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[[ファイル:Midorogaoke1 Kyoto,JAPAN.jpg|thumb|right|250px|深泥池北東を望む]]
[[ファイル:Midorogaoke1 Kyoto,JAPAN.jpg|thumb|right|400px|深泥池 北東に控える高山を望む]]
'''深泥池'''(みどろがいけ、みぞろがいけ)は、[[京都市]][[北区 (京都市)|北区]][[上賀茂]]深泥池町にある[[池]]および[[湿地]]である。'''深泥ケ池'''とも記す。
[[ファイル:Midorogaoke2 Kyoto,JAPAN.jpg|thumb|right|250px|深泥池(南を望む)]]

'''深泥池'''(みどろがいけ、みぞろがいけ)は、[[日本]]にある[[池]]<!--WP:POV-->。[[京都府]][[京都市]][[北区 (京都市)|北区]][[上賀茂]]深泥池町に所在する。俗に'''深泥ヶ池'''などとも記す。


== 概要 ==
== 概要 ==
周囲は約1540m、[[面積]]は約9.2haで、池の中央に[[浮島]]が存在する。この深泥池に流入する[[河川]]はなく、[[雨|雨水]]のみにより保たれている。周囲は標高200mを下回る小高い山々<ref group="†">池の北西側をケシ山、東側を高山、チンコ山、南側を西山にそれぞれ囲まれている。</ref>に囲まれており、南西端のみが開けて低地に面している。その形態から、およそ1万年前までに、池の南西部にできた開析谷(かいせきこく)<ref group="†">台地の末端部分が断層活動や水流による侵食で、がけ崩れが繰り返し発生してできた谷をいう。</ref>の出口が、[[鴨川 (淀川水系)|鴨川]](賀茂川)の扇状地堆積物([[砕屑物]])によって塞き止められ、自然堤防の原型が造り上がって、深泥池の形状を今日までほぼ保ってきたと考えられている<ref name="ns2008_k5">[[#西村2008|西村2008]] p.52:『京都五億年の旅』(地学団体研究会京都支部、法律文化社、1979年)p.163</ref><ref name="kenkyukai">[http://www.jca.apc.org/~non/introduction.html 深泥池水生生物研究会 市民が誇れる京都最古の自然-深泥池-]</ref>。また、この時期の[[最終氷期]]の地層から、[[地質調査]]によって[[ミツガシワ]]の花粉が確認された。
周囲は約1.5[[キロメートル]]、[[面積]]は約9[[ヘクタール]]で、中央には[[浮島]]が存在する。


なお、この場所には人工の堤防が築かれている。『愛宕郡村志』によれば「古代に於いて用水の為に造築」されたといい<ref>[[#京都地名3|京都地名3]] p.86</ref>、6世紀前後に上述の自然堤防の上に人工堤防を構築したことに始まったものとされる<ref name="ns2008_k5"/>。
[[氷河期]]<ref>一般的には「氷河期」で通じるが、[[地質学]]的厳密性を背負えば、[[現世 (地球科学)|現世]]も含む[[新生代]]氷河期のうちの[[最終氷期]](ヴュルム氷期)。</ref>からの生き残りとされる生物と温暖地に生息する生物が共存しており、学術的にも貴重な池である。[[1927年]]([[昭和]]2年)6月14日に、[[植生#植物群落|植物群落]]が「深泥池水生植物群」として[[天然記念物#日本における天然記念物|国の天然記念物]]に指定され、その後、[[1988年]](昭和63年)に「深泥池生物群集」として[[生物群集]]全体に対象が広げられている。また、[[2002年]](平成14年)に発刊された[[京都府レッドデータブック]]には「[[要継続保護]]」として掲載されている<ref>{{Cite web |url=http://www.kyobunka.or.jp/isan/ten1.html |title=深泥池生物群集 - 京の自然遺産 |work=公式ウェブサイト |publisher=京都市文化観光資源保護財団 |accessdate=2008年11月9日}}</ref>。

== 歴史 ==
=== 名称の変遷 ===
[[ファイル:Midorogaike Jizodo.JPG|thumb|right|320px|深泥池地蔵堂 二代目地蔵尊が奉納されている]]
[[平安時代]]前期、[[菅原道真]]によって編纂された『[[類聚国史]]』の中に、「([[淳和天皇]]が)[[天長]]六年([[829年]])十月十日、'''泥濘池'''に幸(みゆき)し、水鳥を羅(あみ)で猟(かり)す」とある。この「泥濘池」(泥が滞った池)が深泥池を指すものとされる。中期から後期にかけては、『和泉式部続集』に「名を聞けば 影だに見えじ みどろ池」、『[[小右記]]』に「美度呂池」<ref>[[#京都地名3|京都地名3]] p.86:[[寛仁]]2年([[1018年]])11月25日条</ref>、『[[親長卿記]]』に「美曽呂池」とそれぞれ記されている。

平安時代末期に編まれた歌謡集『[[梁塵秘抄]]』には、「いづれか[[貴船]]へ参る道、賀茂川箕里(みのさと)'''御菩薩池'''(みどろいけ)、御菩薩坂」とある。この時期から、深泥池は「京の六地蔵巡り」の一か所となり、地蔵信仰の霊地としてあがめられてきた<ref group="†">六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)の入り口にそれぞれ地蔵がおり、京都の境の街道口に祀られた六地蔵の巡る供養を行うことで、物故者が六道の流転から救われるとされた。</ref>。

[[室町時代]]後期の上杉家本『洛中洛外図』には「みそろいけ」の西側湖畔に「美曽呂関所」<ref group="†">[[鞍馬寺]]仁王門横の説明板によると、[[後醍醐天皇]]が鞍馬寺の僧に、[[足利尊氏]]軍の[[若狭国]]からの南下を阻止する命令を下したとされ、深泥池湖畔の道が若狭へ通じる街道として通じていたことを示している。</ref>と、その横に「ぢさうたう」(地蔵堂)が描かれている<ref>[[#京都地名3|京都地名3]] p.87:『上杉家本「洛中洛外図」』(米沢市上杉博物館蔵)の「みそろ池」</ref>。

[[江戸時代]]に編まれた書物『洛陽名所集』([[1658年]])、『扶桑京華志』([[1665年]])、『京羽二重』([[1685年]]、振り仮名「みぞろいけ」)、『山州名跡志』([[1711年]]、振り仮名「みどろいけ」「御ゾロ池」)など多くの資料中で、引き続き深泥池を「御菩薩池」と記しており、近世までの一般的な表記であったものと推察できる<ref>[[#京都地名2|京都地名2]] p.312</ref>。

上述の『扶桑京華志』には「御菩薩池、一に深泥池又御泥池と作る」とあり、「深泥池」という名称自体は江戸時代に存在していたと考えられる。池周辺の地は[[賀茂別雷神社]](上賀茂神社)の所領であったため、「御菩薩池」の名のもとになった地蔵菩薩は、明治時代の[[神仏分離|神仏分離令]]で[[上善寺]]に移された<ref>[[#京都地名3|京都地名3]] p.89</ref>。この時期を境に現在の「深泥池」という名称が一般化した。

=== 読み方について ===
[[ファイル:Midorogaike Jizodo2.JPG|thumb|right|220px|深泥池地蔵堂に掲げられる御詠歌額 「みぞろ池」と表記されている]]
「深泥池」の読みは、「み'''ど'''ろ(が)いけ」「み'''ぞ'''ろ(が)いけ」の二通りが存在し、公私ともに、特段の統一がなされていない。歴史的にも上述の通り、それぞれの振り仮名が使われ、混用されていた。

『類聚国史』書中の「泥濘」について、観智院本『[[類聚名義抄]]』によると、古訓は「ミソコル」とされる。ミソは「溝」、一般的に人工水路を意味するが、もとは山中から谷に出てくる自然の流れのことを示した。コルは滞る意味の「凝」である。時代を経ていつしか水流が滞り、池の水が泥になった。『大日本地名辞書』(吉田東伍著、冨山房書店)には「御泥池 真泥(みどろ)の義也」と記されている。この「泥」(どろ)自体に着目するか、池古来の水流「溝」(みぞ)に着目するかの違いがもとで、両方の読みが残ったと考えられる<ref>[[#京都地名3|京都地名3]] pp.86-89</ref>。

ちなみに、文化庁に登録されている名称は「み'''ど'''ろがいけ」であり、付近の地名「上賀茂深泥池町」「松ケ崎深泥池端」も、「かみがもみ'''ど'''ろいけちょう」「まつがさきみ'''ど'''ろいけばた」と読む。一方、『京童』([[1658年]])<ref>[[#西村2008|西村2008]] p.109:『新修京都叢書1』(新修京都叢書刊行会、光彩社、1967年)p.65、『新修京都叢書1』(野間光辰、臨川書店、1967年)p.63</ref>、『都名所車』([[1714年]])<ref>[[#西村2008|西村2008]] pp.114-116:『新修京都叢書9』(新修京都叢書刊行会、光彩社、1968年)p.468、『新修京都叢書5』(野間光辰、臨川書店、1968年)p.514</ref>、『京城勝覧』([[1718年]])<ref>[[#西村2008|西村2008]] pp.114-116:『新修京都叢書5』(新修京都叢書刊行会、光彩社、1968年)p.485、『新修京都叢書12』(野間光辰、臨川書店、1971年)p.645</ref>、地蔵堂正面の御詠歌額からは、それぞれ「み'''ぞ'''ろ池」と記されていることから、地元では「み'''ぞ'''ろ(が)いけ」の読みで親しまれてきたことが分かる。

== 深泥池生物群集 ==
[[氷河期]]<ref group="†">一般的には「氷河期」で通じるが、[[地質学]]的厳密性を背負えば、[[現世 (地球科学)|現世]]も含む[[新生代]]氷河期のうちの[[最終氷期]](ヴュルム氷期)。</ref>からの生き残りとされる生物と、温暖地に生息する生物が共存しており、学術的にも貴重な池として著名である。

[[1927年]]([[昭和]]2年)6月14日に、[[植生#植物群落|植物群落]]が「深泥池水生植物群」として[[天然記念物#日本における天然記念物|国の天然記念物]]に指定され、その後、[[1988年]](昭和63年)に「深泥池生物群集」として[[生物群集]]全体に対象が広げられている。また、[[2002年]]([[平成]]14年)に発刊された[[京都府レッドデータブック]]には「要継続保護」として掲載されている<ref>{{Cite web |url=http://www.kyobunka.or.jp/isan/ten1.html |title=深泥池生物群集 - 京の自然遺産 |publisher=京都市文化観光資源保護財団 |accessdate=2008年11月9日}}</ref>。


== 生息する動植物 ==
== 生息する動植物 ==
=== 浮島と高層湿原(ミズゴケ湿原) ===
[[ミツガシワ]]や[[ホロムイソウ]]のような寒冷地に分布する[[植物]]や、[[ジュンサイ]]のような各地に自生するような植物、[[タヌキモ属|タヌキモ]] ([[w:Utricularia|en]]) や[[モウセンゴケ]]のような[[食虫植物]]、[[ヌマガヤ]]([[学名]]:''Moliniopsis japonica'')や[[イヌノハナゴケ]]といった[[湿原#高層湿原|高層湿原]]の構成種など、様々な植物が共存している。
[[ファイル:Midorogaoke2 Kyoto,JAPAN.jpg|thumb|right|320px|深泥池に広がる高層湿原]]
深泥池の南側から水域を隔てた池の中央部分に、池全体の3分の1を占める浮島が存在する。この下には水の流れがあり、島が池に浮いていることが確認されている。この浮島は、標高が水面とほぼ等しいほか、[[窒素]]や[[リン]]などの[[ミネラル|無機塩類]]がほとんど含まれない貧栄養性の湿原が広がる。ここでは有機物の分解が進まず、枯死した植物が堆積していくために、[[コケ植物|コケ類]]を始め多様な植物が生育する絶好の場となっている<ref name="kenkyukai" />。


浮島は夏になると浮かび上がり、冬には沈んで冠水する動きを見せる。この特徴により、多様な植物が生育している<ref name="bunka">{{PDFlink|[http://www.kyobunka.or.jp/gaiyou/shiseki_pdf/midorogaike.pdf 京都市文化市民局 深泥池]}}</ref>。[[ミツガシワ]]や[[ホロムイソウ]]のような寒冷地に分布する植物や、[[ジュンサイ]]のような各地に自生する植物、[[タヌキモ属|タヌキモ]] ([[w:Utricularia|en]]) や[[モウセンゴケ]]のような[[食虫植物]]、オオミズゴケ、ハリミズゴケ、ヌマガヤ([[学名]]:''Moliniopsis japonica'')、イヌノハナゴケ、モウセンゴケといった[[湿原#高層湿原|高層湿原]](ミズゴケ湿原)の構成種が共存している<ref name="reddata">[http://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/geo/db/sur0077.html 京都府レッドデータブック 深泥池]</ref>。
また、[[スジエビ]]、[[ヨシノボリ]]、[[クサガメ]]、[[ニホンイシガメ]]などといった[[動物]]も生息している。このほか、日本に分布する約200種の[[トンボ]]のうち約50種が生息しているという。[[1930年]](昭和5年)に日本で初めて[[ミズグモ]]が発見された場所であり、[[本州]]以南で数少ない生息地の一つである。


また、約60種に上る[[トンボ]]<ref group="†">日本に分布するトンボは約200種存在しており、その4分の1以上が当区域に生息している。</ref>を始め、[[フナ]]、[[ヨシノボリ]]、[[スジエビ]]、[[クサガメ]]、[[ニホンイシガメ]]などの池に生息する動物や、[[ヒドリガモ]]や[[ルリビタキ]]を始めとした、晩冬期を中心に170種の野鳥の飛来が確認されている<ref>[http://ecol.zool.kyoto-u.ac.jp/homepage/serow/essays/miniguide.html 京都自然観察地ミニガイド]</ref>。[[1930年]](昭和5年)には、日本で初めて[[ミズグモ]]が発見されるなど、希少動物にとっての数少ない生息地でもある<ref name="kenkyukai2">[http://www.jca.apc.org/~non/species/index.html 深泥池水生生物研究会 深泥池周辺に住んでる生き物たち]</ref>。
=== 外来種の影響 ===
[[ナガバオモダカ]](学名:''Sagittaria graminea''。[[cf#cf|''cf.'']] [[オモダカ属]])、[[キショウブ]]などの植物や、[[ブルーギル]]や[[オオクチバス]]、[[ワニガメ]]、[[アカミミガメ]]などの[[外来種]]が問題視されている。これらは繁殖力が強く、[[生態系]]に悪影響を与えているとされ、事実、[[メダカ]]や[[タモロコ]]など、いくつかの[[在来種]]が[[食物連鎖|食物網]](特に[[捕食-被食関係]])の変化によって姿を消している。また、[[北大路魯山人]]が「特別な優品」と評した[[ジュンサイ]]は、[[ルアーフィッシング]]の妨げになるとの事由によって刈り取られるなどされ、あまり見かけなくなってしまった時期もある。このため、定期的に地元の人や研究者によって在来種の調査や、外来種の駆除を行っている。


== アクセス ==
=== 池の周囲 ===
[[ファイル:Midorogaike02.JPG|thumb|right|320px|深泥池畔に咲く白いカキツバタ]]
* 所在地 :[[京都府]][[京都市]][[北区 (京都市)|北区]][[上賀茂]]深泥池町
春になると[[ミツガシワ]]の白い花が咲く中を、[[ニホンミツバチ]]や[[ハナアブ]](ハナダカマガリモンハナアブ)が、花粉や密を食べながら送粉の役割を果たして飛び回る。5月には主に白色の[[カキツバタ]]<ref group="†">「[[大田神社 (京都市)#大田ノ沢のカキツバタ群落|大田ノ沢のカキツバタ群落]]」にて紫色の花をつけるカキツバタとは対照的である。</ref>や赤色の[[トキソウ]]が、秋には青色の[[サワギキョウ]]が咲き競う<ref name="kenkyukai" /><ref name="reddata" />。また、池の集水域となる周辺の山々には、[[コナラ]]、[[アベマキ]]などの落葉樹、[[アカマツ]]などの常緑樹による林が形成されている<ref name="bunka" />。
; 鉄道
* {{color|#3a204b|■}}[[京都市営地下鉄]] {{color|#3cb371|■}}[[京都市営地下鉄烏丸線|烏丸線]] {{color|#3cb371|■}}[[北山駅 (京都府)|北山駅]]から徒歩。
; 自動車道
* [[路線バス]]は、[[京都市営バス]]・[[京都バス]]ともに深泥池[[バス停留所|バス停]]から徒歩。


=== 外来種の影響 ===
池の西側を走る道路の幅は1.5車線- 2車線程度と狭い割に交通量が多い。また、大型の路線バスも通行している。
[[オモダカ属|ナガバオモダカ]](学名:''Sagittaria graminea'' )、[[キショウブ]]などの植物や、[[ブルーギル]]、[[オオクチバス]]、[[ワニガメ]]、[[アカミミガメ]]などの[[外来種]]が問題視されている。これらは繁殖力が強く、[[生態系]]に悪影響を与えているとされ、[[メダカ]]や[[タモロコ]]など、いくつかの[[在来種]]が[[食物連鎖|食物網]](特に[[捕食-被食関係]])の変化によって姿を消している<ref name="kenkyukai2" /><ref>[http://net1010.net/2010/06/post_1828.php 京都九条山 自然観察日記 キショウブ]</ref>。


また、[[北大路魯山人]]が「京の洛北深泥池の産が飛切りである。これは特別な優品」と評した[[ジュンサイ]]は、初夏から秋にかけて暗紅紫色の花を咲かせる。かつて、深泥池の水質悪化、外来種植物の繁殖が影響したほか、[[ルアーフィッシング]]の妨げになると刈り取られたことから、ほとんど見らけなくなった時期もあった。このため、地元住民や研究者らが、定期的に在来種の調査や外来種の駆除を行うなど、生物群集の生育に適した水質改善に取り組んでいる<ref name="asahi">[http://www.asahi.com/eco/OSK201002050035.html 朝日新聞社2010年2月25日「魯山人絶賛のジュンサイ、再生 京都・深泥池、環境改善」]</ref>。
; 近隣の名所・施設
* [[宝が池公園|宝が池(宝が池公園)]]、および、[[国立京都国際会館]]
* [[鴨川 (淀川水系)|賀茂川]]、および、[[上賀茂神社]]
* [[円通寺 (京都市)|円通寺]]


== 特記事項 ==
== 特記事項 ==
[[ファイル:Midorogaike01.JPG|thumb|right|320px|深泥池に沿う市道岩倉上賀茂線]]
=== 道路拡幅計画 ===
[[1985年]](昭和60年)、[[左京区]][[岩倉 (京都市)|岩倉]]地域住民らにより、深泥池の北西側に沿って延びる市道岩倉上賀茂線の道路整備が望まれた。この請願申請が京都市議会へ提出されたことにより、[[1990年]](平成2年)に池を埋立てて道路拡幅を行う計画が持ち出され、深泥池やその周囲の自然環境をどう保全するかの論議が湧きおこった<ref group="†">「都市計画実現上の大きな課題となる『天然記念物深泥池』に影響するため、存続することは困難」と評価している。</ref><ref>{{PDFlink|[https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000090/90165/2.3.113-1.pdf 都市計画道路 評価カルテ 路線名:Ⅱ・Ⅲ・113 岩倉上賀茂線 平成22年3月26日]}} </ref><ref name="kyotonp">[http://www.kyoto-np.co.jp/kp/cop3/net/net20.html 京都新聞社 広がれ環境ネット<20>深泥池を守る会]</ref>。なお、[[1997年]](平成9年)に京都市が地元の地権者から池を買い上げている<ref name="asahi" /><ref>[http://everkyoto.web.fc2.com/report11.html 京都鴨川風光 深泥池]</ref>。

=== 市民団体 ===
[[1965年]](昭和40年)以来、地元住民を中心とする「'''深泥池を美しくする会'''」が環境保護に資する活動を続けている。1990年(平成2年)には、上述の道路拡幅計画を反対する立場から「'''深泥池を守る会'''」<ref name="kyotonp" />が、[[1998年]](平成10年)には、外来種の調査捕獲や植生管理をする「'''深泥池水生生物研究会'''」(当初は「深泥池水生動物研究会」)が相次いで発足した<ref name="kenkyukai" />。

=== 心霊スポット ===
=== 心霊スポット ===
[[怪談]]や[[超常現象|怪奇現象]]の舞台として有名な土地であり、古より現代に到るまで、様々な話が[[伝承]]されてい。現代的感覚では、全国的に有名な[[心霊スポット]]である。また、{{要出典範囲|この地はタクシー怪談の起源として知られている|date=2010年5月}}。<!--起源について、検証可能性を満たすソースを提示ください。-->
[[怪談]]や[[超常現象|怪奇現象]]の舞台として有名な土地であり、様々な話が[[伝承]]される<ref>[http://b-spot.seesaa.net/article/19237729.html 日本珍スポット100景-B級スポット観光ガイド- 京都最大の心霊スポット「深泥池」【京都】]</ref><ref>[http://rumor-forest.net/index.php?ID=902 噂の杜 深泥池]</ref>


== 脚注・出典 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|group=†}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
|editor = 京都地名研究会
|year = 2007
|title = 京都の地名検証2
|publisher = 勉誠出版
|isbn = 978-4-585-05139-8
|ref = 京都地名2
}}
* {{Cite book|和書
|editor = 西村勁一郎
|year = 2008
|title = 探訪 京都・上賀茂と二つの鞍馬街道-その今昔
|publisher = 西村勁一郎
|isbn = 978-4-9904198-0-6
|ref = 西村2008
}}
* {{Cite book|和書
|editor = 京都地名研究会
|year = 2010
|title =京都の地名検証3
|publisher =勉誠出版
|isbn = 978-4-585-22000-8
|ref = 京都地名3
}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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{{Col-break}}
=== 深泥池生物群集 ===
* [[日本の湖沼一覧]]
* [[日本の湖沼一覧]]
* [[浮島]]
* [[植生#植物群落]] / [[天然記念物#日本における天然記念物]]
* [[水草|湿地性植物]]
* [[植生#植物群落|植物群落]]
* [[天然記念物#日本における天然記念物|日本における天然記念物]]
{{Col-break}}
=== 近隣の名所・施設 ===
* [[賀茂別雷神社]](上賀茂神社)
* [[大田神社_(京都市)|大田神社]]
* [[上賀茂本通]]
* [[円通寺 (京都市)|円通寺]]
* [[宝が池公園]]
{{Col-end}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=401&item_id=1662 文化庁 国指定文化財等データベース 深泥池生物群集]
* {{Cite web |url=http://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/geo/db/sur0077.html
* [http://www.pref.kyoto.jp/select200/animal24.html 京都府 京都の自然200選 水生生物(ミズグモ、水生植物等)が群生し、カモ等の水鳥の飛来する深泥池]
|title=深泥池 - 京都府レッドデータブック
* [http://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/geo/db/sur0077.html 京都府レッドデータブック 深泥池]
|work=公式ウェブサイト |publisher=京都府
* [http://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/eco/rs/rs02.html 京都府レッドデータブック 深泥池の花粉分析試料に含まれる微粒炭に見る人と植生の関わりの歴史]
|accessdate=2008年3月13日}}
* [http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005655.html 京都市情報館 文化市民局 文化財保護課 深泥池]
* {{Cite web |author=竹門康弘、高井利憲
* [http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=4&ManageCode=7000060 京都観光Navi 深泥池]
|url=http://www.jca.apc.org/~non/ |title=深泥池水生生物研究会
* [http://www.kyobunka.or.jp/isan/ten1.html 京都市文化観光資源保護財団 京の自然遺産 深泥池生物群集]
|work=公式ウェブサイト |publisher=深泥池水生生物研究会
|accessdate=2008年4月22日}}

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2011年5月14日 (土) 13:20時点における版

深泥池 北東に控える高山を望む

深泥池(みどろがいけ、みぞろがいけ)は、京都市北区上賀茂深泥池町にあるおよび湿地である。深泥ケ池とも記す。

概要

周囲は約1540m、面積は約9.2haで、池の中央に浮島が存在する。この深泥池に流入する河川はなく、雨水のみにより保たれている。周囲は標高200mを下回る小高い山々[† 1]に囲まれており、南西端のみが開けて低地に面している。その形態から、およそ1万年前までに、池の南西部にできた開析谷(かいせきこく)[† 2]の出口が、鴨川(賀茂川)の扇状地堆積物(砕屑物)によって塞き止められ、自然堤防の原型が造り上がって、深泥池の形状を今日までほぼ保ってきたと考えられている[1][2]。また、この時期の最終氷期の地層から、地質調査によってミツガシワの花粉が確認された。

なお、この場所には人工の堤防が築かれている。『愛宕郡村志』によれば「古代に於いて用水の為に造築」されたといい[3]、6世紀前後に上述の自然堤防の上に人工堤防を構築したことに始まったものとされる[1]

歴史

名称の変遷

深泥池地蔵堂 二代目地蔵尊が奉納されている

平安時代前期、菅原道真によって編纂された『類聚国史』の中に、「(淳和天皇が)天長六年(829年)十月十日、泥濘池に幸(みゆき)し、水鳥を羅(あみ)で猟(かり)す」とある。この「泥濘池」(泥が滞った池)が深泥池を指すものとされる。中期から後期にかけては、『和泉式部続集』に「名を聞けば 影だに見えじ みどろ池」、『小右記』に「美度呂池」[4]、『親長卿記』に「美曽呂池」とそれぞれ記されている。

平安時代末期に編まれた歌謡集『梁塵秘抄』には、「いづれか貴船へ参る道、賀茂川箕里(みのさと)御菩薩池(みどろいけ)、御菩薩坂」とある。この時期から、深泥池は「京の六地蔵巡り」の一か所となり、地蔵信仰の霊地としてあがめられてきた[† 3]

室町時代後期の上杉家本『洛中洛外図』には「みそろいけ」の西側湖畔に「美曽呂関所」[† 4]と、その横に「ぢさうたう」(地蔵堂)が描かれている[5]

江戸時代に編まれた書物『洛陽名所集』(1658年)、『扶桑京華志』(1665年)、『京羽二重』(1685年、振り仮名「みぞろいけ」)、『山州名跡志』(1711年、振り仮名「みどろいけ」「御ゾロ池」)など多くの資料中で、引き続き深泥池を「御菩薩池」と記しており、近世までの一般的な表記であったものと推察できる[6]

上述の『扶桑京華志』には「御菩薩池、一に深泥池又御泥池と作る」とあり、「深泥池」という名称自体は江戸時代に存在していたと考えられる。池周辺の地は賀茂別雷神社(上賀茂神社)の所領であったため、「御菩薩池」の名のもとになった地蔵菩薩は、明治時代の神仏分離令上善寺に移された[7]。この時期を境に現在の「深泥池」という名称が一般化した。

読み方について

深泥池地蔵堂に掲げられる御詠歌額 「みぞろ池」と表記されている

「深泥池」の読みは、「みろ(が)いけ」「みろ(が)いけ」の二通りが存在し、公私ともに、特段の統一がなされていない。歴史的にも上述の通り、それぞれの振り仮名が使われ、混用されていた。

『類聚国史』書中の「泥濘」について、観智院本『類聚名義抄』によると、古訓は「ミソコル」とされる。ミソは「溝」、一般的に人工水路を意味するが、もとは山中から谷に出てくる自然の流れのことを示した。コルは滞る意味の「凝」である。時代を経ていつしか水流が滞り、池の水が泥になった。『大日本地名辞書』(吉田東伍著、冨山房書店)には「御泥池 真泥(みどろ)の義也」と記されている。この「泥」(どろ)自体に着目するか、池古来の水流「溝」(みぞ)に着目するかの違いがもとで、両方の読みが残ったと考えられる[8]

ちなみに、文化庁に登録されている名称は「みろがいけ」であり、付近の地名「上賀茂深泥池町」「松ケ崎深泥池端」も、「かみがもみろいけちょう」「まつがさきみろいけばた」と読む。一方、『京童』(1658年[9]、『都名所車』(1714年[10]、『京城勝覧』(1718年[11]、地蔵堂正面の御詠歌額からは、それぞれ「みろ池」と記されていることから、地元では「みろ(が)いけ」の読みで親しまれてきたことが分かる。

深泥池生物群集

氷河期[† 5]からの生き残りとされる生物と、温暖地に生息する生物が共存しており、学術的にも貴重な池として著名である。

1927年昭和2年)6月14日に、植物群落が「深泥池水生植物群」として国の天然記念物に指定され、その後、1988年(昭和63年)に「深泥池生物群集」として生物群集全体に対象が広げられている。また、2002年平成14年)に発刊された京都府レッドデータブックには「要継続保護」として掲載されている[12]

生息する動植物

浮島と高層湿原(ミズゴケ湿原)

深泥池に広がる高層湿原

深泥池の南側から水域を隔てた池の中央部分に、池全体の3分の1を占める浮島が存在する。この下には水の流れがあり、島が池に浮いていることが確認されている。この浮島は、標高が水面とほぼ等しいほか、窒素リンなどの無機塩類がほとんど含まれない貧栄養性の湿原が広がる。ここでは有機物の分解が進まず、枯死した植物が堆積していくために、コケ類を始め多様な植物が生育する絶好の場となっている[2]

浮島は夏になると浮かび上がり、冬には沈んで冠水する動きを見せる。この特徴により、多様な植物が生育している[13]ミツガシワホロムイソウのような寒冷地に分布する植物や、ジュンサイのような各地に自生する植物、タヌキモ (en) やモウセンゴケのような食虫植物、オオミズゴケ、ハリミズゴケ、ヌマガヤ(学名Moliniopsis japonica)、イヌノハナゴケ、モウセンゴケといった高層湿原(ミズゴケ湿原)の構成種が共存している[14]

また、約60種に上るトンボ[† 6]を始め、フナヨシノボリスジエビクサガメニホンイシガメなどの池に生息する動物や、ヒドリガモルリビタキを始めとした、晩冬期を中心に170種の野鳥の飛来が確認されている[15]1930年(昭和5年)には、日本で初めてミズグモが発見されるなど、希少動物にとっての数少ない生息地でもある[16]

池の周囲

深泥池畔に咲く白いカキツバタ

春になるとミツガシワの白い花が咲く中を、ニホンミツバチハナアブ(ハナダカマガリモンハナアブ)が、花粉や密を食べながら送粉の役割を果たして飛び回る。5月には主に白色のカキツバタ[† 7]や赤色のトキソウが、秋には青色のサワギキョウが咲き競う[2][14]。また、池の集水域となる周辺の山々には、コナラアベマキなどの落葉樹、アカマツなどの常緑樹による林が形成されている[13]

外来種の影響

ナガバオモダカ(学名:Sagittaria graminea )、キショウブなどの植物や、ブルーギルオオクチバスワニガメアカミミガメなどの外来種が問題視されている。これらは繁殖力が強く、生態系に悪影響を与えているとされ、メダカタモロコなど、いくつかの在来種食物網(特に捕食-被食関係)の変化によって姿を消している[16][17]

また、北大路魯山人が「京の洛北深泥池の産が飛切りである。これは特別な優品」と評したジュンサイは、初夏から秋にかけて暗紅紫色の花を咲かせる。かつて、深泥池の水質悪化、外来種植物の繁殖が影響したほか、ルアーフィッシングの妨げになると刈り取られたことから、ほとんど見らけなくなった時期もあった。このため、地元住民や研究者らが、定期的に在来種の調査や外来種の駆除を行うなど、生物群集の生育に適した水質改善に取り組んでいる[18]

特記事項

深泥池に沿う市道岩倉上賀茂線

道路拡幅計画

1985年(昭和60年)、左京区岩倉地域住民らにより、深泥池の北西側に沿って延びる市道岩倉上賀茂線の道路整備が望まれた。この請願申請が京都市議会へ提出されたことにより、1990年(平成2年)に池を埋立てて道路拡幅を行う計画が持ち出され、深泥池やその周囲の自然環境をどう保全するかの論議が湧きおこった[† 8][19][20]。なお、1997年(平成9年)に京都市が地元の地権者から池を買い上げている[18][21]

市民団体

1965年(昭和40年)以来、地元住民を中心とする「深泥池を美しくする会」が環境保護に資する活動を続けている。1990年(平成2年)には、上述の道路拡幅計画を反対する立場から「深泥池を守る会[20]が、1998年(平成10年)には、外来種の調査捕獲や植生管理をする「深泥池水生生物研究会」(当初は「深泥池水生動物研究会」)が相次いで発足した[2]

心霊スポット

怪談怪奇現象の舞台として有名な土地であり、様々な話が伝承される[22][23]

脚注

注釈

  1. ^ 池の北西側をケシ山、東側を高山、チンコ山、南側を西山にそれぞれ囲まれている。
  2. ^ 台地の末端部分が断層活動や水流による侵食で、がけ崩れが繰り返し発生してできた谷をいう。
  3. ^ 六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)の入り口にそれぞれ地蔵がおり、京都の境の街道口に祀られた六地蔵の巡る供養を行うことで、物故者が六道の流転から救われるとされた。
  4. ^ 鞍馬寺仁王門横の説明板によると、後醍醐天皇が鞍馬寺の僧に、足利尊氏軍の若狭国からの南下を阻止する命令を下したとされ、深泥池湖畔の道が若狭へ通じる街道として通じていたことを示している。
  5. ^ 一般的には「氷河期」で通じるが、地質学的厳密性を背負えば、現世も含む新生代氷河期のうちの最終氷期(ヴュルム氷期)。
  6. ^ 日本に分布するトンボは約200種存在しており、その4分の1以上が当区域に生息している。
  7. ^ 大田ノ沢のカキツバタ群落」にて紫色の花をつけるカキツバタとは対照的である。
  8. ^ 「都市計画実現上の大きな課題となる『天然記念物深泥池』に影響するため、存続することは困難」と評価している。

出典

  1. ^ a b 西村2008 p.52:『京都五億年の旅』(地学団体研究会京都支部、法律文化社、1979年)p.163
  2. ^ a b c d 深泥池水生生物研究会 市民が誇れる京都最古の自然-深泥池-
  3. ^ 京都地名3 p.86
  4. ^ 京都地名3 p.86:寛仁2年(1018年)11月25日条
  5. ^ 京都地名3 p.87:『上杉家本「洛中洛外図」』(米沢市上杉博物館蔵)の「みそろ池」
  6. ^ 京都地名2 p.312
  7. ^ 京都地名3 p.89
  8. ^ 京都地名3 pp.86-89
  9. ^ 西村2008 p.109:『新修京都叢書1』(新修京都叢書刊行会、光彩社、1967年)p.65、『新修京都叢書1』(野間光辰、臨川書店、1967年)p.63
  10. ^ 西村2008 pp.114-116:『新修京都叢書9』(新修京都叢書刊行会、光彩社、1968年)p.468、『新修京都叢書5』(野間光辰、臨川書店、1968年)p.514
  11. ^ 西村2008 pp.114-116:『新修京都叢書5』(新修京都叢書刊行会、光彩社、1968年)p.485、『新修京都叢書12』(野間光辰、臨川書店、1971年)p.645
  12. ^ 深泥池生物群集 - 京の自然遺産”. 京都市文化観光資源保護財団. 2008年11月9日閲覧。
  13. ^ a b 京都市文化市民局 深泥池 (PDF)
  14. ^ a b 京都府レッドデータブック 深泥池
  15. ^ 京都自然観察地ミニガイド
  16. ^ a b 深泥池水生生物研究会 深泥池周辺に住んでる生き物たち
  17. ^ 京都九条山 自然観察日記 キショウブ
  18. ^ a b 朝日新聞社2010年2月25日「魯山人絶賛のジュンサイ、再生 京都・深泥池、環境改善」
  19. ^ 都市計画道路 評価カルテ 路線名:Ⅱ・Ⅲ・113 岩倉上賀茂線 平成22年3月26日 (PDF)
  20. ^ a b 京都新聞社 広がれ環境ネット<20>深泥池を守る会
  21. ^ 京都鴨川風光 深泥池
  22. ^ 日本珍スポット100景-B級スポット観光ガイド- 京都最大の心霊スポット「深泥池」【京都】
  23. ^ 噂の杜 深泥池

参考文献

  • 京都地名研究会 編『京都の地名検証2』勉誠出版、2007年。ISBN 978-4-585-05139-8 
  • 西村勁一郎 編『探訪 京都・上賀茂と二つの鞍馬街道-その今昔』西村勁一郎、2008年。ISBN 978-4-9904198-0-6 
  • 京都地名研究会 編『京都の地名検証3』勉誠出版、2010年。ISBN 978-4-585-22000-8 

関連項目

外部リンク