永康区
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| 別称: 埔羌頭 | |
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| 地理 | |
|---|---|
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| 位置 |
北緯23°01' 東経120°14' |
| 面積: | 40.2753 km² |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 永康 |
| 日本語読み: | えいこう |
| 拼音: | Yǒngkāng |
| 注音符号: | ㄩㄥˇㄎㄤ |
| 片仮名転写: | ヨンカン |
| 台湾語: | Íng-khong |
| 客家語: | Yún-không |
| 行政 | |
| 行政区分: | 市轄区 |
| 上位行政区画: |
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| 下位行政区画: | 43里1.095鄰 |
| 永康区長: | 李皇興 |
| 公式サイト: | 永康区公所 |
| 情報 | |
| 総人口: | 235,936 人(2026年3月) |
| 世帯数: | 99,106 戸(2026年3月) |
| 郵便番号: | 710 |
| 市外局番: | 06 |


歴史
[編集]永康は1600年時代に台湾人が新港渓(現在の塩水渓)沿いに入植するための拠点として開発された。台湾人は新港渓を遡上し、南岸に集落を築き開墾に着手し、郡城(現在の台南市)から北部への交通の要衝として繁栄した。当時の永康は「埔羌頭」と称されたが、戦国時代の日本で需要の高まった武具へ使用する鹿皮の主要供給地とし、漢人は米や塩などの物資を平埔族と鹿皮と交換し日本に輸出し、鹿肉は干肉と加工され大陸に輸出されていたことに由来する。台湾語では「埔」は平地を意味し、「羌」は小鹿の一種を、「頭」は海辺の岬を意味し、「埔羌頭」とは鹿野多い海沿いの平地という意味である。
鄭氏政権による台湾統治が始まると、台湾府安平鎮が設けられ、安平鎮は付近の24里を管轄した。当時の「埔羌頭」の正式な名称は「永康里」とされている。清国の1683年(康熙23年)になると永康は台湾府に属した。
1895年以降の日本統治時代、永康には「埔羌頭庄」が設置されて台南州台南弁務署に属した。その後は「永康上中里」、「永内区庄」、「永康庄」と改名が続き、1945年後に「永康庄」を「永康郷」と改めて15村を管轄するようになった。その後は台南市の衛星都市として人口の急激な増加により、1982年に下部行政区域を29村に改めた。1993年には人口が15万人を超え、県轄市に昇格、39里を管轄した。2010年12月25日に台南県が台南市に編入されたことに伴い永康区となり、現在に至る。
行政区域
[編集]| 地方 | 里 | ||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 永康 | 永康里 | 大橋里 | 東橋里 | 西橋里 | 安康里 | 網寮里 | 五王里 | 六合里 | 三合里 | 二王里 | |||||
| 大湾 | 大湾里 | 東湾里 | 西湾里 | 北湾里 | 北興里 | 南湾里 | 崑山里 | ||||||||
| 塩行 | 蔦松里 | 三民里 | 塩行里 | 塩興里 | 塩洲里 | 甲頂里 | 尚頂里 | ||||||||
| 龍潭 | 埔園里 | 龍埔里 | 正強里 | 龍潭里 | 永明里 | 王行里 | 新樹里 | 西勢里 | 烏竹里 | ||||||
| 復興 | 復興里 | 建国里 | 光復里 | 復国里 | 復華里 | 成功里 | 勝利里 | 中華里 | 中興里 | 神洲里 | |||||
| 永康区行政区劃 |
歴代区長
[編集]| 代 | 氏名 | 退任日 |
|---|---|---|
教育
[編集]大学
[編集]高等学校
[編集]- 国立台南大学附属中学
- 台南市立大湾高級中学
- 台南市立永仁高級中学
- 国立成功大学附属台南工業高等学校(元国立台南高級工業職業学校)
中学校
[編集]小学校
[編集]交通
[編集]| 種別 | 路線名称 | その他 |
|---|---|---|
| 鉄道 | 縦貫線 | 永康駅 大橋駅 |
| 高速道路 | 高速道路1号 | 永康IC 大湾IC |
| 省道 | 台1線 | |
| 省道 | 台19線 | |
| 省道 | 台20線 |