2つしかないバルゲンスキを作っている。Rsはフランス語のような口蓋垂ふるえ音でおそらくベルゲンで18世紀の長い間、2、3代かけて歯茎ふるえ音を追い越した。識字率が改善し、バルゲンスキは19世紀から20世紀にブークモールの影響を受けた。これは大部分でドイツ語のつながった語彙の消滅と、発音が東ノルウェー方言に向かってわずかにシフトしている。[83]

ゆかりの人物

姉妹都市

ベルゲンは複数の姉妹都市を有している:

関連項目

脚注

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外部リンク

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