東国東郡

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日本 > 九州地方 > 大分県 > 東国東郡
大分県西国東郡の位置

東国東郡(ひがしくにさきぐん)は、大分県

人口1,979人、面積6.98km²、人口密度284人/km²。(2015年9月1日、推計人口

以下の1村を含む。

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1村のほか、下記の区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

知行 村数 村名
幕府領 熊本藩預地 9村 鬼籠村、西中村、東中村、上岐部村、中岐部村、下岐部村、岩戸寺村[1]、堅来村、深江村
旗本領 14村 櫛来村、伊美浦村、嶺村、浜村、大熊毛村、小熊毛村、向田村、中野村、小俣村、恒清村、糸永村、矢川村、山浦村、諸田村[2]
藩領 豊後杵築藩[3] 80村
2浦
西方寺村[4]、竹田津村、竹田津浦、櫛海村[5]、野田村、千灯村、赤根村、姫島、来浦村、長野村、浜村、中村、大恩寺村、藁蓑村[6]、富来村[7]、浜崎村、寺山村[8]、富来浦、柳迫村[9]、成仏村、下成仏村、見地村、中田村、川原村、北江村、吉木[10]、田深村、今在家村、興導寺村、原村、赤松村、岩屋村(来崎郷)、横手村、安国寺村、小原村、上小原村、治郎丸村、綱井村、池ノ内村、重藤村、古市村、今市村、糸原村、三井寺村、志和利村、小城村、内田村、成吉村、手野村、麻田村、挾間村、丸小野村[11]、吉広村、久末村、両子村、富永村、弁分村、杉山村、岩屋村(安岐郷)、成久村、中園村、瀬戸田村、下原村、古城村[12]、西本村、横城村、塩屋村、奈多村、狩宿村、山口村、下山口村、大添村、菅尾村、守江村、篠原村、草場村、藤野川村、大内山村、灘手村、鍋倉村、野辺村、東鴨川村
肥前島原藩 3村 馬場村、掛樋村、吉松村
幕府領・藩領 熊本藩預地・杵築藩 1村 新涯村[13]
旗本領・島原藩 1村 油留木村[14]
  • 慶応4年
  • 明治4年
  • 明治初年 - 長野村が来浦村に合併。(102村2浦)
  • 明治8年(1875年)3月 - 以下の村浦の統合が行われる。(77村1浦)
    • 中村 ← 西中村、東中村
    • 岐部村 ← 上岐部村、中岐部村、下岐部村
    • 伊美村 ← 伊美浦村、嶺村、浜村
    • 明治村 ← 中野村、小俣村、諸田村
    • 富清村 ← 恒清村、富永村
    • 鶴川村 ← 今在家村、興導寺村
    • 朝来村 ← 久末村、弁分村
    • 大内村 ← 菅尾村、篠原村、草場村、藤野川村、大内山村
    • 新涯村が野田村に、油留木村が掛樋村に、竹田津浦が竹田津村に、上小原村が小原村に、今市村が古市村に、杉山村が糸永村に、古城村が下原村に、灘手村・鍋倉村・野辺村が守江村にそれぞれ合併。
    • 岩屋村(安岐郷)が速見郡岩谷村、東鴨川村が同郡鴨川村のそれぞれ一部となる。

郡発足以降の沿革

  • 明治11年(1878年11月1日 - 郡区町村編制法の大分県での施行により、国東郡のうち鶴川村ほか77村1浦の区域をもって行政区画としての東国東郡が発足。郡役所が鶴川村に設置。
1.竹田津村 2.上伊美村 3.伊美村 4.姫島村 5.熊毛村 6.来浦村 7.富来村 8.上国崎村 9.豊崎村 10.国崎村 11.小原村 12.旭日村 13.武蔵村 14.中武蔵村 15.西武蔵村 16.朝来村 17.西安岐村 18.安岐村 19.南安岐村 20.奈狩江村 21.大内村(桃:国東市 橙:杵築市 青:合併なし)
  • 明治17年(1884年) - 堅来村が改称して東堅来村となる。
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は全域が現・国東市。(21村)
    • 竹田津村 ← 西方寺村、竹田津村、鬼籠村、櫛海村
    • 上伊美村 ← 赤根村、千灯村、野田村
    • 伊美村 ← 中村、伊美村、櫛来村
    • 姫島村(姫島が単独村制。現存
    • 熊毛村 ← 岐部村、小熊毛村、大熊毛村、向田村
    • 来浦村 ← 岩戸寺村、来浦村、浜村
    • 富来村 ← 深江村、東堅来村、富来浦、浜崎村、富来村、大恩寺村
    • 上国崎村 ← 成仏村、下成仏村、見地村、中田村
    • 豊崎村 ← 横手村、赤松村、岩屋村、原村
    • 国崎村 ← 川原村、北江村、田深村、安国寺村、鶴川村
    • 小原村(単独村制)
    • 旭日村 ← 治郎丸村、綱井村、重藤村、池ノ内村
    • 武蔵村 ← 内田村、古市村、糸原村、小城村、三井寺村、成吉村、志和利村
    • 中武蔵村 ← 手野村、吉広村、麻田村、狭間村、丸小野村
    • 西武蔵村 ← 両子村、富清村、糸永村
    • 朝来村 ← 明治村、朝来村、矢川村
    • 西安岐村 ← 掛樋村、山浦村、吉松村、瀬戸田村、成久村、中園村
    • 安岐村 ← 馬場村、下原村、塩屋村
    • 南安岐村 ← 西本村、下山口村、山口村、大添村
    • 奈狩江村 ← 横城村、奈多村、狩宿村、守江村(現・杵築市)
    • 大内村(単独村制。現・杵築市)
  • 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治27年(1894年11月16日 - 国崎村が町制施行・改称して国東町となる。(1町20村)
  • 明治30年(1897年3月9日(3町18村)
    • 富来村が町制施行して富来町となる。
    • 安岐村が町制施行して安岐町となる。
  • 明治31年(1898年5月3日 - 武蔵村が町制施行して武蔵町となる。(4町17村)
  • 明治34年(1901年)4月1日 - 国東町・小原村が合併し、改めて国東町が発足。(4町16村)
  • 大正2年(1913年1月1日 - 竹田津村が町制施行して竹田津町となる。(5町15村)
  • 大正10年(1921年)4月1日 - 来浦村が町制施行して来浦町となる。(6町14村)
  • 大正12年(1923年)4月1日
    • 西安岐村が町制施行して西安岐町となる。(7町13村)
    • 郡制廃止にともない郡会が廃止。残務処理のため郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和8年(1933年)4月1日 - 大内村が速見郡杵築町と合併し、改めて速見郡杵築町が発足。(7町12村)
  • 昭和15年(1940年12月23日 - 上伊美村が伊美村に編入。(7町11村)
  • 昭和17年(1942年)7月1日 - 東国東地方事務所が国東町に置かれ、東国東郡全域を管轄する。
  • 昭和26年(1951年)1月1日 - 伊美村が町制施行して伊美町となる。(8町10村)
  • 昭和29年(1954年3月31日(5町3村)
    • 来浦町・富来町・上国崎村・豊崎村・国東町および旭日村の一部(綱井・重藤および治郎丸の一部)が合併し、改めて国東町が発足。
    • 武蔵町・中武蔵村および旭日村の残部(池ノ内および治郎丸の残部)が合併し、改めて武蔵町が発足。
    • 西武蔵村・朝来村・西安岐町・南安岐村・安岐町および奈狩江村(横城の一部)が合併し、改めて安岐町が発足。
  • 昭和30年(1955年)4月1日(5町1村)
  • 昭和35年(1960年)3月31日 - 国見町・竹田津町が合併し、改めて国見町が発足。(4町1村)
  • 平成18年(2006年)3月31日 - 国見町・国東町・武蔵町・安岐町が合併して国東市が発足し、郡より離脱。(1村)

変遷表

脚注

  1. ^ 岩戸寺村・岩戸寺村ノ内葛原分に分かれて記載。
  2. ^ 「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。
  3. ^ 右記のほか福田村が記載されているが詳細不明。
  4. ^ 記載は竹田津村ノ内西方寺分。
  5. ^ 記載は野田村ノ内櫛海分。
  6. ^ 記載は大恩寺村ノ内藁蓑文珠仙分。
  7. ^ 記載は富来浦(661石余)。
  8. ^ 記載は浜崎村之内寺山分。
  9. ^ 記載は富来浦ノ内柳迫村。
  10. ^ 記載は北江村ノ内吉木分。
  11. ^ 記載は挾間村之内丸小野分。
  12. ^ 記載は下原村之内古城分。
  13. ^ 新涯村(幕府領)・野田村ノ内新涯分(杵築藩領)に分かれて記載。
  14. ^ 油留木村(旗本領)・掛樋村之内油留木分(島原藩領)に分かれて記載。
  15. ^ 末広利人「日田県管地化の実体:佐伯藩預所の場合 (PDF) 」 大分縣地方史 No.105(1982年3月) pp.20- 37、大分県地方史研究会

参考文献

関連項目

先代:
国東郡
行政区の変遷
1878年 -
次代:
(現存)